西川純のメモ このページをアンテナに追加 RSSフィード

西川純です。新潟県上越市の上越教育大学の教育実践高度化専攻(教職大学院)で『学び合い』を研究しています。諸般の事情で、このブログのコメントは『学び合い』グループのメンバー限定です。メンバー登録は、いつでもOKです。ウエルカムです。なお、メールはメンバー以外にもオープンですので、いつでもメールください。メールのやりとりで高まりましょうね。メールアドレスは、junとiamjun.comを「@」で繋げて下さい(スパムメール対策です)。もし、送れない場合はhttp://bit.ly/sAj4IIを参照下さい。西川研究室はいつでも参観OKです。 詳細は http://www.iamjun.com/をご覧下さい。 もし『学び合い』グループに参加される場合は、 http://manabiai.g.hatena.ne.jp/をご参照ください。
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03/08/29(金)

[]君の研究は分からない 10:32 君の研究は分からない - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 君の研究は分からない - 西川純のメモ 君の研究は分からない - 西川純のメモ のブックマークコメント

 私が20代後半から30代まで、年長の研究者から最も言われたお叱りは「君の研究は分からない」というものです。それに準じるのは、「君の研究にはフィロソフィー哲学がない)」というものがあります。これも、正確に言えば、「君の研究のフィロソフィーが分からない」という意味ですので、先と同様です。もちろん、「はい、勉強します」ともっともらしい顔で承ります。しかし、腹の中では、「てめーみたいな勉強しない奴に、俺の研究が分かってたまるか!」と思っていました。

 私も年を取ったせいか、30代以下の方に小言を言いたいように感じます。ただ私の小言は、「君の研究は分かる」ということです。学会誌の論文を見ても、学会発表を見ても、「あ~、こんなことまだやっているの?」と感じることは少なくありません。ちょっと目先や題材を変えているだけで、基本的には10年、20年前からあった問題意識を、その当時の研究手法でやっています。「そりゃ、おまえが新しさを感じられないほどバカなんだ」と言われるかもしれませんし、そうかもしれません。しかし、残念ながら、その論文発表タイトルを見た段階で、方法と結論が予想がついてしまいます。最後まで見ても、私が最初に予想したレベルを超える結論を引き出す人は少ないですし、実際は、私の予想よりかなり下回ったレベルです。感想は、「あ~、やっぱね。でも、この人、○○の要因に関して考慮していないな~。過去の文献をちゃんと読んでいないんだな~」と感じます。

 不遜ながら、自慢話ですが言いますが、私が学会理科教育学)に入り立ての頃は、比較研究教育史のような教育学の古い伝統を持つ教科教育学が主流でした。その中で、全く異質な実証的な研究をやりはじめました。当時、そのようなことを盛んにやりはじめた研究者が5、6人いました。だいぶ時間がかかりましたが、自分たちの研究学会の主流の一つに押し上げることが出来ました。本来なら、私たちが主流にした研究を、打破するのが若手の仕事のように思います。ところが、その仕事を我々自身がまだやっているんです。なんとも、情けないな~と感じます。

追伸 このメモを書き終わって、自分がジジーになり始めていることを強く感じます。

03/08/26(火)

[]学び合わせることは難しい? 10:33 学び合わせることは難しい? - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 学び合わせることは難しい? - 西川純のメモ 学び合わせることは難しい? - 西川純のメモ のブックマークコメント

 先週の土曜日は本学大学院入試です。学習臨床コースでは六十数名の受験生面接を、教官が4つの会場に分かれて実施しました。私が担当している会場に、知った先生が入ってきたのでビックリしました。その先生は、昨年修了された西川OBが、在学中に実践研究を実施した学校先生です。というより、その先生がいらっしゃるから、その学校に実践研究の実施をお願いしたという方が正しいのかもしれません。面接では、そのOBの実践に共感したため、大学院に学びたいと希望したとおっしゃっていました。その中で、一つ気になることをおっしゃっていました。それは、OBがやったように学び合わせようと思って実践し始めたが、うまくいかないとおっしゃっていました。日曜日になって、そのことがすごく気になり始めました。OBの実践を間近で見ているのですから、学び合った状態の子どもたちの姿がいかに素晴らしいかは、よくご存じです。でも、「学び合わせることは難しい」と誤解されるのではないかと思いました。気になって、気になってしょうがないので、「とにかく遊びに来ては?」とメールしました。その結果月曜日に急遽お会いすることが出来ました。

 その先生とお会いし、その先生が色々と状況を説明されました。しかし、今ひとつ分かりません。そこで、二つの質問をしました。その先生が、子どもたちが一人一人でやっている姿を語るので、「でも、分からない子どもはいるでしょ。その子はどうやっているんですか?」と聞きました。それに対して、「私のとこに聞きに来るので、つぎつぎに教えています」とお答えになりました。それに対して、「それじゃあ学び合いは出来ませんよ」と説明しました。教師は、親切に丁寧に教えることは良いことだと固く信じています。学び合いをやっていても、それでも教えられるなら教える方がいいと考えがちです。しかし、教師が教えると、その子どもが他の子どもに教えて貰う機会を奪うことになります。また、他の子どもがその子どもを教える機会を奪うことになります。さらに、その様子を見ている、クラスみんなに「教師に教えて貰えばいい」という文化を伝播させ、クラス全員から学び合う機会を奪うことになります。つまり、「教えることは悪いことでは?」という恐れを持つべきでしょう。それではどうすればいいかといえば、「クラスでそれ分かる子いるよね?」とニコッと笑って、教えないことをすればいいのです。教師にとってはかなりの決意が必要ですが・・。

 また、その先生が一つの教科に限って学び合いを導入しているとおっしゃているので、「なぜ、その教科だけ学び合いを入れているのですか?」と聞きますと、色々とご説明頂くのですが、いまいち分かりません。感覚としては、「まずは、その教科から」という理由のようです。それに対して、以下のように説明しました。「学び合い」をテクニック的に捉えるならば、ある授業では使えて、別な授業では使えない、ということになります。しかし、「学び合い」の基本は、「子どもは有能だ!」という子ども観、「教師は教えるのではなく、学び合うための目標と評価を与え、環境を整備するべきだ」という授業観、「学校教育は人と人とのコミュニケーションの場である」という目標観です。そのような子ども観、授業観、目標観が、ある授業に使えて、別な授業で使えないということはありません。ちなみに、私が今のところ考える「学び合い」が不可能の条件は一つです。それは、学び合いの文化が成り立っていない学習者に対して、授業回数が少ない場合です。「学び合い」は考え方です。文化です。その事が形成されるまでには時間がかかります。それ故、1回だけの講演会、また5~6回程度の大学の授業の場合、徹底的に面白い教材と話術を駆使した話をします。自分で言うのも何ですが、かなり好評です。ただし、「学び合い」を知ってしまった私としては、そのような授業は「中の下」だな~と感じます。(付け加えるならば、子どもが少なすぎる、例えば一人の場合も不可能です)

