西川純のメモ このページをアンテナに追加 RSSフィード

西川純です。新潟県上越市の上越教育大学の教育実践高度化専攻(教職大学院)で『学び合い』を研究しています。諸般の事情で、このブログのコメントは『学び合い』グループのメンバー限定です。メンバー登録は、いつでもOKです。ウエルカムです。なお、メールはメンバー以外にもオープンですので、いつでもメールください。メールのやりとりで高まりましょうね。メールアドレスは、junとiamjun.comを「@」で繋げて下さい(スパムメール対策です)。もし、送れない場合はhttp://bit.ly/sAj4IIを参照下さい。西川研究室はいつでも参観OKです。 詳細は http://www.iamjun.com/をご覧下さい。 もし『学び合い』グループに参加される場合は、 http://manabiai.g.hatena.ne.jp/をご参照ください。
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04/07/30(金)

[]無力感 14:22 無力感 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 無力感 - 西川純のメモ 無力感 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 先だっては、あるところで講演会をしました。そこでの講演会は、今までで最大の脱力感を感じ、かつ、無力感を感じました。

 その学校は、ある現場研究団体の中心校として、その県ではよく知られた学校です。当然、そこには、その研究団体での熱心に研究されている先生方が多くおられます。その団体は現場における知恵を定式化し、広く知らしめる活動をしている団体で、その成果は高く評価しています。しかし、同時に残念に思っていることがあります。私は、個々の知識の重要性は十分理解し得いるのですが、同時に限界があると思います。そして、個々の知識が重要なのではなく、その知識を使う先生の考え方が「もっと」重要だと思います。その研究団体の中心メンバーは、そのことを十分に理解されていると思います。それを含んだ上で、知恵の定式化をしているのだと思います。しかし、残念ながら、個々の知恵を学ぶことが最終到達点であると誤解されている方もおられます。しかし、本当は、その知恵を使って何をするかが重要だと私は思っています。そして、考え方さえあれば、その知恵を学ばなくとも、その人なりの知恵を自然に作り出せます。逆に言えば、考え方がなければ、知恵をいくら学んでも、それらは間違った文脈で用いられ、その有効性を失います。そこで、私はその団体のことは一言も言わずに、ただ、「特別な教材、指導法が大事なのではなく、当たり前のことを本当に信じられるかが重要だ」、「どんな有効な教材、指導法であっても、それにあわない子どもはいる。だから、教材、指導法にたよれば、少数の子どもを切り捨てることになる」ということを2時間語ってきました。

 しかし、無力でした。私が語った全ての事例を、その研究団体の考え方に置き換えて理解していました。また、ある現場実践家の先生を話の中で紹介しましたが、その先生がやられたことは、その団体のやり方と同じであることを指摘し、その先生がきっと、その団体のメンバーであると話されました。私は正直、びっくりしました。その先生の雰囲気が一つの団体の中に入るような感じの先生ではなかったように感じていました。そして、その先生の実践は、ある団体の本から学んだというより、その先生のキャラクターからでたものだと感じていました。

 その後、直ちにその先生に確認の電話をいれましたが、その先生は大笑いされて否定されていました。私は教育上正しいことは、多くの先人が明らかにしているし、また、後輩も気づくものだと思っています。だから、その先生のやっていることを、気づいた先生が他にいたとしても不思議はありません。でも、その学校の先生方は、その団体ゆえの知恵だと思っています。

 剣道に守破離という言葉があります。その先生方は「守」という段階にいるように思います。その先生方は熱心な先生方で、素晴らしい指導されている方だと感じました。だから、それを破り、それを離れて、自らが自信を持って考え、その研究団体のアイディアを利用できる先生方になってほしいと願いました。しかし、それは出来なかったようです。残念です。

 でも、心の中で願っています。私の話を聞いた先生方の中には、破り、離れている先生方がいるはずです。それゆえ、私の話も、自分の道具として吸収してくれた人がいると願っています。また、守の先生方も、早晩、気づくと思います。なぜなら、本当に子どもの姿をみているならば、いつかは、どんな教材、指導法であっても、救いきれない子どもがいるということを。そして、教材、指導法ではなく、関係性、環境、また、平たい言葉で言えばクラス経営の重要性がわかるはずです。しかし、今の段階ではクラス経営ということも、一つの指導法としてとらえ、考え方の問題とはとらえることは出来ないのかもしれません。そして、私は、それを変える力はありませんでした。

[]現状報告 14:22 現状報告 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 現状報告 - 西川純のメモ 現状報告 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 いろいろなゼミ生から現状報告を受けていますので、私の現状報告をします。28日の夜は大学院の教え子の校長(年齢はもちろん私より上です)と教頭の人と飲みました。実に面白い話をきけて大笑いしながら飲みました。29日は新潟市のセンターで、新潟市の理科の先生方を相手に話してきました。7人というこじんまりとした会ですが、それゆえアットホームな感じで話せました。午前中の会が終わって、すぐに飛行機で関西に飛び、兵庫教育大学に行きました。到着すると、秋の研究大会の打ち合わせで、兵庫教育大学の附属中学校の先生方と飲みながら話しました。飲ませ上手な方、聞き上手な方ばかりだったので、気持ちよく、飲み、語りました。是非、研究大会の前に、もう一度きて、全職員の前で話してほしい、といわれましたが、私の方は、何人かの人を上越に来させてください。数日がかりで文化を伝えますと、言いました。飲み会終了後に附属の先生方だけで話していたので、何を話していたの?と聞くと、上越に行く算段を話していたそうです。翌日は兵庫教育大学で集中講義です。気持ちよく語れました。これから、兵庫教育大学の先生方と飲みに行く予定です。

[]電話 14:22 電話 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 電話 - 西川純のメモ 電話 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 出張中、毎朝、家に電話します。家内も心得たもので、我が息子が電話にでます。そうすると、息子は昨日やったこと、今日やることを説明し始めます。聞いてびっくりします。ちゃんとした会話になっているんです。少なくとも、前の出張の際は、息子が言っていることの半分ぐらいは宇宙語でした。ところが、今回は、ちゃんとした内容で完全に理解できます。離れことによって、息子の成長を実感することが出来ることもあるんだな~と思いました。

04/07/26(月)

[]夏休み 08:13 夏休み - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 夏休み - 西川純のメモ 夏休み - 西川純のメモ のブックマークコメント

 私は東京で小中高の学校を卒業しました。その関係で、夏休みは7月21日から8月31日と思っていました。しかし、ある程度大きくなると、ニュースで北の地方では、夏休みが幾分早く終わるということを知りました。ちなみに家内の出身である宮城県は7月21日から8月25日だそうです。夏休みが短い分、そんだな~と子ども心にも思いましたが、その分、冬休みが長くなるそうです。理由は、北の地方では冬の寒さが厳しいため、ときいて納得しました。いずれにせよ、小中高の子ども達の休みの日数は同じだと思っていました。

 ところが、N某県は違うそうです。7月27、28日~8月22日だそうです。初めて聞いて、「そりゃ、その分、冬休みが長いんでしょ?」と聞いたところ、そうではないそうです。それで、「でも、授業日数は法令で定められているじゃない」と聞きましたが、法令で定めているのは日数の最低数であり、最高数は無いそうです。ということは、法令上、夏休みは、一日も無くてもOKということを知りました。ビックリ。しかし、某県が大学入試実績で全国トップランクであるということを聞いたことはありません。ということは日数が長ければ、勉強になるということにはなるということは無いんだな~、と思いました。でも、子どもを持つと分かるのですが、親にとって小中高は保育園の役割を果たしています。その親の欲求には答えているんだな~、と思いました。

