西川純のメモ このページをアンテナに追加 RSSフィード

西川純です。新潟県上越市の上越教育大学の教育実践高度化専攻(教職大学院)で『学び合い』を研究しています。諸般の事情で、このブログのコメントは『学び合い』グループのメンバー限定です。メンバー登録は、いつでもOKです。ウエルカムです。なお、メールはメンバー以外にもオープンですので、いつでもメールください。メールのやりとりで高まりましょうね。メールアドレスは、junとiamjun.comを「@」で繋げて下さい(スパムメール対策です)。もし、送れない場合はhttp://bit.ly/sAj4IIを参照下さい。西川研究室はいつでも参観OKです。 詳細は http://www.iamjun.com/をご覧下さい。 もし『学び合い』グループに参加される場合は、 http://manabiai.g.hatena.ne.jp/をご参照ください。
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03/06/30(月)

[]温泉いきた~い~ 15:04 温泉いきた~い~ - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 温泉いきた~い~ - 西川純のメモ 温泉いきた~い~ - 西川純のメモ のブックマークコメント

 土日は宇奈月温泉に行って来ました。天気も悪かったこともあって、どこにもよらずホテルに到着。宇奈月温泉は、上越からは1時間程度でつきます。なにもせずぼーっとしていました。大変気分がいい!2,3時間経って、宇奈月の温泉街をぶらぶらしました。私は、両手招き猫を大量に発見、即購入しました。息子は「ひかりレールスター」のおもちゃ発見しました。買って、部屋に帰ると、それに夢中になって遊びます。その分、手がかからないので夫婦ともぼーっとしていました。夕食前に息子を連れて温泉に行きました。以前は、大きなお風呂を怖がっていたので、どうなることかと不安でした。しかし、大喜びで走り回り、その後を追いかけていました。翌日は、トロッコ電車に乗りました。この旅行メインイベントです。宇奈月温泉を選んだ理由は、電車好きの息子をトロッコ電車に乗せようというものです。車中ではきょろきょろしていますが、トンネルで暗くなると、家内の胸の中に顔を埋めます。

 家に帰ると、「温泉いきた~い~」を息子は連発します。息子は喜んだんだな~と夫婦とも大満足。そこで、何が一番楽しかったと聞くと、「ひかりレールスター!」と迷い無く答えました。ガクっとしました。トロッコ電車ではなかったようです。でも、理由の関わりなく、息子が喜んでくれて良かった。

追伸 昨年いただいたJTBのクーポンを使わせていた来ました。有り難うございました。

03/06/26(木)

[]家で飲むのが好き 15:05 家で飲むのが好き - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 家で飲むのが好き - 西川純のメモ 家で飲むのが好き - 西川純のメモ のブックマークコメント

 大学院時代は幹事役をものすごくやりました。しかし、私がついた小林先生東京にお宅があり、大学のある筑波には週一回しかこられません。その上に、酒は強いのですが、酒席は余り好まれない方でした。そのため、小林研究室としての飲み会は無く、結果として幹事役もありません。その一方、他の研究室の幹事役にかり出されることは少なくありません。幹事役になれば、たえず宴席の机の上を見回し、酒・肴が切れていないか気を配らなくてはなりません。また、会費とのかねあいを考えながら、ビールからお酒に変えるタイミングを計ります。また、参加者(特に教官)の嗜好を考え、酒・肴を選ばなければなりません。結婚式の席次ほどではないとしても、席次も考えなければなりません。これが難しい。特に教官が二人、三人、四人と増えると、その教官毎の日頃の言動をもとに推理し、座る位置と、距離をはからなければなりません。さらには、酒席の主人である教官の金離れを考慮しなければなりません。金離れがいいからといって、たかりすぎるのは禁物です。また、さらに気を遣うのは、金離れの良くはない教官に対しての対応です。完全に「割り勘」ではメンツを潰しますし、だからといって大幅に割り増しをお願いしますと、あとが怖い・・・・。その教官が嫌がらない程度の割り増しになるように会費を設定します。さらには、帰りのタクシーを手配し、参加者一同でお見送りをするというところまで配慮しなければなりません。でも、きっちりと仕事はこなしました。だから、いつのまにか他研究室の幹事役として、その研究室教官か、もしくはゼミ長から頼まれ、かり出されることが重なります。

 今までに私がお仕えした根本教授根本研究室、また、私の代になってからの西川研究室で百人弱の現職院生さん、学生さんを指導しました。しかし、私レベルにまで幹事役に徹した方はお一方もおられません(不遜ながら)。徹しられない理由としては、酒の飲めない人の場合、酒飲みの気持ちが分からないという欠点があります。もちろん、酒飲みは、酒を飲めない人の気持ちが分からないという欠点がありますが、酒席の場合の殆どは酒好きですから・・・。特に、酒席を設けたがる教官は酒飲みに決まっていますから。たとえば、日本酒好き、洋酒好きの教官がいるにもかかわらず、ビール一本でやろうとしたりします。また、酒が無くなったこと自体、気づかない場合も少なくありません。また、自分が酒を飲まないものですから、日本酒の肴にチーズを出したり、ウイスキーの肴に刺身を出しても、ヘンとは思われません。

 一方、酒飲みが優秀な幹事になれるかというと、そうでもありません。大抵の場合、酒席の前半までは優秀な幹事ですが、後半になると自分が酔ってしまって幹事役を務められなくなってしまいます。でも、それはそれで良いことだと思います。だって、それは、その酒席が、幹事役の人にとって「も」楽しい会だったということです。私の場合は、大学院での幹事役の時、酔った試しがありません。だから、全員から会費を徴収し、店に払い、教官の帰りのタクシーを送り出し、参加者みんなを帰したあと、そ~っと終わったはずの宴席に、気のあった後輩一人(今は鹿児島大学助教授です)と戻ります。その店の方も、よく分かっているで、我々がタクシーを見送っているとき(すなわち全員が店の外にいる間)に、残った肴を集め、綺麗に盛りつけし直して待ってくれます。それから、「あ~今日も気を遣った馬鹿馬鹿しい会だったね」と愚痴を言い合いながら、飲み直します。まるで、会社の営業マンみたいですね。だから、大学院時代は、酒席は詰まらぬものと覚悟を決めていました。

 でも、高校に勤めてからは、酒席は楽しいものだということを気づきました。さらに、大学に勤めるようになると、気を遣うのではなく、気を遣われる側になりました。大学院時代の経験を思い出しながら、「嫌われないよう」気を遣っているのですが、きっと我が儘になっているのだと思います。だって、酒席が楽しいですから。でも、なるべく一次会で帰るようにしています。というのも、私の大学院での経験では、いて欲しいという教官は早々に帰り、いて欲しくない教官二次会三次会、はては四次会までいるという原体験があるからです。おそらく、いて欲しくない教官が四次会までいるのではなく、四次会までいると、いて欲しくない教官になるのではないでしょうか?

