西川純のメモ このページをアンテナに追加 RSSフィード

西川純です。新潟県上越市の上越教育大学の教育実践高度化専攻(教職大学院)で『学び合い』を研究しています。諸般の事情で、このブログのコメントは『学び合い』グループのメンバー限定です。メンバー登録は、いつでもOKです。ウエルカムです。なお、メールはメンバー以外にもオープンですので、いつでもメールください。メールのやりとりで高まりましょうね。メールアドレスは、junとiamjun.comを「@」で繋げて下さい(スパムメール対策です)。もし、送れない場合はhttp://bit.ly/sAj4IIを参照下さい。西川研究室はいつでも参観OKです。 詳細は http://www.iamjun.com/をご覧下さい。 もし『学び合い』グループに参加される場合は、 http://manabiai.g.hatena.ne.jp/をご参照ください。
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03/04/28(月)

[]息子を見ながら 16:20 息子を見ながら - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 息子を見ながら - 西川純のメモ 息子を見ながら - 西川純のメモ のブックマークコメント

息子を見ると、詩人になったり、哲学者になるような気がします。昨日も、息子を見ながら思いました。カントは「純粋理性批判」程度しか書けなかった。ニュートンは「万有引力の法則」程度しか発見できなかった。両者とも独身で生涯を終えている。一方、私は結婚し、子をなしています。どんな偉大な哲学にせよ、科学にせよ、しょせん時代が作り出したものです。その人が発見しなくとも、早晩、だれかが発見したでしょう。しかし、妻や子との関係は違うと思います。それは、その人しか作り得ないものです。神は、凡夫の全てに、カントニュートン以上の発見の機会を与えていると思いました。う~ん、自分の言葉に酔っている。でも、昨日はそれの正しさを強く感じました。

03/04/25(金)

[]初めてのタイプ講義 16:23 初めてのタイプの講義 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 初めてのタイプの講義 - 西川純のメモ 初めてのタイプの講義 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 本日、学部2年生対象の授業(理科学習過程論)を行いました。受講生は何と一人です。なにしろ、理科コースの学生さんは聞いてはいけない、理科教育の授業なんですから。でも、今までは理科を専門としていない方が5、6人はとっていたんですが、今年は一人(国語の副免の学生さん)です。今までに、200人相手の授業も、100人相手の授業も、20人相手の授業も、10人相手の授業も、5人相手の授業も経験しました。しかし、たった一人相手の授業は、教師生活において初体験です。人数が数十人以下の場合、基本的に学び合いを徐々に導入していましたが、その方法が全く使えません。う~ん、困った。

03/04/23(水)

{親ばか]子どもを見て思い出したこと 16:24 {親ばか]子どもを見て思い出したこと - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - {親ばか]子どもを見て思い出したこと - 西川純のメモ {親ばか]子どもを見て思い出したこと - 西川純のメモ のブックマークコメント

 昨日も息子といっしょに風呂入りました。湯船につかり、息子の顔をボーっと見ているうちに、ふと過去現在西川研究室関係者の方々の顔が走馬燈のように浮かびました。その中には40を超えたおっさんの顔も含まれます。私からは、国宝級の仏像のように気品と美しさを感じる、息子の顔を見ながら、おっさんたちの顔が走馬燈のように思い浮かんだことにしばらく(おそらく2,3秒)呆然としてしまいました。

 ちょっと考えてみると、思い浮かんだ理由が分かりました。その時、風呂で息子の顔を見ながら、「かわいいな~」と思いながら、同時に、「この息子のおかげで助けられているんだよな~」と思っていたんです。その瞬間に、無意識に色々な方の顔が走馬燈に思い浮かんだんです。理由は、自分自身はそういった方々に守られているんだよな~っと思ったんだと思います。同時に、自分より年上の方もおられる人も含めて、不遜ながら、「かわいいな~」と、ちょっと目を細めてしまいました。

03/04/22(火)

[]メダカ学校記念日 16:25 メダカの学校記念日 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - メダカの学校記念日 - 西川純のメモ メダカの学校記念日 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 昨日の夜、家内が、風呂から上がった息子の髪を乾かしながら、「メダカ学校」を歌ってあやしました。そのとき、息子が突然歌い始めました。発音が完全でない息子の歌は、「えだか~の、がっぽ~あ~」の1節程度のものですが、確かにメロディーをつけて歌いました。息子の初めての歌です。夫婦とも狂喜乱舞して、何度も何度も歌うように促しました。感激です。今日の朝も、歌を歌って貰いました。

