西川純のメモ このページをアンテナに追加 RSSフィード

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04/06/23(水)

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 昨日は午前中は柏崎中学校先生に講演をしてきました。帰ってきて、午後一番は4年生のゼミです。彼らの話を聞いていて、心地よかった。それからMさんの個人ゼミです。その中で書かねばと思うことを書きます。我が研究室の定番の公案の中に「目標と方法」ということがあります。おそらく、先のメモの「学び合うことを目標とすべきか」と同じように、なんで、その問いが重要なのかがわかりにくいと思います。逆に言えば、その問いが重要だと認識されるならば、我々の同じ志をもっているということです。

 まず、目標と方法は絶対的なものではなく、相対的なものです。例えば、どんな目標であったとしても、それに対して「それは何のため」と問いかけて出てくるものに対しては方法になります。逆に、どんな方法であっても、に対して「どのようにして」と問いかけて出てくるものに対しては目標となります。

 我々は教師は目標を語り、方法は学習者に任せるべきだ、と主張しています。それでは教師はどのような目標を語るべきなのでしょうか?それは、教師がどうしても実現したいと思う願いです。また、動かし得ない条件、例えば校長の職務上の命令、また、指導要領、また、保護者・教員集団の力関係等、教師は様々な限定の中で生きています。置かれた状況の中で、どうしても動かし得ないもの、それが目標です。逆にいえば、置かれた状況の中で、教師が得られる最高の成果が目標です。

 次に、授業の本当の主体者は教師であって、子どもではない、ということです。目標の設定という、最も重要部分は教師が握っています。私は子どもが主体者になるべきだと主張しますが、それは、目標に対する方法を決定する主体者であって、目標を決定する主体者ではありません。もし、それを教師が放棄したならば学校教育という公的な教育を放棄することになります。では、教師が目標設定の主体者であったとして、専制的になれるか?と言えば否です。教師はどうしようもない条件を背負って子ども達に対峙します。教師はその背負った条件を子ども達に納得してもらわなければならないという、責務を負っています。それが教師の職責だと思います。そして、それが出来ること、すなわち、子ども達が教師が設定する目標に納得し、やる気を持たせることが出来る、それが教師の職能だと思います。

 最後に、教師は「どうしようもない条件」を子ども達に納得させるために、集団の力を使う場合があります。具体的には、話し合わせることをすることがあります。その結果子ども達が「やりたい!」と言い出すでしょう。また、そうさせられるのが教師の力量です。そのために、何が必要かは我々は知っています。でも、仮にそうなったとしても、そうなったのは自分の責任であることを自覚しなければなりません。自分が求めた目標であるのに、その責任を回避することはアンフェアーです。しかし、ちゃんと説明し、そして、子どもたちが納得し「やる!」と言った後に、「約束したよね(もしくは納得したよね)」と契約を確認することはフェアーです。