 私は酒が大好きです。でも、見知らぬ人と飲むのは苦手です。相手がどう思っているかを考え始めると、酒で酔えません。だから、テレビ居酒屋に一人で飲むシーンがあると、なんで外で飲むのか見当もつきません。最悪なのは、酒席に女の人が横に座るようなところです。たえず、話がとぎれぬように気を遣います。その手の店が大好きな人のお供で行く場合がありますが、最悪です。金を払ってでも行く人の気持ちが分かりません。私は、金を払ってでも、ご遠慮したい。私は家で飲むのが大好きです。外で飲んでも、1次会で帰ると、家内が一本付けて待ってくれています。それをゆっくり飲んで、寝るのが大好きです。

[]あんちゃんは礼儀正しい 15:05 あんちゃんは礼儀正しい - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - あんちゃんは礼儀正しい - 西川純のメモ あんちゃんは礼儀正しい - 西川純のメモ のブックマークコメント

 今の若い奴らは礼儀を知らない、ということは良く耳にします。とくに私ぐらいの年齢の人があつまると、その手の愚痴が出ます。年を取った証拠です。でも、私はいつも反対の立場で主張します。それは、定時制高校で教えた子どものことがあるからです。彼らは「とっぽい」カッコをしていますが、ちゃんと話すと実に礼儀正しく対応してくれます。もちろん、敬語や仕草が、常例にはずれることもありますが、気持ちは実に礼儀正しいです。そんなことを、運転の際、再確認することがあります。

 道が狭くて行き違いが出来ないとき、ちょっと待つ場合があります。そのとき、茶髪の兄ちゃんは、片手をちょこっと上げます。ところが、おっさん、おばさんの場合は、そのような挨拶は殆どありません。車線変更でパッシングしたので、間に入れる場合もあります。けばけばしい兄ちゃん車は、ちゃんとハザードランプをつけてお礼をします。一方、無理矢理はいってきたのにもかかわらず、ハザードランプ挨拶もない、それでバカ野郎と思う車を、二車線になって横に並ぶと、大抵はおっさん、おばさんです。

 おそらく、礼儀知らずのおっさん、おばさんも、祝儀・不祝儀の時は、礼儀作法に関して一家言あるのだとおもいます。でも車社会では無礼です。あんちゃんは、祝儀・不祝儀の時は、突拍子もない格好や行動をするかもしれません。でも、車社会では礼儀正しいです。どっちも、どっち。TPOが違うだけのことのように思います。

 昨日の帰宅時に、茶髪のあんちゃんが礼儀正しかったので、そういえば、こういうこといっぱいあるな、と気づいてメモりました。

03/06/24(火)

[]聞いているんだな~ 15:07 聞いているんだな~ - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 聞いているんだな~ - 西川純のメモ 聞いているんだな~ - 西川純のメモ のブックマークコメント

 家内実家帰省すると、家内の母が盛んに、「お父さんの名前は純、お母さんの名前は恵子、おじいちゃんの名前は・・・」に息子に教えようとします。しかし、前回までの帰省では、息子は曖昧に笑っているだけです。最近家内が「お父さんの名前は?」と息子に聞くと、「じゅん」と答えます。夫婦でビックリしました。それから、次々に名前を聞くと全問正解です。笑って聞いているときにも、ちゃんと聞いていたんだな~、と感心しました。

 また、家内新聞チラシを見ながら買い物計画を立てます。その際、息子が近づいてきて、チラシのマークを指さして聞きます。その度に、「ジャスコだよ」、「原信だよ」、「ドラッグフジイだよ」という風に教えます。最近新聞チラシを指さして、名前をいうようになりました。家にあるチラシをドンドン出して、答えさすと、全問正解です。それも、あまり折り込まれないチラシ(従って、教えたことの回数がほとんど無い)の店の名前も言えます。ちゃんと聞いていたんだな~、と感心します。

 以上のように、言葉がしゃべれるようになったので、家内は前々から聞きたいという質問を息子にいいました。その質問とは「生まれたとき、どんなだった?」という質問です。以前から、息子に「生まれたとき、覚えている?」と聞くと、「はい」と答え、手を高々と挙げます。しかし、しゃべれないので、「どんなだったんだろう・・」と夫婦とも興味津々です。家内が「生まれたとき、どんなだった?」と息子に質問しました。夫婦とも、「あったかかった」とか、「狭かった」とか、「暗かった」とか、言うのかな~、とドキドキしていたら、息子の答えは「ひたち!」でした。少し解説が必要です。最近の息子の興味の対象は電車で、特にお気に入りはNゲージ(小さい電車模型)のフレッシュヒタチという特急です。息子は「あかい、ひたち」、「あおい、ひたち」を連発します。息子の答えたのは、その「ひたち」でした。しかし、偶然ではないようです。翌日に、もう一度聞きました、同じく「ひたち」です。肩すかしを食らわせられましたが、同時に、謎が深まります。子ども記憶に残った出産経験が「ひたち」、う~ん、謎だ!

[]肩書き 15:07 肩書き - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 肩書き - 西川純のメモ 肩書き - 西川純のメモ のブックマークコメント

 世の中には肩書きに拘る人もいます。年代が60歳代ともなると、何が何でも「長」がついた役職に就きたいと願い人がいます。教授学長のような職階の場合、給料が変わります。ところが学会学会長などの「長」は給料が変わりません。一方、仕事が多くなり、出費もかさみます。学会長になっていいことって何かあるかな~、と考えて思いつくのは、勲章の位が上がることです。例えば、勲三等の人が、うまくすると勲二等になる場合があります。でも、勲章にしてもお金を貰うわけではありません。むしろ、勲章を入れる盾をつくらなければなりません。受賞記念記念品を人に贈ったりするとものすごい出費です。でも、何が何でもと頑張っている人がいます。

 私が印象深く、今でも鮮明に覚えている映像があります。当時は、研究者といっても最下層のペイペイです。学会長などは雲の上の人で、学会の懇親会で声をかけられると直立不動で話さなければなりません。そんなときです。学会全国大会の受付でウロウロしているとき、昨年まで学会長だった大先生が受け付けをしようとしておられました。大抵の学会では学会員と非学会員で受付の方法が違います。受付をしているのは、会場大学学生さんです。その学生さんが、前学会長に向かって「学会員でいらっしゃいますでしょうか?それとも非学会員でらっしゃいますでしょうか?」と質問しました。なんと前学会長にむかって学会員であるか否かを質問しているんです。私はあっけにとられるし、受付にいたその大学先生は、「何を言っているんだ!」と学生をどなり、一方では前学会長に平謝りでした。あっけにとられる私も、しばらくして冷静に考えれば、学生さんが分からないのが当然だと言うことが納得できました。同時に、学会で肩で風を切っていた学会長も、一年経つとこうなるかと、むしろ滑稽に思えるようになりました。

 私が退官したあとで、私のことを覚えている人は何人いるでしょうか?私が死んだあとで、私のことを覚えている人が何人いるでしょうか?たとえ、ノーベル賞を取った人でも100年後に記憶される人は希と思われます。ましてや、私ごときが記憶されると期待するのはおごがましいように思います。たとえ、麗々しい肩書きで飾り立てても、そうは違いがないように思います。私が死んだあとも確実に覚えてくれると期待できる人は、家内と息子です。となれば、「肩書き」よりも、家族孝行のほうが大事だな~と思いました。ふと、昔、昔、某学会での学会選挙の際、怪文書(名前を明かさず、誹謗・中傷する文章)や怪電話でやっきになって運動した人を思い出して、メモしました。

追伸 上記の馬鹿馬鹿しさを分かっている人は少なくありません。私が尊敬する人は、大抵、ご遠慮する方々です。ところが、周りが許さず、脅し・泣き落としで逃げられなくなる人です。まあ、私の場合は、「徳」がないため、そのような状況にはならないとは思います。でも、年齢を重ねると、順繰りでそういう状況になるかもしれません。それを避けるために、せいぜい、今から不義理と不徳を重ねようと思います。これに関しては、意識しなくても、積んでしまいますから安心です。

03/06/23(月)

[]隙間産業 15:08 隙間産業 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 隙間産業 - 西川純のメモ 隙間産業 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 進化論では生存競争が強調されます。でも、実際の生き物を観察すると、そんな戦いばかりではないようです。むしろ、戦いを避けて、自分が生き残れる場所を見出しているようです。そのことを棲み分けと呼びます。私の過去を思い出しても、そういう方法で生き残ってきました。