03/04/21(月)

[]研究 16:28 研究 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 研究 - 西川純のメモ 研究 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 最近、うちらの研究室は、どんな風に見られているのかな~・・と思って、身近な人やOBの人に聞いてみました。率直に教えて貰い、驚き、私自身の筆足らずの点が多いな~と思いました。そこで、ちょっとメモろうと思います。きっと、この部分は、この次か、次の次の本の一部になると思います。

 我々は、子どもに着目し、教材(最近言葉だとコンテンツ)にこだわりません。私自身は、何故、現職の方が大学院で教材の研究をするのか理解出来ません。2年間苦労して開発して、その教材を現場で生かす場面って、いったいどれだけあるんでしょうか?もちろん、そのような教材開発を通して、教材開発の能力を得る、という理由付けも出来ます。でも、現場に戻って教材開発に携わる機会って、何回あるのでしょうか?我々は、子どもに着目し、子ども観・授業観を磨きます。どんな授業であっても、子どもを見ることは常に必要です。

 また、我々の研究は、子どもパターン化し、子どもを集団としてみている、と考え、もっと一人一人の子どもに寄り添うべきだ、という意見もあります。この意見の方が、共感できます。おそらく、現場実践の中で、子どもを一纏めにしたという自責の念と、そのような指導に限界を感じた良心的な先生の気持ちだと思います。でも、そのような先生方に、私は問いたい。もし、一人一人の子どもに寄り添って、その子どもを理解する能力が得られたとしたら(私はそう簡単ではないと思いますが・・)、問題を解決できるでしょうか?クラスには30人以上の子どもがいます。その子ども全員に寄り添うことは物理的に不可能なことです。ということは、クラスの特定の子どもに寄り添うことになります。でも、目立って問題のある子ばかりに問題があるのではなく、その他の子どもにも問題があります。目立たない子どもの中に、緊急の問題があることもあります。さらに、ある特定の子どもに寄り添えば、相対的に他の子どもから離れることとなります。クラスから逃げ出す子どもをどこまでも追っていく教師は、一見良心的に見えます。ところが、その教師が教室にいないために、呆然とする子どもが30人いることを忘れているのではないでしょうか?

 一人一人の子どもに寄り添っていこうという教師の中には、「教師がやらねば何も起こらない」という「教師対子ども」という囚われがあると思います。私は断言したい、「子ども一人一人を救うのは、子ども一人一人で構成される集団だ」と。「教師1人では救うことは出来ないが、クラス全員では救うことが出来る」と。教師の仕事は、一人一人の子どもを理解することではなく、一人一人の子どもが活動しやすい場を作ることだと。そのためには、教師が一人一人に寄り添うことは、良いことではなく、障害になりうるということを。

 そのため、我々は子どもを徹底的に観察しますが、「太郎」、「花子」のレベルまで個別的な分析はいたしません。本にも書きましたが、そのレベルのことを知ったとしても、教師は何も出来ないし、また、すべきではないと思います。ただ、この私のスタンスは、冷たく感じられるかたもおられるでしょう。事実、面と向かって、「現実子どもたちを目前にいる私には出来ない!」と言われたことがあります。しかし、それは人様から言われるまでもなく、十分承知しています(私の本性はウエットですから)。しかし、そこでウエットになって何が生まれるのでしょうか?結局、自己憐憫マスターベーションに陥り、改善のない日々を送ることになるでしょう(私の場合は、高校教師時代、毎日1升以上の酒を飲み、バカ野郎、バカ野郎と叫びながら泣いていました)。もしくは、教師の力で「解決し得た」、「解決できる」と誤解できるほどの、傲慢さと無神経さを得るだけのことだと思います(私の場合は、授業がうまくいったと思いこみ、俺はスパー教師だと自己満足することもありました)。