 最後に、その先生に話したことは「目標」です。子どもがノリノリになる目標を与えることが、教師の仕事の最大の仕事だと思います。それさえあれば、子どもたちは自主的に動きます(あたりまえですが)。その場合に重要なのは、理念的な目標ではなく、具体的に評価可能な目標であらねばなりません。それでいて普遍的な目標であらねばなりません。我々の研究室での目標は、「自分の心、そして現場先生の心に響く研究をしよう!」です。教育研究においてこれほど普遍的な目標はないのではないでしょうか?さらに評価方法もハッキリしています。院生さん・学生さんに私が言うことは、「それってあなた自身の心に響くの?」、「それを仲のいい同僚に話したいと思う?」です。その一言で、その院生さん・学生さんは自分自身で確実に評価出来ます。

追伸 その先生は、自分自身の現状を嘆くより、自分自身を高めることにワクワクされていました。私のきつい物言いも、楽しみチャレンジとして捉えられていました。とても気持ちよくお話しすることが出来ました。

[]今度の旅行で学んだこと 10:33 今度の旅行で学んだこと - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 今度の旅行で学んだこと - 西川純のメモ 今度の旅行で学んだこと - 西川純のメモ のブックマークコメント

夏の長期出張から帰ってしばらくたって、某大学大学院生さん(理科教育関係)から以下のメールをいただきました。

 『はじめまして。○○大学○○研究室の○○と申します。本日、○○学会の資料が、忘れ物として○○ホテルより届けられたのですが、中身を改めましたところ、私のものではなく、西川先生のお持ちものかと思われました。もしも必要のないものでしたら、こちらで処分させていただきますし、そうでなければ、大学宛にお送りしますのでご一報いただければ幸いです。』

 きょとんとしてしまいました。考えらられることが一つだけあります。私は資料を、出来るだけ、その場で捨てるようにしております。札幌で開催された学会における大会要項等の資料もその地で捨てるようにしています。なぜなら、私のボスのT先生は、その種の資料を大事に保存される方なので、必要になれば、その先生に借りればいいからです。また、長期出張中の大学に来る手紙札幌ホテルにまとめておくってもらえるよう事務の方にお願いしました。大多数は不必要な資料なので、それも捨てます。しかし、分量が多かったのでゴミ箱に入りません。そこで、大きな袋に入れ、ゴミ箱の脇に置きました。さらに、ゴミであることが分かるよう、その袋の上には近くのコンビニエンスで買った食べ物の残りかすを載せておきました。おそらく、そのゴミが何故か某大学大学院生さんの手元に送られたことになります。

 実物を見なければ確認できないので、「送料はこちらで負担するので」ということで送ってもらうことにしました。しかし、しばらくして怒りがメラメラと沸いてきました。だって、自室のゴミを同業者に送るバカがどこにいるんでしょう!早速、ホテルに「もしあなたがどこかに泊まって、あなたのゴミ、それも社内資料を含むゴミを同業他社に送られたらどうおもいます?」と厳しく申し、原因を明らかにするよう求めました。その結果原因が分かりました。

 まず、私のゴミは、ゴミと認定されず、忘れ物としてホテルで保管されたそうです。なぜ、ゴミ箱の脇に置き、かつ、食べかすをいれた袋をゴミを忘れ物と認定しなかったかを聞きますと、以前に「ゴミ箱に入れていないものを何でゴミとして処理したんだ!」というクレームを受けたそうです。そのため、明らかにゴミと思われるものであっても、ゴミ箱に入っていないものは、一定期間は忘れ物として保管されるそうです。そして、一定期間問い合わせがなかったらゴミとして処理されます。私のゴミは、その一定期間以前だったんです。

 某大学大学院生さんは、私と同じ学会に参加され、同じホテルに泊まっていました。その方が、自宅に帰ってから忘れ物があったことに気づきホテルに問い合わせたそうです。ところが、忘れ物として認定される物は、その時点では私のゴミしかなかったそうです。そこで、ホテル側が私の部屋番号を言って確認を取ったんですが、その院生さんはあせっていたので「私の友達の部屋です」と言ったそうです。そうなると、ホテルとしてそれを疑うわけにはいかなかったので、私のゴミをその院生さんに送ったそうです。

 ホテルも、その院生さんも、ちょっとづつエラーを行っています。しかし、決定的な悪意はなく、基本的に善意によるものです。そこで、私は諦めることにしました。金のないであろう院生さんのために、郵送費にちょっと色を付けた額のお金を送ることにしました。しかし、冷静に考えれば、私が何でそんな出費をしなければならないのか分かりません。強いて言えば、「ゴミ」と大書しなかったことかもしれません。それにしても少なくない出費です。一つ学びました。

03/08/25(月)

[]モーツアルトパトロンは? 10:35 モーツアルトのパトロンは? - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - モーツアルトのパトロンは? - 西川純のメモ モーツアルトのパトロンは? - 西川純のメモ のブックマークコメント

 皆さんの中でモーツアルトパトロンが誰だかご存じなかたいらっしゃいます?ザルツブルグのコロレド大司教、スヴィーテン男爵などがいますが、知っている人って少ないですよね。でも、モーツアルトはそのパトロンの前ではペコペコしていたし、パトロンにとってはモーツアルトなんて下僕の一人に過ぎなかったと思います。しかし、100年を超えるとパトロンは忘れられ、モーツアルトは残ります。今の地位関係うつろいやすく、残るのは実際にやったことです。もちろん、パトロンは俺がいたからモーツアルトがあったとでも言いたいでしょう。でも、そうであるならば、そのパトロンのもとにモーツアルトレベルの人が何人もいたはずです。例えば、ボーアの研究室から、その後にノーベル賞をとる研究者が輩出されました。それゆえボーアは研究者としてのみならず、研究室主催者としても有名です。もし、モーツアルトパトロンがそうでないならば、パトロンの役割は、単に、その位置にいたに過ぎないと言えるでしょう。