 現在出張中です。出張中の楽しみは大浴場です。そこに入ると、小学生がうじゃうじゃいました。あれ!?と思いましたが、直ぐに夏休みに入っているためだということが分かりました。ということは 某県に子どもを連れて遊びに行く穴場は、地元の子どもが行かない(行けない)7月21日~26日、8月23日~31日なんだな~と思いました。

04/07/25(日)

[]大望 08:14 大望 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 大望 - 西川純のメモ 大望 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 出張の移動中、ユーミンとサザンを聞いてました。高校時代、大学時代に聞いた彼らの曲を聴いていると、その当時のことが走馬燈のように思い出されます。臭覚ほどではないですが、聴覚は人間の脳の奥深いところに関係しているのではと感じます。ものすごく、多くのことを思い出します。それも、概念化した知識ではなく、その当時の臭い、触覚のレベルの感覚を思い出します。

 彼らは凄いと思います。私が高校・大学時代から第一線におり、今なお、今の若者に支持される曲を作り続けています。そして40代のおっさんである私が、その今の曲も、昔の曲と同様に支持できる曲です。今の人たちは、「中央フリーウェーイ」や「勝手にシンドバット」を知っているでしょうか?もし知っていなかったら、それを教えてあげたいと思います。きっと、今の彼らを支持している人なら、きっと共感してもらえると思います。

 彼らを自分になぞるのはおこがましいと思いますが、ふと大望を持ちました。

 私が初めて単著の本を出したのは39歳です。もし、65歳の退職まで本を書き続けられたとしたら26年間、書き続けられるはずです。ということは、私の最初の本を読んだ時に20代、30代の人が50代、60代になるはずです。もし、50代、60代になっても支持されるような成果を出し続け、かつ、その当時の20代、30代の人にも指示されるような成果であれば・・。あまりにも高い望みなのかも知れません。でも、それが可能ならば、50代、60代の人が、今の私の本を、若い人に教えてくれるかも知れません。「中央フリーウェーイ」や「勝手にシンドバット」のように・・

 身の丈に合わない望みですが、望みは本気で望むことによって叶います。すくなくとも、望まなければ、望外の望みは叶わぬものです。

追伸 このメモを書いたところ、ある方から、「小学校の時に初めてラジカセにとった曲が勝手にシンドバットでした。」とのメールを頂きました。勝手にシンドバットは私が大学1年の時の曲です。「私が大学生の時、あの方は小学生だったんだ~」と思うと、もの凄く「かわゆく」思いました。

04/07/23(金)

[]天狗の鼻(その5) 08:16 天狗の鼻(その5) - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 天狗の鼻(その5) - 西川純のメモ 天狗の鼻(その5) - 西川純のメモ のブックマークコメント

 あるOBからメール(「天狗の鼻を読んで」)が来ました。内容は、メモに関連した内容と、先週末にあったOBが集まった飲み会に関連した内容です。

 『先日はありがとうございました。毎日が少しずつ前向きになっています。さて、通知表作成で大忙しでしたが、ようやく終えました。メモを読んでメールしたかったのですが、時間を作ることができませんでした。ゆっくりと考えたい問題でもあったので。。。昨夜、妻(注 奥様も教師です)とも話したのですが、妻はこう言っていました。(私も同感です。)クラスがきちんと整列しないような状況のとき、整列させられるテクニックを知るのよりも整列しなくても大丈夫なことに気づかせてもらえるほうがずっといい。(もちろん、むやみに何でもOKだったり、宗教的なものではありません。きちんと説得力あるものです。)

 先日、Sくん(注 今年卒業したゼミ生)が言っていました。周りの先輩教師に「だいじょうぶか?」と言われて、しめてかかったこともあったけど、それはそれでうまく入ったけど、子どもの力を信じることには繋がらず、そこまでだって感じがしたので2学期は自分の考える方法で行きます。もう、反省点も挙げました。夏休みに作戦を練り直すつもりです。

 すごい新人が出てきた、と末恐ろしくなります。おそらく、彼はテクニック本を手にせずに教職人生を送っていくでしょう。(ちなみに私も1冊も持っていませんが、私は不勉強体質のおかげで。。。)

 私も、テクニックのもう一歩先を生きていきたいと日々願っています。』

追伸 Sへ。お前を高く評価し、期待している人が、少なくとも二人(俺と○さん)はいるんだよ!

追伸2 ちなみに私の返信は以下の通りです。

 有り難う同志。

 可視化します。

 『ふと思いました。

 通知票が大変ですよね。私もそうでした。

 では、今、自分はどうかと考えると、実に簡単です。

 自分の気持ちを「有り難う同志」、また、「ウルウルしました」という一言で表せます。

 通知票に、自分の感謝の気持ちを一言書くだけで、伝え合える関係(子どもとも、その親とも)でありたいですね。』

追伸3 一人の院生さんに伝わらなかったことで落ち込むのは、逆に言えば、「俺の話は全員に伝わるはず」という傲慢な考えに根ざしていることに気づきました。反省。○さんやSのように、分かり合える人はいるのですから、その人を増やす努力をすることにします。

04/07/22(木)

[]天狗の鼻(その4) 08:18 天狗の鼻(その4) - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 天狗の鼻(その4) - 西川純のメモ 天狗の鼻(その4) - 西川純のメモ のブックマークコメント

 ここまでくると、半分以上はやけくそです。

 私が十数回の講義で語り語ったことの構造を語ります。

 最初の5回ほどは、「なぜ理科は難しいと言われるのか?」をベースにして、「教師と子どもは同じものを見て・聞いても違うものを見て・聞いている」、「子どもが分からないのは不真面目だからではなく、子どもは真面目だから分からない」ということを伝えたかった。そこから、教師が教えようとしても限界がある、それは教師が怠惰であったからでも、無能であったからでもなく、教師が教師である限り避けられない限界だ、ということを伝えたかった。それ故、教師が最善の教師ではなく、子ども同士の学び合いによってのみ「全て」の子どもが救われるということを理解して欲しかった。

 それ以降の十弱の講義で伝えたかったのは。

 「学び合うことは教えて成立するのではなく、人間の本能。だから、教えようと考えるのではなく、子ども達の邪魔をしなければいい!」(学び合う教室をベース)

 「難しいことをするより、当たり前のことをすればいい。大事なのは、建前で言うのではなく、本気で信じること」(学び合いの仕組みと不思議をベース)

 「子どもは愚かでも、未熟でもない。我々と同じぐらい有能である」(静かにを言わない授業、学び合いの仕組みと不思議、そして新刊予定の本をベース)

 「異質な集団によって子ども集団は大きな力を持つ」(静かにを言わない授業、新刊予定の本、そして、来年度までには出版する予定の本をベース)

 そして、最後は、「何のために学ぶのか。教科指導と生徒指導が不分離で融合した学校教育のあり方」(学び合う教室、心の教科指導をベース)

 でも、空しい。そんな種明かしをしなくても、分かってもらわなければプロの教師ではありませんから。それも、ごく初期の段階のプロ。少なくとも一人の院生の方には伝えられなかった・・・

[]出張準備 08:18 出張準備 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 出張準備 - 西川純のメモ 出張準備 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 明後日から8月10日までは出張続きの日々が続きます。合間、合間には出張先に家族が来るので合えますが、大部分は家族と会えません。この1週間は、出張中の講演会・集中講義の準備に追われています。出張前から疲れそう・・

