西川純のメモ このページをアンテナに追加 RSSフィード

西川純です。新潟県上越市の上越教育大学の教育実践高度化専攻(教職大学院)で『学び合い』を研究しています。諸般の事情で、このブログのコメントは『学び合い』グループのメンバー限定です。メンバー登録は、いつでもOKです。ウエルカムです。なお、メールはメンバー以外にもオープンですので、いつでもメールください。メールのやりとりで高まりましょうね。メールアドレスは、junとiamjun.comを「@」で繋げて下さい(スパムメール対策です)。もし、送れない場合はhttp://bit.ly/sAj4IIを参照下さい。西川研究室はいつでも参観OKです。 詳細は http://www.iamjun.com/をご覧下さい。 もし『学び合い』グループに参加される場合は、 http://manabiai.g.hatena.ne.jp/をご参照ください。
ツイッター http://twitter.com/jun24kawa
『学び合い』メールマガジン参加者募集中!(無料)http://www.mag2.com/m/0000270912.html
『学び合い』マップ募集中!(無料)http://manabiai.g.hatena.ne.jp/kokohagw/
授業公開の仲介のガイドライン http://dl.dropbox.com/u/352241/manabiai-data/koukai.pdf
だめで元々で、とりあえずドロップボックス(http://db.tt/bMZAZwx)とjimdo(http://jp.jimdo.com/)の無料アカウントを登録してみてはいかがでしょうか?実に簡単ですから。

本格的にトライする人も多くいると思います。その際、人とのつながりが大事です。身近にいる人と繋がれるとありがたいですよね。『学び合い』を実践される方は、『学び合い』マップ(https://www.google.com/maps/d/edit?mid=zDInXkSSxyO4.kNDji5uDNm0Y)に、是非、登録下さい。登録は、『学び合い』マップ登録フォーム(http://form1.fc2.com/form/?id=77081b4d4f40dd2f)から出来ます。  「私なんて、人になんか教えられるレベルに行っていない」と思う方へ。だからいいんですよ。一番知っている人が、一番の教え手ではないことは『学び合い』を実践しているならば、子どもを見れば分かるでしょ。それに、教える必要はないのです。共に学び合えばいいのです。いや、愚痴を言ったり、笑ったりする、それでいいのです。  是非、一人でも多くの人がマップに登録下さい。強く、強く、お誘いします。

03/11/29(土)

[]感謝 18:38 感謝 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 感謝 - 西川純のメモ 感謝 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 七五三は男女とも7歳、5歳、3歳に祝うものと思っています。ところが、男は5歳だけだという方がいます。でも私は違うと思っています。七五三の由来の中で、「三歳」とは人間認識される年齢と聞いているからです。今の発展途上国の状態と同様に、かっての日本において乳幼児の死亡率は高いものでした。そのため、「三歳」に成長したとき、本当に「生まれた」と認識され当時の戸籍に登録されるそうです。それを祝うのが七五三の「三歳」の祝いだと聞いています。それであれば、男女の別なく祝うべきです。

 この数日、息子は39度以上にあがっています。お医者様にはいったのですが、なかなか下がりません。そこで昨日、家内がお医者様に再度診察しました。検査と、三種類の点滴を受けたそうです。9時に診察を受けたのですが、終わってかえったのが2時だそうです。親子とも昼飯も食べられない状態でしたが、そのおかげで熱も下がりました。医学の力は凄いと思います。と、同時にかってはそのような医学の力は無かったと思います。三歳までに死亡率も高いのは納得です。同時に、その時の親の気持ちを思うと、胸が詰まります。そういえば、粉ミルクにもだいぶお世話になりました。昔は「乳」を求めて遠方にまで頭を下げていたそうです。「乳」の代わりに「重湯」を飲ませていたそうです。現在粉ミルクの効能書きを読むと、昔の子どもが小さかったのは当たり前のように思います。戦後になって平均身長が大きくなったのは、「粉ミルク」のおかげのように思います。

 病に苦しむ我が子、飢えに苦しむ我が子を見る親の切なさは、考えるだに恐ろしい思いがします。医学進歩粉ミルク進歩感謝いたします。

03/11/28(金)

[]罪作り 18:40 罪作り - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 罪作り - 西川純のメモ 罪作り - 西川純のメモ のブックマークコメント

 水曜日に学部1年生の学生さんが私の研究室を訪ねてきました。用件はコース希望を決定するに当たって、「学習過程臨床分野とはどんなコースか?」を知りたい、という内容でした。18、9歳の学部1年生の学生さんが、知らない教官の部屋を訪ねるということは、凄い勇気です。こころしてご説明申し上げました。幸い、興味を持って頂けました。私は今回の学習過程臨床の志望状況を知っているので、「成績はどう?」と聞きました。というのも、コース定員を超えた場合、成績順に決定されることを知っているからです。彼の答えは「良いわけではない」と遠慮がちに答えてくれました。

 翌日(つまり昨日)、再度、私の研究室を訪ねてきました。彼は、「コース希望結果が出ました。過程臨床分野は第一志望は17名です。(一段と声をおとして)こんな結果かと思いました・・」と語りました。来月中旬には発表されるであろう教員採用試験結果が出れば、現状よりもっと極端な傾向が現出することが予想されます。「どんな道を行っても、君の望む未来に繋がっているよ」と声をかけました。

 以前に所属した理科コースでは、コースで研究室所属の上限が決まっていました。そのため、西川研究室希望していても断らねばなりません。それが辛かった(以前のメモに書きました)。でも、現在のコースでは研究室所属の上限はありませんので、気が楽でした。でも、今度のことは、以前と同じような申し訳なさを感じました。もし、力をこめてコース説明をしなければ、おそらく希望者は例年通り2、3人程度になったと思います。罪作りなことをしてしまったと感じます。でも、私がコース説明をしなくても、教員採用試験結果が出れば、おそらく希望者は殺到するはずです。だから、それ以前に、希望者を高めたのは、ある意味で混乱を避けたと思います。だから、一番の罪作りは、コース配属の定員を定めた現在システムの様に思います。現状のコース定員は、そのコースの受け入れ能力によって定まっているのではありません。どのコースにも、何人かは強制的に配属されるように定員を定めています。つまり、教官側のエゴに基づくように思います。教官側の生活保障のために、学生さんが生け贄になっているようで、イヤな気持ちになります。

[]クイズ 18:40 クイズ - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - クイズ - 西川純のメモ クイズ - 西川純のメモ のブックマークコメント

 ここ数日、メモのアップがないのは息子様の風邪によるものです。咳がひどく夜眠れず、食べたものを吐いてしまいます。さらに、熱が39度前後です。そのため、寝る前には解熱のための座薬を入れます。ところが、息子は座薬を嫌がります。昨晩、テーブルの上に置いた座薬が見つかりません。夫婦で探したのですが、見つかりません。どうやら、イヤな座薬を息子が隠したようです。「ここ(テーブルを指す)にあったお薬、知らない?」と聞いても、意味のないことをしゃべってはぐらかします。息子は嫌がることでも、クイズと絡ませると喜んでやります。そこで、「クイズ!ここにあったお薬はどこ?」と聞きました。息子は「クイズ、いや、クイズ出さな~い」と泣き叫びます。そこで、もう一度「クイズ!ここにあったお薬はどこ?」と聞きました。息子は泣きながら寝室に行き、布団の縁に隠していた座薬を取り出し、私に渡しました。しっかりとダッコをして褒めてあげました。それから、その薬が熱を冷まして体を楽にしてくれることと、嫌々しなければ直ぐに終わることを説明しました。「分かった?」と聞くと、「はい」と答えました。そこで、座薬を入れました。体中を緊張させているものの、泣き叫んで嫌がることはなく挿入させてくれました。

