西川純のメモ このページをアンテナに追加 RSSフィード

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03/09/30(火)

[]子どもと関わりたい 22:25 子どもと関わりたい - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 子どもと関わりたい - 西川純のメモ 子どもと関わりたい - 西川純のメモ のブックマークコメント

 ある先生からメールが来ました。その先生TT先生と一緒に学び合いの実践を行い、手がかりを得ています。メールは、子どもたちの変化を喜びと誇りを持って書かれていました。その後に、こんな部分がありました。

 『TT担当と仲良しの友達と3人で夕食を食べながら、先生から教えていただいたことなど話しました。彼は納得していたようでしたし、子供最近の変化にも「すごい」と言っていましたが、「ぼくは子供といっぱいかかわりたいんです~!それで小学校先生になったんです。」と言っていたのが、やけに耳に残っています。でも、授業の学び合いには賛成だそうです。もちろん、学び合いをするようになってから、授業でも休み時間でも笑いが増えたことやみんなで楽しく話することが多くなったことも話しました。また、授業で関わらなくても(かえってその方が)他で子供との関係はい~っぱい作れるという話もしましたが。私の説明が説得力に欠けていたようで、学級を持っていない彼にはわかったのか、わからなかったのか私にもよくわかりません。ゆっくりわかることでしょうか。』

 私の返信は、「このことはメモに書きます」でした。そこで、書くことにしました。

 昨日の「コンパ」というメモに書いたように、教師の仕事子どもと仲良くなることではないように思います。でも、「関わりたい」と願うのはよく分かりますし、教師であればそれを願って欲しいと思います。しかし、願ったとしても、それを押さえて欲しいと思います。このことを学生さんに話すことは少なくありません。特に、教育実習から帰った後に話します。

 まず、教師がいくら子どもと仲良くなっても、「友達」にはなりません。友達になろうとすると、子どもたちには違和感を感じるはずです。想像してください、校長があなたの友達になろうと近づいてきたら、かなり不気味だと思います。学生さんに説明するときは、指導教官である私が、友達になろうと近づいたら、どう思う?と聞きます。学生さんは直ぐに了解します。つまり、子どもたちは友達になろうとしているのではなく、あくまで教師を求めているんです。したがって、教師としての一線を設けるべきだと言います。

 次に教師として、一線とはどこに引けばいいでしょう。以前のメモ(「間合い」(02.6.13))に書いたと思うのですが、学部学生さんが教育実習の終わった後、「子どもから先生の家に遊びに行きたいと言われているのですが、どうしたらいいでしょう?」と聞かれたことがあります。その際言ったのは、「全ての子どもを遊びに来させられるなら、来させてもいいかもしない。そう出来ないなら、やるべきでない」と言いました。その先生は「関わりたい」と願っています。しかし、そのイメージしている関わり方を40人の子どもに等しく出来るでしょうか?私の研究室には15名の院生さん・学生さんが所属しています。たった15名ですが、それだけの人数だったとしても、等しく関われるレベルは限られています。私が以前努めていた定時制高校の一クラスの人数は30人以下でした。意識して、授業に一回は声をかけようと、子どもたちには気づかれないように、こっそり名簿にチェックしたこともあります。しかし、30人に一言声をかけるだけでもかなり困難であったと記憶しています。

 上記は、比較的納得しやすいレベルかもしれません。しかし、我々の考え方で、納得しにくいのは、教師が関わろうとすると、子どもが関わり合うことの障害になるということです。実際、子どもたちの言動をつぶさに見れば、教師が近づいて一言こえをかけることによって、それまで盛り上がっていた子どもたちがシラーとなってしまいます。また、教師を中心になって盛り上がるクラスは、教師がいなくなるとシラーとなりますし、悪くするとイジメがはびこります。

 ということで昨日の「コンパ」というメモのように、「教師元気で留守が良い!」というかなり昔のコピー妥当な線と思っています。