 研究の世界でも、主流派というものがあります。大抵の研究者は、ほぼ同じようなことをやっています。例えば、私が教科教育学の世界に入り始めた20年前の理科教育の世界では、教育学の流れを汲む比較教育学歴史教育学が主流派でした。例えば、アメリカのBSCSという生物学カリキュラム研究したり、明治の学制時代の理科研究したりする研究です。また、理学の流れを汲む、実験開発・教具開発も多かったです。このような主流派の研究をすることの利点は、学会が受け入れやすいという点です。簡単に言えば、論文学会誌で掲載してくれる可能性が高いということです。欠点としては、みんなでよってたかって研究するので、アイディアが枯渇するということです。つまり、陳腐な研究を多産するのには適しますが、画期的研究をするにはものすごい苦労が必要だということです。事実、その学識の高さに圧倒されること方は、比較教育歴史教育を専門とされる方には少なくありません。ところが、そのような方々であっても、学会レベル論文が出るのは希です。

 今考えてみると、私は常に主流派とは違ったところを研究対象としました。20年前の教科教育学の世界では、100人程度の子どもアンケートをして、棒グラフで比較しすることによって、日本カリキュラムを云々するような、今では考えられないような研究がまかりとおっていました。私の研究の出発点は、膨大な調査対象にアンケートをして、統計分析によって結論を出すという研究をしました。その方法で、昭和59年から平成5年まで研究しました。ところが、アンケート調査という方法論に限界を感じ始めたときに、認知心理学出会い心理学と関連した研究をしました。その方法で平成2年から平成11年まで研究しました。しかし、学習者個人に着目する研究限界を感じ、学習者の相互作用に着目する研究をするようになりました。それは平成9年から始まり、現在に至ります。

 隙間産業で研究するのは、なかなかしんどいモンです。なぜなら、学会の大多数(特にお偉方)は既存のパラダイム学問の枠組み)に囚われています。それと異なる研究をするとなると、反発が大きいです。初期のアンケート調査の場合、「哲学がない」と否定され、私にとっては研究の主題とは関係ない部分哲学的な議論をしなければなりませんでした。また、心理学を利用した研究の場合、「この研究心理学であって教科教育学ではない」と否定され、私は研究の教科教育における有用性を必死に説明しなければなりません。でも、いい点もあります。それは、説得さえ出来れば、オリジナリティは高いので学会レベルとして認められるからです。

 あるとき、学会での発表傾向が前年度とは急に変わりました。その傾向は、うちの研究室が数年前からやっていたことです。院生さんから、「先生、このトレンド予測されていたんですね。でも、なんでトレンド予測できたんですか?」と聞かれました。私の返答は、「トレンド予測するのではなく、トレンドはつくるモンだよ。うちと同じような研究をやっている人が全国にも数人いる。数は少ないけど、みんな生きがいい人ばかりだよ。その人たちと一緒に、大事だ!、重要だ!と主張すれば、トレンドは出来るモンだよ」といったものです。不遜ながら、私が平均的な教育学部の教科教育担当教官の5倍以上の業績(簡単に言えば学会レベル論文の数、著書、学会賞)を得たのも、上記に由来しています。

 ある学会に投稿した、うちの研究室論文が掲載を拒否されました。そのコメントに「むかっ」とすると同時にあきれました。以前の私だったら、知恵努力を総動員して、説得しトレンドにします。でも、おっくーになりました。そんな努力をするより、その重要性を分かる学会を育てていこうと思います。私は本当に我が儘になったように思います。教授になり、博士の学位をいただけました。いままでは既存のパラダイムとの戦いでしたが、これからは新たなパラダイムの構築に力を集中したいと思います。

追伸 D1さんへ。あなただけは既存のパラダイムとの戦いを続けなければなりません。理由は分かりますよね。例の物を早くね!

03/06/17(火)

[]怒り履歴書 15:12 怒りの履歴書 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 怒りの履歴書 - 西川純のメモ 怒りの履歴書 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 先日の「東大寺・・」を読んだOBから感想メールを色々といただきました。内容は多種多様です。色々考えました。私は叱ることも、ましてや、怒ることも基本的にしません。以前のメールに書いたように、人間関係が出来てれば叱る必要はないし、人間関係が出来なければ叱っても意味がないと考えているからです。そのため私がやる方法は、最も多い方法は「からかう」という方法で、それを越える場合はその人の良心に訴えかけるという方法です。具体的には、「期待していますよ」、「信じていますよ」が最も多く、その他は、「私の心には響かないけど、それがあなたの願っているものなの?」、「それを現場の若い同僚に、誇りを持って語れる?」があります。

 従って、怒ったあとは自己嫌悪しますし、記憶にはっきりと残ります。研究者は基本的に短気で同僚・同業者に対しては攻撃的ですが、最近は老化のため、学生さんたちにも短気になったのではと、今回のことで心配になり始めました。自戒のために、私の「怒り」の履歴簿をメモることにしました。

 定時制高校オール1の子どもたち、シンナーを乱用し、暴走する子どもたちを教えましたが、怒りたいと思ったことは皆無です(イヤだな~、困ったな~、とか、かわいそうだな~とは思うことがありますが・・・)。私が叱ったではなく、怒ったことの最初は、大学に移って5年目のことです。その年から全学必修科目を担当(当時は助手でしたので公的には補助ということになりますが)するようになりました。成績をまとめる時期に、まったく見慣れぬ学生が私を訪ねてきました。聞くと、「自分は出席を全くしていないが、その単位を落とされると困る。留年が重なっているので、除籍になってしまう。」という内容でした。その話かたが当然の権利のように語っていました。私にとって定時制高校での生徒のイメージは鮮明です。彼らは厳しい家庭環境の中、あふれるばかりの誘惑の中で、頑張って学校に来て卒業を目指します。約半数近い子どもは誘惑に負けてしまいます。その結果は、思い出したくもないことばかりです。そういう生徒がいるにもかかわらず、脳天気に出席をしてないのに単位を出せと、二十歳をとっくに超えた学生が要求するので、私は切れてしまいました。「バカ野郎、おまえなんかとは比べものにもならないほど苦労して、それでも高校卒業もできない子どももいるのに、なんでおまえなんかが大学卒業できるんだ!」と怒鳴りました。でも、あとで自己嫌悪しました。この種の学生を本気で怒り、あとで自己嫌悪をするのはイヤなので、その後は、「高校卒業できなくても幸せになれるよ。ましてや大学卒業しなくても幸せになれるよ。」とニコッと笑ってあしらうことにしています。一言、弁明しますが、私はかって教えた学生の成績の90%以上はAで、落とす場合は5%もおらず、その全てが出席日数が半数にも満たさず、かつ課題を出していない学生です。定時制高校に勤めた経験から、いまだに「出来ないのは許せる。向き不向き、好き嫌いはある。でも、やらないことは絶対に許さない。」を基本としています。90%以上の学生さんは、私が出席を取らなくても出席してくれます。ここ7,8年、100人授業に関して出席を取るのは、学生さんから出席を取ってくれ、という要望があったからです。

