西川純のメモ このページをアンテナに追加 RSSフィード

西川純です。新潟県上越市の上越教育大学の教育実践高度化専攻(教職大学院)で『学び合い』を研究しています。諸般の事情で、このブログのコメントは『学び合い』グループのメンバー限定です。メンバー登録は、いつでもOKです。ウエルカムです。なお、メールはメンバー以外にもオープンですので、いつでもメールください。メールのやりとりで高まりましょうね。メールアドレスは、junとiamjun.comを「@」で繋げて下さい(スパムメール対策です)。もし、送れない場合はhttp://bit.ly/sAj4IIを参照下さい。西川研究室はいつでも参観OKです。 詳細は http://www.iamjun.com/をご覧下さい。 もし『学び合い』グループに参加される場合は、 http://manabiai.g.hatena.ne.jp/をご参照ください。
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02/07/01(月)

[]体罰 09:40 体罰 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 体罰 - 西川純のメモ 体罰 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 昨日の日曜日、息子を「うるさい!」としかりました。この頃は、買い物に出かけて帰り、車を降りようとすると、泣き叫びます。おそらく、ドライブを終わりたくないとだだとこねているのだと思います。しかし、官舎中に鳴り響く声なので、緊急避難的に私がしかった次第です。しかし、むちゃくちゃに怒ったわけではありません、大きめの声で、一言しかりました。しかし、息子はビビまくり、しばらくは私の胸に顔を埋めて力を込めて抱きついてきました。息子を育てて、尻をたたく必要性を感じることは殆どありません。また、尻をたたくことが有効ではありません。むしろ、ちゃんと説明したり、ほっぽたりするほうが有効です。最大でも、「こら!」と怒る程度です。しかし、「こら!」も強力すぎるので、あまりやらない方がいいようです。

 高校生の時に読んだ、行動学でノーベル賞を受賞したローレンツの本を思い出しました。その本では犬のしつけ方が書いていました。彼の本によれば、犬をしかる最大の方法は、首を優しく持ち(母犬が子犬の首を加えて運ぶように)、二三回揺らす方法です。この方法で、たいていの犬はビビまくります。しかし、ローレンツは、この方法はあまりにも強力なので多用しないよう注意を与えています。この方法が何故有効なのかといえば、この方法はオオカミのボスが群れのメンバーを叱る方法だそうです。オオカミもそうですが、群れる動物が同じ群れのメンバーに攻撃する場合、その方法は儀式的で、けっして強い痛みを伴いません。それでいてメンバーにとって決定的な影響を与えているのは、そのメンバーにとって何よりも重要なのは、その群れに属することであるからです。ボスから、「おまえは群れのルールに反している」という意思表示をされることは、群れる生物にとっては決定的な意味を持ちます。

 そう考えると、殴る、蹴る等の体罰をするということは、とりもなおさず、する側がされる側を同じ群れのメンバーだと考えていない証拠です。運動部での体罰の是非が議論されることがありますが、百歩譲っても、儀式的な体罰で十分なはずです。傷が残るような体罰は決して必要ないことは断言できます。少なくとも同じ群れのメンバーに対しては。

[]41人目の教師 09:40 41人目の教師 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 41人目の教師 - 西川純のメモ 41人目の教師 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 我々の研究室は、子どもたちは優秀な教師足りうる、ということです。本では、40人の学習者と一人の教師のクラスは、41人の学習者と41人の教師になると書いています。でも、もしかすると40人の学習者と40人の教師となのではと感じることがあります。

 全体ゼミでも、学年ゼミでも、出来るだけ発言しないようにしています。これがなかなか辛い。教師なのですから、本性として教えたがりの性分を持っています。それを押さえるのが辛い。でも、これは何とか押さえることが出来ます。どうしても押さえられなくなるのは、教師としてではなく、一人のメンバーとして発言したくなったときです。

 例えば、人間として許せなくなったときなどもその時です。教室での子どものエピソードを聞いていると、その子どもが可愛そうでならなくなり、その状態においている教師が許せなくなってしまうとき、発言してしまいます。しかし、これは年に数回程度です。多いのは、感激と質問です。卒業研究修士論文研究は最先端の研究です。私が答えを知っていて、腹の中で「はやく分からないのかな~」などと言うわけではありません。どきどき、ワクワクしながら聞いています。学生さん、院生さんの話を、じーっと聞いているうちに、感激が押さえられなくなって「感激した~」と言うことがあります。それも、私が何故感激したかを長々と説明してしまいます。また、聞いているうちに、興味あるエピソードがあると、その背景をどうしても聞きたくなります。後から聞けばいいことですが、聞くことを忘れてしまいそうで、そして、その結果として重要アイディアをつかみ損なうのではと不安になり、つい聞いてしまいます。でも、発言の後、各位がシーンとなってしまうことがあります。その度に、「しまった~、また、喋っちゃった」と思います。私以外のメンバーの発言ならば、大抵の場合は、他のメンバーの発言が、畳み込まれるように積み上がります。その過程の中で発言が活性化します(修士2年のKuさんの研究しているオーバーラップ発言)。ところが、それが止まることがあります。私自身が「教師がしゃしゃり出すぎるな」と言っているのですから、教師が喋ることの問題点は十分に分かっています。だから、40人の学習者に対する一人の教師になりたいとは思いません。でも、・・・。でも、41人目の教師 、そして41人目の学習者にはなりたいな~とは思います。でも、本当は40人の学習者と40人の教師、そして一人のコーディネーター(黒子、舞台監督、世話係・・・)なのかもしれません。でも、・・・。