 息子は泣きながら寝室に行き、布団の縁に隠していた座薬を取り出し、私に渡したとき思いました。ジョージ・ワシントンが「桜を切ったのは私です」、と言ったときの彼の親の気持ちはこうだったんだろうな~、と思いました。

追伸 いつも昼食を一緒に食べる院生さんへ。昨日、今日とお弁当がないのは、夫婦げんかのためではありません。息子が咳で起きるたびに夫婦(特に家内)が寝かしつけるため、寝られず、睡眠不足、時間不足のためです。夫婦は結婚10年目ですが、今だラブラブですのでご安心下さい。

[]借金(その2) 18:40 借金(その2) - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 借金(その2) - 西川純のメモ 借金(その2) - 西川純のメモ のブックマークコメント

 大学院を修了し、高校教師になりました。高校教師になるとき、「自分の力で、3人でだけでも救いたい。自分がいなかったら、どうにかなってしまう子どもを、よりよき道に導きたい。今まで受けた借金(師恩)をかえすためにはそれしかない」と志を立てました。当時としては「3人」は、控えめな数字だと思っていました。しかし、今にして大それた志だと自覚します。

 「自分がいなかったら、どうにかなってしまう子ども」とは、その子どもとつきあうことによって胃を悪くしたり、心臓がきゅんといたくなるほどのストレスを耐え、指導し続け、救うことだと分かりました。そうだとしたら、「1人」でも大それた志です。少なくとも私には。そして、これからの教師人生で「その1人」も救えないと思います。なんとも情けない教師です。

03/11/25(火)

[]練習問題 18:42 練習問題 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 練習問題 - 西川純のメモ 練習問題 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 本日は学部3年生とゼミをしました。その際、学部学生から大学での授業における模擬授業に関して突然に質問を受けました。単元は「現在完了形と過去形の違いを分かる」という部分です。模擬授業は、現在完了形と過去形の例文を学習者(大学生)に与え、「さあ二つの違いは何かな?」と課題を出し、学習者に話し合わせ、その違いは「過去過去の時点、今はどうだか分からない。現在完了は、過去のある時点から、今もず~っと続いている。」であることに気づかせよう、というものです。その際、発表グループメンバー意見が分かれたのは授業の最後に「まとめ」を教師がすべきか否かです。多くの学生は、最後に教師役が「現在完了形と過去形の違いは」ということを黒板に板書しながら説明し、まとめようと考えました。その理由は、話し合わせただけでは、本当に正しい結論に達したか定かでないので、確かなものにしようと考えました。一方、少数の学生は、そのような方法では教師主導のやり方であるので、まとめはせずにしようと考えました。その理由は、話し合えば正しい結論に達するはずである、というものでした。面白く聞きました。私は英語教育専門家ではありませんが、我々の考えにもとづいて考えました。そして、この学部学生さんの質問は、我々の研究室の考え方が分かっているか否かの練習問題となると考えました。皆さんは、どう思われます?

 話を聞きながら私がまず考えたのは、その授業の目標は何だろう?ということです。おそらく、その学生さんは「過去過去の時点、今はどうだか分からない。現在完了は、過去のある時点から、今もず~っと続いている。」が分かることであると答えるでしょう。でも、先に挙げた学生さんの授業展開であるならば、本当に学習者が分かっているか否かなんて判断出来ません。せいぜい、教師が「分かりましたか?」と質問して、みんなが「は~い」と答えるのを聞く程度です。分かっていない子どもがいても、「は~い」と答えるでしょう。詳しい質問をしようにも、「課題を提示し」、「子どもたちに話し合わせ」、「授業のまとめ」をした後に残る時間なんて殆どありません。だから、「は~い」と答えたら、それで終わりです。つまり、学生さんの授業の目標は「教師が「分かりましたか?」と聞いたら、「は~い」と答える」という、改めて文字で書くと、とてつもなく馬鹿馬鹿しい目標になるんです。一方、私が考えたのは、そのことが確かに成り立っていると教師が判断出来る状態は何か?ということです。私なりに、「いくつかの和文・英文の例文を与えて、それが過去形になるべきなのか、過去完了になるべきなのかを判断出来、そして、その理由が説明出来る」ことであると考えました。

 私は、「授業のまとめの時に話す説明、また、板書する内容って紙に書き出すことが出来るよね?」と質問した学生さんに聞きました。その学生さんはうなずきました。そこで、「その説明を紙で渡すのと、教師が板書して説明するのと、どこか変わることある?」と言いました。その学生さんは「無い」と答えました。「じゃあ、その紙を子どもたちに渡せばいいじゃない」と言うと黙ってしまいました。さらに、「もっといいのは、その紙を授業の最初に子どもたちに渡せばいいじゃない」と言うと、怪訝な顔をして「それじゃあ、話し合わなくなります?」と言われました。たしかに「さあ二つの違いは何かな?」という課題でしたら、その答えを与えたら話し合わなくなります。でも、それは課題が良くないに過ぎません。

 学生さんには、「な~にも分からない学習者だけを集めて、たった数十分間で正しい答えを発見出来ると思う?出来ないと思うでしょ。でも、発見出来ると思っているのは、学習者集団の中に答えを知っている人がいると思っているんでしょ。だったら、みんな知らないふりで課題を与えるのは不自然だよ」と言いました。また、「でも、授業の最後に何にもしないというのも問題だよ。おそらく多くの班では正しい答えに達すると思うよ。でも、絶対に全部というわけではなよ。さらに、班の中に、実は分かっていない子が含まれる可能性は高いよ」と言いました。

 私の考える方法は以下の通りです。まず、中間・期末試験で使うような現在完了形に関する標準的な問題を与えます。そして、それらの正解も与えます。そして、それらを解答する方法は、「過去過去の時点、今はどうだか分からない。現在完了は、過去のある時点から、今もず~っと続いている。」であることを、先の教師がやるであろうまとめを文章化したプリントによって与えます。次に各人が問題を解き、それで問題が解け、納得出来るか否かを話し合わせるのです。おそらく、解答出来ないか、納得出来ない子どもが出るでしょう。そこで、話し合わせるのです。そして、教師が最後にやるべき事は、各班の一人を指名し「全員納得して正解出来た?」と聞きます。もし、納得出来ない人がいれば、それを題材にクラス全員で話し合わせればいいことです。もし、授業時間内に解決出来なくても大丈夫です。だって、おそらく授業が終わった休み時間も、そのことを子どもたちは話し続けるに決まっています。これが我々の考える、目標を与えるということです。

 先に述べたように、「でも、全員納得していなくても、納得したと言ったら分からないじゃない」という可能性があります。それに対しては、1年間に数回だけで結構です、「全員納得出来ました」という班の一番不得意そうな子どもを指名し、問題を与え答えさせ、なぜ、そのような解答になったかを説明させるんです。そうすれば、化けの皮がはがれます。もちろん、化けの皮をはぐことが目的ではありません。「私は見ているんだよ~」というメッセージクラス全員に与えることが大事です。それに、そんなことをしなくても、定期テスト結果が出ます。その結果に基づいて、なぜ、出来なかったかをグループごとに答えさせればいいことです。これが、我々の考える評価です。これが出来るのも、何から何まで教師がやらなければならない、と考えないから時間的な余裕が生じるためです。また、子どもたちに、教師の評価の基準を明確に与えているので誤解が生じないためです。そのため、やるべきことを悩まずにすみます。そして、その努力結果は、確実に、教師に評価されます。一方、「分かる」なんていう曖昧な評価基準では、子どもどのような努力をすべきか分かりません。したがって、「やれません」。それでも努力しても、結局、空回りしてしまい、やる気を失います。

 教師の仕事は教えることではなく、目標を与え、場を保証し、評価することです。その考えにもとづいて「その場で思いついた」、英語教育を専門としていない者の練習問題の回答です。

