西川純のメモ このページをアンテナに追加 RSSフィード

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04/01/20(火)

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 現在、私にはいくつか根本的な疑問があります。その中に、「自分がネットワークを求めようとする同僚(即ち大学教官)は、何故、ごく少数なのだろう」という疑問があります。私が研究での結論が正しいか否かを判別するときの基準は、自分に置き換えて正しいか、という基準です。子どもを自分に置き換え、教師を自分の上司に置き換えるとき、判別できます。これで大抵はOkです。我々の実践においては大抵の子ども達は、他の子ども達と協力しながら学んでいきます。ところが、私は他の先生方と積極的に協力しようと努力しません。何故だろうとず~っと不思議に思っていました。本日、Hとそのことを何気なく話してみました。Hはじっと考えて、「それは先生(私)は協力を必要としていないから」と答えました。顔は平静を装いましたが、正直、「ぐっと」きました。もちろん、その理由を考えない訳ではなかったのですが、多くの理由の一つに過ぎませんでした。しかし、Hは他の理由は言わず、「それは先生(私)は協力を必要としていないから」と言いました。とても心に響きました。同時に、「これが正解だ」と感じました。

 ただし、私の特性に帰属したくはありませんでした。私には自戒があります。それは、失敗を子ども個人のせいにしないことです。それをやったら進歩しませんし、どんどん安易な道に走ってしまいます。だから、「自分の責任ではないか?」と問いかけ続けます。もちろん、子どものバカ野郎と思うときがあります。でも、暫くすると、「それでは進歩はない!」と考えるようにします。逆に、良いことが起こったときでも、子ども個人のせいにしません。それをやってしまうと、うらはらに、失敗を子どものせいにするようになります。だから、常に、「自分(即ち教師)の責任ではないか?」と問いかけ続けます。大学における私は教室の子どもに対応し、大学管理職が教室の教師に対応します。それ故、子どもの特性で理解せず、自分(すなわち教師)の責任と考えるのですから、この問題においは、私自身の特性に還元するのではなく、私の上司が何をやっているかで分析したいと思いました。そのため、「私が協力を必要としないから」という言葉を、もう一歩吟味しました。

 私だって、協力をしたほうがいいにきまっています。典型的な例では、私のボスのT先生とは上越教育大学に赴任してから17年間ずっと協力しています(これだけ、長期間仲良く仕事が出来る関係は、私が知る限りの研究者社会において、極めて希です)。そして、T先生に限らず、喧嘩するより、仲良く協力する方がずっと有利に働くのは当たり前です。それでは、私は全ての先生方と積極的に協力しようとしないかといえば、協力することによって得ることに比べて、失うことの方が圧倒的に多いからです。そのため、大抵の場合は距離を置きますし、一部は闘争することになります。それは、私と仲良くなれない先生にしても同様な理由からです。私と仲良くすることによって得るものと、失うものを比べたとき、後者が多いから私と仲良くしないのです。なぜ、そうかといえば、私が実現したい目標と、私の仲良くなれない先生の実現したい目標が一致していないからです。それでは何故一致しないか?それは上司が明確な目標を与えていないからです。もっと正確に言えば、目標を与えているかもしれませんが、評価をしていないか、評価基準が曖昧なためです。例えば、「良い大学を作ろう」では評価出来ません。逆に、我々の実践において私のような状況が生じないのは、実践している院生さん、学生さんがちゃんと目標を与え評価しているからです。

 Hと話して、私にとっての現在抱えている4つの根本問題の一つが解決してしまいました。すっきりした。