[]失敗 08:18 失敗 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 失敗 - 西川純のメモ 失敗 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 本日、院生さんとNちゃんがコーヒーを飲みながら話していました。私も途中から参加しました。題材は、「私が教師になって、指導に失敗したらどうしよう・・」というものです。教師の持つ影響力を意識し、子どもの人生を大事にしているから出る悩みです。それを聞いている現職院生のYzさんの顔もニコニコです。私も、それを聞いて、思わずニコニコしてしまいました。あとから、参加した現職院生のIさんもニコニコになってしまいました。おそらく、私や現職院生さんの話の中で、そのような「青臭い」話題は出ることは無いでしょう。Yzさんも、私も、Iさんも、同じように「そんなこと言われたら、失敗だらけの私はどうしたら良いんだ・・」と言っていました。青臭いけど、とても本質的な話です。失敗するかも知れない、でも、それでも、一生懸命に最善を尽くすのが我々の仕事です。だから、「失敗したら・・」と悩むNちゃんは、教師の持つ影響力を意識し、子どもの人生を大事にしていることを示し、だから、きっと良い教師になると思います。だから、Yzさんも、Iさんも、私も、Nちゃんをとても頼もしく思いました。

 でも、西川研究室の卒研生として、もう一歩上の認識を持って欲しいと思いました。それ故、あえて意地悪な質問をしました。それは、「失敗しないって、どういうこと?」と聞きました。Nちゃんは妥当なことを回答を言いました。私は、「その時は、そうだったとして、そのことによってその子どもの人生が滅茶苦茶になったら、その授業は良かったの?」と聞きました。また、「失敗しなかったと言うことは、どんなことを指すの?」と聞きました。色々と問答をすると、「失敗しない」ということは、その時点でさえ確実でなく、さらに、その子の未来にまで考えが及ぶと、さらに確実でないことを分かってもらいました。そして、「教師は失敗しないようにと思っても、失敗してしまうかも知れない。だから、責任を負えないんだ。では、その子の人生に責任を負えるのは誰だと思う?」と聞きました。Nちゃんは「その子」と直ぐに答えてくれました。私は、「だから、教師の仕事は、子どもに自己判断を出来るよな状況を与えること、そして、自己判断した行動がしやすい環境を保証することだよ。同時に、自己判断するときに満たさなければならない条件、例えば指導要領のような社会的に決定された境界条件を示さなければならない。」と語りました。その後に、西川研究室が自己判断・自己責任の原則であるのは、それと同じ理由であることを述べ、具体的にNちゃんへ私がしていることとの対応を説明しました。この説明までは、ニヤニヤしていた院生さんも、いつの間にか自分たちに降りかかった話題であることを察知し、まずいな~という顔をし始めました。そこで、学卒院生のHが「先生がそういうことを言うことによって、いつの間にか先生の路線にのせられているんだから、先生のいうことを聞く必要はないんだよ」とNちゃんに言いました。私はHに、「それは正しいけど、もうちょっと上のレベルでメタ認知すれば、そういっているお前が俺の路線にまんまとのせられているんだよ。だって、俺の意見に従わずに自分の考えで行動せよ、といっているお前の言っていること自体が、俺が願っていることなんだから」と言いました。Hは黙りましたし、まわりの現職院生さんは笑い出しました。

 私の路線、というより、歴代の院生さん・学生さんに教えられた路線は強力だと思いました。孫悟空がお釈迦様の手の内から逃げられないように、自己判断・自己責任の力は強大です。

追伸 同様のことを今から3年前のメモ(「自己責任」(01.11.16))に書いています。

04/07/21(水)

[]天狗の鼻 08:20 天狗の鼻 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 天狗の鼻 - 西川純のメモ 天狗の鼻 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 子どもに対する評価は自分に対する評価です。

 大学院での講義の評価のため「心の教科指導」を読んでレポートを書かせました。多くは勉強になるものでしたが、一つ、とてもグサッとなるレポートがありました。つまり、ものすごく勉強になるレポートです。その先生は、問題の多いクラスを担当し、もがいた経験を書かれていました。読んでいて、壮絶なものでした。その中に、次のような一節がありました。

 『本屋さんで、役に立ちそうな本を何冊も買いました。法則化の本は役に立ちました。観念的な内容が多い教育書の中で、具体的な方法や指示が書かれている本は、溺れるものにとっては何よりの助けになります。本に載っていることで、できることは何でもしました。』

 そして、最後の方に、次のような一節がありました。

 『私は、この本をクラスが荒れて困っている時に買いました。「心の」というタイトルに惹かれました。しかし、そのときは、ぱらぱらとページをめくっただけで終わりました。「・・・かもしれない」や「・・・と思われる』では、特効薬にはならないからです。(すみません)』

 このことは、よ~~く分かっているし、そのことは折り込み積みでしたが、改めて読むとガクッとなりました。何とも書きましたが、私はテクニックの有効性は十分に理解し、評価しています。でも、その限界も知っています。そして、本当に改善するためには、テクニックではなく考え方が重要だと思います。法則化の本でテクニックを書かれる方の多くは、テクニックの先にあるものを知っているのだと思います。読まれている方は、それを理解して読んでいると思います。しかし、溺れている人には、それが見えず、テクニックが最終的なゴールのように誤解してしまいます。それゆえ私は、意識してテクニックを書かないようにしています。

 このレポートを書かれた先生を心から同情します。しかし、私は思います。この先生を救えるのは、本にあるテクニックではなく、この先生を守ってくれる教員集団だったはずです。それゆえ、テクニックにのみ走ってしまったのだと思います。そう言えば、この部分は語ってなかったな・・・と気づきました。

 講義でいい気になって語っていた私の天狗の鼻が「ポキン」と折れました。

追伸 レポートに関しては公表するかもしれないから、公表してもいいように書いてね、と宣言して課したレポートです。(蛇足ながら)

[]天狗の鼻(その2) 08:20 天狗の鼻(その2) - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 天狗の鼻(その2) - 西川純のメモ 天狗の鼻(その2) - 西川純のメモ のブックマークコメント

 先のメモに書いたと同じレポートに、先よりもずっと鼻を折る部分がありました。

 その先生が、もがきにもがいていた最終段階のことです。以下のように書かれていました。

 『3年生の秋ぐらいになると、「もういいや」という気持ちになりました。1年生の時の争乱状態を考えれば、ほぼ普通に授業や話が出来るようになったのですから。半分は諦めにの気持ちがありました。「もういいよ。俺はよくやった。あとは、高校への進路が決まればいい」

 授業の準備はそれまで通り、一生懸命にやりました。ただ、以前と違うのは、一挙手一投足にいたるまで考え、生徒達にも細かく指示を与えていたのが、「はい、やろうね。わからなければ教科書を見て、班の人と相談して」と生徒達に任せるようになったことです。(多少、面倒くさくなっていたのかもしれません。)

 あるとき授業中に急ぎの用があって、職員室で仕事をしてから戻ってきたことがあります。それまで遊んでいたものを、教師がきたからといってぱっと席に戻ったりしても、すぐに雰囲気でわかりますよね。しかし、そのときは私が理科室に戻っても淡々と班ごとに実験を進めていました。けっして面白い実験ではありません。同じような操作を繰り返して測定するだけのものです。それを実に楽しそうに行っているんです。うまく言ったと言っては笑い、失敗したと言っては笑い。私は、ただ黒板の前の教師用の机に座ってみていました。机間巡視もしませんでした。淡々と授業が負われいました。

 翌日の生活ノート(日記です)に、ある女の子が書いてきました。

 「最近、理科の時間が面白いです。実験が多いし、みんなでやっていると楽しいです。」と。

 私はそれまでも、実験中心の授業でしたが、そのように書かれたことはありませんでした。

 その頃から、生徒達だけでいろいろな話が決められ、進められていきました。(中略)

