西川純のメモ このページをアンテナに追加 RSSフィード

西川純です。新潟県上越市の上越教育大学の教育実践高度化専攻(教職大学院)で『学び合い』を研究しています。諸般の事情で、このブログのコメントは『学び合い』グループのメンバー限定です。メンバー登録は、いつでもOKです。ウエルカムです。なお、メールはメンバー以外にもオープンですので、いつでもメールください。メールのやりとりで高まりましょうね。メールアドレスは、junとiamjun.comを「@」で繋げて下さい(スパムメール対策です)。もし、送れない場合はhttp://bit.ly/sAj4IIを参照下さい。西川研究室はいつでも参観OKです。 詳細は http://www.iamjun.com/をご覧下さい。 もし『学び合い』グループに参加される場合は、 http://manabiai.g.hatena.ne.jp/をご参照ください。
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03/08/26(火)

[]学び合わせることは難しい? 10:33 学び合わせることは難しい? - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 学び合わせることは難しい? - 西川純のメモ 学び合わせることは難しい? - 西川純のメモ のブックマークコメント

 先週の土曜日は本学大学院入試です。学習臨床コースでは六十数名の受験生面接を、教官が4つの会場に分かれて実施しました。私が担当している会場に、知った先生が入ってきたのでビックリしました。その先生は、昨年修了された西川OBが、在学中に実践研究を実施した学校先生です。というより、その先生がいらっしゃるから、その学校に実践研究の実施をお願いしたという方が正しいのかもしれません。面接では、そのOBの実践に共感したため、大学院に学びたいと希望したとおっしゃっていました。その中で、一つ気になることをおっしゃっていました。それは、OBがやったように学び合わせようと思って実践し始めたが、うまくいかないとおっしゃっていました。日曜日になって、そのことがすごく気になり始めました。OBの実践を間近で見ているのですから、学び合った状態の子どもたちの姿がいかに素晴らしいかは、よくご存じです。でも、「学び合わせることは難しい」と誤解されるのではないかと思いました。気になって、気になってしょうがないので、「とにかく遊びに来ては?」とメールしました。その結果月曜日に急遽お会いすることが出来ました。

 その先生とお会いし、その先生が色々と状況を説明されました。しかし、今ひとつ分かりません。そこで、二つの質問をしました。その先生が、子どもたちが一人一人でやっている姿を語るので、「でも、分からない子どもはいるでしょ。その子はどうやっているんですか?」と聞きました。それに対して、「私のとこに聞きに来るので、つぎつぎに教えています」とお答えになりました。それに対して、「それじゃあ学び合いは出来ませんよ」と説明しました。教師は、親切に丁寧に教えることは良いことだと固く信じています。学び合いをやっていても、それでも教えられるなら教える方がいいと考えがちです。しかし、教師が教えると、その子どもが他の子どもに教えて貰う機会を奪うことになります。また、他の子どもがその子どもを教える機会を奪うことになります。さらに、その様子を見ている、クラスみんなに「教師に教えて貰えばいい」という文化を伝播させ、クラス全員から学び合う機会を奪うことになります。つまり、「教えることは悪いことでは?」という恐れを持つべきでしょう。それではどうすればいいかといえば、「クラスでそれ分かる子いるよね?」とニコッと笑って、教えないことをすればいいのです。教師にとってはかなりの決意が必要ですが・・。

 また、その先生が一つの教科に限って学び合いを導入しているとおっしゃているので、「なぜ、その教科だけ学び合いを入れているのですか?」と聞きますと、色々とご説明頂くのですが、いまいち分かりません。感覚としては、「まずは、その教科から」という理由のようです。それに対して、以下のように説明しました。「学び合い」をテクニック的に捉えるならば、ある授業では使えて、別な授業では使えない、ということになります。しかし、「学び合い」の基本は、「子どもは有能だ!」という子ども観、「教師は教えるのではなく、学び合うための目標と評価を与え、環境を整備するべきだ」という授業観、「学校教育は人と人とのコミュニケーションの場である」という目標観です。そのような子ども観、授業観、目標観が、ある授業に使えて、別な授業で使えないということはありません。ちなみに、私が今のところ考える「学び合い」が不可能の条件は一つです。それは、学び合いの文化が成り立っていない学習者に対して、授業回数が少ない場合です。「学び合い」は考え方です。文化です。その事が形成されるまでには時間がかかります。それ故、1回だけの講演会、また5~6回程度の大学の授業の場合、徹底的に面白い教材と話術を駆使した話をします。自分で言うのも何ですが、かなり好評です。ただし、「学び合い」を知ってしまった私としては、そのような授業は「中の下」だな~と感じます。(付け加えるならば、子どもが少なすぎる、例えば一人の場合も不可能です)