[]私語観 09:40 私語観 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 私語観 - 西川純のメモ 私語観 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 昨年修了されたKiさんの成果の一つに、授業中の私語の教育意味データで示したことがあります。我々は、その成果の結果、「授業中にどのようにしたら私語が多くなるか」という、世間の常識に反する方向で研究を進めています。

 本日、その話を2年生の授業で話そうとしました。その導入で、「私語は悪いこと?」と質問しました。意外にも、私語の中には授業に関する私語もあるので、一概には悪いことではないという答えを出す学生さんがいました。しかし、その学生さんも、先生が喋っているときは私語することはいけないことだ、と考えていました。でも、何故悪いことなのでしょうか?

 我々のゼミでも発表者が発言中に、隣り合ったメンバーが、ちょこちょこと話し合っていること(我々はローカルな学びと呼んでいます)は常態です。発言内容が分からないとき、隣の人にそれを聞くことは良いことです。また、我々は自分一人でじーっと考えるだけでなく、他者と話し合うことが理解には必須だと考えています。したがって、発言者と会話できないのですから、隣の人と、発言内容を議論することは理解には有効です。

 教師や発表者の発言中に、クラス中に小さな会話が成立するという状態は、築地久子先生の実践の中にあります。ただ、築地先生クラスでは築地先生がそのルールを定めていました。

 我々の研究テーマとするなら、それは教師がルールを設けない状態で、教師の発言中でも学びあえる状態を成立させたとき、どんなルール子どもたちが作り上げるかと言うことは興味あることです。非常に面白いテーマであることに気づきました。同時に、その研究の場は身近に、本当に身近にあること気づきました。なんとなれば、我々の全体ゼミにおいて私が発言してもシーンとならず、オーバーラップや、ローカルな学びが成立している状態を成立させ、その状態を私が観察すればよいことですから。

[]近況 09:40 近況 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 近況 - 西川純のメモ 近況 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 このごろ息子が「おとーさん」、「おかーさん」という二つの言葉を使い始めました。1週間前程から使い始めたんですが、最初は親の欲耳で、そー聞こえるかな~というレベルです。しかし、最近は明らかにそのように聞こえます。そうなると、何度も何度も言わせ、その度に狂喜乱舞しています。30日が日曜日なので、28日にボーナスが支給されました。そこで家族で近くの居酒屋にいきました。居酒屋のメニューの中で息子が食べられそうなメニューを探して食べました。ちょっとの贅沢です。

[]フロンティア09:40 フロンティア2 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - フロンティア2 - 西川純のメモ フロンティア2 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 先週の全体ゼミ修士1年のOoさんの発表でした。議論続出でまさにサンドバック状態でした。ゼミメンバーはOoさんの意図をくみ取ろうとして、質問します。Ooさんは現場経験に基づき、ある仮説をたてているものの、それをうまく説明できない自分にもどかしさを感じてられました。議論の中心は、学び合う教室において成立する集団には、様々な種類があるかという点です。

 我々の研究の中心は、小集団(2~5人)での学び合いです。最近ではKuさんが大集団(クラス単位)の学び合い研究されています。問題は大集団と小集団の学び合いに、本質的な違いがあるかという問題です。さらに、両者の間には中間的な集団があるかという問題です。もう一つは、仮にそのような多様な集団があった場合、その形成過程は段階的なのか、並列進行型なのかという問題です。1時間半の全体ゼミですが、時間オーバーしても議論は収束しません。

 しかし、とてもうれしく感じながら参加しました。理由の1は、それだけ議論が紛糾し、かつ、結論が出ないということは、非常に興味ある研究テーマだと言うことです。ある 創業社長インタビューに、「会議メンバーの全員が賛成するような企画ボツにする」ということがありました。全員賛成するような企画時代遅れだからです。Ooさんが現場経験で得られた仮説は、100%正しいものだと思います。ただ、その切り口をどれにするかが今後の課題なのだと思います。おそらく、それが分かれば、良いたとえ話、良いエピソードを見いだすことが出来、それを話せば、みんながなーるほどと納得してもらえると思います。

 第二は、院生さん同士の厳しい議論のやりとりの中で、学部学生さんが臆せず自分の疑問、意見を出してくれたことです。前からもそうでしたが、今回の全体ゼミではたくましさを感じました。もともと力のある学生さんですから、議論の内容は前から理解していたはずです。当然、疑問、意見はあるはずです。それを自信を持って語れるのは、それを語っても誠意を持って受け止めてくれると院生さん集団を信じているからだと思います。