西川純のメモ このページをアンテナに追加 RSSフィード

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02/07/10(水)

[]目標を語るとは? 09:29 目標を語るとは? - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 目標を語るとは? - 西川純のメモ 目標を語るとは? - 西川純のメモ のブックマークコメント

 昨日のOさんとの個人ゼミで、とても大事なことが分かるようになりました。それは「目標を語るとはどういうことか?」ということです。

 Oさんは様々な先生方が授業の最初に、どのような語りをするかということを見ています。その最大の視点は、目標を語るか、それとも、方法を語るか、ということです。昨年のHさんの研究によれば、目標を語る先生クラスでは子どもたちは自律的に学び合います。仮に先生が不在なときも熱心に学び合います。一方、いきなり何をやるべきかを語る先生クラスでは、先生の言ったことを一歩でも超えるものは子どもたちが判断できず、教師に頼りっきりになります。クラス中が教師に頼るわけですから、教師はパニックになってしまいます。一方、多くの子どもは 、頼ろうとする教師が余裕がないので、いつまでたっても分からないという状態が生じます。結果としてやる気を失います。そのようなクラスでは、教師が不在になったとたんに遊び始めます。そのようなHさんの成果があるので、その視点で見ています。

 Oさんが悩み始めたのは、「目標を語るとはどういうことか?」ということです。Oさんの観察した先生の中には、目標を語っているように見える先生がおられます。しかし、どうもしっくりこない。そこで、本当に目標を語るとはどういうことかが問題となります。Oさんと話しながら、とても大事なことだということが今更ながら思い知らされました。話しながら私なりの考えを整理しました。教師が目標を語るとはどういうことかに関する私の今の考えは、二つのことが含まれるか否かがその基準となります。第一は目標が明確かであり、第二は目標がどのような目的を持っているかであると思われます。

 第一の「目標が明確か」というのは、端的に言えば、子ども自身が出来たか/出来なかったかを判断することが出来るかということです。例えば、「計算できるようになろう!」では、自分が出来るようになったか否かが判断できません。ところが、「3桁の足し算が出来るようになろう」、さらにもっと具体的に、「教科書の○ページの問題を解けるようになろう」という目標を与えれば、子どもは自分自身で判断できます。もちろん、計算のように、明確な目標を立てることが難しい場合もあります。しかし、その場合は「人」を用いて操作的に語ることが出来ます。例えば、「クラスメートの多くに分かる文章を書こう」とか、「文化祭の時、より多くの人が自分たちのクラスにきてもらえるようなポスターをつくろう」と語ることが出来ます。また、「このクラスの○○くん、○○さんの作品はとっても良いですね」という風に語ることが出来ます。このことが子どもに伝えることが出来れば、子どもは自分たちで判断することが出来ますので、安易に教師に頼ろうとしません。子ども自身のアイディアで自律的に発展させることが出来ます。教師も、時間的余裕が生じるので、クラス全体を見ることが出来ます。

 第二は「目標がどのような目的を持っているか」とは、何のためにやっているのか、もしくは、何故やらなければならないのかを子どもたちに納得させられるかということです。別な言い方をすれば、教師がたてる教科学習の目標を、子どもたちの目標とすることが出来るか、ということです。そのためにスタンダードな語りとして、そのことを学ぶ意義(例えば地震のことを学ぶことによってどんなことが出来るようになるか等)を語ることも当然出来ます。しかし、以前のメモに書いたように、そのような説得には限界があるように思います。その場合は、他者との関係目的を設定することが有効だと思います。つまり、「君にとって良いことだ」ではなく、「君にとって大事にしたいみんなのためになるんだ」という語りです。

 この二つの視点で見れば、教科や状況にあまり依存しない、その先生子ども観、授業観が見えると思います。同時に、それぞれのクラスにおける子どもの動きも自ずと納得できると思います。