 上役で悩む人は少なくありません。でも、つまらん上役は退職すれば単なる「おっさん」、「おばはん」に過ぎません。数年前のある日、一昨年まで某大学学長をしていた人を新幹線で見かけました。薄汚れた服装のその人は、権力オーラを失い、ひからびた惨めなジジーとしか見ることは出来ませんでした。他山の石として、強く記憶に残りました。

 ニールス・ボーア(1885~1962)デンマークコペンハーゲン生まれの科学者で、「ボーアの量子条件」を若干27歳で発表し、1922年ノーベル物理学賞受賞しました。コペンハーゲン理論物理学研究所を設立。自ら所長を務め、世界中から集まった若い物理学者たちの指導にも力を注きました。ボーアの弟子たちは師匠の初期の理論を乗り越える研究を次々に行いますが、彼はそうした人を特にかわいがる人でした。彼の弟子たちはコペンハーゲン学派と呼ばれ、その中にはハイゼンベルク1932年ノーベル賞授業)、ディラック1933年ノーベル賞受賞)など、そうそうたる人が含まれます。一般的には知られていませんが、ボーアはサッカーが得意で、若い頃にデンマーク代表としてオリンピック銀メダルを得ています。天から二物も、三物も与えられる人っているんですね。

03/08/22(金)

[]目標と方法 10:37 目標と方法 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 目標と方法 - 西川純のメモ 目標と方法 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 我々は、「目標を語ること」と「方法を語ること」を分けることが重要であると考えております。今までにも、教師の語っていることが目標なのか、方法なのかに関して色々な判定法を提案してきました。最近、ふと考えてみたら、とってもよい判定法があることに気づきました。それは、「その事が成立したとき本当に満足出来るか?」ということです。満足出来るなら「目標を語っている」、満足出来ないなら「方法を語っている」ことになります。例えば、以前のメモ(今年7月13日)で『例えば、ある学校では、給食の時間、静かに食べることを学級(むしろ学校)のルールにしているそうです。でも、小学生がしーんとして食べている給食の時間って、不気味だと思いません?何故、そんなことをしているかといえば、給食の時間内に食べ終わらない子どもが続出したためだそうです。そのため、教師が「しゃべるな」というルールを設定したとのことでした。』ということを紹介しました。この場合、「しーんとして、しかし、時間内に食べ終わらない」としても、その教師が満足しているならば、それはその教師にとって「目標を語っている」ことになります。しかし、「しーんとして、しかし、時間内に食べ終わらない」ことに満足出来ず、「楽しく会話しつつも、時間内に食べ終わる」ことに満足出来るならば、「しゃべるな」は方法を語っていることになります。つまり、「結局、何を求めているの?」という問いかけが本質的なもののように感じます。もちろん、その求めていることが、子どもが求めるものとしなければならないことは言うまでもありません。

[]出来る子にとって 10:37 出来る子にとって - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 出来る子にとって - 西川純のメモ 出来る子にとって - 西川純のメモ のブックマークコメント

 うちの研究室研究に興味を持って、遠方から私のとこに話にこられる奇特な先生は少なくありません。この夏休み中も色々な県の先生方が遊びに来られました。そのお一方とお話ししたときのことです。その先生が、「たしかに学び合いは、成績中位、下位の子どもにとって概念獲得にとって有効だということは分かります。しかし、成績上位の子どもにとって有効なんでしょうか?」と質問されました。それに対して、以下のように答えました。

 「成績上位の子どもにとっても有効であるという結果を得ています。また、100歩ゆずっても、成績が悪くなることはありません。しかし、そのことは本質的なことではありません。一つ聞きますが、もし、今まで通りの授業をやっているとき、成績の上位の子が、「先生、一人で自習させてくれない、その方が勉強になるから?」と質問されたら、どう答えます?

 その先生は、うんうんうなって考えました。勉強の仕方の分かっている子ならば、下手に一斉学習を強いるより、優良なテキストと問題集を与え、一人でどんどんやらせた方が成績が上がることは確かです。結局、その先生がおっしゃたのは、「成績を上がることだけが大事じゃないんだよ」と語るということでした。そこで、私は「そうでしょ。成績のことで説得できないでしょ。結局、学校教育は何のためにあるのかを、語らなければならないんですよ。」と申しました。つまり、「成績が上がる」程度の目標観では、成績上位の子どもから見放されるでしょう。もちろん、成績上位の子にターゲットを絞った「成績が上がる」授業は出来るでしょう。でも、そうなると、クラスの大半を捨てることになります。さらに、そんな授業だったら、塾や予備校先生の方が、遙かにプロです。

03/08/17(日)

[]安上がり 10:39 安上がり - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 安上がり - 西川純のメモ 安上がり - 西川純のメモ のブックマークコメント

 息子はゲームセンターにいくと、乗り物に乗りたがり、「おかねほしい~」を連発します。ゲームセンターの乗り物は、強盗みたいな機械です。だって、1、2分程度動くだけで200円も必要なんですから。しかし、親ばかですので、可愛い声で言われると、つい入れてしまいます。(先輩パパのYさんから、「先生、ほしがるたびに与えるのではなく、最初にある程度あたえると、自分で考えて使うようになりますよ」とご指導を頂きました。)

 この前、時刻表を調べて、5時36分に直江津行きの電車高田駅から乗って、直江津駅で高田方面の電車に乗り換えれば、6時1分に高田駅に到着できることが判明しました。そこで、帰宅後直ぐに息子を自転車に乗せ、全速力で高田駅に行き、該当の電車に乗りました。息子は大喜びです。行き帰りで20分以上も電車に乗れますが、必要な金額は190円×2ですみます。安上がりです。しかし、それ以上の安上がりな楽しみ方があります。

 家内実家のある仙台帰省すると、仙台駅新幹線ホームに行きます。新幹線ホームの入場券っていくらだかご存じでしたか?私はかってに500円ぐらいかと思っていましたが、普通の入場券と同じ140円なんです。ホームに入れば、次々に新幹線が到着します。それを見て、息子は狂喜乱舞します。また、仙台駅始発で待合い時間の長い列車の中を探検すると、さらに喜びます。さらに、その様子をヴィデオで記録すると、帰宅後もそのヴィデオを見て喜びます。レンタルヴィデオ屋で借りて見せるヴィデオの数十倍は長持ちして興味を持ちます。だって、出演者が自分自身なんですから。そして、そのヴィデオは私たち夫婦の老後の宝物になるんですから。な~んて、安上がりなんだろう!