 クラスが良い方向に向かっていった直接の原因は分かりません。おそらく、複合的であろうと思います。』 

 これを読み終わって、いい知れない虚脱感を感じました。西川研究室、OBなら、なぜだか分かるよね。

 この先生のクラスで起こったこと、いや、起こらせることを研究しているのが我々なんです。我々は、その原因を明らかにしています。そして、私は十数回の講義をかけて、それに関することを語っていました。ところが、その十数回の講義を聴いたこの先生は「原因は分かりません」と無邪気に書かれています。

 深く、深く、反省します。

[]天狗の鼻(その3) 08:20 天狗の鼻(その3) - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 天狗の鼻(その3) - 西川純のメモ 天狗の鼻(その3) - 西川純のメモ のブックマークコメント

 蛇足ながら、分からない人も多いと思うので、天狗の鼻(その2)の簡単な(本当に簡単な)種明かしをしたいと思います。

 あのレポートを書いた先生は『けっして面白い実験ではありません。同じような操作を繰り返して測定するだけのものです。それを実に楽しそうに行っているんです。うまく言ったと言っては笑い、失敗したと言っては笑い。』と書いていました。また、『「最近、理科の時間が面白いです。実験が多いし、みんなでやっていると楽しいです。」と。  私はそれまでも、実験中心の授業でしたが、そのように書かれたことはありませんでした。 』と書いていました。そして、そのことをとても不思議がっていました。この先生は、理科教師が理科の授業で冒しがちな過ち(そして国語教師が国語の授業で冒しがちな過ち、そして社会科教師が・・)を冒しています。

 第一に、自分が面白いと思うものと、子どもが面白いと思うものが同じだと思っています。本当は、その道の専門家と、初心者では見るもの聞くものは違うし、興味・関心の対象が違います。しかし、どうも自分が面白いものは、他人も面白い(面白くあるべき)だと誤解しているようです。教師には陳腐に見える実験であっても、子どもにとっては新鮮な実験の場合は少なくありません。だって、試験官を振るだけでドキドキしている子は少なくありません。

 第二に、子どもはその教科を学ぶという意味以上に、人と関わるということを目的にしています。このことは自分の学校時代を思い出せば、あたりまえすぎるほどあたりまえなんですが。我々は何を楽しみに学校に行ったでしょうか?国語・社会・・・を学ぶことを楽しみに学校に行ったでしょうか?逆に、悩んでいる子どもは何に悩んでいると思います?でも、教師になると忘れてしまうんですね。

 特に、第二の点が重要なんです。その先生のクラスに起こった変化の本当の原因は『以前と違うのは、一挙手一投足にいたるまで考え、生徒達にも細かく指示を与えていたのが、「はい、やろうね。わからなければ教科書を見て、班の人と相談して」と生徒達に任せるようになったことです。』からなんです。子ども達が、互いに関わることが出来るようになったからです。そして『生徒達だけでいろいろな話が決められ、進められ』るようになったからなんです。

 その先生は『多少、面倒くさくなっていたのかもしれません。』と謙遜されます。しかし、違うと思います。単に放り出したならば、子ども達は遊び出すはずです。ところが、子ども達が勉強に向かったのは、その先生が3年間かけて子ども達に目標を与えていたからだと思います。そしてクラス集団を作ったからだと思います。素晴らしいことです。その先生は、熱意があり、力のある先生だと思います。このことをちゃんと分かっていれば、もっと凄いことが出来たと思います。そして、もっと早く子ども集団を変えることが出来たはずです。逆に、上記のことを分かってもらえなければ、もう一度、同じ状況に陥った時、また、同じような対応をするでしょう。そして、私はその先生に、上記のことを伝えることが出来ませんでした。だから、自分の無力を恥じます。上記のことを、一人でも分かってもらいたいと思い、可視化します。

追伸 もしかしたら、その先生がこのメモを読んでくれるかも知れません。そして分かってもらえるかも知れません。

04/07/20(火)

[]宿題 08:22 宿題 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 宿題 - 西川純のメモ 宿題 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 ある方からのメールに、今後の西川研究室で研究して欲しいテーマがあげられていました。興味ある内容です。可視化します。以下、原文をそのままアップします。色々な方からのテーマ、待ってます!

『・教師の多忙さ、どうして授業に集中する時間がつくれないのか

 100人教師がいれば、100人とも学校での校務の多忙さを上げます。本来教師は、授業に専念したいと考えているのに、それがかないません。そこを明らかにすることは、現場の教師にとっても魅力です。是非、そのメカニズムが知りたいです。

・女子生徒を制するもの、学校を制す

 今、中学校では、女子生徒の指導が大きな問題です。3人女子がいると、そこには必ずと言っていいほど、いじめが発生します。女子間での手紙の交換も、今、学校では問題です。授業中の手紙まわし、これは、学校、年代を問わず、必ず発生します。そのメカニズムには現場の先生方の注目は高いです。

・学校をかえた、学級だより

 教員は、学校長が一番怖いです。学校長はだれが一番怖いかというと、保護者、地域です。つまり、保護者、地域を見方につけると、校長に圧力をかけることができ、ひいては学校をかえることが、一教諭としてできるのです。その一つの手段が学級だよりです。学級だよりで校長の 教師に対する声がけも変わり、全校朝会での話し方も変わってきました。これはおもしろい現象です。

・やる気をなくす管理職とは

 教員に聞くと、やる気をなくすときの管理職の対応に、共通点があることがわかりました。どんなときに、こんなことを言われ、頭に来たとか、やる気をなくしたなど、現場にいるとたくさん耳に入ってきます。これを分析するとおもしろいことがわかると思います。』

追伸 やる気を無くす管理職の共通点が興味があったので、それを問い合わせたところ、以下の通りでした。

『まず、度胸の小ささです。いちいち細かいことばかり言っている管理職は、やる気が起きません。例えば、「お前の思いっきりやってくれ。後は私が責任をとる」と言ってもらえば、馬鹿な教師だって、むちゃはしません。校長に迷惑をかけないよう頑張ります。また、いきに感じ、校長に尽くそうと思います。管理職は、職員に「指導」することは必要であるが、その「指導」とは、「ちゃんと注意すること」「細かいところまで、ちゃんと伝えたか」が問われています。教育委員会も、このご時世、校長が何を職員に言って、何を指導しかたチェックしていることも原因かもしれません。やる気をなくす管理職=自分の身を守ることだけに精一杯で、部下の頑張りに鈍感な人。簡単にいうと「いきに感じることができない人」です。』

[]キャラ 08:22 キャラ - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - キャラ - 西川純のメモ キャラ - 西川純のメモ のブックマークコメント

 ある 先生の教育・研究の抱負を数十分間承りました。しかし、つまらなかった。話の最初から最後まで、ごくごく当然で、だれからも「それは違う」と言われそうもないことをず~っと聞きました。もちろん大人なんですから、無用な戦いは必要がありませんが、その話の中に、のどに引っかかるような「とんがった」主張が見え隠れがあるべきだと思います。 きっと、その先生には何かがあると思うのですが、それが見えませんでした。残念。

 私はキャラが強い方です。でも、そのキャラを押さえた方が良いかな・・と思ってみました。具体的には、どんなことを言われても、「いいよ、いいよ、それでいいよ」と言い続け、いつもニコニコし続けます。私の場合は、ニコニコし続けることは同じですが、自分の考えをはっきり言います。