 ある学生さんは、休日の自宅に突然電話をかけてきて、「直ぐ来て欲しい相談したいことがある」と呼び出していながら、行ってみるとその約束をすっぽかすことします。それも複数回。その他、ありとあらゆる場面で約束をすっぽかします。しかしながら、それを自ら謝罪することはなく、「どうしたの?」と聞いた時に言い訳はしますが「ごめんなさい」がなかなか言えない学生さんです。そのようなことを1年以上蓄積しました。あるとき、「出来上がるまで時間がかかるから、7時まで大学で待って欲しい」と言われました。しかし、「私には家庭があるから、もう帰るよ。明日にして」と言いました。ところが、その学生さんは、「私の父親は教師であるが、父は生徒のことを第一に考えている。先生の言っていることは信じられない」と説教されました。これには私は切れてしまいました。「君のお父さんはそうなのかもしれないが、私は違う。家庭をないがしろにする教師が優れた教師だとは思わない。ハッキリという。君を指導することによって、私は一銭の給料も貰っていない。君を指導しようと、しまいと給料は変わらない。私は君の親でも兄弟でも親戚でもない。なんで、私に対して誠意のかけらもなく、約束を気軽にすっぽかす君に、何で私はそこまでしなければならないんだ!」と怒鳴りました。学生さんは訳の分からないことをぶつぶつ言いながら泣きまくりました。自己嫌悪しました。それが2回目の「怒り」です。その学生さんは、その後も行動パターンを変えず、私の方はひたすら距離を保つことによって心の平静を保ちました。

 以上は私が「怒った」経験です。あと「怒り」を拡大解釈すると4回を加えることが出来ます。

 1件目は指導した学生さんが、OBの好意で調査させて貰っているにもかかわらず、その学生さんの怠惰のため、そのOBに迷惑をかけたときです。その時は、その学生さんを呼び出し、説教し、「これからお前の頭を殴る。いいな」と言ってから、持っていた扇子で頭をポンとたたきました。ちなみに、その学生さんの結婚式によばれました。とても良い先生になっていました。

 2件目は指導した院生さんが、学会発表をしたときのことです。ある先生からコテンパンにやられました。私の判断では院生さんの方が理が通っていました。しかし、その院生さんは相当に参ってしまったようです。発表後、二人っきりになったときに、「先生から言われた研究だから、こんなことになったんだ」と私に八つ当たりしました。平常でないことは十分に承知しているんですが、この一言には相当に参りました。しかし、その院生さんは研究を発展し、学会誌に掲載されるレベルまで研究を高めました。

 3件目は、ある院生さんが一人の子どもの事例に拘って研究が進まないので、拘らずに分析するよう勧めたとき、「現実子どもたちを目前にいる私には出来ない!」と言われたときと、別の機会に、「先生学び合い意味をどのように考えているんですか?」と鼎の軽重を問われたときです。この院生さんは、教師として尊敬できる方です。特に、あの年齢で、教育研究に関してあのレベルに達せる人は、極めて希だと思います。

 しかし、以上の3件4回の事例は「怒り」といっても、「怒り」というより「情けない・悲しい」という気持ちが先立つ事例です。

  以上が教師人生20年弱の「怒り」の履歴簿です。私の教師人生はあと20年強あります。これ以上、増やしたくないな~、増やすまいぞ、という自戒のため、メモることにしました。

[]私という学生 15:12 私という学生 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 私という学生 - 西川純のメモ 私という学生 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 今では「叱る」立場にいますが、かっては「叱られる」立場にいました。思い起こせば、とてつもなく恐ろしい学生でした。

 大学2年から生物物理学の石坂先生研究室に出入りするようになりました。石坂先生は、全くのド素人である学部学生も一人の研究者として見る方です。また、それを期待する先生重要仕事を任せます。当然の事ながら、私はできません。ところが、「出来ません」の一言を言うのを先延ばしにしたため、研究室みんなに迷惑をかけました。さらに、分かりもしない機械を気軽に触ったため、数十万のレンズを壊すという失敗をしました。4年の研究室決定の際、先生に「先生につきたいのですが」と申しましたら、「他の研究室に行ったら」と断られてしまいました。でも、私としては何としても石坂先生につきたいと思い粘りました。それを見ていた石坂研究室所属の小林克己先生(当時の講師)が哀れに思い、私を拾ってくれました。その結果小林先生を通して石坂研究室に所属できました。ところがその直後の石坂研究室での歓迎コンパの際、酒席の座興で小林先生相撲を取り、その結果小林先生の前歯を折ってしまいました。(信じらられます?でも事実です)ところが、小林先生はその後も、その事に一度も触れず、親身に卒業研究を指導していただけました。(これまた、信じられます?でも事実です)

 大学院では、小林先生講義シビレ小林研究室につきたいと願いました。でも、断られました。今の私でも断ります。当時の私は、髭を生やし、両の手に7つの指輪をはめ、パイプを吹かしていました。幌付きのジープフロントグラスを倒し、ゴーグルを付けて運転をしていました(ちなみに、髭はそりましたが、上記の格好で学部時代に教育実習に行きました)。大学院では、「マレーシア理科教育研究し、修了後は青年海外協力隊マレーシアに行き、発展途上国理科教育振興に寄与し、もって、世界平和に寄与するんだ!」と公言していました。小林先生に何度頼んでも、何度もやんわりと断られました。しかし、粘りに粘り、所属することが出来ました。私が小林先生だったら、どんなことがあっても断るでしょう。

 過去の自身を思い出せば、どんな学生さんにも寛大になることが出来ます。ただ、許せたとしても、だからといって指導するかと言えば、否です。できるならば、私みたいな学生さんとは距離をおきたい。そう思えば、石坂先生小林克己先生小林先生の境地には、とっても達していないと思います。

[]最近の成長 15:12 最近の成長 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 最近の成長 - 西川純のメモ 最近の成長 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 息子の最近の成長としては3つ挙げられます。第一に、我々の言う言葉を直ぐにマネします。それも、意図しないことをです。例えば、息子を「だめね~」と叱ると、息子が可愛い声で「だめね~、だめね~、だめね~」とニコニコしながら連発します。その声を聞くと、笑ってしまい、叱る気が失せます。第二に、言葉の応用の範囲が広がり、夫婦とも教えてない言葉を使うようになりました。第三に、ボタンをはめられるようになりました。ボタンをはめるには、かなりの指先の器用さが必要ですが、それが出来るようになりました。しかし、今のところボタンをはずすことは出来ません。それを見ながら、「熱力学の法則から行って結合するより、話す方がエネルギーがいらないはずだよな・・・。あっそうか、活性化エネルギーが必要なんだ!」てなことを考えてしまいます。ヘンなときに、大学で教えて貰ったことを思い出すもんだと苦笑します。

 付け加えるならば、良くしゃべることです。息子は、「あっちにいきたーい」、「ぜんこうじ(善光寺)にいきたーい」、「あかいりんごじゅーすー(実際はぶーふー)」、「だいそー(100円ショップ)にいきたーい」、「どらえもん(ドラえもん)みせて~」、「しんしゃん(クレヨンしんちゃん)みせて~」、「すーぱーいちこ(近くにあるスーパーイチコ)にいきたーい」・・・を連発します。きっと、どっかに行きたい、テレビを見たい、甘いものを食べたいという、子どもとしては至極当然の欲望はずっと前からあったと思います。しかし、いままでは、それを要求する手段がなかったため、息子は悩むことも多かったと思います。しかし、言葉を獲得することによって、思いっきり要求することが出来るようになりました。しかし一方、家内の方は、一日中、その要求をぶつけられるようになりました。「みんな(先輩ママさん)が、しゃべりだすとうるさくてしょうがなくなるわよ、って言ってたけど、本当だわ」と言っていました。土日、息子とつきあうと私も同感です。しかし、夫婦ともあきれながらニコニコして聞いています。

03/06/16(月)

