西川純のメモ このページをアンテナに追加 RSSフィード

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03/10/06(月)

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 世の中には子ども主体性を引き出すと銘打つ教育実践校は数多くあります。その中でも、全国的にも知られているものも少なくありません。上越教育大学には全国各地から現職教員が派遣されます。その方から有名実践校・実践者の実態を聞くことがあります。それを聞くと、その実態は我々の目指す姿とかけ離れている場合の方が多いように思います。

 私はある小学校実践者の実践に共感を感じていました。しかし、その実践者の授業記録のビデオを最初の数分間視聴したとき愕然としました。15分もたつと見るに耐えられなくなりました。しかし、単にその授業が例外的なものだろうと考え、別のビデオを全て視聴しました。全て同じでした。一言で言えば、怖いんです。子ども達をガンガン怒鳴るし、子ども達もビビっているようです。どう考えても、「やらしている」、「やらされている」関係です。本当に主体的であるならば、子ども達が願う学びを行っているはずです。願っている学びを行っているならば、喜んでいるはずです。主体性を生かしているならば、声を荒げる必要は無いように思います。もちろん、叱らなければならない場面はあるでしょう。でも、圧倒的大多数の場面では、「褒め」、「つぶやき」、「とぼける」ことに費やすはずです。かなりたってからその小学校子どもが進学する中学校先生から、そのクラスの出身者が「怖かった・いやだった」と言っているということを聞いて、さもありなんと感じました。

 もう一つの見分けるポイントがあります。それは、本当に子どもが主体的になっているならば、教師は楽になっているはずです。もちろん、何もしなくても良いというわけではありません。しかし、あれもこれも、細かいところまでも、全部全部やらねばという気疲れは無いはずです。子ども主体性を引き出すと言っているのにもかかわらず、極めて狭いラインに載せている事例は数多くあります。そのような場合は、その道筋にのせようとして、その道筋で行うであろう子ども達の作業を全て教師が用意しなければなりません。すこしでも、そのラインを太くしようとする(つまり子ども達の創意工夫を生かそうとする)と、子ども達が思いつくであろう方向の全てに対応した用意をしなければなりません。そうなると教師はへとへとになってしまいます。

 一方我々の場合は、ラインを引くことはなるべく避けます。押さえるのは、最初のポイントと最終的な終点です。教師がやるのは、最終的な終点が子ども達にとって意味ある終点であることを子ども達に納得させることです。逆に言えば、意味ある終点を考えることです。もちろん、カリキュラムに沿って連続的なポイントを設定しますが、しかしそれは連続する点であって線ではありません。子ども達は実に様々な経路で二つの点を結びます。多くの場合、その結び方は、教師が思う以上に魅力的です。それ故、普通の教師が自分が思ったとおりに子どもが動くことを喜び・誇るのに対して、我々は自分が思いもしない子どもの動きを喜び・誇ります。いずれにせよ、連続する全ての経路に関して用意しなければならない教師に比べて、格段に精神的に楽です。

 つまり、主体性を引き出すならば、子どもは喜び、先生も喜ぶはずです。そうでない場合は、主体性を引きだしていないということになります。逆に言えば、やっている先生方が「ひ~ひ~」いっている学校の場合、子どもたちの主体性引き出していないことを表しています(たとえ研究テーマが「主体性」だったとしても)。

追伸 簡単な見分け方は、その学校に7時頃いくんです。その学校の職員室の明かりがついていて、多くの先生が立ち歩いているとしたら、主体的な教育をしていない証拠です。