西川純のメモ このページをアンテナに追加 RSSフィード

西川純です。新潟県上越市の上越教育大学の教育実践高度化専攻(教職大学院)で『学び合い』を研究しています。諸般の事情で、このブログのコメントは『学び合い』グループのメンバー限定です。メンバー登録は、いつでもOKです。ウエルカムです。なお、メールはメンバー以外にもオープンですので、いつでもメールください。メールのやりとりで高まりましょうね。メールアドレスは、junとiamjun.comを「@」で繋げて下さい(スパムメール対策です)。もし、送れない場合はhttp://bit.ly/sAj4IIを参照下さい。西川研究室はいつでも参観OKです。 詳細は http://www.iamjun.com/をご覧下さい。 もし『学び合い』グループに参加される場合は、 http://manabiai.g.hatena.ne.jp/をご参照ください。
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02/11/28(木)

[]かわいいな~ 17:40 かわいいな~ - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - かわいいな~ - 西川純のメモ かわいいな~ - 西川純のメモ のブックマークコメント

 来年大学院に来る方が、面談にこられました。附属幼稚園面接今日です。面談面接を一気に行うという荒技です。今までも、何度も次年度入学予定者の面談を受けましたが、お子様・奥様連れの面談は初めてです。さすがにお子様連れだと、ご本人が面談に集中できないし、それ以上にお子様がかわいそうなので、お子様と奥様は別室で休んで頂きました。面談後、一緒に食事をしましたが、人見知りせず、元気に、一生懸命話しかけてくれました。可愛いお子様です。

 息子はまだしゃべりません。しかし、お子様の口元を見ていると、息子の口元を連想させる可愛い口です。その口元から言葉がボンボン出ます。いつのまにか見とれている自分に気づきます。かわいいな~。早く、息子もしゃべらないかな~っと思いました。

02/11/26(火)

[]緊張しました 17:47 緊張しました - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 緊張しました - 西川純のメモ 緊張しました - 西川純のメモ のブックマークコメント

 昨日は筑波大学附属中学校で講演をしました。きら星のごとき先生方を前に、極めて緊張しました。講演の後、質疑応答の時間を設けました。大抵の講演の場合、司会者が「何かご質問はありませんか?」と問いかけても、会場がシーンっとなってしまうのが通例です。そのため、私の方から指名して「何かありません?」なんてお節介なことをします。しかし、今回の場合、質問・意見がボンボン来ました。それも、本質を突く、ズバッとした質問なので、正直、ドキドキしました。

 歴代OB・現メンバー研究成果をもとに、それなりに回答することが出来ました。しかし、反省点が二つあります。第一は、いつもながらの私の表現方法です。色々の方から、私の表現は若い先生に誤解を与えるとのご指摘をいただきました。また、「分かりやすい授業」、「面白い授業」に研鑽されている先生に対して、それを否定しているようにとられる場合がありました。いずれの場合も、補足説明をし、お詫びを申し上げました。

 第二は、「私語」についてです。ある先生から、「子どもたちの私語を信じたいが、信じられる方法はあるか?」という質問を受けました。その時点では、「子どもたちが、私語でどんな話をしているのを知るには、我々がやっている方法(即ち、数十台のビデオカセットを使って数ヶ月記録し、分析するという方法)しかないでしょう」と答えました。しかし、帰りの電車の中で、「もう一つ付け加えるべきだったな」っと反省することしきりです。

 確かに、子どもたちがどのような私語をしているかを、直接知る方法は、とても手間のかかる方法です。とても、現場の激務の中でがんばっている先生には出来ない方法です。でも、現場先生でも出来る評価方法があります。それは、最終的な成績を見ればいいのです。つまり、成績が上がっているなら、良い私語をしており、成績が悪いならば悪い私語をしていることを意味しています。そして、子どもたちには、最終的にテストで評価することを言って、任せれば良いんです。

