西川純のメモ このページをアンテナに追加 RSSフィード

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04/08/29(日)

[]評価法(その2) 14:02 評価法(その2) - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 評価法(その2) - 西川純のメモ 評価法(その2) - 西川純のメモ のブックマークコメント

 多くの評価法は個々人の個人特性を明らかにしようとしています。私もその手の評価法を開発しましたし、それで、いっぱい業績も稼がしてもらいました。でも、今は、現実の教室における、個々人の個人特性なんて測定する評価方法は無意味なんです。

 そんな風に思うようになったには、背景があります。ある研究者の博士論文になった調査方法(アンケート形式)を自分の研究で利用したことがあります。その調査方法は、膨大な先行研究を綿密に分析し、かつまた、自分自身でも一歩・一歩データを積み上げることによって完成されたものです。さすが、博士論文のレベルだと思いました。ところが、そのアンケートによって示される子どもの特性と、ビデオやテープレコーダーに記録・分析した子どもの言動が一致しないんです。相関係数を出したところ、殆ど、無相関(つまり関係なし)という結果でした。正直、私はビックリしました。でも、その後、人間の関係に着目する調査をやると、その理由が分かりました。簡単に言えば、本人の個人特性がどんなであったとしても、実際に行動に表れる姿は集団の関係によって決定されるのです。例えば、本人は「やりたい」と思っているし、「やりたがる」個人特性を持っていたとしても、その人が置かれている集団の力関係で、「やれない」のです。逆に、本人は「やりたくない」と思っているし、「やりたがらない」個人特性を持っていたとしても、その人が置かれている集団の力関係で、「やらざるをえない」のです。

 教師が評価方法で明らかにしたいのは何でしょうか?一人一人を長いすに横たわらせ、生まれてからの生い立ちを聞くような、アメリカ映画に出ているような精神医であれば、現実の生活には決してでないような深層心理に興味があるでしょうね。でも、30人、40人の子どもを教師の場合は、現実の教室に表出する子どもの姿が意味があります。つまり、集団の関係によって現れる子どもの姿なんです。であれば、個々の子どもの姿をおっていっても意味はありません。だって、その子どもを、どうこうしても、その子を変えることが出来ないんですから。ところが、多くの評価法は、個々人のデータに着目するので、全体的な集団の関係を見ることが出来ません。たとえ話ですが、モナリザを1cm四方に切り刻み、それらをバラバラにしたものをジックリと鑑賞したとして、モナリザを認識できるでしょうか?無理です。

 では、どうしたらいいか?それは、まず、現実の教室と同じように子ども同士が関わり合っている状態で評価しなければなりません。そして、個々の子どものデータではなく、子ども集団のデータ、つまりデータ群のパターンに着目しなければなりません。

 このメモは、超難解だと思います。おそらく、このメモを理解できる人は、このメモを見る必要がない人だと思います。これをもっと分かりやすく表現することを、今後の課題としたいと思います。簡単に結論だけを表現すると以下の通りです。

 子ども一人一人に紙を渡して、相談できないような状態で評価する評価方法は、そのような異常な状態における状態における子どもの姿しか明らかに出来ません。入学試験はそのような異常な状態ですので、その時における成績を予想するには有効です。それはそれで重要ですが、それ以上のことは出来ません。