03/11/24(月)

[]トイレうんこ記念日 18:43 トイレうんこ記念日 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - トイレうんこ記念日 - 西川純のメモ トイレうんこ記念日 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 息子が最近喜ぶものは、休日に私の研究室に行き、私の「社長椅子」に深々と座り、コンピュータ画面に映る「ドラえもん」を見ることです。そのため、休日に私が自宅にいると「大学行きた~い」を連呼します。本日勤労感謝の日の振り替え休日で自宅にいます。

 息子の最近の課題は、トイレうんこをすることです。歩きますし、しゃべります、小便をトイレでします。最近はハシで食事をかき込むようになりました。基本的行動の中で、未だ出来ないのはトイレうんこをすることです。小便は何の抵抗もなくするのに、うんこに関しては、トイレでやることを泣き叫びながら拒否します。理由を聞いても答えません。息子は「初物」嫌いですので、食べず嫌いがトイレにも波及しているようです。2日半ほどうんこをしていません。なにやらやりたそうな仕草をし始めたので、むりやりトイレに連れて行きました。案の定、この世の終わりのような声で泣き叫びます。そこで、「トイレうんこしたら大学につれてってあげる」と何度も連呼しました。その結果、納得したようで、踏ん張り始めました。息子が集中出来るように私はトイレの外に出ました。私は「神様、仏様、ご先祖様、ど~ぞ、息子にトイレうんこをなさしめたまえ」と手を合わせて必死にお祈りしました。だいぶ時間が経ってから、「でた」という息子の声がします。見ると、便器の中に男の成人のそれの一回り小さい程度のうんこがありました。思わず泣いてしまいました。ただちに家内を呼び寄せ、一生懸命に褒めまくりました。

 と、いうことで、今、ドラえもんを見ている息子の横でこれを打ち込んでいます。

追伸 以前のメモの書いたように、子育てをすると、何気ない行動が、とても難しく、大事であることを実感します。それに比べれば、高等教育で学ぶ知識なんて「へ」みたいなもんです。本日家内と祝杯です。

03/11/23(日)

[]嬉しかった 18:45 嬉しかった - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 嬉しかった - 西川純のメモ 嬉しかった - 西川純のメモ のブックマークコメント

 昨日は地元先生方の研修団体の飲み会です。1週間前に講演をした会の主催団体です。そのため、飲み会参加者の中には、講演を聴いて頂いた方が何人か含まれています。その方から声をかけて頂きました。校長レベルの方々から、丁重なご挨拶を頂いたり、お褒めの言葉を頂きました。また、若い先生から、「あんな研究をしたい」と声をかけて頂きました。でも、一番嬉しかったのは、35歳前後の先生方からの言葉です。

 講演では、Tのグループ編成によって真面目にやる生徒が変わるという研究、Iさんの当たり前のことをすれば子どもたちは真面目に実験をするようになるという研究、そして最後はMちゃんの研究でK閣下の「つぶやく」、「ほめる」、「とぼける」という実践を話しました。その話を聞いた後、35歳前後の先生は早速実践されたそうです。その結果、たった1週間で、子どもたちが激変したそうです。そして、それは我々の研究室の示す通りのものだったそうです。それらの先生方からは、驚きと感謝言葉を頂きました。私としては、当然という顔をしながら、「そうでしょ、そうなんです」、「あと1週間も経てば、その文化が拡大・定着するはずです。」、「なんかあったら気軽にメールして下さい」と偉そうに言いました。それにしても、今回の飲み会に参加された35歳前後の殆どの先生から、別々の場所で、別々な語り口で、驚きと感謝言葉を頂きました。内心、凄いな~と思いました。同時に、参加した殆どの方が「実践しよう」と思ったのは私の「語り」によるものである、とうぬぼれの気持ちがわいてきました。でも、たった1時間の話の中から、その意味することを正しく理解し、実践し、1週間の中で成果を得たのは、その先生方の力があるということを示すものです。でも、うれしかった。

追伸 講演のことを褒めて頂いた方には、「あの研究は既に数年経っています。現在は、もっともっと面白いことが分かっていますよ。それに、話しきれなかった面白い話は、色々な本に書いてあります。ぜひ買って読んで下さいね。」っとお願いしました。

[]呼び方 18:45 呼び方 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 呼び方 - 西川純のメモ 呼び方 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 ある会合で、ある校長先生が、「職員が「ちゃん」、「くん」を使っているので注意した」とおっしゃっているので、ぎょっとしました。その先生曰く、子どもはすべて「さん」で呼ぶように指導しているそうです。私の方は、「そうですよね~」と相づちを打ちました。しかし、私の学生さんの呼び方を知ったら、その校長先生はどう思われるでしょう。

 私の学生さんの呼び方は、男性は「くん」で、女性は「さん」です。しかし、西川研究室に所属した場合、男性は「名前の呼び捨て」(ただし、本人の希望があればあだ名)、女性は「名前+ちゃん」です。ちなみに、学卒院生は「姓の呼び捨て」です。ただし、例外があり、「けん○○」という名前の男子学生さんは「けんちゃん」になります。女性でも、しゃきしゃきした一人に関しては、何故か「名前の呼び捨て」になってしまいました(初期は○○ちゃんでした)。となると、女性だから○○、男性だから○○というわけではありません。しかし、先の校長先生の指導によれば、すべて「さん」にすべきなのかも知れません、と悩んでいました。

 二日前に家内が息子用のCDを買ってきました。NHK幼児番組で使われる歌を集めたCDです。その中に「こまったくんとこまったちゃん」という歌があります。「こまったくん」の部分は歌のお兄さんが歌って、「こまったちゃん」の部分は歌のお姉さんが歌っており、明らかに男女に対応させています。「な~んだ、大NHKでも使っているんなら大丈夫じゃん」と安心しました。でも、この歌を番組で使用する際、人知れず取締会議で大議論があったのかも知れません。

追伸 学生さんは間違えて敬称の意味で「殿」を使った文章を書くので、その度に注意します。基本的に「殿」は「お上」から目下の者に対しての文章を送る際の呼び方です。従って、お願い文章で「殿」を使うことは、相当に失礼なことです。ただし、本学の事務の方もよくやることですが・・

03/11/21(金)

[]報告 18:48 報告 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 報告 - 西川純のメモ 報告 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 最近メモ更新が滞りがちです。どうしたんだろう?と思ってらっしゃる方もいるかも知れません。理由はイライラすることが立て続けに重なっているためです。私は基本的にストレスに弱いタイプで、無意味に考え込むタイプで、直ぐ眠れなくなるタイプです。でも、ある程度ふっきれました。自分で解決できない問題に悩むのではなく、私を守ってくれる同志の力を積極的に信じる方が良いと悟りました。助けてね。

[]求めるもの 18:48 求めるもの - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 求めるもの - 西川純のメモ 求めるもの - 西川純のメモ のブックマークコメント

 3年になって卒業研究研究室選択の際、各研究室の紹介文をコースで集め、それを学生さんに配ります。かなり以前から、その紹介文の「求める学生」という欄には次のように書いています。

 「我々の研究室研究は人を対象としたものです。人付き合いの好きな人を望みます。そして西川と仲良くなれるということも大事なポイントです。」

 最近になって、それよりも私が求めるものが何かが分かりました。それは、我々が研究しているテーマにも関係し、かつ、我々の研究室研究方法論に根ざすものです。それは、「研究室メンバーと仲良くなれる」と言うことです。それさえあれば、「人付き合いが好きでなくとも」、「西川と仲良くなれなくとも」何とか出来ます。というより、「研究室メンバーと仲良くなれるなら」、本人が人付き合いが好きでなくても、人付き合いを必要とする研究が出来ます。さらに、「研究室メンバーと仲良くなれるなら」、自然と人付き合いが好きになります。「研究室メンバーと仲良くなれるなら」、西川と仲良くなれるはずです。

