西川純のメモ このページをアンテナに追加 RSSフィード

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03/07/15(火)

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 クラス問題児がいた場合、教師が熱心に対応するという、熱血教師が良い教師だとテレビ番組ではなっています。我々の一つのプロトタイプになっていると思います。しかし、我々は、教師がいくら熱血指導をやっても限界があると主張します。また、熱血指導をやって、結果として、教師の家庭が崩壊してはミイラ取りがミイラになってしまいます。いうまでもなく、教職は職業であり、教師が第一に思わなければならないのは、自分自身の家庭です。

 では、どうすべきかといえば、その問題を教師一人が抱えずに、子ども集団にその解決を目標とするように語るべきだと我々は考えます。そして、子ども集団が、その問題を解決するに必要な、環境の整備(具体的には、親、同僚、学年主任、教頭、校長等の理解を得る)に全力を傾けるべきだと主張しています。このことは、ぜったに間違っていないと思います。もちろん、学習者集団で解決出来ない問題もあるかもしれませんが、その場合は、教師一人がどうやっても無理だと確信しています。しかし、今、どうしても分からないことがあります。

 私が分からないのは、教師が子ども集団に対して、その問題児の問題を解決する目標を語るとき、その問題児がいる場面で話すべきか、否かです。基本的には、私は、全ての情報は等しく学習者に公開すべきだと考えています。たしかに、突っ張りのようなタイプの場合、この方法は有効のように思います。だって、子どもにとって、教師は屁みたいなものですが、子ども集団から浮き上がることは、どんな子どもでも強烈なプレッシャーになるはずです。でも、その子どもが弱い立場だった場合、どうなのでしょう?この場合でも、個人を特定せず、学び合うことの重要性を、その教師が全身で信じ、その教育活動の全てで語るならば、有効だと思います。つまり、「このクラスにはいじめがあります、例えば○○ちゃん・・」と語るのではなく、学び合うことの重要性を自然に、かつ、常に信じ、その考えを様々な場面で教師の背中で示すのです。事実、多くのOBが、子どもたち全員に対して等しく学び合い重要性を語り、子どもたちの自主性を発揮する場を確保することによって、いじめが激減することを実証しています。

 私が分からないのは、もし、何らかの障害に由来する問題児がいて、かつ、本人がそのことを認識しうる能力を欠いていた場合です。障害がある場合、ある程度、別立てのカリキュラムが必要となります。しかし、そのカリキュラムを実施するためには、当人に自身に障害があることを納得してもらえなければなりません。しかし、もし、本人が障害があることを自覚出来なかったら、教師は「こんこん」と「君には障害がある」ことを語るべきなのでしょうか?考えるだけでも気が滅入ってしまいます。そうなると、本人には言わず、他の学習者に目標を語るということになります。実際上は、この方法しかないのだろうな~と、考えるのですが、「情報は出来るだけ全て公開すべきだ!」という警告ランプが、私の頭の中で常に点灯しています。う~む。

追伸 ちなみに私の経験上、つっぱている不良は、自分自身がやっていることは悪いことであることは知っています。なによりも、その事を本心では納得しておらず、出来るならば、その状態を何とかして欲しいと願っています。また、いじめられる側子どもが、その状態を何とかして欲しいと願っているのは言うまでもありません。だから、ある意味で上記よりも対応の簡単な事例といえると思います。上記の例の場合、何とかしなければならないのに、本人は何とかしなければならないという自覚を持ち得ないんですから。