西川純のメモ このページをアンテナに追加 RSSフィード

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03/03/17(月)

[]博士 16:55 博士 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 博士 - 西川純のメモ 博士 - 西川純のメモ のブックマークコメント

今年度は3つの課題がありました。時間的順番から言えば、「教授昇任」、「学会立ち上げ」、そして「博士号取得」です。三番目がこのたび、正式に決まりました。一つ一つでも大変なのに、三つ一緒というのは、冷静に考えればクレージーです。それが実現できたのも、関係する方々のおかげです。

 博士という学位の意味を簡単に説明したいと思います。学者の世界(特に人文系)における博士という学位の意味は、ちょうど小中高校の教師における専修免許状に対応します。以下が、似ている点です。(以下、罰当たりな書き方かもしれませんが、部外者に分かっていただくための「方便」とご理解下さい。)

1.なくても職に就ける

 専修免許状が無くても、1種、2種免許があれば教師になれます。少なくとも人文系の場合、博士の学位が無くても、修士の学位があれば研究者になることが可能です。

2.職に就かなければ役に立たない

 専修免許状を持っていても、教師として採用されなければ、その免許状を持つメリットはあまりありません。同様に、研究者でなければ博士という学位を持っていてもメリットはあまりありません。

3.でも無いと不便

 以上のように書くと専修免許状のメリットが全くないように思えますが、そうではありません。例えば、教師の場合も、管理職になるために専修免許状が求められることがあります。大学の場合も、博士課程の指導教官(○合資格)になるためには、博士が求められる場合があります。その他、大学において対外的に看板となる立場になる場合、博士号を持つことが求められることがあります。

 私の学位論文は、「巨視的時間の距離感形成に関する研究」というタイトルで、私が理科教育研究を中心にやっていた時代の認知研究に関するものです。理科教育学博士の学位を日本で取得した日本人は、歴史上、おそらく30名はいないと思います(真面目に数えれば数えることが出来るレベルです)。おそらく、最初は大庭先生高知大学名誉教授:故人)で、高野先生筑波大学名誉教授)、寺川先生広島大学名誉教授)、平沢先生信州大学名誉教授:故人)、森先生大阪教育大学名誉教授)、武村先生広島大学名誉教授)、恩藤先生神戸大学名誉教授:故人)、野上先生神戸大学学長)、磯崎先生広島大学助教授)と続き、戸北先生は10番目です(多少のズレ・抜けがあるかもしれませんがご容赦)。

 以上のお一人である、高野先生博士論文ワープロに打ち込んだのは私でした。当時、大学院生でした。高野先生ワープロ打ちのアルバイトやらないかと持ちかけられ、やりました。当時の高野先生筑波大学教授で、理科教育学会の学会長でした。そのような先生博士の学位を取ろうとしていることを、理学部出身の私はビックリした次第です(理学では課程博士が主で、27歳程度で取得するのが一般的です)。その際、教育学における博士という意味が、理学の博士とは全く異なっていることを知りました。高野先生は「観察」に関して30年近く研究した方ですので、その成果も膨大です。ワープロに打ち込んでも、打ち込んでも終わりません。最終的には10cm強の厚さの論文となったのを記憶しています。打ち終わった後、「いつかは自分も教育博士を取りたい」と思いました。それから20年弱たちました。感慨無量です。

 高野先生に比すのはおこがましいですが、巨視的時間に関する研究は私の大きなテーマの一つです。博士論文をまとめる経験を通して、改めて教科教育学における認知研究意味を考えることが出来ました。また、まとめるに際して多くの先生方からコメントをいただきました。そのコメントをどれだけ吸収できたかは分かりませんが、今までとは違った視点で見直すきっかけとなることが出来ました。個々の論文を書くのとは違って、博士論文というのは全体を俯瞰(ふかん)する論文です。その意味でも、とても良い経験になりました。同時に、多くの方々のおかげだと感謝することしきりです。

[]ホワイトデー 16:55 ホワイトデー - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - ホワイトデー - 西川純のメモ ホワイトデー - 西川純のメモ のブックマークコメント

 毎年、家内西川研究室男性院生さん・学生さんに手作りチョコバレンタインデーに送ります。家内なりの,院生さん・学生さんへの感謝の気持ちです。それに対して、この前のホワイトデーには院生さん・学生さんから感謝の品をいただきました。家内はとてもとてもビックリし、また、感謝していました。その喜ぶ姿をみることによって、私もとても嬉しくなりました。年度末でお一人お一人にお会いし、このことを伝える機会がないため、本メモを書きました。ありがとうございました。

 結婚してから、家内から色々と教えてもらいました。その多くは常識レベルのことです。恥ずかしながら、自分は本当に非常識であることに気づかされます(今も)。その一つが、物をもらったら、感謝の意を表する、ということです。こう書くと当たり前そうですが、私も抜けることが少なくありません(今も)。でも、私ばかりではないようです。少なくとも私の業界では当たり前ではないようです。

 私は、今までに何冊も本を出版しました。その際、関係する各位に謹呈することがあります。その数は少なくありません。私も色々な人から本や報告書を謹呈されることがあります。以前のメモの「筆まめの勧め」(01.3.4)で書いたように、大学院指導教官だった小林先生の教えを守り、返事を書くようにしています。長文を書かねばと思うと続かないので、葉書1枚、もしくは電子メール感謝を伝えます。また、読み終わってからと思うと、づるづる返事が遅れ、結局出さないことになる危険性があるので、もらったら直ちに返事を出すようにします。ただし、これをやっていたのは、尊敬する小林先生がおっしゃることだから、「まあ、とりあえず書こう。」というレベルのものだったのかもしれません。しかし、自分が本を出し、それを謹呈するようになってから、「やっていて本当に良かった」と思うようになりました。

 先に述べたように、私は繰り返し本の謹呈を行いました。受領の手紙は大抵の場合1週間以内に届きます。内容は長文のものも含まれますが、大多数は「ありがとう」の一言レベル、または、「受領しました」のレベルです。でも、短くとも、書く人の人柄が現れるものです。また、どんなに短くても、とにかく到着したことは確認できます。しかし、その数は、謹呈した数の30%程度です。私の研究に極めて近く、学会では仲良く話すレベルの人であっても50%を越えることはありません。その種の手紙、及びメールは捨てていないので、一度、返事の来た人と来なかった人のリストを作ったことがあります(陰湿かもしれませんが、何度も返事がない人が少なくないので、ちょっと腹を立ててやりました。)。その結果として分かったのは、返事を出す人は常に出すし、返事を出さない人は常に出さないということです。また、例外はあるものの、常に出す人は社会や学術において活躍している人が多く、出さない人は「暇」な人が多いようです。このあたりは小林先生のご指摘の通りでした。そして人格者である小林先生はおっしゃらなかったこと(でも気づいていたであろうこと)は、前者の人は交際するにたる人(逆にいえば敵にすると手強い人)で、後者の人はそうでない人であることです。おそらく本や報告書を数多く出版する人、そして謹呈する人の多くは、おそらく私と同様な結論に達しているだろうということが推測されます。ということで、小林先生から教えてもらった「筆まめ」をやり続けて本当に良かったと思っています。もし、やっていなかったら、それらの人から、私も後者の一員に分類されていると思われます。