追伸 上越にムサシというホームセンターがあります。その中には、ペット館というペットだけの一棟があります。うちの家では、ムサシ動物園と呼んでいます。息子を連れて行くと水槽の魚や、ウサギ、犬、猫、カブトムシ等々を見て喜びます。言うまでもありませんが、入場料はいりません。

03/08/15(金)

[]受験5箇条 10:41 受験5箇条 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 受験5箇条 - 西川純のメモ 受験5箇条 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 もうすぐ大学院入試があります。私の所にも、何人か問い合わせがありました。現職教員の方の場合、十数年ぶりの試験です。合格するとは思っていても、「もし落ちたらどうしよう・・・」と不安になっている方もおられます。そのような方に、受験5箇条をお教えしています。その五箇条とは以下のようなものです。

1.解答用紙に受験番号と名前を書いてください。

2.解答用紙の白紙は避け、何か書いてください。

3.ただし、解答用紙の「へのへのもへじ」は書かないでください。

4.面接において、進学の理由を聞かれた際、「武力革命によって日本政府を打倒する」とは言わないでください。

5.面接官が多少、失礼な物言いをしても、殴らないでください。

 現職院生の方が学習臨床コースを受験する場合、以上を守れれば合格すると私は思います。

 現職で受験を許された方の場合、都道府県段階で厳格な審査を受けております。我々が求めている臨床研究は、現場に密着した研究です。従って、我々が求めている院生像は、現場で求められているものと大きな違いがありません。従って、都道府県での判断と、我々の判断に矛盾が生じることはまずないと思われます。以上の5箇条を知って受験すれば、解答用紙や面接で、本来の自分自身を出せるのではないでしょうか?

追伸 大学卒の受験生の場合、都道府県段階の審査を受けているわけではありません。しかし、学卒の段階で臨床研究重要性を気づいていることは評価出来ます。我々は「落とそう、落とそう」という気持ちは、爪のあかほどもありません。「受験生のよいところを見出し、入学して貰おう」という気持ちです。受験問題も、面接における問答も、その気持ちがベースになっています。リラックスして、普段の自分を出して下さいね。

[]調教 10:41 調教 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 調教 - 西川純のメモ 調教 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 昨日は雨です。大学から自宅に帰ってから、息子と市の子どもセンターに行こうと考えました。しかし、最近手足口病新潟県流行していることを思い出し、人混みは避けようと思いました。しかし、屋内で、かつ人混みが少ない、オープンな場所って殆どありません。色々悩んだ結果大学に行くことにしました。盆休みで、かつ、夕方の6時過ぎなので人もおらず、薄暗い大学の中を探検しました。息子は「たんけんしようね」といって喜んでいます。また、大好きなエレベーターに乗れて、いたくご満悦です。そのとき、面白いことに気づきました。

 息子は元気いっぱいで走り回ります。外に出ると、とにかく走り出します。交通事故迷子のことが心配なので、走り出す息子を捕まえ、外に出たら父・母の手を握って歩くよう、強く躾ている最中です。その息子が、自分から私の手を強く握って、大学内を歩いているんです。そこで、ふと思い出しました。綱を引っ張り、飼い主を引き回す犬をしつける場合、見知らぬ場所に連れて行くそうです。見知らぬ場所では不安なので、自然と犬は飼い主の脇にぴたりとよりそいます。薄暗い大学内は息子にとって見知らぬ場所です。だから、自主的に手を握ったんだと思います。

03/08/14(木)

[]定番復活 10:42 定番復活 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 定番復活 - 西川純のメモ 定番復活 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 上越に戻って、息子に最初に求められたことは、息子を自転車に乗せて地区内をゆっくり回ると言うことです。コースは決まっていてます。息子の言葉をそのまま書きますと、「しょうぼうしゃみたい。つぎ。ふんすいみてね。でんしゃみてね。さいご~。なるすいきた~い。」というものです。つまり、まず近くの消防署に行き消防車を見ます。次に、高田公園に行き、その噴水を見ます。次に、高田駅に行き、近くの踏切から電車を見ます。最後の締めは、家近くのナルスというローカルスーパに行って、試食品を食べながらぐるりと店内を歩きます。最後に自転車に乗って官舎の前まで行って、自転車ベルを鳴らします。そうすると、台所の窓から家内が顔を出し、手を振ります。それに応えて、ニコニコしながら手を振ります。そして、自転車から降りて、官舎の階段を登ります。この一連が1時間から1時間半かかります。全くお金がかかりませんが、今のところ、息子にとってはデズニーランドで遊ぶより充実して楽しいようです。

追伸 本日上越は雨ですので、上越市子どもセンターにでも行こうと思います。

03/08/13(水)

[]上越復帰 10:43 上越復帰 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 上越復帰 - 西川純のメモ 上越復帰 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 やっと上越に帰ってきました。電子メールに関しては、出張先でもチェック出来ますが、物理的な手紙出張先では処理出来ません。本日は、それを処理することで1日が潰れてしまいました。しかし、上越に帰り、自分の研究室で、自分のディスクトップパソコン仕事をすると、やはり仕事が進みます。事務処理の大型の仕事があと二つありますが、盆休み中に処理出来ると思います。

03/08/11(月)

[]夏休み後半戦 10:44 夏休み後半戦 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 夏休み後半戦 - 西川純のメモ 夏休み後半戦 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 夏休みも後半戦に入りました。今の予定では、長の出張から帰り、13日から大学に登場予定です。それからの半月間の予定は、人と会うことです。奇特にも、私と数時間話すために1日以上の時間と、数万の金額をかけて遠方より来られる方が4人いらっしゃいます。こられる日は、その時間と金額に見合ったことが出来るかどうか分かりませんが、しっかりとお話ししなければ、と思っています。今月前半は出張で滞った内外の仕事をこなさなければなりません。そして、下旬には大学院入試があります。ということで、夏休みは「無い」という状態だと思います。しかし、それでも、絶対に、かつ、最大の努力を注がねばと思っていることは、院生さん・学生さんの研究指導です。

 修士2年の院生さんの場合は、学会発表を終えました。広がったテーマを絞り、研究のまとめに入らねばなりません。修士1年の院生さんの場合は、休み明けから現場実践研究の第一弾です。そのために、研究の方法論を確定しなければなりません。学部の4年生は教員採用試験も終わり、卒業研究のまとめに入らねばなりません。3年生は、研究の方向性を確定しなければなりません。ということで、西川研究室の皆さんとお会いすることを、首を長~くしてまっているわん。13日以降は大学に来ています。私を感激で泣かせてね!