 もし、学内政治で、自分の主張を抑えれば、いらざるストレスを感じなくても良いはずです。地位から言って、主張しなくても、大抵の場合は、問題がありません。おそらく、「良い先生」を演じられると思います。また、研究に関して言えば、自身の考えを言わずにニコニコしていれば、学生さん・院生さんのより多くの支持を得ると思います。おそらく、「万人受けする先生」を演じられます。その方が良いのかな~とも思います。 しかし、そんな人にはなりたくはありません、やっぱり。そのような人は、何のために教育者になり、研究者になっているのか分かりません。志を持って、教育者になり、研究者になるならば、そこら中と戦わなければなりません(もちろん勝つ戦いです)。戦わなくても良いなら、それは、その人がいてもいなくてもいいということです。 そして、そのような人の研究室では、みんなが別々な方向に向かい、はい回り始めます。

04/07/19(月)

[]17日 08:23 17日 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 17日 - 西川純のメモ 17日 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 先だって17日はM2の中間発表会と、夜はT先生の副学長就任祝いの会がありました。中間発表での質の高さは、今更、言を加える必要はありません。加えるとすれば、その会に関わる全てのことに関して、私は何もしなかったということです。ふと思い出せば、「中間発表をしなさい」ということを言っていなかったことに気づきました。意識して思い出したら、T先生の会の相談を受けた際、院生さんの方から「中間発表と絡めてやってはどうか?」と提案があり、私も良い考えだと応えた覚えがあります。その話を聞きながら、「そういえば、中間発表しなきゃな~」と逆に思い出した次第です。文化として定着したと思います。

 午後の会は、楽しかった!久しぶりに会うOBの顔・声。でも、すぐに以前と同じペースに戻ります。いつまでも続く馬鹿話。真摯に語る実践。それらが交互に現れるという典型的な良い私語の嵐の中で時間を過ごすことが出来ました。楽しかった!

04/07/16(金)

[]仕事のこなし方 08:23 仕事のこなし方 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 仕事のこなし方 - 西川純のメモ 仕事のこなし方 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 私はある学会(二千人弱規模)の学会誌編集委員会の事務局を一人でこなしています。色々な方から、「大変でしょうね」と言われますが、白状しますと、それほど大変ではありません。秘訣があります。それは、その仕事を受ける前に、仕事の内容を徹底的に分析します。そうすると、多くの部分は簡略化出来ることが明らかになります。そこで、その仕事を受ける際、「これこれのことをのんでください」とその仕事の責任者、つまり編集委員長や学会長にお願いします。私がお願いすることは、あまり過大なことではないので受けてもらえます。しかし、それによって負担は激減します。

 もう少し具体的に説明します。多くの学会では、編集委員が物理的に参集する編集委員会で全てを決めます。しかし、結果として、編集事務が著しく滞ります。例えば、ある学会では編集委員会が4月と9月の年2回あるとします。ある人が論文を5月に投稿します。ところが、その論文の査読者はだれにお願いするかは9月まで決まりません。9月に決まって、査読者が決まり、査読結果が6月に出されたとしても、それを投稿者に送るのは来年の4月まで待たなければなりません。一発でOKが出るなら良いですが、大抵は、数回は査読者と投稿者のやりとりがあります。となると、上記のような時間のロスが更に蓄積されます。また、事務局にとっても負担が多いです。まず、編集委員会の準備をしなければなりません。編集委員会が遠方の場合、出張しなければなりません。そこで、議事の多くはインターネット上で行えるというルールをお願いしました。ただ、もう一つお願いしました。それは、メール上の提案があり、それに対してレスが1週間無かった場合は賛成と見なす、というルールをお願いしました。これによって、大抵の議題は1週間で解決できることになります。インターネット上での作業だと、ルーティン化しやすくなります。また、情報が自動的にコンピュータ内部に保存されますので、記録整理の手間が大幅に削減できます。

 ただし、全てをインターネット上でやろうとするのは考えものです。というのは、現状ではマックユーザもいますし、Dosユーザーもいます。ワープロソフトもワードユーザーもいますし、一太郎ユーザーもいます。メースソフトになると実に多種多様です。従って、論文のファイルのやりとりをインターネット上でやると、その仲介役となる事務局の作業が極めて煩雑になります。そのため、その部分は印刷媒体を郵送するという方法をとっています。

 印刷に関わる作業(例えば割り付け、校正)は、事務局が大変な部分です。しかし、大変なのは素人がやるからであって、プロの印刷業の方にとっては、毎日の仕事です。だから、その部分に関してはプロに任せています。また、論文の発送に関してもお任せしています。我々が封筒に雑誌を入れるのはたどたどしいものですが、プロがやると見とれるほど早くやります。校正に関わる著者との連絡、また、超過分の印刷費・別づり費の請求も全て印刷業の方に任せています。仕事の最初に、作業全体のプロセスに関して詳細な取り決めを交わし、それに対する料金交渉をします。私はその料金に見合った予算を獲得するよう学会と交渉します。これもOKがとれます。意外かも知れませんが、上記のことをアルバイトでこなすよりも低い料金で実現できます。

 仕事の内容を分析し、シミュレーションし、交渉すれば、驚くほど仕事は楽になります。しかし、このことを理解している人って、本当に少ないと思います。

04/07/15(木)

[]本日 08:24 本日 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 本日 - 西川純のメモ 本日 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 本日は、文部科学省関連のお仕事で、学校から高速で1時間の学校の授業を見に行きました。その学校とのおつきあいは昨年度からです。その学校の目標の一つに「学び合い」があったのですが、昨年に見た時は、それは陰に隠れていました。また、私の意見(おひな様のように飾られている大学の先生の言葉は「ご指導」といわれますが)に対しては、厳しい質問が多かったように思います。ところが、今年は確実に「学び合い」がありました。それ故に、興味深く拝見できました。ただ残念だったのは、参観できる授業4つが全て同時だったことです。結果として、最も興味深い、目標の設定の部分を、全て聞くことが出来ませんでした(でも、あとで子ども達に「何やっているの?」と聞けば、分かります)。それぞれの先生方が、それぞれの試みをされていました。4人とも、それぞれが良いキャラの先生だったので子ども達の多くは動いていたように思います。平常の学校のレベルから言えば、断然良いレベルでした。また、中堅以上の先生方の実践報告(時間の関係で短かったです)が、まさに、我々の考え方に極めて近いものでした。うれしくなりました。もしかしたら、前年度言ったことのなにがしかが生きたのかも知れません。

追伸 上記ほどの確信がないのですが、もしかしたら・・ということがあります。

我々は子どもに注目します。それは授業参観に端的に現れます。多くの先生方は研究授業の際、教室の後ろに立ちます。それは、教師が語る際に、教師の姿を見るためです。しかし、我々は教師が語る時の子どもに興味があります。そのとき、私は 教室の前の方に立ち子どもの姿を見ます。

本日、教師が語っている時、一人の先生が教室の前の方に移動されました。前年度に、もっともきつい質問を私にぶつけた先生です。気のせい、偶然かも知れません。でも、意味があるのかも知れません。

追伸2 どん欲な私は、それでも、先生方にごちゃごちゃ語ってしまいました。

04/07/13(火)

[]ニュース速報 08:27 ニュース速報 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - ニュース速報 - 西川純のメモ ニュース速報 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 本日の朝、仕事をしていると、Ymさんが来ました。手には巨大なビニール袋です。なんと巨大なスズキです。負傷しつつもつり上げた釣果だそうです。本日の昼休みはスズキの刺身です。Yさん見てる~。詳細は(http://juenwest.hp.infoseek.co.jp/n/member.htm)にのると思います。取り急ぎ、速報です。

