西川純のメモ このページをアンテナに追加 RSSフィード

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04/08/23(月)

[]不得意 14:08 不得意 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 不得意 - 西川純のメモ 不得意 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 本日のNちゃんとの個人ゼミでこんなことを話し合いました。

 Nちゃんのテーマは学び合いによる評価です。簡単に言えば、友達が何を書いているか聞いたり、見たり、話し合うことを許した環境でテストをするという方法です。ただし、聞いたり、見たり、話し合っても、自分が本当に分かった、そして、自分もそう思うと言えないならば、それを書いては駄目だ、というルールです。もともとは、その教科が不得意な子どもが、何も書けずに悶々としている状態を何とかしよう、とするためのものです。

 今日の議論は、「根本的な問題は、不得意だと思っていることだ!だから、学び合いの評価という方法を研究するのではなく、不得意だと思う原因を探るべきではないか?」というものです。とても真摯な姿勢が見えて快く感じました。しかし、不得意だと思う原因は何でしょうか?

 単純に「出来ない・分からない」と言うわけではありません。例えば、将棋や囲碁を趣味としている人は少なくありません。でも、その圧倒的大多数は、プロの有段者のレベルには絶対に達し得ないと思います。つまり、プロの有段者のレベルは、「出来ない・分からない」のです。しかし、だからといって不得意だと思うことはなく、プロの対局を楽く見ることが出来ます。それは、その人の目標としていることが、プロの棋士とは違うことを目標としているからです。

 改めて教室を考えてみると、競争的環境、つまり一部の人のみが満足できるような目標を与えているように思います。具体的には、相対的に成績の高い人が賞賛される環境です。そのため、たとえ個人レベルでは成長したとしても、他者に比べて低ければ、本人は満足できません。このような環境では、どんな方法を駆使しても、多くのメンバーは「不得意」だと思わざるを得ません。しかし、一人一人が己の目標を持ち、その成長を喜ぶことが出来るようになれば、不得意という意識は劇的に減少するはずです。

 他の人の答えを覗き、全く分からないのに書き写すのは何のためでしょう。そんなことをしても、本当の自分の評価にはならないことは、小学校低学年の子どもだって分かることです。それでは何故やるのかといえば、それは学習に関して自分の目標なんて無くて、ただ、成績の数値が上がること自体を目標としているからです。また、人に教えず、自分の成績だけが上がればいいと思う子どもは、何故、そのように思うのでしょうか?それは、相対的な成績を上げるためには、他者の成績が上がっては困るからです。悲しいですし、馬鹿らしいことです。

 学び合いによる評価においては、子どもは丸写し出来るのに、それをしないという決断を求められます。また、他の子どもに自分のテストが利用されることを容認するという決断を求められます。子ども達にとって、最初は辛い決断かも知れません。しかし、それを迷う時、「テストは何のためにあるのか?」ということを考える機会になります。そして、「テストは通信簿に良い点数をとるためではなく、自分自身が納得できる成長をはかるための手段だ」と気づいて欲しいと願っています。子ども達に、そのような考えを持たせられる教師とはどんな教師でしょう。それは、「テストは通信簿に良い点数をとるためではなく、自分自身が納得できる成長をはかるための手段だ」と本気で信じている教師に他なりません。そのような教師の考えは、鏡を写すように子どもに現れるものです。

 だから、「不得意」克服の鍵を、学び合う評価なんです。

追伸 学部の卒研で、この研究が成立し得るか、否か、それは、「テストは通信簿に良い点数をとるためではなく、自分自身が納得できる成長をはかるための手段だ」ということを本気で信じ得る教師の協力が得られるか否かです。幸い、そのような教師を少なからず知っています。問題は、学部生が頻繁に移動できる距離にいて、かつ、管理職が理解ある人でなければなりません。そのような方の協力を得たいと願っています。○さん、お願いね。

追伸2 以前のメモで書いたように、受験競争を否定するつもりはありません。でも、クラス内や学校内で競争をする必要は全くありません。競争は外でやればいい。クラス内や学校内は、協同して外に向かって競争すればいい。だから、私は内申書を入試に使うのは反対です。それを使えば、競争関係が成立します(少なくとも最終学年は)。もし、一発入試が問題だったら、入試の機会を何回かに分ければいい。また、試験方法も多様にすればいい。内申書に拘るのは、それがなくなったら子どもを支配できないという教師のエゴがあるのではないでしょうか?少なくとも、大学においてもそのような教師は、ごく少数ですがいます。