追伸 ある院生さんは「先生、他の研究室では修士1年は自由にやって、本格的な研究修士2年からですよ」とおっしゃったことがあります。私は、「楽したいなら、そのような研究室に移りな。僕は快く送り出してあげるよ。」と間髪入れずに応えました。常に明言しているように、西川研究室上越教育大学(いや、大宇宙)で最も厳しい研究室なんですから。

03/08/10(日)

[]就職 10:45 就職 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 就職 - 西川純のメモ 就職 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 夏休みの今の時期は、教職の一次試験結果が来る時期です。悲喜こもごものメールを各所より頂きます。バーナード・ショーというイギリス劇作家言葉に、「就職できれば人生の悩みは半分解決する」という言葉があります。実感としても正しいように思います。なにはさておき、食べることと、寝ることの確保は基本です。就職すれば、それが確保できます。また、就職すれば、その職業における人生設計が定まります。例えば、○○歳までに○○を行い、○○歳には○○になり・・という目標が定まります。就職すると言うことは、選択の幅が狭まることですが、それは、悩まなくなるということを意味しています。

 就職すれば人生の悩みの半分が解決するならば、残りの半分は何かといえば、その半分(即ち人生の悩みの四分の1)は結婚だと思います。残りの四分の一の半分(即ち人生の悩みの八分の一)は子どもを授かることだとおもいます。即ち、何はともあれ一生をかける職業と伴侶を得て、子どもを授かったならば、人生の悩みは八分の七は解決するように思います。私は子どもが授かったとき、「これで私の望みの大半はかなわれた、あとは、授かった妻と子どもと仲良く・健康にくらせるならば、後の望みはどうでもいい」と思いました。

 さてさて、人生において就職子どもより、結婚より基本となり、それがなければ結婚子どもも危ういものです。どう考えても、もっとも大事なことだと思います。その意味で、学生さんが悩むのは当然であり、悩むべきものだと思います。ただし、重要なのは一生をかける職業に就くことが大事で、それが早いか遅いかは重要ではないように思います。22歳で卒業する学生さんにとって1年、2年は長い期間です。でもでも、六十歳あたりで退職することには、1年、2年の早い遅いは意味がありません。ちなみに、私の場合も、教員採用試験の願書を出し忘れたという、ポカのため1年間就職が遅れました。でも、その1年間に論文を書きまくった結果、その後に大学で職を得ることが出来ました。人生万事が塞翁が馬です。合格された方は、その合格を最大限に生かせばいい。不合格になった方は、その不合格を最大限に生かせばいい。出た結果を悩むより、出た結果を冷静に判断し、それを出発点に展開を考えればよいと思います。

 本学の学生さんでも、案外、知られていないことですが、大学院を行くというのも一つの手です。仮に、臨時採用で2年間すごし、その後に就職した場合、初年度は新卒給料で出発します。ところが、大学院で2年間勉強し、その後に就職した場合、初年度は3年目の給料で出発します。つまり、自分と一緒に大学卒業した同級生と同等の号俸の給料が出ます。つまり、臨時採用ですごした人と2号俸の差が出ます。この号俸の差は、その後にずーっとついてまわります。例えば、2号俸の差が2万円だとしましょう。そうなると年収では30万円の差になります。60歳の定年までの勤続年数が35年間とすれば、1000万円の差となります。ものすごい差です。

 また、受験勉強の時間にせよ、大学院の方が有利です。だって、現在の臨時採用では、臨時採用の人に○○主任を任せるというような、馬鹿げたことをやっています。真面目な人であれば、とても勉強なんて出来るわけありません。その点、大学院の方は、研究は忙しいですが、時間は自分で管理できます。自分の遊ぶ時間を勉強に回そうと思えば可能です。また、実践的な知識にしたって、我々の研究室にいれば、いやでも現職の院生さんから、質の高い知識が得られます。ただ一点気になるのは、臨時採用の経験を採用において考慮する場合があるという点です。でも、このことにかんしては、私は懐疑的です。というのは、官僚的な組織における競争試験において、客観的に点数化しにくいものは、競争試験の点数になりにくいということが分かっているからです。臨時採用期間の実績を点数にするとして何点にするなんて決めがたいものです。ペーパーテストで20点の差があった場合、それを逆転するには、自分の首をかけて推薦する人が必要です。まあ、そんな人は少ないですし、同時に、首をかけて推薦しても、「浪花節だ」と無視されるのが官僚的な組織での結論です。ただし、それぞれの組織官僚的か、否かは私は分かりません。最大限の情報を収集し、悩み、決断する、それが必要です。頑張ってくださいね。

03/08/08(金)

[]純 10:46 純 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 純 - 西川純のメモ 純 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 私の名前は「純」の一字名です。子どもの頃は、一字名が嫌いでした。その理由は、同級生の全てが二字名だからです。両親に何故、一字名を名付けたかを聞いたところ、「面倒だったから」と答えました。その冗談を真に受けた私は、「なんて薄情な親なんだろう」と憤慨もし、一字名を嫌いました。しかし、後に「純」は、父の知人で優秀だった人の名前であることを知り、安心しました。中学高校になる頃には、一字名が珍しいことから、逆に好きになり始めました。そこで、息子が生まれたら一字名にしようと思いました。息子が生まれ、多くの親と同様に数多くの姓名判断の本を買いました。その本で「純」という名を調べると、あまりよくない名前の一例に挙げられています。憤慨して、その理由を調べると「純」という名前は男にも女にもつけられる名前であり、そのため誤解を受ける可能性があるためです。なるほどと思う一方、それでも「純」という名前は今でも好きです。