 課題が出来ない場合、出来そうにない場合、学生さん・院生さんは、「先生、頑張ったんです!」と言います。確かに頑張っていることはよく分かっています。しかし、それに対して私がいつも言うことは、「頑張らなくても良いんだよ。遊び回っても良いんだよ。結果さえ出してくれれば。」です。西川研究室の面々なら、何度も言われた経験があると思います。西川研究室では、どのような目標を立てるか、ということに関しては、徹底的に話し合います。しかし、どのようにやるか、に関しては、基本的に任せています。もちろん、相談には乗ります。しかし、最終的には学生さん・院生さんに任せています。こちらとしては、節目節目に、結果を出してくれることを求めるのみです。それでうまくいっています。

 大学でも何度も改革が行われました。しかし、不遜ながら徹底していないように思います。その原因は、方法は問われるが、評価はしない、ということに起因すると思われます。その背景には、具体的な目標を立てていないことに由来していると思われます。例えば、大学目標はたいていの場合、毒にも薬にもならないもので精神的なものばかりです。具体的には、その目標が達成されたか、しなかったかを客観的に評価する方法がない目標です。ところが、方法に関しては、えらく具体的・詳細です。それも、ナイーブ(素人的)な仮説に基づくものです。たとえば、○○をすれば、■■になるはずだという仮説なんですが、それを実証するデータに欠けたものです。なぜ、実証的なデータに欠けていると思うかと言えば、私が「それを示すデータを出して下さい」と言い出すと、烈火のごとく怒り出す人がいることから分かります(出せるならば、怒る必要はありませんから)。結果として、根拠薄弱な方法に、準拠しているか否かのみが評価の対象となります。つまり、目標が達成されたかが評価されるのではなく、方法に従っているかが評価されます。そうなれば、評価される側は、目標の達成を目標にするのではなく、言われた方法に従っている「ふり」をすすればいいことですから。これでは、改革がなされるわけありません。

 授業も同じです。私語をしているか、していないかは教育目標ではないように思います。重要なのは学習が成立したか、否かです。そうであるならば、教師は学習が成立したかを評価すればいいことです。もし、その学習において私語が有効だと学習者が判断すれば、学習に有効な私語をするはずです。バカみたいな私語ばかりすれば、学習が成立しないのは、だれでも分かります。そして、評価において、それが白日にされるのも分かります。一方、授業中静かであるということを評価対象とすれば、子どもは静かに聞いている「ふり」をするだけです。だから、子どもたちと目標を共有し、それを教師がしっかり評価すれば良いんです。つまり、「しゃべってもいいんだよ。結果さえ出せば。」というところです。

[]怖かった 17:47 怖かった - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 怖かった - 西川純のメモ 怖かった - 西川純のメモ のブックマークコメント

 日曜日に、歯の詰め物がとれていることが判明しました。月曜日講演会だったので、本日行ってきました。緊張しました。いすに座って診察。先生が、「土台はこのままでいいね。型取るからね。」と言われホッとしました。おかげでクイーンという音を聞かずにすみました。しかし、型を取られる際、タオルで目を隠されたので、よけい緊張しました。でも、なにもなく15分程度ですみました。来週、詰めてもらえれば終わりです。十年ぶりの歯医者です。とにかく怖かった!

02/11/22(金)

[]オーラ発信 17:53 オーラ発信 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - オーラ発信 - 西川純のメモ オーラ発信 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 私もかっては大学院生で、修士論文を書きました。私の場合は9月頃には、投稿論文形式は完成し、投稿しました。修士論文は10月の当初には書き終えていました。修士論文提出は1月です。となると、それからの3ヶ月間、何をしていたか?それは推敲をしていました。私の修士論文は本文21ページです。おそらく、筑波大学修士論文の中で、際だって短かったと思います。しかし、その論文をどれだけ推敲したかでは、最高レベルだと思います。自分自身でも推敲しましたが、十数人の教官に目を通してもらい、チェックを受けました。本文21ページにもかかわらず、後から後から推敲すべき点が現れます。しかし、その過程は楽しいものでした。まるで拾ってきた石を、毎日毎日磨いているうちに、光はじめ、「玉」にするような気持ちです。最終的なレベルはどれだけになったかは分かりません。しかし、結果として、理科教育学会、科学教育学会の学会誌に論文が掲載されることになりました。しかし、それ以上に、私自身が自分なりに納得できました。