追伸 我が研究室メンバーは人付き合いが好きな人が集まります(例外は私ぐらいです)。それゆえ、その研究室メンバーと仲良くなれるという要求は、とてつもなく低いハードルだと思います。

[]生活パターン 18:48 生活パターン - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 生活パターン - 西川純のメモ 生活パターン - 西川純のメモ のブックマークコメント

1ヶ月前までは、息子の生活パターンは以下の通りです。朝7時に起床、8時半に朝食、12時半に昼食、2時半~4時に昼寝、7時半に夕食、9時半に就寝です。ところが、なかなか昼寝をせず30分は添い寝をしなければなりません。さらに、夜の場合はなかなか寝ないため、2時間も添い寝することもあります。どう考えても、無理矢理寝かせている状態です。そのため、1ヶ月ほど前から昼寝を中止しました。基本的な生活パターンは同じです。違いは、昼寝がないのと、就寝時間が9時に変わった点です。昼寝がないため、15分でぐっすり眠ります。そのため、最近になってニュースステーションなどの夜の番組を夫婦で見えるようになりました。現在我が家の時間割は息子様を中心に動いています。

03/11/16(日)

[]嬉しい 18:49 嬉しい - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 嬉しい - 西川純のメモ 嬉しい - 西川純のメモ のブックマークコメント

 本日最近メモである人間関係(03.11.11)でコメントした学校先生からメールが来ました。出張続きだったので、返信がだいぶ遅れ、土曜日に授業に関するコメントを関連する先生方に送りました。かなり手厳しい内容だったので、「怒られるかな?」と内心ドキドキでしたが、率直な感想を送りました。休み明けの朝に、返信が早速来ました。怖々と開くと、案に相違して気持ちの良いメールでした。そして、私の見た授業の後に、子どもが相互作用する場面を設定していることを知り、疑問が氷解しました。さっそく、返信をしたところ、1時間もたたずにレスがありました。気持ちよく議論が出来そうです。出すときがドキドキだったから、なおさら嬉しい。

03/11/15(土)

[]管理職 18:51 管理職 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 管理職 - 西川純のメモ 管理職 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 仕事柄、学校教育管理職の方とお会いすることが少なくありません。幸いに、私が出会う管理職の方は、教師として尊敬できるし、それ以前に「好きになれる」人たちばかりです。

 私は「子どもと教師との関係は、教師と校長関係に似ている」と考えています。従って、「教師として有能であるが校長としては無能」、「教師として無能であるが校長としては有能」ということは基本的に無いと考えています。従って、もし、「教師として有能であり、校長としても有能である」教師が管理職になりたがらないと、「教師として無能であり、校長として無能な」教師が管理職になることになります。とすると「生涯一教師」を目指す素晴らしい教師が、実は教師を虐げている無能な管理職の共犯なのかも知れません。

 私のように、「管理職は素晴らしい方ばかりだ」と思う人は、自分は管理職にならなくても良いのかも知れません。しかし、「管理職は無能だ」と嘆くならば、自分自身が「有能な教師」になり、「有能な管理職」を目指すべきと思います。

追伸 私はこのメモを読んでほしい「有能な教師」をいっぱい知っています。

03/11/14(金)

[]官軍18:55 官軍3 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 官軍3 - 西川純のメモ 官軍3 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 数日前に、学部1学生に対する説明会のことを書きました(「学習過程臨床」)。結果が出ました。今年の学習過程臨床分野の第一志望者は17名(去年2名)で全てのコースの中で最も人気のあるコースの一つになりました。少なくとも、昨年との増加率でいえば、ダントツの1位です。う~ん~、勝てば官軍です。学内先生方に何か言われたら「いや~、そんなことはありませんよ」なんて殊勝なことを言いますが。ここでは、大きな声で自慢しちゃうぞ~。説明資料に目を通してくれた学生さん、ありがとう

追伸 今後、教員採用結果学生さんが知れば、大混乱になるでしょうね・・・

03/11/13(木)

[]昨日 19:00 昨日 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 昨日 - 西川純のメモ 昨日 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 昨日は群馬小学校によばれたので講演に行って来ました。学校の時間に合わすとなると、電車の時間が合いません。行きで2時間の待ち時間、帰りで1時間の待ち時間です。聞くと、その小学校インターチェンジから1分です。片道2時間半ですが、車で行くことにしました。行き帰りとも快調でした。学校では1時間半お話ししました。嬉しかったのは、講演の後の研究協議で、色々な先生から質問が出たことです。大抵の講演会では、質問したそうな先生はいるのですが、「質問のある方」と司会の方が促してもなかなか質問が出ていませんです。まあ、それが普通なんだと思います。だって、見ず知らずの大学教官に質問するのには大きな勇気がいります。ところが、校内研修会という状況もあって質問が出やすかったのかもしれません。でも、私の正面におられた若い女の先生の目がキョロキョロ動いているのに気づきます。教師であったらおなじみの「質問しようかな~、でも~・・」というやつです。私は、私のテレパシーの全力を注いで「ほら、がんばれ!」と念じたのですが、諦められたようです。がっかり・・・。その他にも質問しそうな先生がおられましたので、「電子メールでの質問はいつでもウエルカムです」と申していました。

 その日の質問を答える中で、ふと、こんな事を考えていました。今、絶対評価で先生方があたふたしています。そんなに悩むぐらいだったら、子どもに聞けばいいのではと思います。例えば、授業の最初に子どもたちに学習目標と日程等の計画を語り、「どのようなことで成績を出したらいい?」と質問し、話し合わせればいいのではないでしょうか?そして、その評価は子どもたち自身が出すのです。きっと、上記のことは評価であると同時に、動機付けを与え、目標を持たせることとなると思います。そして、子どもたち同志の相互作用を利用すれば、目標を共有することを促すでしょう。こうすると、教師は評価をしなくてすみます。では、何をすべきでしょうか?それは、子どもたちが設定する評価を1年間にわたって評価するのです。子どもたちが学習をどのように捉えているかは、いかなる評価を考えるかで分かります。とっても魅力的な研究テーマじゃありません?どっかの学校でやってみたらいいのにな~

追伸 帰りも快調に運転出来ました。でも、自宅で夕食を食べて、息子と風呂に入って、バタンキュ~でした。本日は、地元理科教師の研修会によばれていました。今から出発です。

[]返信メール 19:00 返信メール - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 返信メール - 西川純のメモ 返信メール - 西川純のメモ のブックマークコメント

本日、ある先生からメールを頂きました。いろいろなことが書かれていました。その中で以下のような部分がありました。

 『話が全然変わりますが、メモを読んで偶然でびっくりしました。親孝行のところですが、きのう、ニュースの記事関連の話で子供たちと、「絶対親より先に死んじゃいけない、死ぬ勇気があったらどんなことしてでも生きなくちゃ、きれいな自殺なんてないと思うよ。周りの人を傷つけるし。あなたたちは宝物なんだよ。」というような話をしたばかりでした。「きれいな自殺はない」という話にいろいろな質問が出てきました。子供はすごく神妙な顔で、そしてびっくりした顔で聞いています。その顔を見て、毎日会っているのに命について子供たちと話す事ってめったにないと反省してい>ました。 』

