西川純のメモ このページをアンテナに追加 RSSフィード

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04/05/07(金)

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 多くの人がそうであったように、青春時代宗教に興味を持ちました。中学校の2年ぐらいから、宗教に関する本を読みあさりました。最初は、聖書釈迦物語レベルでしたが、高校生になる頃には親鸞道元日蓮の著作や法華経の現代語訳、宗教論に関する本を読むようになりました。読めば読むほどわけが分からなくなります。その最大の理由は、偉大な神の存在を、神から見たら「へ」みたいな人間言葉を借りて語っている点です。それゆえ、本当に信じ切れないんです。それでも、亀井勝一郎八木重吉のように宗教に強く影響された本は最後まで引かれました。結局、大学の学部の際に私なりの結論を得ました。それは、人間の測り得ない知恵と力を持つ存在はいるのだろうということです。ただし、人間が測り得ない存在なんですから、擬人化出来るようなレベルではありません。また、人間言葉で、その存在を描ききれるものではないように思います。したがって、世にある多くの宗教の違いも、人間言葉で書かれたレベルなのですから、神から見たらちっぽけな違いなのかもしれない、と思い始めました。例えば、一定のお題目を唱えれば功徳があるとする宗教は少なくありません。しかし、それらのお題目の違いは、人間か聞ける範囲内の狭い音域の違いに過ぎません。そんな違いに拘って、神が、あるお題目を言った人を救い、別なお題目を言った人を救わないと言うようなことは無いように思います。繰り返しますが、神はとてつもない存在である、というのが私の第一の結論です。そして、二つ目の結論は、神は自分を含めた人類を愛しているというものです。この二つ目の結論は、第一の結論矛盾します。だって、人間レベルの「愛している」に神が考えが一致するというのは、神を矮小化したものです。でも、その矛盾を理解しつつ、神は自分を含めた人類を愛しているということを信じています。理由は、そうでなければ、「やってられないから」です。とてつもない存在である神が私たちに無関心であったり、ましてや、悪意を持っていたならば、救いは全くないからです。

 以上は私の結論で、結果として、極めて汎神論に近い感覚を持っています。全ての宗教は、想像を超えた神を、神から見たら「へ」みなたいな人間が捉えた、側面の一つに過ぎないように思います。しかし、一つの側面であっても、それは、それなりの敬意は払うべきものであ り、神の姿をある面では表していると思います。だから、教会に行っても、お寺に行っても、神社に行っても、まったく矛盾無く手を合わせられます。極めて、日本人的とも言えます。ちなみに、私の祈りの言葉は「神様、仏様、ご先祖様」というものです。多神教のようですが、そうでもありません。一神教代名詞であるキリスト教であっても、「神と子と 聖霊」を三位一体として捉えているんです。私の「神様、仏様、ご先祖様」も、三つを並べていますが、三つであり、一つであり、百億、千億でもあり、無限というものです。

 昨日は、息子の生まれた日です。何度も、何度も、「神様、仏様、ご先祖様、感謝します」と祈りました。ど素人の罰当たりな宗教観かもしれませんが、私にはしっくりいっています。