 「熱き思い」と「冷静な分析」は共に必要です。私は「冷静な分析」のみで「熱き思い」を忘れた従来の学術研究に戻るつもりはありません。また、「熱き思い」にかられ、それに絡め取られるような研究に行くつもりもありません。「熱き思い」と「冷静な分析」その危なげなバランスを常に保たねばならない、今のスタンスを大事にしたいと思います。即ち、「熱き思い」を持つ教師が、「冷静な分析」に基づき現実を見直し、「熱き思い」で判断する。それが教師に出来ることだと思います。別な言い方をすれば、研究で出来るのは、「熱き思い」を持つ教師に、もう一つの引き出しを用意することぐらいだと。

追伸 Mさんメール有り難う。ちょっと元気になりました。

[]27禁を越える方法 16:28 27禁を越える方法 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 27禁を越える方法 - 西川純のメモ 27禁を越える方法 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 ある院生さんから、「先生たちの研究は若い先生に影響することは出来ない。」、「先生の書かれているのは、私程度の教師にとっては当たり前のことである」との厳しい指摘をいただきました。まったく、その通りなのだと思います。本にもメモにも書いているように、我々の研究を理解し、誤り無く実践できる先生は、「既に理解し、実践できる先生」か、その直前の先生方なのかもしれません。 私は何度も、色々なところで書いたように、若い先生方が分かりやすくするためノウハウ的に記述することは出来るだけ避けるようにしています。それでは、若い先生方は分からなくても良いのか、といえば違います。若い先生方の中にも、我々が気づいていることを既に気づいておられる方は少なくないと思います。その中には、実践の中で生かしている方もおられると思います。そのような方であれば、我々の本を読んでも誤ることはないように思います。でも、そうでない先生もいます。先の院生さんは、「私にはそのような先生方も分からせることが出来る研究がある」とおっしゃっていました。でも、私は「そんなことが出来るのかしらん」と思っています。では、私はどう思っているかと言えば、「若い先生方を育てるのは、職員集団だ」だと思っています。だから、我々の研究を誤り無く理解できる先生方を増やすことが、結局、若い先生方を育てる方法だと、今は信じています。

 我々の研究は「当たり前である」というご指摘は、全くその通りです。しかし、現実に「それに熱烈に反対する先生」もいますし、「それを理解できない先生」もいます。しかし、「当たり前」と感じる先生が少なくないことは確かです。それでは我々の存在意味は何か?と問われれば、実証的なデータによって分析している点です。実証的データによって、「当たり前のこと」を、「当たり前」と思えなかった人に共感してもらえることが出来ます。それが学術研究存在意味だと思っています。

追伸 上記をご指摘頂いた院生の方のご意見の95%以上は、好意的な意見であり、我々をよく理解して頂いている意見です。とても勉強になりました。二つの意見にしても、その方面にも意識したら良いのではと言う建設的な意見です。ただ、表現上、短くまとめてしまうと「きつい」ものいいのようになってしまいました。全ては、私の舌足らず、筆足らず、不徳の致すところです。

03/04/16(水)

[]春本番 16:29 春本番 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 春本番 - 西川純のメモ 春本番 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 本日は大安です。お天気は快晴。そこで、鯉のぼりを上げることにしました。昨日来た、長崎先生からの手紙に「葉桜が風に揺れています。上越の桜はいかがでしょうか」とありました。今上越は満開です。日本列島の大きさを感じます。そういえば、二日前に「こしあぶら」(タラの芽に似た山菜)を学内でとりました。今日の夜は学習臨床コース全体の歓迎コンパです。200人ほどの大所帯でのコンパで、学生食堂の殆どを貸しきりにします。

 薫風香る、晴れた春の日は、とにもかくにも気分が良い!