 日本苗字は多様です。第一生命の調べによると、1位の佐藤さんは日本人の1.6%、2位の鈴木さんは1.3%、3位の高橋さんは1.1%、そして西川さんは128位で0.12%だそうです。日本人口を1億2千万人とすると佐藤さんは190万人、鈴木さんは160万人、高橋さんは130万人、西川さんは14万人いることになります。膨大な数ですが、名前の数だって膨大です。例えば私の「純」も「淳」、「潤」があります。さらに「純一」、「淳二」なども含めれば膨大なバリエーションがあります。したがって、姓名によってかなり絞れます。おそらく、西川純という人は100人はいないはずです。私は教育研究業界で生きていますが、教育研究業界というのも狭い世界です。従って、教育研究業界西川純といえば、私一人となるはずです。

 昨日の学会で、見知った先生が「先生、○○大学に異動されたんですか?」と心配そうに聞かれました。私は「え!?」と聞くと、その先生学会発表要項を出して、そこの発表者に「西川純(○○大学)」という部分を示されました。ビックリしました。自分の業界同姓同名漢字も全く同じ)の人がいるとは思いもよりませんでした。それ以降、何人かの人に同様の質問を受けましたが、「同姓同名です」と説明をしました。とても親密感を感じたため、是非、握手をしたいと思い、会場をうろうろしながら○○大学の人たちを捜しました。そのために3時間ぐらいつぶしました。しかし、その西川純さんは今回の学会にはこれず、別の人が発表していることが判明しました。さらに、その西川純さんが○○大学大学院生で、「女性」であることが判明しました。会うことが出来ず残念至極です。

 学会発表要項の巻末に人名索引があります。そこに私は「西川純」と記載されています。一方、○○大学西川純さんは「西川純(○○大学)」と記載されています。「うむ、この業界西川純は俺だよな~」とにやりとしました。でも、5年後には「西川純(上越教育大学)」と私が書かれ、もうひとりの西川純さんが「西川純」と記載されるようになるかもしれません。頑張らねば!

03/08/07(木)

[]学会発表 10:51 学会発表 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 学会発表 - 西川純のメモ 学会発表 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 昨日から学会参加のため札幌に来ています。札幌新婚旅行で10年前に来た以来です。学会に参加する第一の意味は、人と会うことです。ただし、最近は我が儘になったので、いわゆる懇親会には参加しません。昨日も私の尊敬する先生と待ち合わせ、ゆっくり飲みながら話すことが出来ました。第二の意味(むしろ、第一かもしれません)は、院生さんに場を提供することです。

 何度もメモりましたように、そして本でも書いたように、教師はあまり教えすぎることは望ましいことではありません。これは大学院でも同じです。でも、教師は何もしないわけではありません。目標を与え、評価し、やりやすい場を整える仕事があります。我々の研究室では、年間何度も学会発表をします。その理由は、学会発表を機会に、広がりすぎたテーマをまとめることの、踏ん切りをつけるためです。もし、院生さんが5つの面白いことを発見すると、そのいずれもが院生さんにとって捨てがたいものです。でも、限られた時間内ではまとめ切れません。実際は、子どもを徹底的に見れば、打ち出の小槌のように、あとから、あとから面白いことが出てきます。5つのことも千、万、億(あるいはそれ以上)の中の5つに過ぎません。中途半端に5つをまとめるより、しっかりと1つを深めることが大事です。学会発表では15~20分で自分のやったことを語らねばなりません。したがって、話せることは1つ(最大でも2つ)程度です。そのため、学会発表原稿を作る過程で選択が起こります。

 面白いのは、悩みに悩んで選んだ1つを深めていくと、それから多くのことが分かることに気づきます。しかし、そのころに別の学会発表があるため、先と同じように選択を求められます。この繰り返しの中で、徐々に、研究が深まります。このことは、教師がいちいち指示を出さなくても、院生さんは自主的に行います。教師(すなわち私)がやるべきことは、第一に、学会発表をしなければならないという場を設定します。第二に、学会発表によって我々が正しいと信じていることを、一人でも多くの人に共感してほしい、という目標を設定します。最後に評価(具体的には、じっと見守ります)を行います。たったこれだけですが、全ての院生さんは、学会前後で一皮も二皮もむけます。

03/08/05(火)

[]恐縮しました 10:52 恐縮しました - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 恐縮しました - 西川純のメモ 恐縮しました - 西川純のメモ のブックマークコメント

 昨日の山形県教育センター天童市)での講演では、2時間、気持ちよく話すことが出来ました。以前から、昼飯を用意していただけると言われていたので、終わってから控え室で待っていました。おそらく、近くの弁当屋の弁当が用意され、講演を依頼した先生といっしょに食べるものと予想していました。ところが、「先生タクシーの用意が出来ています」と言われたので、「え!?弁当、用意していないのかな~?連絡がついていないのかな~?まあいいや。とにかく、タクシーで駅までおくってくれれば・・」と思っていました。ところが、何故か、その直前に名刺交換したばかりのセンター長がお出ましになったので、「いや、まいったな~。センター長自らが見送っていただけるのかな~」と思っていました。ところが、センター長が「先生どうぞ」とおっしゃって、私をタクシーの奥に座らせると、なんとセンター長が私の横に座って、二人だけを乗せてタクシーが出発します。私は「え!?」と思い、何がなんだか分かりません。気がつくと、寿司屋に到着し、二階の個室に案内され、そこに二人分の昼飯が用意されていました。ここにいたって、「昼飯用意しておきます」という言葉意味は、センター長と一緒に別席を設けていただけるという破格のご配慮をいただいたことに気づきました。実に恐縮しました。食べ終わるとタクシーで駅まで送っていただいたので、「ありがとうございました」と言おうと思っていると、センター長がタクシーをおりて、駅までいこうとされます。私は「いや、ここまでのお見送りで結構です」と申しましたが、センター長は「いやいや」とおっしゃって、どんどん先に歩かれます。気づくと、入場券を買われていました。これには、またまた恐縮しました。結局、ホームで電車が出発するまで、ずーっとセンター長とおしゃべりをしていました。このセンター長の先生は、語り口がゆっくりと、かつ、一言一言しっかりした方ですので、「真面目な方なんだろうな~」と思っていました。しかし、おしゃべりをしているうちに、駅のホームあたりまでに、実はさばけた方であることが判明、楽しくお話しできました。そのセンター長のお見送りの中で、天童の町を午後1時に出発しました。恐縮しました。それから、山形新幹線東京に行き、東海道新幹線米原、そこで乗り換えて福井に到着したのは午後8時をまわった頃です。到着すると、お二人の教育センター先生がお出迎えで、飲み屋に行きました。行くと、管理職の方とお一人の先生が出口でお待ちになっておりました。恐縮しました。