 前のメモに書きましたが、修士2年の院生さんがオーラを発する段階があります。その段階をすぎると、私なんぞより、ず~っと高みに登ります。私は、ただただ「すごいな~」と見上げるのみです。Mさんが、チョロチョロ段階ですが、オーラを確実に発し始めました。おそらく1ヶ月以内、はっきりとしたオーラを発すると思われます。それでは何故、Mさんがオーラを発し始めたかといえば、粗いながらも論文の骨格が完成したからです。あとは、推敲の段階です。推敲の段階で、西川研究室の現状を打破し、次の段階を示してくれます。また、成果を自分自身の来年戻る実践の場に適用する余裕が出ます。ワクワク!書き終えているYさんも、もうそろそろチョロチョロ出始めると思います(子育てが忙しいため、もうちょっと待たなければ駄目かな?)

 ということで、このメモ意味することをKuさん、Hさん、Koさんは、よ~~っく分かるよね。期待してますよ。私はオーラを浴びながら、感激したいんです!

[]新たな概念 17:53 新たな概念 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 新たな概念 - 西川純のメモ 新たな概念 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 Ooさんが現場実践研究から数ヶ月ぶりに帰ってきました。昨日はOoさんから、その成果の報告を聞きました。感激しました。非常にコンパクトにまとまる(即ち教育的汎用性の高い)知見を示すデータを持ち帰られました。一つは、可視化効果です。即ち、学習者が他の学習者の活動をみれる環境を整えることの効果を示すデータです。もちろん、可視化に関しては、我々は了解済みです。しかし、Ooさんのデータは、その効果のすごさを劇的に示す場面を取られている点で画期的です。しかし、私が感激したのは、「目的可視化」という新たな概念を示すようなデータを得た点です。我々が従来、可視化と言って語っていたものの殆どは、「方法の可視化」というべきものです。つまり、どのようにやっているかを見えるようにしているんです。しかし、Ooさんのデータ目標可視化される場面をとらえています。これが明らかにされると、一斉学習意味が、従来の教授伝達というものとは全く別な意味で再評価できると思います。

 私が何を感激し、何を書いているか、おそらく西川研究室の面々でも意味不明でしょうね。今度のOoさんの全体ゼミでの発表を「乞うご期待」というところです。ということで、Ooさんへ、以上のメール意味するところは、お分かりになりました?私が、ここで書いた意味。少なくともHさんは、よ~っくお分かりですよね。

02/11/19(火)

[]君子豹変 17:54 君子豹変 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 君子豹変 - 西川純のメモ 君子豹変 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 昨日は息子が6時半に起きました。平常より1時間弱ほど早い起床です。そのせいか、朝食は機嫌良くもりもり食べました。家内によれば、昼飯も、昼寝も約1時間ほど早めにシフトしたそうです。すんなり食べて、すんなり寝てくれることですから、ありがたことです。夕食を食べ、一服して風呂入りました。

 風呂に入れてから数分はニコニコしていたのですが、シクシクしはじめました。それから1分後には、手のつけられない状態で、暴れ泣き叫びました。息子は全身全霊を込めて、風呂場から出たいと主張します(言葉はしゃべりませんが)。そこで、押さえつけながら何とか、手早く全身を洗い、風呂場の外でキョトンとしている家内にわたしました。いつもは機嫌良く風呂に入る息子が、どうしたのかしらん?と思いました。

 私も手早く体を拭いて居間に行くと、顔を家内の膝の間に埋め、盛んに顔をこすりつけている息子がいました。原因は眠くなったためと思われます。以前に見た投稿ヴィデオで、「それまでパクパク食べていた子どもが、急に眠たくなくなり、数分後には寝てしまった」という場面がありました。まさにその場面が、うちの風呂場で起こったということです。布団に横にしたら、いつもは30分(ひどいときには1時間ぐらい)眠らないのに、15分程度で寝始めました。

 また風呂場で暴れられても困るので、本日の朝は7時半までソーット寝かせていました。

02/11/18(月)