[]夏休みの予定 08:27 夏休みの予定 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 夏休みの予定 - 西川純のメモ 夏休みの予定 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 関係各位に夏休みの予定をお知らせします。7月24日から8月10日までは大学に行きません(いけません)。その期間に三つの講演会、一つの集中講義、二つの学会、一つの連合博士課程の会議が入っています。それ以降には8月19~20日は連合博士課程の院生のTさん、Kさんのプレゼンがあります。23日から26日は愛知県の先生が研究室に研修に来られます。27日は群馬県で講演があります。28日は本学大学院の入試があります。30日は上越で講演会があります。そして盆休みはとります。ということで、7月24日以降で「今のところ」予定の入っていないウイークデーは8月16、17、18、31日です。時間指定して数時間だけなら時間を割けるのは、8月11、12、19、20、23~26、30、31日です。ただし、メールは見ていますので、期間中はメールで連絡して下さい。7月24日以降に届く郵便は、8月11日まで読めません。

追伸 上記はあくまでも現在の予定です。先週1件の講演依頼があり、今日も1件の講演依頼がありました。

[]鈴木 08:27 鈴木 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 鈴木 - 西川純のメモ 鈴木 - 西川純のメモ のブックマークコメント

  本日は、Ymさんが素晴らしい釣果(スズキ)をもたらしてくれました。その釣果を学生食堂で、みんなに見せびらかしながら、みんなで食べたいと思いました。と、ところがです。本日は昼休みは教授会です。「その他大勢」の会だったら、「し~らんぴ」を決め込むところでしたが、どうしても抜けられない会でした。残念無念。でも、でも、会が終わってから、家族分を分けてくれたスズキの刺身盛りを頂きました。本当にドッチャリでした。家に帰ると家内が目をまん丸にしていました。本日のメインディッシュはスズキの刺身です。家内は「このお魚はYmさんからいただいたものなのよ」と何度も息子に言い聞かせていました。私の方は、家内にYmさんの武勇伝や、それを助けたIさんの話をしました。

 あの量ですから、当然のように食べ切れません。とにかく食べようと思って一生懸命に食べたのですが、半分近くは残りました。明日のメニューに使わせてもらいます。私の希望では、鈴木茶漬け(鯛茶漬けではありません)の朝食を希望したのですが、家族の食事のバランスを考えてくれる家内の判断に任せています。

 Ymさん、それにIさんありがとう。

追伸 食堂でのメンバーの食事はゼミのホームページに掲載されています。

[]懺悔 08:27 懺悔 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 懺悔 - 西川純のメモ 懺悔 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 私には定時制高校でのオール1の生徒相手に鍛えた話術があります。また、大学院での勉強・定時制高校での先輩教師・歴代の院生さん・学生さんを通して学んだ教材があります。従って、そこらの大学教師のレベルを超えた授業が出来る、と不遜ながら自負しています。 でも、そのような授業を我々は否定します。授業開きの初期に、子ども達に教室のボスであることを認めさせる際に「授業のうまい教師」であることは必要です。でも、それは求めている最終段階ではなく、あくまでも、ごく初期にやるだけで、続けてはいけません。教師は徐々にフェードアウトしなければなりません。そして、学習の主体者は子どもとなり、教師は目標の設定者に移行しなければなりません。我々が目指す教師は、一定の話術・教材の力を持ちつつも、それを封印することが出来なければなりません。  と、分かっているのですが、どうもズルズルと「授業のうまい教師」を引き延ばしているようです。どうも、私にとっての週に1度の講義(十数回)は、エンターテイメント性の高い講演会の様なものになっているのかもしません。そして、私にとっての授業とはゼミ(全体ゼミ、学年ゼミ、個人ゼミ)なのかもしれません。

  かつて大学院においては我々の求めている授業に近い授業をした年度もあります。方法としては、最初の2、3回は熱く語り、その間にテキストを指定しそれを読むことを課します。そして、受講生に課題を与え、それを発表する形式です。学部の全学必修の授業を担当していた時も、基本的にその方式でした。ところが、今年度はその形式を取らず、最後まで教材と話術で引きつける授業をしつづけています。原因は私の「教えたがり」の性分だと思います。私は西川研究室が明らかにしたことに愛着があり誇りがあり、それゆえ語りたいと願います。また、私の語りに対する学生さん、院生さんの反応を味わい、感じたいと願います。

 そこで、ここに懺悔します。教えたがり、語りたがりの教師の性に関して、罪深い私を、みなさんお許し下さい。講義における私は、我々が目指している教師の姿ではありません。そして明日も、思いっきり語る授業をする予定です。

追伸 少なくとも西川研究室の皆さんは理解してね。教えたがり、語りたがりの私が学年ゼミでは出来るだけ沈黙を守っています。個人ゼミでは、「わたしは知らないよ」とか「何で私に聞くの?」なんて言わなければなりません。さらには、全体ゼミでは、我慢できずに語り始めると、Hから「先生、喋りすぎ」とイエローカードが出されます。だから、年に十数回の授業ぐらいは、語りたくなっちゃうんだよ・・ね。

[]つぶやく 08:27 つぶやく - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - つぶやく - 西川純のメモ つぶやく - 西川純のメモ のブックマークコメント

 大きな声で「褒め」ます。現在のゼミの状態は、私が上越教育大学につとめて18年間の中で初めて状態になりつつあります。我々が研究で明らかにしている学習集団の求める姿に近づいています。多くのメンバーが、それを形成することに関わっていることを知っています。素晴らしいと思います。

 でも、不満が二つあります。第一は、今の状態の素晴らしさを、私と同じようにメンバー全てが理解しているだろうか?と思います。その素晴らしさを感じて欲しいと願います。第二は、今の状態を文化にすることです。それが成立したら、どうなるでしょうかワクワクします。

追伸 どん欲な私は今、考えていることがあります。M2をM2たらしめているのは、M1なんです。4年を4年たらしめているのは3年なんです。では、M1・3年たらしめているのは何でしょう。それはM2や4年であると同時に、M0や2年のように思います。異質で多様な集団を形成する責務は私にあります。それにしても、私は強欲だと思います。

04/07/08(木)

[]競争と協同 08:58 競争と協同 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 競争と協同 - 西川純のメモ 競争と協同 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 先だって、ある先生からメールを頂きました。内容は、最近あった問題場面についてです。状況は七夕飾りを作っている際、子どもたちの間で「何故か」笹の先頭に短冊つけた方が願いが叶うというようになったそうです。そのため、みんながみんな先頭につけたがったため、バランスの関係で笹が「しなり」壊れそうになったそうです。そこで、介入しようかと悩んだのですが、それはしなかったそうです。そして、しばらくして見ると、結局、短冊は全体に配置され、壊れることは避けられました。しかし、よく見ると、先頭にはクラスの発言力の大きい子どもの短冊があったそうです。メールの内容は、このような状況の場合に、教師はどうすべきかということです。

 これを考えるにはドイチェという人の「競争と協同の定義」が参考になります。彼によれば、両者の決定的な違いは、競争の場合は、一部のメンバーにしか達成出来ない目標を与えていることを指します。例えば、相対評価の通知票で「5」を取ろうという目標がそれにあたります。この場合、誰かが目標を達成するということは、誰かが目標を達成出来ないということと同値です。一方、協同とは、全員が達成出来る目標を与えていることを指します。例えば、絶対評価の通知票で「5」を取ろうという目標がそれにあたります。この場合、全員が目標を達成することが出来ます。

 さて、先の話題に戻ります。この場合にとれる教師の方法の下策は、「ジャンケンで先端につける人を決めよう」というルールを提案することです。この場合は、結局、その目標を達成出来る人と、出来ない人が出ます。それでは中策は何かといえば、例えば以下のように語ることです。

