西川純のメモ このページをアンテナに追加 RSSフィード

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03/06/03(火)

[]授業参観 15:38 授業参観 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 授業参観 - 西川純のメモ 授業参観 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 最近、ある人と目標を語ることに関して話しました。我々は教師の仕事は、目標を語ることであり、方法を語ることは控えるべきだと主張します。しかし、多くの場合、教師は目標を語るのではなく、方法を語ります。目標を語るべきである、ということを否定する先生は、まあ、いないでしょう。でも、方法を語るのを控えるべきだということに同意する先生は多くはないと思います。たとえば、ある課題を与えた場合、教師は「こうやって解きなさい」、「これこれを調べなさい」、「こうしなさい」と事細かにやりかたを指示します。我々の研究に依れば、そうやると子ども依存的になり、結局、教師が思いつく程度のことしかできない「愚かな」子どもにしてしまいます。なんで、そんなに事細かに指示するのでしょうか?教師としては親切心でやっているんですが・・・。私は教師が思っている「目標」というのは、全ての人が達成すべき到達点のように思っており、そのため、事細かに指示しているように思います。たしかに指導要領には到達点のように記述しています。でも、実態は違うことは明らかです。義務教育(いや高校レベルでも)には、いわゆる境界児の子どもがいます。その子どもの場合、自分の名前すら満足に書けない子どももいます。そのような子どもにも、指導要領に規定されているレベルを達成せよと求めるのが法律であるならば、リアリティがありません。私は、その方向に進みなさい、という方向性をしめすものだと考えるべきだと思います。すなわち、「あの丘の頂上に登りなさい」ではなく、「あの丘の頂上を目指して登りなさい」と捉えるべきです。従って、何が何でも、そこに達せなければならないわけではなく、その子の能力・特性に従って、多様な到達点があると思います。何が何でも到達させようと思うから、教師は背負ってでも、そこに到達させます。しかし、背負って到達させたとしても、その子にとって意味を持つものではないと思います。むしろ、全員が到達しなければならない、という一律の目標を与えたならば、それを出来ない子どもにとっては負担が大きいように思います。