 それに対する私の返信は以下の通りです。

 『毎日感じたことを、語ることが大事だと思います。 大向こうを唸らせる話ではなく、本人が感動していることを、その感動の中で語ることが大事だと思います。 だから、もし、『めったにないと反省していました。』と感じたならば、それを語ればいいんじゃないでしょうか(釈迦に説法ですが・・) でも、難しいですよね。 世の中には「生きて欲しいと願われていない」と思っている子どもがいます。 そして、悲しいことですが、それが本当の子どもがいます。(定時制高校時代、そういう子どもを見なければなりませんでした) その子に対して、どのように語ればいいのか悩みます。 でも、「生きていて欲しいと願われる」ことは幸せですが、 実は、「生きていて欲しいと願う」ことも幸せだと思います。 私は、家内や息子に、とにかく生きて欲しいと願っています。 そのことをとても幸せに思います。 だから、「生きていて欲しいと願われていない」子どもに対しては、「生きていて欲しいと願う」ことを目指して生きて欲しいと語りたいと思います。』

追伸 この返信メールを書きながら、自分は幸せだと実感します。

[]剪定 19:00 剪定 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 剪定 - 西川純のメモ 剪定 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 今は学生さん、院生さんの卒業論文修士論文の骨格作りの時期です。研究の初期段階では、教師である私はものすごく介入します。しかし、その研究の方向性が確立した後はほとんど介入しません。もちろん、相談にくれば話し合いますが、研究の指導というのではなく、一般的なお悩み相談のレベルです。その内容も、ほとんどは「自分で考えなさい」というものです。以前の私だったら、かっちりと指導していました。しかし、今はそうではありません。

 かっちりと指導していたときは、確実に私が予定している段階まで進むことが出来ます。しかし、院生さん、学生さんの研究の中で、心に響くものは、私とは関係なくやったこと・見たことでした。しかし、それらは以前のガリガリの量的研究パラダイムに乗せることは困難であるため、それらを潰していました。そして、ガリガリの量的研究パラダイムにしっかり乗った研究にまとめました。結果として、それらの多くは学会誌に掲載されました。しかし、今では既存のパラダイムにあわせて研究をするのではなく、心に響くものを出発点として研究を進めています。はじめは冒険でしたが、結果はOKでした。心に響くものを出発点として、最終的に既存のパラダイムにおいても認められる、新たな研究をまとめることが出来ます。そのため、今では中盤以降は介入せずにいます。その方が、自分では思いもつかない高みに行ける研究に出会えることがわかっているからです。

 今年は夏休み学会発表が終わるまでは介入するのを我慢しました。心の中では、「そこ弱いよな~」とか、「そんなまとめ方だとだめだよな~」といいたい気持ちを抑えました。結果として、のびのびといろんな方向の成果を得ることになりました。今は剪定の時期です。100実った実のうち、よい実を選び、悪い実を切り捨てます。しかし、「悪い」といっても本当に悪いわけではありません。私が常にいうのは、「○○さん、あなたの研究を同僚に説明するとき、どんな風に説明する。きっと、今の説明ではわかってもらえないだろうし、第一、それは○○さんが一番わかっているから、そんな説明しないでしょ」」ということです。そして、論文の構造を書き直してもらいます。なおしたものを読んで、また、全く同じことを言います。その繰り返しの中で、院生さん自身が、現段階で同僚にもわかってもらえること、即ち、よい実を選び出します。

 今年もよい実がなりました。切り捨てた実もすばらし実で捨てがたいものがあります。しかし、捨てた実は本当によい実であれば後輩が拾って大きくしてくれます。少なくとも2年前に予想も出来ないほど素晴らしい実です。気持ちとしては、柿を食べて窓から種を捨てたら、いつの間にか窓の外に立派な実をつける柿の木あることに驚いているような気持ちです。本当に植物は農夫が育てるのではなく、土と水とお日様が育てるものだと思います。

 院生さんは、何度書き直しても、「そんな説明で同僚がわかってくれる?」という言葉で撃沈して大変だったでしょう。長い時間かけて書き直した原稿に、私が1分も読まずにつかっえすことに憤慨したでしょう(でも、私の場合は、それを破り捨てられて育てられました)。でも、自分が読んでもらう側から、読む側になればわかるはずだと思います(いや、すでに気づかれているはずです)。論文は、そして論文に限らず仕事は、結局、自分で気づいて直さなければ直らないんです。逆に、真っ赤に朱筆をいれるような校長の下で働きたいですか?おそらくNOだと信じています。そんな人だったら、宇宙一厳しい我が研究室に所属したいなんて思わないはずですから。そして、その立場になったら、私と同じようなことをすると思います(○さんは、そんなに遠い未来でないかも)。私が自分の指導教官(学部および大学院)と同じようなことを今やっているように。

追伸 昨日の午前中は学部生が自分の研究を相談しあっているのを横で聞いていました。素晴らしいものです。自由奔放に右に左に上に下に研究がのたくっていましたが、いつのまにかまとまっていました。乞うご期待。


[]種まき 19:00 種まき - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 種まき - 西川純のメモ 種まき - 西川純のメモ のブックマークコメント

 本日上越地区の理科教員の研修会で話してきました。

 我が研究室には日本中からメンバーが集まってきます。ところが、お膝元の上越地区出身者はほとんどいません。少なくとも私が助教授になってからに限ってはお一方のみです。学部学生は全国各地から来るのですから、その比率の低いのはわかります。ところが、新潟県は本学に多数の院生さんを派遣しているんですから、もっと多くてよいはずです。ところが、下越中越の方はいらっしゃるのですが上越ほとんどいません。本日研修会には、理科コースの現職院生だった方も多くいらっしゃいます。ところが、それらの方々は全て教科専門(物理化学生物地学)の研究室の方々です。どうにかして、地元先生に興味を持っていただきたいと思っています。その意味で、今回の講演は私にとってよい機会です。先に述べた「例外のお一方」は今から4年前の同じ会における私の話を聞くことがきっかけで我が研究室に所属を希望大学院を受けられました。本日の話の結果は、数年後に出るのだと思います。桃栗三年、柿八年、かしこい先生は4年・・かな?

追伸 三日連続出張は疲れました。明日は、西川研究室のご苦労さん会(教員採用試験教育実習)です。

03/11/12(水)

[]新たな研究テーマ 21:36 新たな研究テーマ - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 新たな研究テーマ - 西川純のメモ 新たな研究テーマ - 西川純のメモ のブックマークコメント

 昨日のメモ人間関係」を書き終わってから、あそこに書いたことも研究テーマになることを気づきました。つまり、授業研究会の際の教師の視線分析です。昨日の研究会において、教師が教卓でしゃべっているとき、参観者の視線は教師に向かっていました。教師がしゃべっているとき、子どもたちの方を見ていたのは私ぐらいだと思います。もちろん、子どもを見ているときもありますが、それは教師が「やりなさい」といったことを黙々とやっている子どもの姿です。教材で教える、また、教え方で教える、というタイプ先生の場合、授業の主体者は教師と捉えているのですから当然です。私自身も今の視点に立つまでは、教師の方を見ていました。ただし、見ていることはちょっと違うように思います。

 学校現場で麗々しく発表される教材の多くは、1960年代のアメリカカリキュラム改革の際に既に見られたものです。そのころの教材を、大学院でイヤと言うほど見てきました。また、私の勤めた富士高校は古い学校なので、理科室に行くと古い実験書が山ほどあります。高校教師時代、それを山ほど読みました。そのため、教具をちらりと見た段階で、だいたい分かってしまいます。目新しいものとしては、新素材を使った教材、もしくは最近になって急激に安価になった素材を使った教材があります。しかし、そのコンセプトは目新しいものではありません。また、指導法に関してもそうです。特に「○○法」等のかっこいい名前が付いている指導法の殆どは、今から20年前からあったものばかりです。したがって、教師がしゃべっている教材や板書には昔から興味がありませんでした。

