西川純のメモ このページをアンテナに追加 RSSフィード

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04/05/27(木)

[]ユーレカ(その3) 15:51 ユーレカ(その3) - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - ユーレカ(その3) - 西川純のメモ ユーレカ(その3) - 西川純のメモ のブックマークコメント

 ユーレカ(その1)、(その2)に対して、意外なほど反響がありました。それらは、我々の考えを共有する同志の方々です。我々の研究は、「全ての子どもを救う(少なくとも授業では)」という願いから出発しています。そして、それを私は標榜しています。ところが、その私が「子どもを切る」という言葉を使ったので、ご心配をかけたのだと思います。言葉足らずだったと反省します。改めて、補足致します。

 静かにを言わない授業の最後の方で、以下のように書きました。

 筆者は我々の考え方が、金科玉条のように扱われることを望んではいない。我々は「子どもは有能である」と主張しているが、同様に「教師は有能である」と信じている。その有能な教師に一つの考え方を伝え、その場その場の判断の一つの材料として欲しいと考えている。こんなエピソードがある。久しぶりに西川研究室OB(現職派遣)からメールが来た。内容は、現場での研究実践の様子であった。とても楽しく読ませてもらった。その最後に、次のような文章があった。

 『しかし、私は、教師が教えるべき内容があり、私語がうるさいと怒鳴ることもあり、ここは聞く時で書く時ではないと、わめき散らすことも多々あり、テストの平均点が低いと嘆くことあり、西川研の研究に背くことは多数行っております。しかし、授業中遊ばせてなんていない。勝手にやっている時間を生徒に与えているだけでその時間は勝手に課題を子どもたちだけでやっているだけなんですけれど・・・・と言いたいのだが。』

 それに対する筆者の返信は以下の通りである。

 『Kさんが一番分かっていることじゃないですか。私自身が、言っていることと、やっていることが違うことを。でも、弁明しますが、その場その場の状況の中で、ベストだと思えることをしているつもりです。大学生相手ですから、「うるさい」と怒鳴ることはありません。しかし、ちょっと怖い顔をして、静かにするまで黙っている、っていうようなテクニック等で静かにさせることはよくあります。我々のゼミの方針から言えば、指導教官は黙っているべきなのにもかかわらず、べらべらしゃべったり、事細かな指示を出したりすることがあります。ということで、私自身が「西川研の研究に背くことは多数行っております。」でも、私自身の中にある、歴代の院生さんから教えてもらった「西川研の研究」があるために、一定の歯止めがかかっているように思います。また、「西川研の研究」があるため、しゃしゃり出たくても出られない場 が形成されています。

 私自身が、「教師が教えるべき内容があり、それは少なくない」と言ってしまったら、院生さんに新たな視点に立ってもらうことは出来なくなります。なんとなれば、「それじゃあ、いまのままでOKなんだ」となりかねません。だから、「教師は教えなくても良いんじゃないか?」と「熱く(しつこく)」語る必要があると考えています。

 ということで、私としては「Kさん」のようなOBベストの姿だと思っています。』

 また、以下のような、あるOB言葉を紹介しました。

 「じゃれあい」研究を行った○さんが、大学院在学中のことである。後輩の院生さんに「じゃれあい研究をやって、現場に戻って役立つことは何ですか?」という質問を受けた。○さんはニコッと笑って「うるさい生徒がいたとき、『うるさい!』と怒鳴る前にちょっと考えるようになると思う」と答えた。実に、言い得て妙である。

 基本は大事です。でも、それでは覆いきれないものがある。その際、教師は考えなければならない。そして、その結果が基本と矛盾するものであったとしても、私はその教師の判断を信じています。何故なら、基本を分かった上での判断なんですから。同時に、私も信じて欲しいと思います。

 私は「全ての子どもを救う(少なくとも授業では)」という夢を持って、現在研究に足を踏み入れました。その結果として、「子どもは有能だ」という考えにたどり着きました。しかし、「子どもは有能だ」という考えに従えば、「学び合う」のは方法であって目的ではありません。ところが私の実践の中で、それを進めると、「全ての子どもを救う(少なくとも授業では)」ことに矛盾する場合にぶち当たりました。それを悩んだんです。私は切りました。でも、考え抜いた末の決断です。もちろん、別な方だったら「切らず」に出来たのかもしれません。そして、どんな理由があったにせよ、「切った」ということに対する責任から逃れられないのは自覚しています。その悩みがあったから、筆の勢いでは「切った」に重心が行ってしまいました。しかし、私が伝えたかったのは、「切ってもいいよ」ではありません。絶対に!私が本当に伝えたかったのは、その悩みを持ちつつも、「子どもは有能だ」と信じ、「全ての子どもを救う(少なくとも授業では)」という夢を持ち続けている、ということです。そして、「学び合い」を目的にしてはいけない、という確信を得たと言うことです。

 頂いたメールは厳しいものだとしても、愛を感じます。メールを頂いた方に感謝します。そして、信じて欲しいと思います。西川は揺らいでいません。