[]ちょっと一服 17:56 ちょっと一服 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - ちょっと一服 - 西川純のメモ ちょっと一服 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 記録によれば、13日ぶりのメモです。とにかく忙しい日々でメモを書く時間がありません。

 今年は、私の一生でも、もっとも慌ただしい1年の一つになります。何しろ、教授昇進の諸準備、新学会立ち上げ、それと後一つ(しばらく秘密)という3つが重なった年です。一つ一つでも数年ぐらいの準備がかかるようなことを重なっているんですから、忙しいのはしょうがありません。今回の13日間は、上記のうち二つに関連する書類書き、文案作りで忙殺されていました。それも一段落です。

でも、書類書きをしてみると、本当に細かいところに誤字・脱字があります。それを全部チェックするとなると、気が遠くなります。

[]またまた27禁 17:56 またまた27禁 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - またまた27禁 - 西川純のメモ またまた27禁 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 私の所には、全国から真面目な先生方のメールが来ます。それを読んで勇気づけられます。その中でYさんからのメールを紹介します。これを読み終わってから、色々と考えてしまいました。まず、メールの中で「西川先生」と書かれています。たしかに、文章は私なりの書き方で、説明の仕方の段取りがあります。しかし、その元となっているデータ、考え方は西川研究室(特に現職の方)が作り上げているものです。だからこそ、自信を持って主張できます。

  しかし、最も気になったのはYさんが「本を読んで」出来たという様に書かれているところです。ちょっと嬉しい誤解ですが、本当は違うな~と感じます。

 今、Okさんは教師の指導観・子ども観と授業との関係を調べています。具体的には、我々の研究室で進めている「子どもに任せる」という授業を色々な先生方に試してもらっています。その中では、「自己モニター」、「目標を語る」、「たち歩き」という我々の研究室での手法を取り入れてもらっています。しかし、結局は、うまくいく先生と、十分ではない先生に別れてしまいます。このことは予想の範囲内でした。

 数年前のことです。我々の研究室に所属された先生方の場合、100%の確率で成功していたので、「自己モニター」等の手法(テクニック)に自信を持っていました。そこで、その手法を知り合いの先生(かなり優秀な先生)に試してもらい、その過程を分析するという研究を卒研の課題としました。ところが、結果は惨憺たるものです。はじめは信じられませんでした。しかし、授業の様子を知るにつれ、自己モニター等の手法が、使う人によって全く違う意味を持つことを知りました。その結果から、手法(テクニック)ではなく、指導観、子ども観が重要だという理解を得ることが出来ました。

 我々が考える指導観、子ども観というのは既存の考え方からはかなり異質です。だから、我々の研究室に所属する人でさえ、本気で信じられるのに半年ぐらいかかります。でも、下記のメールのように、本を読んでメールやりとりをする程度で、手がかりを得ている方もいらっしゃいます。現状での我々の研究室の成果は、万能薬ではないことを自覚します。我々の研究室の現状で出来ることは、以下の程度です。

1.既に出来る人で、かつ自覚している人に、「ああ、やっぱりね」と感じさせる。

2.既に出来る人で、でも、その重要性に気づいていない人に、「へ~、そのことが大事だったんだ~」と気づかせる。

3.指導力は十分だが、子どもの有能さに気づいていない人に、「ほ~、じゃあ試してみようか」と思わせる。

 この程度ですが、重要なことだと思います。でも、最終的には、新採の若い先生方が、どのように職能を高めていくかのレベルまで発展したいな~と思います。しかし、「自己モニター」、「たち歩き」をしました、「ほ~ら、出来たでしょ」というようなテクニックに走る誘惑には断固として負けないようにしたいと思います。

『こんにちは。Yです。

 ここ二週間ほど仕事が立て込んでしまい、メールが打てませんでした。(言い訳ですね)

しかし、仕事の合間を見て、西川先生の本「学びあいの仕組みと不思議」を書店で見つけ、購入しました。まだ十分とは言えませんが、一通り読みました。読んで、まず思ったことは、「(西川先生の言う)理想のクラスを作ってみたい」です。たぶん(絶対)子どもたちは、自分たちで何かを学ぼうとして授業に臨んでいるんだと思います。特に小学生は、その気持ちが大きいのだと思います。「知らなかったことを知りたい」とか「このしくみや中身を知りたい」と子どもたち

