西川純のメモ このページをアンテナに追加 RSSフィード

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02/07/08(月)

[]発達 09:33 発達 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 発達 - 西川純のメモ 発達 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 私は「発達」という言葉が好きではありません。かつては「発達」という言葉をよく使いましたが、その反省も含めて、現在ではなるべく使わないようにしています。院生さんとの研究の話し合いにおいても、「発達」という言葉が発せられると、とたんに私の中の「警告ランプ」が点灯します。

 私の研究の出発点は概念研究です。代表的な手法は、典型的な理科の問題を児童・生徒に与えて、その学年変化を測定するものです。その際、「発達」という言葉を使っていました。しかし、いくつかの問題点があります。第一に、教育心理学では、「発達」とは身体的な変化を伴うものであるものを指します。ところが、教科教育では知識・技能の蓄積をも含めたものを「発達」という言葉で表します。教科教育研究の中心となっている小学校児童の発達は少なくありませんが、乳児・幼児に比べて、その変化は小さいことは常識的にも分かります。さらに、認知心理学の知見によれば、従来、発達しているという基礎的認知能力も、実は乳児の段階でも成熟しています。そうであるならば、中学校高校の生徒に「発達」という言葉を使うことには無理があると思います(発達が皆無とは言いませんが)。

 でも、根本的な問題点は、その言葉が使われる理由です。ある学年、あるクラスで、ある課題が出来ない場合、「発達段階が十分ではない」という理由付けをする場合は少なくありません。また、学年変化が見られた場合も、「発達により変化した」と解釈します。しかし、そのような「発達」は、何も説明していないし、何も生み出しません。「発達」という言葉は、「何故、それが出来なかったのか?」、逆に言えば、「何故、それが出来るようになったか?」という問いかけを封殺します。結果として、「どのようにすればよいのか」という教育上検討しなければならない課題を先送りにしてしまいます。

 そのため、院生さんとの議論の中で「発達」という言葉が出たときは、次のように言います。

 「確かに、発達が関係するかもしれないよ。でも、発達が関係すると考えて何が生まれるの?きっと何も生まれないんじゃないかな~。どんな年齢の子どもでも出来る、どんなタイプ子どもでも出来る、そう信じてみるほうが実り多いと思うよ。」