 昨日は恐縮することが多く、長旅の一日でした。

[]男子4日合わざれば 10:52 男子4日合わざれば - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 男子4日合わざれば - 西川純のメモ 男子4日合わざれば - 西川純のメモ のブックマークコメント

 家内と息子と離れて4日目です。昨日はホテルに帰ったのが遅かったので、家内電話で話していません。その家内からメールが来ていました。現在家内と息子は家内実家にいます。メールに拠れば、おばあちゃんにアイスクリームをねだったりしているようです。また、ゲームセンターの車に乗るために、おじいちゃんに「おかねほしいなあ」と100円をねだっているそうです。どんどん、言葉を使っているそうです。夕方になると、毎日、「おとうさん、かえってくる?」と聞いているそうです。それを聞くと「ほろり」とします。また、家内の私を気遣う文面を読むと、里心倍増です。今日の夜には一度会えます。しかし、明日の午前には札幌出張しなければなりません。う~む。

03/08/04(月)

[]美味しい酒は本当に体に悪い 10:54 美味しい酒は本当に体に悪い - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 美味しい酒は本当に体に悪い - 西川純のメモ 美味しい酒は本当に体に悪い - 西川純のメモ のブックマークコメント

現在、県センターで講演するため、山形に来ています。昨晩は、よんでいただいた先生達とお酒を飲みました。「明日の講演があるから・・」と堅く心に誓ったのに、今は二日酔いです。驚いたのは酒です。山形の酒は「こく」が強いと、はなから思っていたのですが、違っていました。新潟の酒と同じで、さらりとした酒ばかりを次々に紹介していただきました。話してみてわかったのは、新潟の酒が好きな方です。従って、私の嗜好と一致してしまいました。また、肴がうまかった。センターのある天童市は内陸にもかかわらず、魚がうまかった。そして、真面目な先生と飲むと、私も熱くなってしまいます。最後に、その店の2合とっくりは大ぶりです。それが、あとから、あとから来て、そして、いつのまにか無くなっています。おそらく、一人あたり一升は飲んでいないとは思いますが、どう考えても5合は軽く越えています。本当に、おいしく、楽しく飲めました。

 今日は、昼に講演を終えて、そのまま8時間以上かけて福井に行きます。そこでも、福井センター先生が、おいしい酒を用意しているのだと思います。でも、飲み過ぎには注意しなければ。本当に「おいしい酒は体に悪い」と思います。

03/08/03(日)

[]改めて認知心理学を思う 10:55 改めて認知心理学を思う - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 改めて認知心理学を思う - 西川純のメモ 改めて認知心理学を思う - 西川純のメモ のブックマークコメント

おそらく私は、認知心理学を教科学習に利用する論文日本で最も多く書いた一人です。しかし、認知心理学に関する研究は、現在研究の中心ではありません。特に、それまでやった認知心理学に関連した研究博士論文としてまとめたあとは、「卒業(もしくは一時休止)」という感が強いです。しかし、皮肉な巡り合わせです。私が必死に認知心理学に関連する研究をやっていた当時は、その重要性を認識する現場先生はごくごくまれでした。ところが、私が相互作用に着目するようになり、認知心理学に関連する研究から距離を持つようになったあたりから、その重要性が認識されるようになりました(といっても、一部の先進的な先生にとどまっているが)。そのような方が、上越教育大学大学院に入学することが多くなりました。それらの院生さんと希望する研究テーマを話すと、「学習者のわかり方」を明らかにしたいという院生さんが多いです。

 クラスの中には、どうやって教えても分かってくれない子どもがいます。分からない理由を、いくら聞いても要領の得ない反応ばかりです。自分の教え方が悪いのかと思えば、クラスの平均点は低くはありません。しかし、分かってくれない「その子を切る」ことが出来ず、悶々とする。そんな真面目な先生方が、「学習者の分かり方」即ち、「何故、分からないのか?」を明らかにしたいと希望します。この気持ちは、私もよく分かります。私もかつてはそうでした。でも、今は違います。何故か?

 前年の受験者の方(今は西川研究室修士1年)と入学する以前の面談で、その理由を話したとき、「先生、是非、そのことは書くべきです」と言われました。そのため、そのことは、その後に出した本(「静かにを言わない授業」の最初)に書きました。しかし、意外にもメモに書いていないことを最近気づきました。そこで、あわててアップします。

 私が教科教育研究に足を踏み入れたのは20年前です。その当時の教科教育研究は、歴史研究哲学研究という「教育学」の歴史を担った研究と、教材開発がほとんどを占めていました。結果として、教科を学ぶ学習者に着目する研究歴史が浅く、かつ、少数でした。その当時の、学習者に着目する研究は、典型的な問題を学習者に与え、その正答率を学年別、男女別に比較する調査が主でした。筆者の修士論文も、それに類する研究でした。その種の研究は、数量的に教育研究する端緒として、重要意味がありました。しかし、筆者には不満がありました。それは、間違う子どもが何パーセントであることは分かるが、何故間違うのかを直接明らかに出来ません。結果として、どのように教えたらいいのかを示すことは出来ない点が不満でした。

 やがて認知心理学出会い、それに関連する諸学を利用する研究を始めました。最初の5年間は驚きに満ちていました。なにしろ、分からない理由を、説得力のあるモデルで明らかにすることが出来るんです。さらに、具体的な教え方を示唆することが出来るんです。最初に述べた院生さんが希望する研究は、この時代の研究に対応します。

 しかし、やがて不満を持つようになりました 。研究を進めると、子どもたちの分からない理由は実に多様であることが分かりました。例えば、認知心理学の方法を利用しながら、分からない子どもの50%の子どもが分からない理由を明らかにし、それに対応した教え方を開発することは出来ます。しかし、その方法でも分からない子どもが50%残ってしまいます。さらに研究が進めば、残りの25%の子どもが分からない理由を明らかにし、それに対応した教え方を開発することは出来ます。従って、2つの教え方を併用すれば、75%の子どもを教えることが出来ます。しかし、25%の子どもが分からないままです。さらに、研究が進めば、残りの12.5%の子どもが分からない理由を明らかにし、それに対応した教え方を開発することは出来ます。従って、3つの教え方を併用すれば87.5%の子どもを教えることが出来ます。しかし、12.5%の子どもは分からないままである。さらに研究が進めば・・・・。