 私が興味を持っていたのは、まず、「声」です。私と違って、普通の大きさで語るにもかかわらず、教室中に響き渡る声をお持ちの先生がいらっしゃいます。その先生に対しては、羨望を感じます。また、その先生雑談の際の語り口も興味があります。また、教師主導でがんがんやるタイプなのか、子どもの発言を拾いながらやるタイプなのかも興味があります。でも、「声が悪かったら悪い先生」、「教師主導だから悪い先生」というものでもありません。あくまでも教師は総合的なものです。そして、最終的には、この先生の授業を聞きたいな~と感じるか、否かで先生方を見ていました。しかし、今は子どもの方に興味があります。子どもを見ていると、教師を見ている以上のことが読みとれることが分かったからです。

追伸 D1さんへ、このメモはあなたへのメモですよ。

追伸2 ただし、例外があります。それは、最初の目標の設定の段階における教師の語りと、子どもたちが作業をやっているときの何気ない教師の行動は重要です。

03/11/11(火)

[]人間関係 21:39 人間関係 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 人間関係 - 西川純のメモ 人間関係 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 本日文部科学省関係お仕事で近隣の学校の授業研究会に参加しました。その学校テーマは「人間関係形成」です。期待半分で見させていただきました。でも、やっぱりです。

 見させていただいた授業は4つです。そのうち2つはTTを利用して、「出来る子ども」と「出来ない子ども」を別々な教室に分離し、それぞれの教師で二人の先生が教師主導の指導を行っています。そのあと、子ども達が活動する部分は、一人一人でやっています。子ども達は分からないことがあると、教師をよんで質問します。そして、教師が来るまでは手持ちぶさたです。そして、終わった子どもも手持ちぶさたです。教師主導の悪い面が出てしまっています。

 一つは、コンピュータの授業です。典型的な形式で、一人一人がコンピュータ画面の前に座り、教師が大声でかたる一つ一つのステップを行っています。見ていると、昨年のMさんの実践だったら15分もかからないことを1時間かけてやっています。

 最後の一つは、調べ学習発表会です。それを見ると、一昨年のK閣下研究を思い出します。5~6人の子どもが一人一人発表します。私としては、発表している子どもを、他の子どもが見ているか否かの視点で見ました。如実に、各班の人間関係が見て取れます。

 4つの会場で、一致した特徴がありました。各教室には20~30人の先生方が参観していました。しかし、教師が語っている際は、教師と黒板を見ています。ところが、その際、子ども達に視線が行くことはありません。もちろん、「さあ、やってみて」と教師がやらせている時間に、子どもの動きを見ている先生はいます。ところが、教師主導でやっている際に、子どもを見ている先生は殆どいませんでした。そのため、私の視線の方向と、参観者の視線の方向は一貫して逆を見ていました。

 いずれの授業においても、子ども同士が相互作用する場面を見出すことは出来ませんでした。実は、幾つかあったのですが、それを教師は認識していなかったと思います。

 以上のことを学校研修担当先生及び校長先生に、お話ししましたが、その先生は理解していただいたと思います。そして、授業を参観した先生方に関しては、とても良い先生であることを強く感じます。それ故、根深さを感じます。校長先生を始め、関係する全ての先生が優秀な先生で、かつ、学校テーマが「人間関係」であるのにもかかわらず、人間関係を生かした教科学習が成立しない・・・。でも、希望を持っています。私が感じていることは、関係する先生方はきっと感じているはずです。だから、きっかけさえ得るならば、がらっと変わると思います。文部科学省の「お仕事」は、そのことを語るきっかけを私に与えてくれたと思っています。

[]親孝行 21:39 親孝行 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 親孝行 - 西川純のメモ 親孝行 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 私が子どもだったとき、「親不孝って何?」と親に聞いたことがあります。その際、親は迷い無く「親より先に死ぬこと」と答えました。当時の私は、その意味がいまひとつ分かりませんでした。でも、今はよく分かります。

 私が子に望むことは、第一は「私より健康で長く生きてほしい」ということです。第二は「良き人と巡り会い、良き伴侶を得てほしい」ということです。第三は「その良き伴侶との間に子をなしてほしい」ということです。第四は、その息子と伴侶と孫と一緒に老後を過ごしたいということです。このことは、私が望む最高、最大の望みです。私の20歳代においては、当たり前すぎて「望み」といえなかったことです。たしかに、多くの人々が、上記の望みのかなりの部分をかなえています。でも、その多くの人がかなえていることが、人生において最も大事なことだと私は思います。

 そのことが分かってみると、身近にいる学部生・学卒院生を見ると、「君たちは、いま生きていることだけで親孝行しているんだよ」と言いたくなります。そして、学生さんが良き人と安定した交際をしていることを知ると、うれしくなります。ましてや、院生さん達の夫婦生活・子育て愚痴を聞くと、「殆ど最高の親孝行をしているんですね」と言いたくなります。

 あたりまえのこと。それが、最高、最大の幸せであり、親孝行だと思います。息子に対して、それのみを願います。家に帰り、息子をだっこすると、いつもそう思います。

03/11/09(日)

[]大勝ち 21:41 大勝ち - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 大勝ち - 西川純のメモ 大勝ち - 西川純のメモ のブックマークコメント

 学習臨床コースが立ち上がって4年たちます。その中で学習臨床コースは実績において大学のトップを走り続けています。今、本学の最大の課題は、二つに集約できます。第一は、大学院の定員確保で、第二は、学部学生の教員採用です。この4年間、全学教官の10%に過ぎない学習臨床に、全院生の四分の1の院生希望します。一方、毎年、一人、二人の院生しか来ないコースも存在します。今年の4年生は、学習臨床コースが立ち上がって最初に入学した学生です。従って、今年は学習臨床コースが最初に望む教員採用試験です。結果は、全学の八分の1の学生が所属する学習臨床が、全学の四分の1の合格者を占めています。その割合は、本学でトップです。一方、合格者が全くいないコースもゾロゾロいます。確かに、教員採用率に関しては今年のみのデータです。しかし、院生獲得の実績は4年を積み上げており、誤差とは言えません。さらに、学部の成績も単年度とはいえ、院生獲得の実績と合わせてみれば、それなりの意味があると思われます。

 数ヶ月前、学長団が各コースの代表と合い、大学再建の方策を聞く機会を設けました。学習臨床コースでは私が行きました。その際、「何故、学習臨床コースは院生獲得に実績を上げているのか?」と聞かれました。その時、私は以下のように答えました。

 『有効な方法があるのではなく、メンバーが、その特徴に合った方法をやっていることが有効なんです。例えば、地元に強い先生は、地元受験生を獲得します。講演会によばれる先生は、講演会を通して受験生を獲得します。そして、OBに強い先生は、OBを通して受験生を獲得します。その方法は、千差万別です。だから、我々(学習臨床コースのメンバー)のやっている方法をまねることが意味あることであるとは思えません。我々が実績を上げている本当の理由は、一人一人のメンバーが、自分自身の問題としてとえら、自分の頭をつかっているからです。単なる方法論のレベルで理解されては困ります。』っと格好よく大見得をきってきました。でも、私の正直な気持ちでした。

 しかし、武田信玄が「勝負は、六分七分の勝は十分の勝也、八分の勝は危うし、九分十分の勝は味方大負けの下作り」と言っています。少々、大勝ちのしすぎなのかも知れません。しかし我々のやっていることは、他を潰すことをやっているのではなく、己自身がやるべき事をやっているだけのことであり、戦いとは言えません。となると、「勝ち」と思う私の気持ちに危うさがあるのかもしれません。自戒自戒