 「ねえ、笹の先頭に短冊をつければ願いが叶うなんて馬鹿馬鹿しいと思わない?」

 「それに、人を押しのけて先頭につけた短冊の願いを神様が叶えてくれると思う?」

 「神様にアピールする方法って色々あるんじゃないかな~・・・」

 こうなれば、「短冊に絵を描きたい」、「大きな短冊を作りたい」、「変わった形の短冊を作りたい」・・と様々なアイディアが子どもたちから出るはずです。この場合は、全てのメンバーが目標を達成出来るようになります。

 それでは上策は何か?それは、教師がいわなくても、上記のようなことが子どもたちから出てくるクラス作りをすることです。具体的には、学校教育の大部分の時間を占めている教科学習の中で、教師が常に競争ではなく協同を目指し、それを求めていれば、それは子どもという鏡に写るはずです。

追伸 原典は「Deutsch,M. 1949 A thoery of cooperation and competition. Human Relations, 2, 129-151」です。

04/07/07(水)

[]チャンバラ記念日 08:58 チャンバラ記念日 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - チャンバラ記念日 - 西川純のメモ チャンバラ記念日 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 この前の日曜日に高田の商店街に行きました。お目当ては七夕飾りです。高田にある幼稚園・保育園ごとに七夕飾りを作り、それを雁木通りに飾ります。一つ一つ確認しながら息子の幼稚園を発見しました。直ぐに息子の短冊を見つけました。書いてあったのは「ほんやさんになりたい」でした。おそらく幼稚園の先生に、そのようなことを言ったので、先生が書いてくれたのだと思います。「へ~」と驚きます。他の子を見ると、「デカレンジャーになりたい」と書いてある男の子が多かったように思います。そういえば、息子はデカレンジャーに興味がないようなので、ちょっと不安になりました。

 今日、自宅に帰ると、「デカレンジャー」といって、足踏健康機(土踏まずで踏むやつです)を振り回している息子がいました。そこで、古新聞を丸めてチャンバラを作ってやったところ、いたく喜んでくれました。おそらく幼稚園ではデカレンジャーごっこが流行っているのだと思います。すこし安心しました。

04/07/05(月)

[]シャンプー 09:00 シャンプー - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - シャンプー - 西川純のメモ シャンプー - 西川純のメモ のブックマークコメント

 息子の入浴は生まれてからず~と私の担当です。息子のシャンプーは赤ちゃん用の無香料のシャンプーでした。最近、そのシャンプーが無くなったことを機会に、親子で兼用出来る、とテレビで宣伝しているジャンプーを買いました。昨日は、その初回です。洗った後の髪のにおいをかいでみましたら、香料のにおいがほんのりとついていました。ふと気づくと、 息子用の「赤ちゃん」と銘打った製品は、そのシャンプーが最後でした。また、ひとつ大きくなったように感じました。

[]サケ 09:00 サケ - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - サケ - 西川純のメモ サケ - 西川純のメモ のブックマークコメント

 あと数ヶ月で私は45歳になります。そうなると定年まで20年です。長いようですが、計算をしてみて、ある事実を再確認しました。

 学部OBのKちゃんは、卒業の際、サケのように研究室に戻ってきますと宣言しました。大学の食堂に行くと、かつて上越教育大学の学部学生さんだったと思われる、見たような顔の方に合います。見覚えがあるのですが、十数年の月日は兄ちゃんをおじさんに変えました。私が 学部教育に関わったのは平成2年度からです。もう暫くすると、その年代の学生さんも院生さんとして戻ってくるのだと思います。 私が上越教育大学に勤めたのは昭和62年で、それから平成元年までの3年間は大学院にのみ関わっていました。今は、その時期の学部学生さんが大学院に戻って来始めています。

 卒業した学生さんが院生さんとして戻ってくるとして、だいたい12,3年以上かかります。ということは入学から数えて16、7年かかる計算となります。ということは、今の1年生が院生さんとして戻ってくるのは、私が61、2歳となります。ということは、学部生として約20歳で教え、そして35、6歳の教師として再度教えるという、本学教師だから経験出来る新入生に出会えるのは、あと数年です。ちょっと(いや、だいぶ)寂しい。でも、逆に言えば、暫くすれば卒業生が帰ってくるかも知れない期間を20年楽しめるわけです。若くして本学に勤めたものの特権です。

04/07/03(土)

[]ETC 09:00 ETC - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - ETC - 西川純のメモ ETC - 西川純のメモ のブックマークコメント

 本日、修了した院生さんからいただいたETCを始めて使いました。ETC用のクレジットカードを作ったり、ETCを取り付け登録したり、インターネットお金を振り込んだりと、なかなか時間とお金がかかりました。ドキドキしながらETC専用口に入りましたが、バーがパッと開いてきくれました。思わず、家内と私が拍手しました。また、出る時は、パッと開いてくれて、ETC機械が「料金は○○円です」と言ってくれます。再び、拍手しました。

 ETCを取り付けた最大の理由は割引率です。以前は5万円のハイカを使っていました。だって、5万円で5万8千円も使えるんです。現在の定額貯金金利は0.06%に過ぎません。5万円で8千円の利子が付く年数を考えれば、迷わず5万円のハイカです。ところが、高額ハイカが廃止され、うちとしては困りました。ところが、ETCはその割引が可能であると言うことを知り、院生さんの耳元で「ETCが欲しいよ~」と言いました(ナビも・・)。そしたら、哀れに思った院生さんが修了の際に恵んでくれました。これで安心して高速 道路を利用出来ます。Oさん、Iさん、Kさん、ありがとう

追伸 ということで、残された私が欲しいものは、ヒラメ(買ってきたものでいいよ)、松茸カナダ産でいいよ)、K屋の瓶詰め、松島牡蛎古川近くの松茸でもいいよ)、高機能のナビ・・・です。と可視化しました。

04/07/02(金)

[]余裕 09:02 余裕 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 余裕 - 西川純のメモ 余裕 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 以前のメモにも書いたように、息子の幼稚園を選ぶ時の基準は「自由保育」でした。自由保育というと難しげですが、簡単に言えば「自由に遊ばせる」ということです。逆に、「書道」、「剣道」等の習い事系、または、「年間を通して上半身裸」等の特殊な指導法をする幼稚園は絶対避けたいと思いました。それらは素人のお母さん達には好評なのですが、実際に子どもを見ている幼稚園の先生から見ると、子どもにとって良い指導ではないそうです。幼稚園の営業成績を上げるため、色々な場面で無理が生じるのを承知で、母親用の発表会の準備をするそうです。先生方も準備に時間をとられ、肝心な子どもに接する時間が奪われるそうです。

 4月から3ヶ月がたって、その選択が正しかったことを確信しました。息子が風邪で休むと、担任の先生がわざわざ、その日の教材を自宅に届けてくれます。びっくりします。息子が 幼稚園に持っていったものが見つからないと、園内を一生懸命に探してくれます。その他もろもろ、本当に恐縮してくれるほど、色々なことをやってくれます。一方、目立ったことで子どもを集めた幼稚園を選んだ親御さんからは、その幼稚園ではそのようなことが無いようです。いや、移動の際の確認を忘れ、子どもを置いてきぼりにするという、学校教育における基本的な大罪を犯していると聞きました。我々親が望んでいること、そして、何よりも子どもが望んでいることは、イベント的なものではなく、日々の普通の活動がまともに行われることではないでしょうか? また、なんと、その幼稚園では、希望者のみに対して家庭訪問をするそうです。バカな話です。家庭訪問に来てくれというような家庭には問題は無いものです。保護者会には来てくれない、また、家庭訪問をしようとすると拒否される、そんな家庭にこそ家庭訪問が必要なのではないでしょうか?