[]環境教育 15:25 環境教育 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 環境教育 - 西川純のメモ 環境教育 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 先週の金曜日の授業で、環境教育に関して話しました。内容は、理科環境教育を教える場合、科学的知識を与え、正しい判断が出来事を目的としているが、それでは行動に結びつかないという、「学び合いの仕組みと不思議」で書いた内容です。環境教育で大事なのは、まず第一に、環境に優しい行動をしている人は多い、という意識を与えることであり、そのためには子どもたちの人間関係を利用した指導が大事だと思います。しかし、授業を受けた理科先生から、「先生のお話は分かりますが、理科で教えるとしたら理科の特徴である科学的知識を大事にしなければならないのでは?」という質問を受けました。それに対する、私の答えは以下の通りです。

  『まず、理科があるのではなく、学校教育があり、その下に理科があるとおもいます。それでは学校教育において大事なのは、常識規範を与えることと科学的知識を与えることのどちらでしょうか?原子炉事故隠しをやった人は理学博士の学位を持っている人も少なくなかったと思います。常識が無くて、科学的知識がある人と、科学的知識がなくて、常識がある人、どちらを育てたいですか?』

 その先生には理解をいただきました。なお、もう一つ付けくわえるならば、科学的知識をいくら与えても環境を大事にする学習者集団は育てられないが、環境を大事にする学習者集団が育てられれば、科学的知識はたやすく与えることが出来ます。

[]東大寺を作ったのは誰? 15:25 東大寺を作ったのは誰? - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 東大寺を作ったのは誰? - 西川純のメモ 東大寺を作ったのは誰? - 西川純のメモ のブックマークコメント

 東大寺を造ったのは誰でしょう?一般的には聖武天皇です。でもクイズ的に笑いを取るのだったら「大工さん」というのが答えです。使い古されたジョークです。でも、大工さんではなく聖武天皇が本当の答えである理由はなんだかお分かりの方は多くはないように思います。

 先だって、ある方から以下のようなメールを頂きました。

 『T先生と現職の方、西川先生と現職の方、両方の名前が記載されてある、論文を幾つか見つけました。科学教育(注 教科教育学系の学会誌)です。共同で書かれているのですか?それとも現職の人が書かれたのを指導しただけですか?○さんに聞いたのですが、「分からない。」と言われました。教えてください。』

 これを読んだ私は、怒りで頭が真っ白になりました。悲しさを感じるのではなく、攻撃感情に駆られた純粋怒りです。「無知故の非常識に由来するものであって、悪意はないだ」と必死に心の中で繰り返し、過去の自分の非常識さを思い出して、何とか心を落ち着かせようとしました。しかし、4時間以上かかりました。上記のメールは、およそ研究の世界に身を置くものにとって、想像し得る最大の侮辱であり、告発でもあります。研究の世界に踏み込んでから二十数年、このような侮辱を直接受けたのは初めてです。私の知りうる限り、私が直接知る人で、このような侮辱を受けた人を知りません。当然です、このような侮辱をするならば、相手と本気の闘争を覚悟しなければならないからです。それも、私のみならずT先生に対しても侮辱しています。

 しかし、連名という意味は、研究を知らないならば分からないのも当然です。おそらく、上記メールと同様の疑問を持った人もいらっしゃるとは思います。ただ、多くの人の場合、普段の私およびT先生とのつきあいで自然と了解するか、好意的に解釈していただいたのだと信じています。さらに、それでも疑問を持ったとしても、「しただけですか?」という問いかけをすれば、私が不快になるであろうという小学生でも持っている常識が直接問い合わせることをためらわせたのだと思います。

 論文に著者として名前を載せる意味は、その論文が明らかにしたことに関して、そのもっとも基本的な部分貢献したことを意味し、その論文に関する権利と、同時に責任を負っていることを示すものです。このあたりは、研究以外の世界の人にも何となく分かります。ところが、研究の世界以外の人にわかりにくいのは、「もっとも基本的な部分貢献した」という部分がどこか、ということです。その部分とは、「その人でしか出来ない部分」という意味です。東大寺を造ったのは大工さんではない理由は、大工の○○さんでなくても、△△さんという大工でもたてることは出来ますが、聖武天皇の代わりになる人はいないからです。

 例えば、異学年学習研究すると言うことは、その人だけにしかできないものではありません。何となれば、生徒会・児童会、掃除等で異学年の交流は一般的です。しかし、それを教科学習(教科性の高い総合学習を含む)で展開しようとするならば一般的ではありません。また、教師主導ではなく、殆ど教師が介入せずに展開しようと考えるならば一般的ではありません。想像してください、6年生と4年生が一緒に教科を学ぶ姿を想像できる教師がどれほどいるでしょう?

 また、我々の研究室では、膨大なビデオ記録を分析します。気の遠くなる作業です。しかし、その作業の殆どの部分研究においてもっとも基本的な部分ではない、と言ったら驚かれるのではないでしょうか?その作業においてもっとも基本的な部分は、ビデオ記録に現れる学習者の姿を特徴づけるカテゴリーを設定することなんです。何故なら、一度、カテゴリーを設定できたならば、その基準に基づいて膨大なデータを視聴しカウントすることは、他の人にも出来ます。また、その基準のもっとも典型的な事例を抽出することもアルバイト学生にも出来ます。なんとなれば、カテゴリーは、他の人でも一致した結果を引き出すような一般性と客観性を持っているはずなんですから。したがって、カテゴリーに従ってカウントする部分を、他の人(例えばアルバイト学生)にやってもらっても、何ら問題はありません。

 想像してください、研究テーマの設定、カテゴリーの設定に指導教官が不必要な状況がありえるでしょうか?私は想像することが出来ません。その他にも、どのような場の設定を行い、どのような課題を設け、どのような方法でデータを記録し・・・等々が指導教官無しで出来るでしょうか?(もちろん研修レベルならばできますが・・・)研究を行うに当たって必要不可欠な人が複数であるとき、それを共同研究と言い、論文を連名します。

 したがって、修士論文卒業論文を学術雑誌に投稿する場合、連名であるのは当然のことです。もし、指導教官との連名でない場合は下記を意味しています。

1. 共同研究概念として存在としない、古色憤然とした研究手法に固執している研究分野である。

2. 後述する「剽窃」をしている。(大抵は無知から発していますが)

3. 院生学生が飛び抜けた天才で、かつ、指導教官が飛び抜けた無能で、両者の間で指導関係が成立せず、かつ、それを取り繕うという気が院生学生にない。

4. 指導教官の方で、諸般の事情で連名にすることを断る。

 ちなみに、私の場合、修士論文をまとめた論文を含め、初期7編の論文大学院指導教官である小林先生との連名論文でした。私としては、その後も連名論文で出したかったのですが、小林先生から「これからは君の単著論文として出しなさい」と言われたので、単著として出しました。私の論文における貢献の割合から単著とすべきであるという小林先生研究者としての判断と、私一人で論文に対しての責任を持てるという教育者としての判断に基づくものと思います。

 さて、何故、私が(というより研究者が)上記のメールを、最大の侮辱と解釈するのかと言えば、研究者は「もっとも基本的な部分」に貢献することを最大の責務としており、それに誇りを持っており、その部分競争しているからです。

 例えば、想像してください。家庭でイクラ丼を作ったとき、主婦が人造イクラを使ったとしても非難はされません。しかし、寿司屋回転寿司ではありません)で人造イクラを使ったとなれば大変です。もし、寿司屋大将に、「おまえは人造イクラを使っているだろう」と言ったら、どうなると思います。同様に、温泉旅館の主人に、「おまえのところの風呂温泉ではなく、沸かし湯だろう」と言ったら。また、一流料亭の主人に「おまえのところの茶碗蒸しは、カナダ産の松茸を使っているだろう」と言ったら。これで私が怒っている理由は明らかになったと思います。上記のメールは、「もっとも基本的な部分」に貢献していない(出来ない)のにもかかわらず、貢献していると主張している、と書いているのと同じです。すなわち、「もっとも基本的な部分」を盗った(これを剽窃といいます)と書いているのと同じです。研究者の世界においては、これは殺人罪にも匹敵する罪です。