はいつも思っていますよね。だから、教師の後ろにまわって教師の使う本を覗いたり、壊れた機械を分解したくなるんですから…。でも今までの多くの授業では、子どもたちの気持ちを教師(私自身)が打ち砕いてしまっていたことに気がついたのです。昨日、宿題の確認カード(通称:本読みカード)の保護者コメント欄にこんな言葉を見つけました。(2年生国語の「さけが生まれるまで」の本読みで)「さけはどうしていっしょうけんめい川を上ってくるのかな?先生に聞いてみよう」。 わたしは、この言葉を見て、「ちょっとまてよ」と思いました。確かに、正確ではないかもしれませんがこの川を上ることについての答えをわたしは持っていますが、それは、わたしの教えることのだろうかと…。わたしは、便利な物知り帳ではないのだと。そこでわたしは、コメントに「わたしに聞くよりも良い方法があります。それを○○さん(子どもの名前)に教えます。」と答えました。それは、クラスの仲間、知っている子に投げかけ、みんなで答えを見つけようとすることだと思ったのです。

 この話とは別に、実は西川先生の本を読んで、第1章の「理想の授業」を試してみました。(なんとむちゃくちゃと思いますよね)授業のはじめに本時の課題や目的を出して、後は子どもの活動時間にする。わたしは、子どもたちの声を拾うことだけをしていました。(小学校2年生です)すると、案外自分たちで学びだすものですね。掛け算の授業でしたが、日頃集中できず、よそ見をしている子や問題も読めず、固まっている子も自分で九九カードを使って、掛け算を覚えようとしているのです。その姿を見て、「自分が前に立つより学習しているなあ」と変な気持ちになりました。他の子の動きでは、近くの子で小さなグループを作って教えあっている場面が多くありました。しかも、掛け算についてのことで話をしているのです。普段はあまり発言のない子や周りとかかわりのない子も話の輪に加わって楽しそうに話をしていました。

 でも、まだ教師を意識しているのも確かでこちらを見ては、何かを言って欲しいそうな目をしている子が何人かいました。いつも授業で良い発言をする子達でした。今回思ったのは、「授業は誰のものか」ということです。「小学校低学年だから教えなければならないことがいっぱいある」という先生が多いです。ですが、教えることに夢中になり、子どもが授業の中で学びたいこと、知りたいこと、やってみたいことを奪っているのではないかと感じたのです。子どもたちにゆとりを持たせるといいながら、実のところ子どもの自由を奪っている今までの自分を含めた多くの教師の授業に限界を見たのです。「今のままの授業では話し合う活動などできるわけもない」と思い、授業の中での自分の子どもに対する声かけや課題の出し方に気を使うようになりました。(自分なりに)課題については、答えがどっちになりそうなのかを話し合うようなものにしたり、活動の途中では、「すごいな」「気持ちが伝わってくるよ」といった言葉でできるだけ、こちらの良し悪しで評価をするような発言をしないようにしています。すると、子どもたちも良くしたもので、判断を聞くような教師への発言が少なくなりました。今までは、「こうしてもいい?」という言葉でしたが「こうしたいんだけど、こうやったらできるかなあ?」という言葉になってきました。判断ではなく、同意を求めるのです。まだ本来の目指す姿には程遠いと思いますが、そのうちに、「先生、こうやって見たけどこうなったよ。わたしはいいと思うんだけど先生はどう思う?」となってくれると思っています。(そうなっていくためのクラス作りをしていきたいです)また、今日の清掃の時間の子どもの様子を見ていて、変化に気づきました。今まで、はっきりいって掃除をしない子どもたちでした。清掃=怒る時間だったのです。しかし、今日は、黙ってみていると、自分たちでやっているのです。確かに話はしているのですが、手を動かし、どうも話の内容が、掃除のことなのです。「ここにごみがあるよ」「ここはまだ拭いてないからわたしが拭くよ」とか「そろそろ時間だから机を運ぼう」など。また、ほうきで掃く、はきての子もすみずみまで良く掃いているのです。無論、子どもたちは教師を意識しているでしょう。しかし、明らかに違うのは、指示を待たず、自分たちの意志で掃除をしている姿なのです。少しは、理想の授業の効果があったのでしょうか?わたしは、信じたいです。なぜなら、子どもたちが忙しい授業の中でものびのびとやっているからです。』