[]学習臨床 21:41 学習臨床 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 学習臨床 - 西川純のメモ 学習臨床 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 上越教育大学では学部1年から2年に進級する際、その成績と希望に基づき所属コース・分野が決定されます。例年、10月末に所属希望を決定するための説明会が開催され、その直後に分野希望の第一回の調査が行われます。残念ながら、学習臨床コース、そして学習過程臨床コースは学部学生には人気がありません。現職者の大学院入学希望者に関しては絶大な人気がある学習臨床コースなのですが、その魅力を伝え切れていないようです。今年は10月29日に分野説明会があり、その説明者に私がなることになりました。責任重大です。しかし、私には勝算があります。というこのは、大学教官の殆どは、「あるべきだ論」を長々と語るのは得意なのですが、ユーザー(即ち、この場合は1年生)のニーズ調査をするという発想がありません。だから、ニーズ調査をちゃんと行い、それに基づき説明すれば分かってもらえると感じています。そこで、学生さんにインタビューし、何が分からなか、どうしたらいいかを聞きました。それに基づき、原稿をつくり、それを1年生に読んでもらいました。原稿を最後に付けました。もうすぐ、第一次希望調査の結果が分かると思います。おそらく、教員採用試験結果が知れ渡れば、学習臨床コースの人気は急上昇するはずです。しかし、その結果が公開されていない段階での結果である第一次希望調査は、ある意味で、私に対しての評価です。ドキドキ。

----------------------------------------------------------

学習臨床コース 学習過程臨床分野

 学習過程臨床というと、何か難しげで訳が分かりませんよね。実は、それを教えている教官もそうなんです。何故なら、今、学生さん、院生さんと一緒に作り上げている、「若い」、「若い」研究分野なんです。

Q 学習過程臨床って何ですか?

A 勉強学習)する様子(過程)を、実際に行われている場所(具体的にはクラスの中、即ち臨床)に入って研究するので学習過程臨床です。難しげな言葉ですが、「勉強する子ども(そして先生)をよく見よう!」ということです。

Q 「勉強する子ども(そして先生)をよく見よう!」なんて、当たり前すぎませんか?

A 我々は、普通の教室における子ども(そして先生)を、中・長期にわたって観察します。そのためには、学校現場の全面的な協力が必要です。上越教育大学は全国から数百人の小中高の先生院生(以下 現職院生)として受け入れている、日本でも希な大学です。その現職院生さんの協力を得ることによって、学習過程臨床で行う教育研究が可能となります。他大学先生が、「授業を3ヶ月見せてください」と小中高の先生に頼んでも、大抵は断られます。つまり、「勉強する子ども(そして先生)をよく見よう!」は、上越教育大学だから出来る研究上越教育大学しか出来ない研究なんです。

Q 今までの教育・心理研究との違いは何でしょう?

A 伝統ある教育学研究では、文献研究が中心です。しかし、我々は子ども(そして教師)を見ることが中心です。また、教育学心理学の一部での子ども研究と異なり、平常の教科学習(国語社会数学理科英語音楽美術、体育、技術家庭科・・)を学んでいる子どもを観察することが特徴です。

Q 教科領域(国語コース、算数コース・・)との違いは何でしょう?

A 第一に、子どもを徹底的に見る点です。第二に、一つの教科に限らず、色々な教科を学ぶ子どもの姿を比較します。その事によって、国語をどのように教たらいいか、音楽をどのように教えたらいいか・・・のみならず、どのように勉強を教えたらいいかが分かります。

Q 分野の中で教科(国語、算数・・)別に分かれるのですか?

A 我々は教科の内容ではなく、教科を学ぶ子どもに着目しています。そのため、教科の枠を絶対だと考えておりません。中学校国語の免許を取りたい学生さんが、理科を主な対象として研究した教官に指導を受け、体育の授業場面を卒業研究の対象とすることは、ごく普通に行われています。また、国語を学んでいる子ども研究する院生さんと、音楽を学んでいる子ども研究する学生さんが、全く違和感なく議論することが出来ます。それは、我々が「子ども(そして先生)」に着目しているからです。

Q 学習過程臨床で伸びる能力というのは教師にとって重要な能力なのですか?

A 上越教育大学には159人の教官学長、副学長、助手を除く)がおり、255人の現職院生がおります(教官一人当たり1.60人の現職院生さん)。現職院生さんは、現場の実践を通して、実践に必要な能力を高めるため本学大学院に入学します。学習過程臨床には6人の教官が所属しています。その学習臨床過程に29人の現職院生さんが所属しています(教官一人当たり4.83人の現職院生さん)。即ち、大学平均の3倍の高率で小中高の先生学習過程臨床を希望しています。(10月現在データです)。

Q で、学習過程臨床って本当はどんな分野なんですか?

A 充実しているか、充実していないか。楽しいか、楽しくないか。それは先輩から直接聞いてください。現場実践と学習過程臨床との関連は、学習過程臨床の現職院生さんに直接聞いてください。自信を持って、聞いてくださいと言える分野です。だれに聞けばいいか分からない場合は、紹介します。

分からなければ、いつでもどうぞ

 西川純(自然棟6Fの真ん中当たりの部屋) 

03/11/08(土)

[]何もない旅 21:42 何もない旅 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 何もない旅 - 西川純のメモ 何もない旅 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 金曜日は年休を取って近くの温泉に行って来ました。糸魚川姫川温泉ですので、高速道路を使えば1時間ちょっとで到着します。糸魚川周辺は何度も行っています。したがって、とりたてて見直すところはありません。とりたてて凄いものがあるわけではないですが、美山公園によってきました。ところが、息子は大受けです。特に、噴水の近くで、大興奮です。なんで、こんな噴水に興奮する理由が分かりませんが、とにかく喜んでいます。ホテルチェックイン時間に到着し、ぼけ~としていました。私のPHSへは、1時間に一回、私に送られてくるメール転送するよう設定しています。しかし、ホテルPHSの圏外ですので、強制的に仕事からはシャットアウトです。息子と風呂入り、その後、私一人でゆっくりと入り直します。その後、夕食を食べて、早めに就寝です。色々なところを巡る旅より、何もない旅の方が良いように思えます。息子にとっても、凄いものがあることは重要ではないようです。

追伸 PHSの圏内に達したとたんに、大量のメールが着信しました。現在、その仕事をこなしているところです。

03/11/06(木)

[]足ることを知れない 21:44 足ることを知れない - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 足ることを知れない - 西川純のメモ 足ることを知れない - 西川純のメモ のブックマークコメント

 私が大学に勤めて17年たちます。しかし、この5年ぐらいから、仕事上で怒ることが多くなったように思います。もちろん、それ以前から怒ることがありました。特に、教科専門の中で心ない方が、教科教育研究を専攻する院生さんに対して、自身の間尺を押しつけ攻撃する場合、怒ります。しかし、その怒りはあまり長期に長引きません。ところが、現在は長引きますし、あとから、あとから怒りの種が沸いてきます。なんで、こんなに短気になったんだろうと自己分析しました。自身の年齢が上がり、職階もあがったため、我が儘になったと言うことは、まず認めます。でも、それだけではないように思います。

 私が短気になり始めた時期と、私が大学の仕組みを分かるようになった時期は一致しているように思います。大学の勤めてから10年ぐらいは、大学システムが盤石で普遍のように思えました。そして、自分自身が何も出来ないちっぽけな存在であると感じていました。例えば、日本の政治に対して不満はあったとしても、一市民が出来ることは限りがあります。ルールを変えようと思うのではなく、現状のルールの中でゲームをしようとします。現状のルールは長い間定着しているので、そのルールの中での定石というべき生き方がだいたい決まっています。したがって、あまり頭を使わず、その定石の中で生きています。多少の不満があっても、それを解決できないだろうし、たいていの人はその中で生きているんだという安心から、不満は消失します。私の大学に勤めてから10年ぐらいは、そんな感じでした。

 ところが、この5年間ぐらいから、多種多様情報を知り得るようになります。そうすると、自分が不満に思っていることの原因が見えてきます。そして、その原因が極めてバカバカしい因習に根ざしていることが分かってしまいます。さらに、意外にも、その因習を支えているものに法的な根拠が無く、変えようと思えば、変えられるものであることに気づきます。