 最後に、その先生に話したことは「目標」です。子どもがノリノリになる目標を与えることが、教師の仕事の最大の仕事だと思います。それさえあれば、子どもたちは自主的に動きます(あたりまえですが)。その場合に重要なのは、理念的な目標ではなく、具体的に評価可能な目標であらねばなりません。それでいて普遍的な目標であらねばなりません。我々の研究室での目標は、「自分の心、そして現場先生の心に響く研究をしよう!」です。教育研究においてこれほど普遍的な目標はないのではないでしょうか?さらに評価方法もハッキリしています。院生さん・学生さんに私が言うことは、「それってあなた自身の心に響くの?」、「それを仲のいい同僚に話したいと思う?」です。その一言で、その院生さん・学生さんは自分自身で確実に評価出来ます。

追伸 その先生は、自分自身の現状を嘆くより、自分自身を高めることにワクワクされていました。私のきつい物言いも、楽しみチャレンジとして捉えられていました。とても気持ちよくお話しすることが出来ました。

[]今度の旅行で学んだこと 10:33 今度の旅行で学んだこと - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 今度の旅行で学んだこと - 西川純のメモ 今度の旅行で学んだこと - 西川純のメモ のブックマークコメント

夏の長期出張から帰ってしばらくたって、某大学大学院生さん(理科教育関係)から以下のメールをいただきました。

 『はじめまして。○○大学○○研究室の○○と申します。本日、○○学会の資料が、忘れ物として○○ホテルより届けられたのですが、中身を改めましたところ、私のものではなく、西川先生のお持ちものかと思われました。もしも必要のないものでしたら、こちらで処分させていただきますし、そうでなければ、大学宛にお送りしますのでご一報いただければ幸いです。』

 きょとんとしてしまいました。考えらられることが一つだけあります。私は資料を、出来るだけ、その場で捨てるようにしております。札幌で開催された学会における大会要項等の資料もその地で捨てるようにしています。なぜなら、私のボスのT先生は、その種の資料を大事に保存される方なので、必要になれば、その先生に借りればいいからです。また、長期出張中の大学に来る手紙札幌ホテルにまとめておくってもらえるよう事務の方にお願いしました。大多数は不必要な資料なので、それも捨てます。しかし、分量が多かったのでゴミ箱に入りません。そこで、大きな袋に入れ、ゴミ箱の脇に置きました。さらに、ゴミであることが分かるよう、その袋の上には近くのコンビニエンスで買った食べ物の残りかすを載せておきました。おそらく、そのゴミが何故か某大学大学院生さんの手元に送られたことになります。

 実物を見なければ確認できないので、「送料はこちらで負担するので」ということで送ってもらうことにしました。しかし、しばらくして怒りがメラメラと沸いてきました。だって、自室のゴミを同業者に送るバカがどこにいるんでしょう!早速、ホテルに「もしあなたがどこかに泊まって、あなたのゴミ、それも社内資料を含むゴミを同業他社に送られたらどうおもいます?」と厳しく申し、原因を明らかにするよう求めました。その結果原因が分かりました。

 まず、私のゴミは、ゴミと認定されず、忘れ物としてホテルで保管されたそうです。なぜ、ゴミ箱の脇に置き、かつ、食べかすをいれた袋をゴミを忘れ物と認定しなかったかを聞きますと、以前に「ゴミ箱に入れていないものを何でゴミとして処理したんだ!」というクレームを受けたそうです。そのため、明らかにゴミと思われるものであっても、ゴミ箱に入っていないものは、一定期間は忘れ物として保管されるそうです。そして、一定期間問い合わせがなかったらゴミとして処理されます。私のゴミは、その一定期間以前だったんです。

 某大学大学院生さんは、私と同じ学会に参加され、同じホテルに泊まっていました。その方が、自宅に帰ってから忘れ物があったことに気づきホテルに問い合わせたそうです。ところが、忘れ物として認定される物は、その時点では私のゴミしかなかったそうです。そこで、ホテル側が私の部屋番号を言って確認を取ったんですが、その院生さんはあせっていたので「私の友達の部屋です」と言ったそうです。そうなると、ホテルとしてそれを疑うわけにはいかなかったので、私のゴミをその院生さんに送ったそうです。

 ホテルも、その院生さんも、ちょっとづつエラーを行っています。しかし、決定的な悪意はなく、基本的に善意によるものです。そこで、私は諦めることにしました。金のないであろう院生さんのために、郵送費にちょっと色を付けた額のお金を送ることにしました。しかし、冷静に考えれば、私が何でそんな出費をしなければならないのか分かりません。強いて言えば、「ゴミ」と大書しなかったことかもしれません。それにしても少なくない出費です。一つ学びました。