02/11/05(火)

[]教科教育学会の成果 17:58 教科教育学会の成果 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 教科教育学会の成果 - 西川純のメモ 教科教育学会の成果 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 教科教育学会(愛知教育大学)に参加してきました。全体的な印象は、「まだまだ分かってもらっていないな~」というものです。また、表題を「学び合い」とはせず、「学習者相互作用」とでもカッチョイイ題目にすべきだったかな~と感じました。でも、3つの成果がありました。時間順に言うと以下の通りです。

 第一に、院生さんとじっくりと、また、連続して飲み会をやったことをあげられます。とにかく話題豊富で、多彩な方々です。酒席で話される話は爆笑ものです。機関銃、50インチ砲、果ては戦術核兵器・戦略核兵器なみの馬鹿話が雨霰(あめあられ)のように降り注ぐのですから、笑うだけで疲れてしまいます。

 第二は、兵庫教育大学のM先生の完全復活を知ることが出来ました。兵庫教育大学は本学と兄弟校で、現職院生さんが中心であるという共通点があります。さらに、理科教育という共通点もあったので、似ている研究室です。学会では、自ら「ツアーコンダクター」と自称するほど、現職院生さんの集団を引き連れ参加されました。また、我々と同じに、旧理科コースから新コースに移ったというところまで同じです。新コースに移られてから、院生さんが少なくなったようで、寂しいな~と影ながら思っていました。ところが、今、学会では理科という教科を離れて、多様な面から研究を進めている院生さんと一緒に参加されていました。とっても、嬉しく思いました。

 第三は、私が座長の時に隣に座った計時係の愛知教育大学院生さんと話したことです。意外にも、我々の研究と似通った点があったので、色々話しました。私が名刺を渡すと、なななんと院生さんなのに名刺をお持ちでした。「この名刺をもって刈谷愛知教育大学の近くの町)の飲み屋で悪いことしようかな。そうしたら、明日あたりに、その筋の人が怒鳴り込んだりして・・へへへ」と馬鹿話をしました。そうすると、「私は逃げます」と言われたので、「僕は明日になったら新潟に逃げられるけど、君は修了するまで駄目だよね~」と言いました。「勘弁してくださいよ~」と院生さんが言って終わりました。若い学生さんと話すことは楽しいです。

[]人というシステム 17:58 人というシステム - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 人というシステム - 西川純のメモ 人というシステム - 西川純のメモ のブックマークコメント

 我らがMさんが発表するのを応援するつもりで、教育学会に参加しました。Mさんの前に発表した方々の話を聞き、また、Mさんに対する質問される方の話を聞きながら、やっぱりズレを感じました。私が感じたズレとは人というシステムに対する評価です。簡単に言えば、人間を愚かなシステムのように考えているように感じます。そのため、末期医療のように、何から何まで機械で何とかしようとします。また、操作に関しても、どんな人間でも、まったく努力なしに使えるようにと考えるようです。でも本当は、人間はとても賢いシステムです。さらに、何でもかんでも機械にやらせようとすれば、その賢さを阻害する危険性があります。むしろ、その賢いシステムが、操作を覚えたいと感じさせる方が有効と思います。

 また、人間脆弱システムのように考えているように感じます。例えば、我々の研究室子どもたちの学び合いによって成立するシステムです。それに対して、「そのような集団は脆弱で、教師の声がけ一つで変わる」という意見を持たれる方がいました。しかし、個人は短期において脆弱であっても、長期においては自己修正を行う能力を持っています。また、集団となると、互いに補完し、修正しあう能力を持っています。だからこそ、それぞれの国の持つ文化は、数世紀にわたる他文化の圧政を受けても生き残ることが可能です。従って、重要なのは学習集団において一つの文化を創り上げることだと思います。

