西川純のメモ このページをアンテナに追加 RSSフィード

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03/07/28(月)

[]分かり合う 11:05 分かり合う - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 分かり合う - 西川純のメモ 分かり合う - 西川純のメモ のブックマークコメント

 最近、ある先生と議論して、その結果、私の部屋の机を叩き、「あなたとは分かり合えない。先生先生のやり方でやってください。私は私のやり方でやる。」とおっしゃって出ていきました。あっけにとられました。私も会議で議論をし、怒鳴り合うことはあります。しかし、最後通牒を出すというのは、大人げないな~と思いました。でも、そのことが印象深いのは「あなたとは分かり合えない」という言葉と、「先生先生のやり方でやってください。私は私のやり方でやる。」という二つの言葉が印象深かったためです。

 人が他の人と分かり合うって、出来るんでしょうか?私は無理だと思います。だって、小さい頃から育てた親でも、私を分かっているとは思いません。プライベートで一番時間を過ごしている家内とだって分かり合っているとは言えません。だから喧嘩もします。でも、その時、その時に話し合って折り合いを付けています。これは、全ての対人関係に当たるのではないでしょうか。つまり、「あなたとは分かり合えない」という言葉は、当たり前のことを言っているに過ぎません。その言葉の正確な意味は、「あなたと折り合いを付けるための議論はしない」ということです。つまり、「あなたとは分かり合えない。だから、先生先生のやり方でやってください。私は私のやり方でやる。」という意味ではなく、「先生先生のやり方でやってください。私は私のやり方でやる。だから、あなたと折り合いを付けるための議論はしない」という意味です。しかし、この議論もあまり賢明な考え方ではありません。本当は、別々な方法でやるならば折り合いがつくので、同じ方法でやるなら折り合いがつかないのが実態です。

 私が大学学部の1年の時です。当然のことながら、結婚はリアリティはありません。従って、同級生とその種ことを抽象的に議論をすることがありました。当時の私は、「何故、男と女結婚するか」ということを疑問に思っていました。性的な快楽を求めるのみなら、結婚という形態を取る必要性がありません。18歳の私が、子どもを欲しいとは思っていませんでした。生活上のパートナーという意味でしたら、気のあった同性の親友の方が女性よりよほど「分かり合える」と思っていました。そのことをある友人と議論をしたとき、その友人は明確に答えました。曰く、「男と女は別々のことを目標としえるから、互いに補える。全く同じことを目標とした場合、互いの存在は、互いの目標の障害になってしまう。だから、同性同士が生活上のパートナーとなれば、早晩、崩壊するよ。また、異性同士でも、同じ目標を持つもの同志であれば、それは同性同士の結婚と同じ結果になるよ」と答えたのです。その当時読んだ、どんな恋愛論、結婚論より、短い言葉で納得させるものでした。巡り合わせは不思議なものです。その友人は、後に研究者となりました。そして、なんと結婚相手に選んだのは、同じ研究者でした。どちらとも一流の研究者です。そして、最近知ったのは、その友人は離婚したそうです。ある意味で、私に語った男女の結婚必然性の説明は、彼自身の未来予言したとも言えます。つまり「あなたと私は違うから折り合いを付けない」というのは愚かで、「あなたと私は同じだから、折り合いを付けない」というほうがより正しいともいます(もちろん、それでも折り合いを付ける方が賢明とは思いますが)。