 即ち、キリがありません。また、現実問題として2つの教え方を、1人の教師が併用して教えることは難しいでしょう。3つは不可能です。クラスを分けてティームティーチングをする可能性もあります。しかし、子どもたちの「分かり方」を事前に調査することは手間がかかります。それを各単元の最初に行うことは現実問題として不可能です。さらにそれが出来たとしても2人以上のティームティーチングは現実問題として不可能で、そのため分からないままの子どもは残ることになります。

 さらに認知心理学研究を行って、「教師は教えられない」という、一見意外な結論を得ました。我々は熟達するに従って、課題を早く正確に出来るようになります。このことは一般常識に一致します。しかし、それを教えることは出来なくなる、ということを認知心理学は示しました 。例えば、筆者は、現在キーボードを見ずに打ち込んでいます。その時「a」左手小指の位置であることを意識することはないし、意識するとキー打ちがぎこちなくなります。また、大学入試の際、物理の問題を見たとたんに解法が浮かぶのにもかかわらず、何故その解法が思いついたかを人に説明出来ませんでした。強いて言えば「なんとなく」です。これは多くの方も経験されたことと思います。

 自分が得意なことを、全くの素人に質問されることは誰しも経験することでしょう。素人はとてつもなく当たり前のことに関して「何故」と質問します。まず、「何故そんな当たり前のこと聞くの?」とあっけにとられます。しかし、いざ説明しようとすると、意外に難しく、時には不可能である場合があります。それが続くとイライラし、「どーしても」と答えた経験は誰しもあるでしょう。何故説明出来ないのかと言えば、それは、我々が得意だからです。この結論を教室に置き換えるならば、教科の熟達者である教師は、全く分からない子どもの「気持ち」も「理解の仕方」も、分からないという結論に繋がります。

 そのような結果、「学び合い研究(そして、学習者相互作用に着目する研究)に移行しました 。子どもであれば、分からない子どもの「気持ち」も「理解の仕方」も理解出来ます。さらに、クラスにいる30~40人の子どもが教師となるならば、多様なわかり方(分からない原因)に対応出来ます。そのような理由から研究を始めました。しかし、今から考えれば、当時の考えは、勉強のできる子からそうでない子への情報伝達という枠組みであり、ミニティーチャーレベルでした。しかし、研究すればするほど、学習者の有能さに驚かされつづけています 。実際の学習者相互作用は、複雑であり、かつ強力です。そして、新たな視点に立つならば、その複雑な作用を、いとも簡単に教師は理解できます。分かってしまえば、バカバカしいほど当たり前で、それまで気づかなかったこと自体が不思議になるほどです。

 今は確信を持っています。認知心理学をはじめとする心理学の知見を用いた個々の学習者に関する研究より、学習者相互を利用した研究の方が、桁2つぐらい効果が大きいと思っています。もちろん、心理学研究が無力とは言いません。学習者相互の心理学研究は、今後も参照したいと思います。また、個々の学習者の認知に関する研究も、学習者集団に与える教材(おもにテキスト)を構成する意味で、重要な指針を与えるものと確信しています。しかし、いずれにせよ、学習者および学習者集団の持つ、生まれつき持っている自ら学ぶ力を利用して、はじめて、その研究の威力が発揮されるものだと思います。

03/08/02(土)

[]最近進歩 10:57 最近の進歩 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 最近の進歩 - 西川純のメモ 最近の進歩 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 出張の合間にちょっとだけ家族と会う時間を設けることが出来ました。直ぐに出張なので遠出もせず、ジャスコに買い物に行きました。そこで、子供用のゲームセンターがあり、そこの100円で動く車を息子が見つけ、いたく喜びました。100円を入れずに動かなくとも、中のハンドルを動かしたり、ギアーを動かすだけで大満足です。実に安上がりです。かなりたってから、家内が100円を入れようとしました。私は、「入れなくても、いいんじゃない」と言いましたが、息子をもっと喜ばしたい家内は100円を投入です。左右に揺れる車に息子は大興奮です。終わってから、別なところに行こうとしましたが、息子は「赤い車」を連呼して車を離れません。そこで、家内に「僕が見ているから、買い物いってきなよ」と勧めました。それから、息子と二人で赤い車(動かない状態)に乗り続けました。その間中(おそらく1時間弱)、息子は車のぱんぱん叩きながら、「赤い車」を連呼しまくります。まるで、なにかにとりつかれたようにです。息子が「赤い車」というと、私も「赤い車だね」と応えます。普通は、この種の会話は最大でも2、3回繰り返すと、別な話題になるのが普通です。ところが、息子は、とりつかれたように連呼します。何があったんだろうと不安になりました。そこでです。息子が「おとうさん。ひゃくえんいれてちょうだい。」と言ったんです。私は「え!?」と驚いて、「もう一度言って」とお願いすると、「おとうさん。ひゃくえんいれてちょうだい。」と言うではないですか!この種の会話を息子の前でしたことはありません。明らかに、日本語の文法を理解し、文を作り出しています。感激した私は、「よ~~し、入れてあげるよ」と言い、100円を投入しました。車が動き出して、息子は大興奮です。おそらく、息子は車を動かしてほしくて、「赤い車」と連呼したと思われます。しかし、何度言っても察しない私に業を煮やし、「おとうさん。ひゃくえんいれてちょうだい。」と言ったと思います。本格的に喋り初めて2ヶ月でこのレベルになりました。「○○たべたい」、「○○いきたい」という次元を越えたように思います。

 帰りの車の中で家内に自慢げに報告しました。そして、息子に、「ちゃんと話すと、お父さんや、お母さんもよくわかって、○○ちゃんのしたいようにしたあげるね」と言いました。その時、息子は「おとうさん、おかねちょうだい」と言うではないですか!家内と大爆笑しました。息子はお金意味を分かっているようです。そこで、「お金は大事なものだから、そんなに簡単にあげられないのよ」と家内が笑いながら教えました。そうすると、「おおきくなったら?」と聞きますので、家内は「そう○○ちゃんが大きくなったらね」と応えました。いつの間にか、オウム返しではなく、会話が成立するようになりました。

追伸 現在学会に参加のため富山に来ています。宿泊ホテルの中で、このメモを書いています。これから出張が続くというのに、書いているうちに、既にホームシックになりそうです。