03/04/15(火)

[]本末転倒記念日 16:31 本末転倒記念日 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 本末転倒記念日 - 西川純のメモ 本末転倒記念日 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 おしっこに関して息子に進歩が見られます。きっかけは、おしっこをかけると絵が浮き出るという製品です。それをおまるにおいたところ、その絵を出したい一心で、おまるでおしっこをするようになりました。しかし、少量のおしっこで絵が出るため、おしっこを分割払いするようになりました。つまり、少量のおしっこをだし絵を出すと、絵が出る製品を交換することをせがみます。交換すると、直ぐに少量のおしっこをするということを繰り返します。

 トイレに関するビデオを見せると、トイレに興味を持ち出しました。でも、興味の中心は、水洗トイレレバーを回すと流れる水のようです。小用をもよおすと、「あっち」といってトイレに連れて行くようせがみます。トイレにまたがると、おしっこを少量だします。そして、レバーを回し、水を流します。オムツをはいて居間に戻ると、1分もたたずに「あっち」といってトイレにつていくようせがみ、おしっこを少量だし、レバーを回し、水を流します。それを何度も、何度も繰り返します。つまり、息子にとっては、おしっこをしたから水を流すのではなく、水を流すために、おしっこをするという本末転倒の状態になっています。とわいえ、また一歩、進歩していることに関して、親としてとっても嬉しく思います。

03/04/07(月)

[]新入り 16:35 新入り - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 新入り - 西川純のメモ 新入り - 西川純のメモ のブックマークコメント

 入学式はまだですが、それとおぼしき学生院生さんがウロウロし始めました。昼頃、大学を歩いていると、インスタント食品を袋に入れて、学生宿舎の方向に歩いている30過ぎの方がいました。後ろ姿が、ちょっと寂しげです。また、今日の5時頃、学生会館に買い物に行くと、それとおぼしき女子学生さんが十数人が学食の前でウロウロしていました。休み中なので、本日は夕食はありません。新入生は運転免許がありませんので、行動範囲は自転車レベルです。さらに、どの方向に行けば食べ物屋があるのか見当がつきません。この子たちは、今夜の食事はどうするんだろう・・と思いました。

 私も経験があります。18歳の時、大学入学式の前に、両親と一緒に学生宿舎へ荷物を車で運びました。3時頃に両親は帰り、その後は一人の学生宿舎にポツンと座っていました。「どうしたらいいんだろう?」と本当に考えました。でも、入学式が終わり、ポツポツと友達が出来ます。そうなると、こんなに自由で楽しいところはない、と思うようになりました。25歳の時、大学院を修了し、八王子高校に勤めることになりました。高校PTA会長から下宿を紹介して貰いました。1Kの小さい部屋です。4月1日までは何もすることがありません。ぶらぶらと下宿の近くを散歩しました。これまた「どうしたらいいんだろう?」と考えました。でも、4月1日の辞令交付の後は、怒濤の日々です。

 人は人と繋がることによって生きることが出来ます。突然、それを断たれると、どうしていいのか分からなくなります。でも、繋がることによって生きる動物だから、結局、誰かと繋がり、生きることになります。今、学内をウロウロしている人の多くは、それまでの繋がりを断って上越に来ました。きっと不安でいっぱいなのだと思います。でも、数日後には、新たな繋がりを出発させることが出来ます。今でも、学生時代を過ごした筑波と、高校教師生活を過ごした八王子は、いい知れない郷愁を感じます。私にとっての筑波や八王子のように、学内をウロウロしている新入りさんにとって、2年後、4年後には、上越が去りがたい地となることを祈ります。

追伸 3月に修了された方々も、地元では新人(戻り新参)ですね。でも、1ヶ月も経たないうちに、100年前からいたようになるでしょうね。だって、それだけのパワーのある方ばかりですから。

03/04/01(火)

[]寂しいよ~ 16:36 寂しいよ~ - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 寂しいよ~ - 西川純のメモ 寂しいよ~ - 西川純のメモ のブックマークコメント

 10日ぶりに上越に帰ってきました。留守中に溜まった仕事を、怒濤のようにこなしています。しかし、今の状態を表現すれば、「忙しいよ~」ではなく、「寂しいよ~」です。

 家内と息子をおいて、一足先に上越に帰ってきたので、暗い寒い部屋に帰らなければなりません。独身時代は毎日だったんですが、誰もいない自宅に帰ることは、この10年間で10回もありません。大学に来ても、馬鹿話をしあった旧修士2年生は現場に戻られて、誰もいません。新修士2年の方も来られません。戸北先生会議がちでいらっしゃません。私にとっては、だ~れもいない大学です。1週間も経てば、家内や息子も上越に戻ってきます。院生さんも来られるでしょう(だって、新学期が始まるんだもん)。ということで、この1週間は、とても寂しい1週間です。