西川純のメモ このページをアンテナに追加 RSSフィード

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04/06/09(水)

[]様々なレベル目標 13:25 様々なレベルの目標 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 様々なレベルの目標 - 西川純のメモ 様々なレベルの目標 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 我々は目標の設定・共有を大事にします。しかし、正確に言えば、ここで言う目標とは集団の目標であって、個人の目標ではありません。教師が個人個人の個人的目標を設定するのは僭越ですし、第一、そんなこと不可能です。じゃあ、個人個人の個人的目標が暴走すればどうでしょう。「私が」、「私が」という主張が声高に主張されるクラス、それにいやけをさして、多くのメンバーが自身の所属するクラスから距離を持つようになったクラス想像するだに身の毛がよだちます。

 私はとても利己的な動機があります。よくメモに書くように、「(私の)家族仲良く健康に」です。でも、それを他者との関わりの中で目標としているならば、周りの人はつきあってくれないと思います。だから、対社会的な動機としては、「世の中の教育を良くしよう」という目標を掲げます。それは、「院生さん、学生さんの幸せに繋がる」と信じています。逆に言えば、研究室メンバーの個人的目標である「院生さん、学生さんの幸せに繋がる」と矛盾無いような「世の中の教育を良くしよう」を考えています。そして、それが私の「家族仲良く健康に」に矛盾ないようにしようと考えています。

 私は本(「学び合いの仕組みと不思議」)の中でも、次のよう書きました。

 『これが分かると、おまえに有利だ」という目標の場合、その子が「俺が不利になっても、俺はいいや」と開き直れば終わりである。しかし、「これが分かると、おまえを含めたみんなのためになる」という目標の与え方の場合、「俺」という個人の問題ではないので、なかなか開き直れない。なんとなれば、子どもにとって教師に嫌われることは屁とも思わなくても、同級生集団に阻害されることは相当きつい。さらに、本書第2章の環境教育の事例で示すとおり、最初は他者の影響(圧力)で出発しても、集団の相互作用の中で自身の規範となる。』

 本では、改めて書きませんでしたが、「みんなのため」が「自分のため」に本質的な矛盾あってはならないのは当然です。そのような矛盾のない目標を立てられるかが教師の技量です。

 ただし、教師にもある限界があります。子どもが、どのような集団を「みんな」と捉えるかは、子どもが判断することなんです。人は大抵の場合、なんらかの「みんな」を持っています。社会心理学では「準拠集団」と呼ばれます。大抵の子どもの場合は、友達であり、クラスであり、学校です。それを失った場合、人間はとてつもなく不安になります。だから、クラスの管理者である教師は、子どもに対して「みんな」という集団を提供し、そして「みんな」を凝縮させるような集団の目標を与えます。しかし、もし、その子どもクラス以外の「みんな」という集団を持った場合はどうでしょうか?教師はとても無力です。クラス以外の集団を「みんな」としたばあい、イコール問題とは思いません。しかし、社会規範から外れた集団(例えば暴走族カルト宗教集団)の場合、問題が生じます。そして、そのような「みんな」を持つ子どもにとって、残念ながら教師は無力です。教師の力が及ぶのは、自分が管理する「みんな」の中に入っているメンバーに対してです。できることは、「みんな」を持っていない子どもに、「みんな」というクラスを提案することです。

 もう一つ限界があります。自身の個人的動機と、自身の利己的動機を越えた次元の動機の関係を冷静に分析し、利己的動機に矛盾のない自身の利己的動機を越えた次元の動機を自身に課すことが、短期的には自身の利己的動機に矛盾しても、長期的には自身の利己的動機に一致することは重要です。大学院の時代、そして、私が高校に勤務している時代から、短期的には要領のいい人が、長期的(実は数年のレベルですが)にはひどく損をしていることに気づきました。そして、そのことに全く本人は気づいていないことに気づきました。本当は自分の利己的動機と、抽象的なレベル目標を、連続した多段階で繋げればとても有利なんです。でも、このことに私がそれに気づけたのは、今は某大学助教授をしている後輩のおかげです。おそらく、出会いが大事なのでしょう。でも、それに気づけた人って、それほど多くはないんですよね。