追伸 基本的な部分に影響を与えた場合、連名を基本としますが、その与えたものが文献になっている場合は該当しません。例えば、ペスロッチの本に影響され、その方法論によって本や論文を書いたとしても、ペスロッチと連名にする必要はありません。ただし、その文献を引用するなどして、その文献に依るところが大きいことを明示しなければ、剽窃となります。身近な例では、西川研究室の本は、私の単著となっています。それは、それぞれの本で表明しているラディカルな主張は、私の責任で書いているからです。教師が教えなければ何も変わらず、子どもは基本的に愚かだと固く信じている管理職は少なくありません。その下で働く可能性のある現職の方(また採用されれば、働く可能性のあるが学部学生)に、「教師は教えなくても良い!」なんいう主張に全面的に責任を負えなんてとっても不可能です。ただし、それぞれの研究室メンバーの成果に関しては、その出典を明らかにするとともに、その成果を高く評価しています。

追伸2 このメールに関して、発信者の人を呼びつけ、30分間、機関銃のような説教をたれました。いや、正確に言えば、怒りまくりました。そして、研究室を異動することを勧めました。権力を持ってる教師が、弱い立場である人に対して怒りを爆発することは、フェアーではありません。自己嫌悪します。しかし、当人はそれに対して、じっと耐え、謝罪し、もう一度やりたいと言いました。その言葉を信じ、謝罪を受け入れることにしました。しかし、少なくとも半年の間は、厳しい目で見つめることにします。でも、同時に期待もしています。

 ○へ

 うかれるな。だまってやれ。そうすれば周りの目も変わる。そうするためにも、たまにこのメモを見ろ!うまくいけば、笑って再読できる日が来る。

03/06/12(木)

[]好きな言葉 15:28 好きな言葉 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 好きな言葉 - 西川純のメモ 好きな言葉 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 かって読んだ本の中で、今の自分に影響を与えたものはどれほどあるでしょう。意識せずに影響を与えているものは少なくないと思います。しかし、その内容をありありと記憶しているものというのは、読んだ総量に比べて微々たるもののように思います。

 高校の時、古今東西の古典を読みあさったことがあります。その中に「ゲーテの格言集」があります。そこには千弱の格言が掲載されていて、一つ一つは素晴らしいものでした。その当時は一様に見えてた格言ですが、四半世紀を超えてはっきりと私に残った格言は1つでした。学生さんの愚かさに接するとき、それに寛容になるために自分に言い聞かせる言葉であり、また、人に語る言葉です。四半世紀を超えた昔に読んだものですので、完全に正確には覚えていませんでした。最近、あらためて本を読み直し、その言葉を見つけました。私の好きな言葉です。

 『寛大になるには、年を取りさえすればよい。どんなあやまちを見ても、自分の犯しかねなかったものばかりだ。』

 自分の児童だったとき、生徒だったとき、学生だったとき、若手の教師だったときを思い出せば、どんな過ちも許せます。20年も経てば、どんな中年のおっさんも許せるようになるでしょう。

[]可視化の功罪 15:28 可視化の功罪 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 可視化の功罪 - 西川純のメモ 可視化の功罪 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 我々は、集団の中で、メンバーの持つ情報を出来るだけ共有することが大事だと考えています。簡単に言えば情報公開であり、状況論的に言えばリソースであり、そして、我々は可視化と呼んでいます。他の班の活動、クラスメートの成果をクラス全員が見える状態(教師が「見せる」ではありません)にすれば、その情報が有効であるならば、子どもは教師からとやかく言われなくても見るようになります。そして、それに触発されて自身の活動の質を高めていきます。そのような過程を、我々は何度も見てきました。しかし、なんでもかんでも可視化することの問題を感じられている教師もおられると思います。例えば、定期考査、業者テストの点数を廊下に並べること問題は、教師ならずも意識されることと思います。しかし、点数を可視化することには問題はないと思います。問題は、その点数を序列に意味づけていることが問題なんです。例えば、「顔にあるほくろの数」なんかを廊下に張り出して、何の問題が出るでしょう?また、廊下に張り出されるものが「点数」ばかりではなく、多種多様(「ご飯をいっぱい食べた人の順位」、「逆上がりの回数」・・・)であったらどうでしょう。「点数」が人の序列を意味していないと考えたらならば何が問題なんでしょうか?実は、「テストの点数の公開は問題だ」という意識は、「テストの点数は人の序列」であるという、私自身の囚われの方に問題があるのかもしれません。もしくは、「テストの点数は人の序列」であるという意識は、教師はいかんともしがたいと思っている諦めがあるのかもしれません。

[]年齢毎の目標 15:28 年齢毎の目標 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 年齢毎の目標 - 西川純のメモ 年齢毎の目標 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 先月末に本学附属小学校研究会がありました。その研究会に参加するため、遠方から研究に関するメル友である小学校先生がいらっしゃいました。大学から抜け出て、昼飯を食べながらお話ししました。いつもの格調高いメールの内容から、かってに40代後半(もしくは50代)とかってに想像していましたが、30代の先生ビックリしました。しかし、話してみて、考え方のしっかりした方で、メールの格調高さに一致していました。話の終わり頃に、「先生みたいな人は、はやく管理職になって下さいね」と申しましたら、間髪入れず、「子どもと離れたくないから管理職は考えていない」との返答でした。でも、くいさがって、「今と同じように、40、50になっても子どもたちと接しられますか?」と話し、若い先生を守るような管理職になって欲しいと申しました。

 大学1、2年の頃に読んで面白かった本に花伝書という本があります。花伝書は能(申楽)を今日のような芸術性の高いものにした世阿弥芸術論です。大部分は能に興味がない私にとっては意味無いものですが、その中の「年来稽古条々」という部分は非常に面白く読めました。内容は、能を学ぶ際、7歳、12,3歳、17,8歳、24,5歳、34,5歳、44,5歳、50歳代のそれぞれの年代で、何を目標として、どのように学ぶべきかということが書かれています。能を学ぶことに即した内容ですが、およそ学ぶということに共通したことが書かれています。当時の私にとって40代は遠い未来のことでしたが、「24,5歳」は当面の目標でした。曰く、この年齢は芸道がなるか、ならぬかのポイントであることが述べています。また、一時的な成功を収めても、それは年齢の若さに由来するものであり、その成功に慢心しては大成は不可能であると書かれています。また、「34,5歳」では、その年あたりまでに「一流」と世に認められなければ、その後はなく、40代は落ちる一方だと述べています。若い自分にむち打ちました。

 しかし、この「年来稽古条々」の本当に面白いのは、それ以降のことで、それが本当に分かるには私が30代後半になったころでした。花伝書では「44,5歳」では、それまでの自分一人でやる方法を変え、一緒にやってくれる人を捜すべきだと述べています。そして、自分自身は無理せず、若い人に華を持たし、控えめにせよと述べています。そして、「50歳代」は無能になると看破しています。そのころには無理せず、必要以上のことはするなと述べています。でも、同時に次のように述べています「さりながら、真に得たらん能者ならば、物数はみなみな失せて、善悪見所はすくなしとも、花は残るべし。(しかしながら、真実芸道を達得した役者ならば、老人向きの演目は少なくなってしまって、どんなに見せ場は減ってしまっても、花はやっぱり残っているであろう。)」。ちょっと、ホッとします。