 前に書いたと思いますが、現状において人間ほど優れたパターン認識総合的判断能力(一般にはカンとよばれています)と学習能力を備えた機械は皆無です。近い将来、人間を上回る機械が作製さえる可能性は低いと思います。少なくと、重さ100kg以下で、実現することはまず無理だと思います。だって、人間は数十億年かけた成果なんですから。その人間様を馬鹿扱いして、機械で何とかしようなんて「100年どころか30億年早い!」と思います。

 教育工学は機械ではなく、人間システムの中心において学習環境システム化する方が実り多いように思います。不遜ですが。でも、発表の中には、機械プログラムではなく子どもに着目する発表もありました。その中の若い学卒院生さんと話す機会を持ちました。うかがうと、来年から小学校先生になられるとのことでした。発表では収集データの一つとして子どもたちの姿を含んでいる段階でした。しかし、教師となろうという温かい目で子どもたちを見つめていれば、きっと我々と同じ結論に達すると信じています。

[]教師の役割 17:58 教師の役割 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 教師の役割 - 西川純のメモ 教師の役割 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 私が院生だった頃、現職派遣院生さんから聞いた話です。その方によれば、その方のお子様は、何かというと「先生が言ったんだ」を連発したそうです。ある時、その院生さんが、担任の先生の言ったことと違う意見を言ったら、お子様が「先生が言ったんだから」といって納得しなかったそうです。そこで、その方は、「俺も先生なんだ!」と言ったんですが、納得してもらえなかったそうです。お子さんをお持ちの先生の家庭では、同様なことがあると思います。

 昨日の夜、ふと、その事を思い出しました。「なんで子どもは教師に従うのか」ということを考えました。第一は、自分が属する群れ(即ち、クラス集団)のボスだからです。父親は教師であっても、自分の属するクラス集団のボスではありません。そのため従わなかったのだと思います。即ち、「先生が言ったんだ」という子ども言葉は、「ボスが言ったんだ」の意味だと思います。このことは前から意識したことです。しかし、もう一つの理由があるように思います。

 第二は、教師という窓を通して、社会に承認されることを望んでいるのではないかな、と気づきました。昨日は教育学会に参加し、Mさんの発表を聞きました。その際、「俺が今ここにいることの意味は何だろう」と考えました。発表はMさんがやります。私がいようと、いまいと関係ありません。強いてやったことといえば、Mさんの発表を聞いて、最後ににこっと笑っただけです。何故だろうと考えてしまいました。そこで自分に置き換えてみて分かりました。

 自分が理科教育学の世界に入って、それに関連する論文を集中的に読んでみると、極めて大きな穴があることに気づきました。それは、データ収集の方法と、分析の方法です。でも、学部卒上がりの私には自信がありませんでした。だって、その当時は大学先生別世界スーパーマンのように思えたため、自分のような学生スーパーマンミスに気づくわけはないと思いました。しかし、指導教官小林先生は、私の視点が認めてくれました。さらに、修士論文の成果を学会誌に投稿することを勧めてくれました。それも二つの学会に。少なくとも私の過去においても、また、その後においても、修士論文学会誌に掲載されることは希です。ましてや複数の学会に掲載されることは、極めて希です。そんな恐れ多いことが出来たのは、小林先生が認めてくれたからです。それでは、何故、小林先生が認めてくれたことで私が安心したのかと言えば、小林先生大学先生であったためです。さらに、その当時の学会誌は大御所といわれる5、6人の大先生によって掲載の可否が判断されていました。小林先生は、その大御所の一人でした。投稿した別の学会とは小林先生関係が薄いですが、少なくとも一つの学会大御所と認められている先生に認められたので、大胆にも投稿することが出来ました。

 つまり、当時の私にとって全体がつかみきれないけど、属したいと思っていた学会の考えを、知る手がかりが小林先生だったわけです。しかし、もう一度わたしに戻して置き換えると、心細いものがあります。当時の小林先生に比べ私は「駆け出し」にすぎません。院生さんに安心感を与えられるような教師になるよう頑張らねばならないと思いました。