西川純のメモ このページをアンテナに追加 RSSフィード

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04/06/14(月)

[]教材屋 13:19 教材屋 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 教材屋 - 西川純のメモ 教材屋 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 本日は快晴でしたので、久しぶりに自転車に乗って大学に行きました。途中、田圃の真ん中の道を走り、用水を眺めました。そのとき、「あ~、あそこをさらうとドジョウやカワニナやタニシがいるだろうな。あのポイントに網を張り、おえばメダカやヨシノボリがとれるな。」と思いながらウキウキしました。その時、教材開発が大好きな先生方の気持ちがよく分かりました。つまり、教材という教育材を作ろうという目標よりも、まず、自分が楽しいことをやっているのだと分かりました。私も、高校時代は、自然科学部に所属し3年間のうち700日以上は蝶を追いかけていました。熱い炎天下の中、じっと蝶道(蝶は決まったルートを通って飛びます)にまって蝶を捕まえていましたが、とにかく楽しかった。その気持ちが教師になっても、研究者になっても、ずっと維持しているんですね。とても良いことだと思います。そして教師として尊敬も出来ますし、好きでもあります。でも、その多くの人には二つの余り良くない共通点があります。

 第一は、自分が楽しいこと(ためになること)は子どもは楽しいことだ(ためになること)だと無邪気に信じている点です。だから、多くの教材開発研究では、その教材の背景となる学問に関する分析は詳細です。例えば、物理学や化学の研究かと見まがうほど、詳細な物理的、化学的分析を行い、それに基づくグラフがつけられています。ところが、その教材を、子どもたちが本当に楽しかったか(ためになったか)を明らかにする分析は皆無か、片手間(少なくとも背景となる学問に関する分析に比べれば極めて貧弱)です。なぜ、そうなるかと 言えば、自分が楽しかった(ためになった)のだから、子どもにとって楽しくなる(ためになる)ことは無前提に信じ切っています。でも、本当でしょうか。

 私は、息子を写したビデオを何時間見ても飽きません。特段の変化もなく、ダラダラと息子を映している映像であっても、そこに写る息子の表情・仕草を見て、見飽きることはありません。でも、それを他人様に見せたらどうでしょうか?おそらく、表情は面白そうに見せますが、腹の中では「なんて奴だ」と思うのではないでしょうか?認知心理学的にいっても、あることに熟達している人と未熟な人では、見るポイントも、聞くポイントも違います。ましてや、面白いと思うポイントも違います。どうも、自分が面白いということに溺れ、教師向けの表情をしている子どもの姿を、本気で信じてしまうほど無邪気なのだと思います。

 第二に、第一の裏返しとして、自分の面白くないこと(ためにならないこと)は無条件に、子どもにとって面白くないこと(ためにならないこと)と考えているようです。でも、「笑われることと、笑わすことは違う」とよく言われます。プロの落語家は、100年以上前の古典落語、そして自らも数千回演じた演目を、始めて語ったような新鮮さで語ることが出来ます。彼にとっては、特別に目を引く演目、あっと驚く演目ではありません。しかし、それを語って、 聴衆を笑い・泣かせることが出来ます。私はそれがプロだと思います。だから、特別に目を引く教材、あっと驚く教材が重要なのではなく、教科書の中で使い古された教材を、どのように料理するかにプロとしての教師の技量が問われます。だって、授業は毎日毎日の積み重ねである1年を、さらに十数年間積み重ねる過程です。特別に目を引く教材、あっと驚く教材で埋められる部分は限られるし、無理に埋めれば問題が生じます。やはり、基本は教科書の中で使い古された教材という古典なのだと思います。

 つまり、教材屋さんは、日々の毎日の指導において大きな変化はありえず、ときたまのイベントを自ら楽しもうとしているのではないかな~と思うことがあります。でも、教科書の中で使い古された教材を料理することは出来ますし、それによって毎日毎日の積み重ねである1年を、さらに十数年間積み重ねる授業を根本的に変えることが出来ると思います。私は。

追伸 ある教科専門の人から、こんな嫌みを言われたことがあります。その先生の知人の教科専門の先生は、「教科教育の研究なんて簡単だよ。専門誌(この場合、純粋科学)にのらない程度の論文の最後に、「教育的意味」をちょこちょこっと書けばいいんだから」と言ったそうです(つまり教科教育研究はくだらん、という文脈で嫌みを言われました)。事実、その先生は教材開発の論文を多数出しています。しかし、私はそのような論文は好きになれません。もちろん、そんな先生ばかりではなく、教育的情熱に基づき、子どもからの視点を 持った方も少なくありません。でも、先のような教科専門のような方に混じっているので、その良さが本当に分かりずらいように思います。教育研究は理論、指導法、教材の3本立てです。それ故、その一つの教材が、「ちょこちょこ」研究で汚染されることは、教育研究者として残念でなりません。出来れば、自らの興味関心から一歩離れて、学習者の視点 に立った教材開発がもっと増えてくれればいいな~と心から願っています。