 ところが、いざ、変えようとすると、なかなか変えられません。原因の第一は、今の状態に不満がない人が多いからです。今のシステムは、今の人にとって居心地が良いから安定しているんです。でも、注意すべきは、あくまでも「今」に過ぎません。今後はそのシステムが問題になるであろうということに気づいている人は少なくありません。ところが、その人たちの多くは、現在システムは変えられないほど盤石で、法的にがんじがらめに縛られていると思っているんです。その人たちに、現在システムを変えることは意外に簡単であることを説明することが、なかなか出来ません。「そんなバカな~、だって、そんなんだったら、とっくのと~に変えているはずじゃない」という意識が、理解を妨げます。それが理解されたとしても、次の障壁があります。それは、システムを変えれば、短期的には損する人が出ます。その人の反対と戦うエネルギーを持ち得ないんです。その理由は、第一の原因である、とりあえず不満がないからなんです。

 不遜ながら、今の上越教育大学には二つの道があるように思います。一つは徐々に朽ち果て、他大学に吸収される道。もう一つは、教育研究大学として日本(世界)でも有数の大学になる道。私は、それが歯がゆくて歯がゆくてしようがない。私が出来る範囲の行動をしますが、「今の状態に不満がない人(今の危機的状況を理解していない人)」、「今の状態が変えられると理解していない人」、「今の状態を変えるために戦おうとしない人」、そして、「今の状態を変えたくない人」との関わりの中でヘトヘトしなり、イライラしてしまいます。しかし、上記の私の理解は誤っているのかもしれません。結局、何も変えなくとも、なんとなく、それでも良いのかもしれません。仮に、私の現状分析が正しくとも、私がイライラしなくとも、他のもっと適任者がやるべきなのかもしれません(この可能性が高いと思います)。そうであるならば、かっての私のように、何も知らず、何も考えず、現状に関して満足していた方がよかったのかもしれません。でも、この5年間、もがいてもがいていたからこそ、学習臨床コースも立ち上がり、かつてに比べ格段の良い教育研究環境を得ています。だから、まだ、もがこうと思います。

追伸 以前のメモに書いたとおり、私には「魔法言葉」があります。家に帰り「家族仲良く、健康で」と神仏に祈ります。幸い、この究極の幸福を享受しています。そう考えると、仕事上のイライラバカバカしくなります。

03/11/05(水)

[]授業が好きな院生 21:46 授業が好きな院生 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 授業が好きな院生 - 西川純のメモ 授業が好きな院生 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 世にラーメン評論家というのがいます。彼らは、数多くのラーメン店を食べ歩くことによって、どこの店がうまいか、何故うまいか、と言うことに関して博学な知識を得ます。しかし、彼らがうまいラーメンを作れるかといえば、話は別です。このことはラーメンに限らず、評論家作家との違いの違いです。出来上がったものを消費することと、それを作ることとは別なことです。しかし、それを分からない人は少なくありません。

 研究の世界でもいます。私の知り合いにも、やたら文献を読んで博学な知識を持っている人がいます。そして、他人の研究に対する批評は傾聴に値する場合が少なくありません。ところが、全く、論文を書いていないんです。本人は低レベル論文は書く気にはならない、と言っていますが、私はそうは思いません。おそらく、論文を書けないんです。それが証拠に、何かの加減で書く論文論文とは言えない超低レベル駄文です。人の研究批評するレベルの高さと、その駄文のギャップは、ラーメン評論家批評と、ラーメン評論家の作ったラーメンに対応できます。

 大学院にもたまにいます。やたら講義を取りたがる院生さんがそれです。小学校中学校高校の延長で、受け身で勉強することが「良いこと」だと植え付けられています。大学卒業研究をしっかりとやっているならば、研究と「お勉強」は違うことは分かるのですが、卒業研究さえも受け身の大学も少なくありません。そのため、大学院になっても、授業をいっぱいとって「お勉強」をしているんです。

 大学院生であれば、お勉強研究の違いは半年もたてば分かるはずです。それが分からない原因は、研究をしていないからです。もし、研究をしっかりやっていれば、講義を必要以上に聴講するエネルギーは残っていないはずです。私は中学校時代より乱読をしました。高校時代にはカントヘーゲルを背伸びしながら読んでいました。しかし、それは大学の2年ぐらいまでです。卒業研究が忙しくなると、そんな暇はありません。大学院時代は、研究の必要上で神経の疲れる本を沢山読まなければならないので、研究以外の時間に本を読もうとは思わなくなります。自分の出せるエネルギーの全てを研究に費やして、やっと、何とかものになるものが生まれるものです。私の記憶では、大学院生時代、研究以外で読んでいたのは星新一ショートショートぐらいだったと思います。

 名著、古典といわれるものでさえ読めなくなるんですから、ましてや大学講義なんかパスです。何故かと言えば、大学院ぐらいになれば、大学教官レベルも品定めできるはずです。学部生であっても卒業研究をしっかりやり、研究入り口に立てば、大学教官の品定めが出来ます。ましてや大学院生ともなれば、当たり前です。大学教官100人がいた場合、そのうち10人以上も研究上で得るものが多いと思うとしたら、それは研究能力がない証拠です。研究能力があれば、数人のレベルに限られるはずです。少なくとも、専門性の高い研究に関して言えば、それは確かです。そして、その中で最も得るものが多いと思う人を指導教官に選べば、わざわざ他の教官講義を聞く必要は殆ど無いはずです。百歩譲っても、研究の時間を削っても聞く必要性はありません。

 大学院生が「授業が忙しくて研究が出来ない」と言ったとしたら、それは「私は無能です」と大声で宣言しているようなものです。

[]食事の躾 21:46 食事の躾 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 食事の躾 - 西川純のメモ 食事の躾 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 私は食事の時、無口で早食いであることを家内に注意されます。特に、早食いに関しては、私の体を気遣ってよく言われます。しかし、思い出すとうちの母からは、それほど言われたことがありません。子育てをすると、その理由が分かる気がします。

 今の息子は、やたら喋ります。とにかく、いつでも喋っています。とても半年前は殆ど喋らなかったとは思えません。この状態は食べるときも同じです。一生懸命になって我々に喋ります。ところが、そのため食べるのが遅くなります。おそらく何も叱らなければ、食事時間は1時間を超えると思われます。そのため、「喋らないで食べなさい」、「そんなちょっとづつ食べていないで、ガバッとすくって食べなさい」と叱ります。そんな時、母が何故私の無口と早食いを叱らなかったか分かります。おそらく、共稼ぎであった母は、今の我々以上に、忙しく、とにかく私が早く食べることを求めていたと思います。そして、我々以上に徹底的に「喋らないで食べなさい」、「そんなちょっとづつ食べていないで、ガバッとすくって食べなさい」と叱ったのではないでしょうか?その結果として、私の食事中の無口と早食いが生まれたのだと思います。だから、その負い目があるため、叱らなかったと思います。そして、考えます。

 私は息子の遊び食いは叱りますし、手で食べることは叱ります。しかし、彼が話しかければ楽しく喋るようにします。そして、楽しく食事をするようにしています。もちろん、「喋らないで食べなさい」、「そんなちょっとづつ食べていないで、ガバッとすくって食べなさい」と言いますが、そんな時、上記のことを思い出し、叱りすぎないように歯止めをかけます。

03/11/03(月)

[]懐かしい町3 21:47 懐かしい町3 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 懐かしい町3 - 西川純のメモ 懐かしい町3 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 出張から帰ってきました。ほくほく線直江津駅直前の関川を渡ると町の灯りがハッキリします。心からホッとします。今の私にとって、上越が懐かしい町だと感じました。