 若いときにやっていて成功したことが、年を取っても成功するわけではありません。その年齢においてやるべき事があるように思います。40代になった私は、20,30代の自分に比べ、格段に無能になったと思います。しかし、ともにやってくれる人のお力によって、なんとか仕事をこなしています。でも、あと6年3ヶ月で50代になります。そのころは一層無能になっているように思います。もしかしたら、ともにやってくれる人のお力でも、どうしようもない無能になるかもしれません。いや、一緒にやってくれる人がいなくなるかもしれません。惨めなものです。それを避けるためにも、40代の私は、40代のやりかたをしっかりやるべきだと思います。そのことが老年に達したとき、老残をさらす危険性を避ける方法だと、私は思います。

追伸 世阿弥の時代に比べれば、平均寿命も、世の中の有り様も変わっていますので、世阿弥の言った年齢にプラス5~10歳ぐらいの補正を加えなければならいかもしれません。しかし、いずれにせよ、いつまでも同じ事をやってはいけない、ということは確かだと思います。

03/06/11(水)

[]老婆心 15:29 老婆心 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 老婆心 - 西川純のメモ 老婆心 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 昨日は一昨日とは別のOBからメールが来ました。書き出しは、『こんにちは。○です。メモを読んで、元気と勇気がわいてきています。今でも、毎日、複数回メモを読んでいます。更新されていない日は、はずれた気分ですので、更新を「期待しています。」。さて、○さんに負けじと私も一つ自慢話をします。・・・・・・』です。内容は諸般の事情から半年ぐらいは秘すこととしました。読むとウルウルというよりも、大笑いする内容です。スカッとしました。

 本でも紹介しましたが、Mちゃんの研究が示すように、K閣下のような授業をすれば、子どもの教師への会話は、「これいい?」というような確認を求める会話から、「これいいでしょう」という自慢の会話に変容します。その意味で、OBからの自慢話は、私にとっての自慢話です。でも、ちょっと考えてしまいました。子どもの成長を願う、と標榜している教師が、子どもから自分の成長を自慢する相手に選ばれないとしたら、とても悲しいことだと思います。なぜ、そんなことが一般の教室でおこるのか、真面目に考える必要があるように思います。さて・・・

 お二方とも苦労が多いと思いますが、いずれにせよ、比較的短期間に実感を得られたこと、なによりと安心しました。でも、もっと苦労しているOBも少なくないですよね。今までの研究から、教師の子ども観・授業観が変われば、最短で2週間、最長で1ヶ月で子どもたちは変わります。これに関しては、今までのOB諸氏の研究成果から、かなりの自信を持って言えます。でも、OB諸氏の研究成果は、同時に、同僚・上司である教師はなかなか変わらないことが明らかにしています。戸北・西川研究室の文化の中に2年間どっぷりつかって、いきなり別文化の中に戻れば、戸惑うこともあると思います。とても心配です。

 戸北・西川研究室の文化に拘る必要はありません。でも、逆に既存の教師文化に逆戻りでは、2年間の意味がありません。両方を知った上で、自分なりに取捨選択すればいいことです。その取捨選択には大学院と同じだけの2年間かかるかもしれません。焦ることはありません。待っています。ただし、お願いがあります。取捨選択した結果を教えてください。それが、研究室での次のテーマの種になりますから。

03/06/10(火)

[]今年度で2番目のウルウル 15:31 今年度で2番目のウルウル - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 今年度で2番目のウルウル - 西川純のメモ 今年度で2番目のウルウル - 西川純のメモ のブックマークコメント

 昨日、OBから嬉しいメールが来ました。内容的に匿名がふさわしいと思ったので、匿名性が保たれる部分のみを紹介します。でも分かる人には、分かりますよね。「天然ボケキャラなんですが、それでいて義心にかられ歴々とした大勢の人の前で自らの思いを堂々と述べ、それでいて、後で、はっきり言い過ぎたことによって人を傷つけたのではと心配し自己嫌悪する、心優しきあの人です。

 『うれしい報告です。どうしても勉強しなかった学校でも有名なAを、2ヶ月たったこんにち、学び合い勉強させる(勉強する)姿へと変容させることができました。まったくノートはとらない、教科書はもってこない、保健室でさぼる。そんなAに、グループ活用した私独自の授業スタイルで、勉強させることができました。ノートもとるし、友達(班員の人)とも笑顔勉強の話をしているのです。これには、今までいた先生がたもびっくりしています。恐るべし「学び合い」と実感しています。Aばかりでなく、クラスみんな勉強への姿勢も変わってきました。黒板を写し、覚えるだけの受け身の授業姿勢から、自ら学び、積極的に意見を出し、アイデアを出し合う姿へと変容してきました。保健室の先生も、Aがまったく保健室に来なくなった姿を感じられ、「○先生、何かやったんですか」と質問されました。そこで、「学び合いとは・・・」と久しぶりに語ってしまいました。保健の先生は「ほ~。」と感心されていました。「勉強させる」には、教材の工夫、授業のやり方しか選択肢がない教師には、とても理解できないことだと思います。人間関係勉強させる。「自分が勉強すると、クラスみんなプラスになる。自分が勉強しないとクラスみんなに迷惑をかける」この文化、雰囲気、授業スタイル確立すると、どんなに教師は、余裕をもって、生徒の支援にあたれるか。やっと西川先生の言われていることを実践でき、満足な日々をくらしています。』

 私の返信は以下の通りです。

『泣きました。

 感謝しました。

 ありがとう、同志!

 そして、期待していますよ!』

 教育実習の参観に続いて、今年度で2番目のウルウルです。大学で○さんと同じ研究室に所属できたことを誇りに思います。同時に、人に「やれ」と言うだけではなく、ちゃんと「出来る」大学教師にならねばと、身を振り返って反省しました。

追伸 自宅のコンピュータで○さんのメールを読んでいるときに、家内風呂から上がってきました。私を見るなり、「どうしたの?体が悪いの?目が真っ赤になってるよ!」と言われました。恥ずかしいので、「ちょっとね・・」とはぐらかしてしまいました。

03/06/09(月)

[]腹筋 15:36 腹筋 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 腹筋 - 西川純のメモ 腹筋 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 先だって、東京都の私立小学校先生方の会で話してきました。とても気分良く話すことが出来ました。印象深かったのは、年輩者の反応です。

 講演会には20代前半とおぼしき人がいる一方、私より年長の50代とお見受けする方もいらっしゃいます。県の教育センターでの講演の場合、年代がほぼ同じなのでターゲットを絞りやすいです。ところが、今回の会では年代がバラバラなので、ちょっとやりにくいな、と思いました。特に、今までの経験でも、私より年長の人を話に引き込むには、なかなか手間がかかります。そのような方が少なくないので、これまた緊張しました。

 ところが、話し始めて、「おや!?」と思いました。それは、そのような年長の方が、頷いてくれたり、にやっと笑ってくれるんです。その頷くところ、笑うところが、30代の脂ののりきった先生方のところと一致しているんです。私立小学校の年輩者の先生方は、若い心を持ち続けているんだな~と感心してしまいました。そうなると、こちらはノリノリになって話してしまいました。ところが、1時間10分を話すあたりから、お腹が痛くなり、気持ち悪くなってしまいました。理由は、運動不足のため、腹筋が弱くなっているにもかかわらず、勢いがつきすぎてペース配分もへったくれもなく大声で喋りすぎたことに原因があります。それから20分間は急に声を落として話しました。講演後に30分ほどの質疑応答がありましたが、ツボを得た質問だったので、またまた大声で答えてしまいました。会場から東京駅までの、20分のタクシー、40分ほどの電車の中では、気持ちが悪くなってうっぷしてしまいました。幸い、東京駅に着く頃には気分は上々になりました。腹は痛くなりましたが、思いっきり話せて、気分は最高です。同時に、私立小学校の年輩の先生方の心の若さに比べ、私の腹筋の衰えを感じ、反省することしきりです。夏休みの前半は、色々なところで講演の連続です。それまでに、腹筋を鍛えねばと、決意するこのごろです。