 いま、少人数指導が盛んです。でも、少人数が可能なぐらいの教員が配当されるならば、普通学級で教員の空き時間を増やす方が、子どもにとっては良いように思います。いや、少人数が不可能ならば、今のクラスを合併してでも、それを実現するべきだと思います。イベント的な少人数授業が重要なのではなく、毎日毎日の普通の授業の方が大事です。そして、その普通の授業をやっている教師が余裕が無くて、良い授業が出来ます?

[]ひろう 09:02 ひろう - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - ひろう - 西川純のメモ ひろう - 西川純のメモ のブックマークコメント

 Hさんが修了されて1年強たちます。Hさんは色々なことを明らかにしました。目標を語ることと方法を語ること、そして、つぶやきを拾うこと。二つとも我が研究室の中心課題です。その中で、前者はその意味づけがかなり進んでいるように思いますが、後者に関してはまだまだ十分でないように思います。

 Hさんは「つぶやき」と表現しましたが、その範囲はとても広いように思います。Hさんが明らかにしたつぶやきは、本当のつぶやきです。でも、拾うことが重要なのはつぶやきだけではないように思います。例えば、多くのメンバーに対して、自分の意見を言うという場合も、拾うことは重要です。他ならない私もそうです。西川研究室の全体ゼミで、私が発言した後、シラーとなると、「あ、またやっちまった!」と思います。シラーとなる理由は様々だと思います。その中には、「なるほど」というシラーもあります。でも、それでさえも私にとっては不安であり苦痛です。私の発言の後、それを発展してくれるなら最高です。でも、そうでなくても、反対意見で盛り上がっても、案外うれしいものです。いや、私の意見を無視したものであっても、その後、意見のオーバーラップが起こるだけでも安心です。少なくとも自分の発言によって集団のオーバーラップがとぎれるよりは数段安心です。無視されたとしても、発言が盛んならば、その発言の嵐の中で再トライが出来ます。でも、発言の嵐が、自分の発言によってとぎれるならば、発言の再トライさえも出来なくなります。これはゼミにおける発言ばかりではなく、メーリング、掲示板の発言でも同じです。拾い、拾われる、いや、とぎれないということはとても大事です。それによって、安心して発言し、参加することが出来ます。すくなくとも指導教官である私でさえそう思うのです。

 Hさんは「ひろう」ということの重要性を明らかにしました。しかし、それは「つぶやき」ばかりではありません。そして、現在も謎なのは、「ひろう」こと、そして「とぎれない」ことの重要性は現象として明らかだったとしても、その意味・原因・機構はまだ明らかではないようにあります。くりかえします。良い集団は、どのようなリスポンスも「ひろう」いや「とぎれない」もののように思います。まだ、私には分かりません。でも、「目標と方法」と同じぐらいの金脈があるように、私の直感が語ります。

 研究が進めば、分かることも多くなりますが、分からぬ新たな謎が見えるようになります。ワクワク。

追伸 H(時に田中)へ。君のデータの中にもそれがあるはずだよ。

04/07/01(木)

[]脱皮 09:02 脱皮 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 脱皮 - 西川純のメモ 脱皮 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 以下のメモは私以外の方には何を意味しているか分からないメモです。これは純粋に、未来の私に対するメモです。

 学習臨床コースが成立した理由は、それは他大学では実現できないことを目指したコースだからです。だからこそ、当時の管理職が文部省(当時)に行って、そのコンセプトを説明したところ、その感触が良かったのだと思います。そして、それ故に、当時の管理職が、そのコンセプトに乗ってきたのです。以前のメモに書いたように、そのもともとのコンセプトは6年制教員養成です。そして、6年制コースが成立するためには、現職院生が学校現場に密着した研究を行い、それと学部教育とリンクするというコンセプトです。しかし、その成立直前に、全く別個のコンセプトを一緒になってしまいました。しかし、後から入ってきた方が極めてジェントルな方々だったため、コース運営に関してはかえって良かったと思っています。

 しかし、結果として「学習臨床」というネーミングとの乖離が当初からあり、それが外部の方には分かりづらいという結果を引き起こしました。また学習臨床を取り巻く環境も変わってきてきました。学習臨床コースが立ち上がった当初は、臨床的研究の理解は無かったように思います。少なくとも、私がもともといた理科コースで臨床的研究をすることにはかなりの抵抗がありました。しかし、現在、臨床研究が本学の柱であることは認知されています。暫くたてば、教科領域のコースでも臨床的な研究をする人が現れるようになるでしょう。そうなると学習臨床コースの独自性がますますはっきりしなくなってきます。つまり、私のやっている臨床研究と、理科コースにおける臨床研究との違いは何かということを明らかにしなければなりません。

 私が学習臨床コースに異動して得た最大の成果は、理科以外を題材とする院生さん、学生さんと研究が出来たことです。教科学習の素晴らしさを、より確信しました。そして、内容に必ずしも依存しないが、教科学習に特有のものがあるということを確信することが出来ました。そして、分かってみれば、ずっと以前から知っていたことでした。私が教科指導に行き詰まった時、先輩教師から色々のことを教えてもらいました。しかし、それらの教師の殆どは理科以外の教師でした。そして、教えてもらったことの事例は、理科以外の授業の場面でした。しかし、それが障害になることは全くありませんでした。例えば、数学の授業場面の事例を通して、私が理科で悩んでいることを解決する糸口を得ることが出来ました。私が、理科以外を題材とする院生さん、学生さんと研究をすることで得たことと全く同じです。つまり、学習臨床コースの第一の特徴は、教科を横断しうる教科教育研究であるということです。逆に言えば、教科を横断しようとしていないならば、学習臨床ではない、ということです。

 本学の特徴は、全国各地から有能な中堅教師が2年間フルの院生として派遣されている点です。それだからこそ、中長期にわたって学習者・教師を徹底的に見るという臨床研究が出来ます。1回、2回、また、1週間程度の授業を徹底的に見るというならば、他大学でも出来ます。2、3ヶ月にわたって、多くの学習者・教師を見るという研究は本学しかできません。逆に言えば、他大学でも出来る臨床研究ならば、学習臨床ではない、ということです。

 それでは学部教育、また、学卒院生の教育にどのような独自性があるでしょう。それは、上記の特徴を生かし、現職院生さんとリンクするという点であるとおもいます。そして、それが学習臨床のそもそもの出発点でした。しかし、学習臨床コース5年間で常に悩んだのは学部生、学卒院生のフィールド(つまり学校の確保)でした。しかし、本学の特徴を生かせは何とかなるのではないかと思います。

 本学以外の大学では教育実習は、附属学校で一手に実施するか、もしくは学生の出身にお願いするかのいずれかです。ところが、上越教育大学では大多数の教育実習生は地元学校の全面的な協力の下、教育実習をすることが出来ます。こんな大学は全国にもないと思います。つまり、この地元学校との関係を組織化すれば大学院の研究とリンクした学部生・学卒院生の教育・研究指導が出来ます。

 しかし、学習臨床のもともとのコンセプトである「6年制教員養成、そして、6年制コースが成立するためには、現職院生が学校現場に密着した研究を行い、それと学部教育とリンクする」を実現するためには、現在の学習臨床コースでは限界があるように思います。5年前に理科コースから脱皮したように、現在の学習臨床コースを脱皮する時期が迫っているように感じます。