[]記念日ラッシュ 15:36 記念日ラッシュ - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 記念日ラッシュ - 西川純のメモ 記念日ラッシュ - 西川純のメモ のブックマークコメント

最近言葉進歩は著しいものがあります。単語レベル記念日を設けた場合、どれだけ記念日を設ければいいのか分かりません。白眉を挙げるとしたら、「赤いリンゴジュース」です。息子はリンゴジュースが大好きです。それをねだるとき、「あかい、りんぼ、ぶーすー」と言います。発音はまだまだですが、3つの言葉を、それぞれ分けて発音しています。我々は「あか」とか「りんご」とか「じゅーす」という言葉は使いますが、「あかいりんごじゅーす」というように使った覚えはありません。息子なりの応用編のように思います。とのもかくにも、良くしゃべるようになりました。

03/06/03(火)

[]目標を語るということ 15:38 目標を語るということ - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 目標を語るということ - 西川純のメモ 目標を語るということ - 西川純のメモ のブックマークコメント

 現在、4年生は中学校実習です。本日はSkの研究授業を参観に行ってきました。朝一番の授業で、遠方であるため、7時半に出発(家内は6時に起きて朝ご飯作り)です。途中で道に迷っては遅刻する、ということでだいぶ余裕を持たせて出発しました。ところが、スムーズについたため、中学校の周りをテクテクと散歩しました。ビックリしたのは、合う生徒がみんな私に挨拶をするんです。それも、90度近く腰を曲げて挨拶する生徒までいます。あわてて私も挨拶をします。こんな中学校ばかりではありません。担任の先生でさえ、授業の形態を保たせるに大変な中学校もあると聞いています。そんな中学校で実習している学生さんは、ものすご~く大変です。そんな学校もある一方、車で1時間弱の距離には、こんな中学校もあるんだな~と思いました。

 研究授業では、子どもたちの学び合いを通して、子どもたち自身が音楽を作り出そうとする授業を行っていました。出だしは快調です。まずは子どもたちが課題の歌を歌って、そのあと課題の歌の歌い方を自分たちで考えるという流れです。しかし、中盤になると、可視化を十分に機能させていないため、教師の介入が目立ち、そのため、子どもたちの学び合い活性化させることが出来ない姿が見られました。心の中で、「あ~、そこで言っちゃ駄目だよ~」とか、「なんで、○○のような目標設定をしなかったんだろう~」なんて思っていました。でも、声の出方が、前年の小学校実習とは比べものにならないほど良くなっていました。大きい声ではないものの、子どもたちにちゃんと聞こえる声になっていました。

 終盤になって、まとめの意味で、本日の話し合いを通して改良した歌い方で歌いました。とても良くなっていました。私は音楽専門家ではありません。だから、音楽的に良くなったか、どうかは分かりません。でも、最初の歌よりも、大きな声で歌っている子どもが増えています。また、歌い方に思い入れがあるため、歌っている友達の脇で、「もっと○○しようと」と言っている声が聞こえます。「あ~。子どもたちは、この時間を意味あるものとして捉えているんだな~。良くなったな~。」と思った瞬間、ウルウルしてしまいました。思わず、窓の外を眺めるふりをして、涙を拭きました。

 授業後、Skに対して、「可視化を利用しないため、教師が介入しすぎている」、「それは目標の設定に問題があるため」ということを厳しく言いました。でも、本人には言いませんでしたが、今年度最初のウルウルでした。

[]授業参観 15:38 授業参観 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 授業参観 - 西川純のメモ 授業参観 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 最近、ある人と目標を語ることに関して話しました。我々は教師の仕事は、目標を語ることであり、方法を語ることは控えるべきだと主張します。しかし、多くの場合、教師は目標を語るのではなく、方法を語ります。目標を語るべきである、ということを否定する先生は、まあ、いないでしょう。でも、方法を語るのを控えるべきだということに同意する先生は多くはないと思います。たとえば、ある課題を与えた場合、教師は「こうやって解きなさい」、「これこれを調べなさい」、「こうしなさい」と事細かにやりかたを指示します。我々の研究に依れば、そうやると子ども依存的になり、結局、教師が思いつく程度のことしかできない「愚かな」子どもにしてしまいます。なんで、そんなに事細かに指示するのでしょうか?教師としては親切心でやっているんですが・・・。私は教師が思っている「目標」というのは、全ての人が達成すべき到達点のように思っており、そのため、事細かに指示しているように思います。たしかに指導要領には到達点のように記述しています。でも、実態は違うことは明らかです。義務教育(いや高校レベルでも)には、いわゆる境界児の子どもがいます。その子どもの場合、自分の名前すら満足に書けない子どももいます。そのような子どもにも、指導要領に規定されているレベルを達成せよと求めるのが法律であるならば、リアリティがありません。私は、その方向に進みなさい、という方向性をしめすものだと考えるべきだと思います。すなわち、「あの丘の頂上に登りなさい」ではなく、「あの丘の頂上を目指して登りなさい」と捉えるべきです。従って、何が何でも、そこに達せなければならないわけではなく、その子の能力・特性に従って、多様な到達点があると思います。何が何でも到達させようと思うから、教師は背負ってでも、そこに到達させます。しかし、背負って到達させたとしても、その子にとって意味を持つものではないと思います。むしろ、全員が到達しなければならない、という一律の目標を与えたならば、それを出来ない子どもにとっては負担が大きいように思います。

03/06/02(月)

[]スイートテン 15:39 スイートテン - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - スイートテン - 西川純のメモ スイートテン - 西川純のメモ のブックマークコメント

 5月30日は結婚記念日です。結婚した当初、テレビには「結婚10周年にはダイヤモンドを贈ろう」というスイート・テン・ダイヤモンドの宣伝が盛んに流れました。二人で映画に行っても、予告編の前にスイート・テン・ダイヤモンドコマーシャルが流れます。そのころは、「10周年っになるとどうなるのかな?」と思っていました。それが10年経ちました。以前から、「きっとダイヤモンドでも贈ろう、なんて思っているんだろうと思うけど、くれるんだったら普段つけられる二人お揃いの指輪が欲しい」と家内から言われています。夏休み仙台にいったときにでも作りたいと思います。

 夕方、大学の帰りに花屋によって百万本のバラ、とはいかず、10本のバラの花束を作ってもらいました。夜は息子と3人で近くのファミレス風の居酒屋で夕食です。息子が大はしゃぎのため、落ち着いて飲み食いするとはいきませんでした。その居酒屋は息子の名前と同じ名前です。帰り際に店の人から、その居酒屋の名前(つまり息子の名前)入りの缶バッチをもらったため家内はニコニコしていました。帰りは3人手を繋いでテクテクと夜の道を通って家に帰りました。私にとっては、満足のいく10周年記念日でした。

追伸 翌日の31日は、善光寺ご開帳の最終日です。家族三人でいってきました。案の定、大混雑。人混みにビックリして、息子は終始泣いていました。とにもかくにも、お参りをして、7年前の回向柱のお守りをお返しして、新たな回向柱のお守りを買ってきました。帰りに長野カッパすしで昼食を食べました。海苔巻き好きの息子はニコニコです。