西川純のメモ このページをアンテナに追加 RSSフィード

西川純です。新潟県上越市の上越教育大学の教育実践高度化専攻(教職大学院)で『学び合い』を研究しています。諸般の事情で、このブログのコメントは『学び合い』グループのメンバー限定です。メンバー登録は、いつでもOKです。ウエルカムです。なお、メールはメンバー以外にもオープンですので、いつでもメールください。メールのやりとりで高まりましょうね。メールアドレスは、junとiamjun.comを「@」で繋げて下さい(スパムメール対策です)。もし、送れない場合はhttp://bit.ly/sAj4IIを参照下さい。西川研究室はいつでも参観OKです。 詳細は http://www.iamjun.com/をご覧下さい。 もし『学び合い』グループに参加される場合は、 http://manabiai.g.hatena.ne.jp/をご参照ください。
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02/04/25(木)

[]無意味二元11:06 無意味な二元論 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 無意味な二元論 - 西川純のメモ 無意味な二元論 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 我々の研究室における研究に関して、「グループ学習だけではだめで、個人の活動が重要である」とか、「人間関係は良くなることはわかるが、基礎的学力は大丈夫か?」のような疑問を持たれる方もおられます。この種の「グループ対個人」、「生徒指導対教科指導」という対比は、他ならない我々研究室に所属される方も、一度は陥る二元論的解釈です。

 我々が「学び合い」に着目しているのは、一人一人の子ども、それも全員が救われることを目的としています。我々の研究室に所属される方は、「クラスの過半数がわかったからいいや」という見方に徹することができず、そのクラスの過半数に含まれない子どもたちのことが気になってしょうがない方々だと思います。そのような子どもを救うために、「食いつきのいい教材」、「分かりやすい、興味を引く教え方」をいろいろと試みて、それなりの成果をあげていた方です。しかし、そのような教材や教え方でも、すべての子どもを救えないことが、心の隅で気になって気になっている方です。そのような少数の子どもも含めて、すべての子どもが全員救われるためには、教師対子どもという図式では解消し得ないため、教師を含めた子ども集団全員で学び合おうとしています。けっしてグループ学習のためのグループ学習をしているわけではありません。

 そもそも、個人の活動とグループ学習を対比させることは、両者を分けられるという考えに基づくものです。個人が生き生きするためには、良好な相互学習が成立することが前提と我々は考えています。逆に言えば、良好な相互学習が成立するためには、個人が生き生きすることが必要と考えています。両者はコインの両面で分けることはできません。しかし、現状では学びを個人のレベルで解釈することが大勢であるため、我々は、他方を強調するにすぎません。学び合いの姿を見ることは、個人の生き生きした姿を見ることと他ならないことは、実際に子どもをみれば一目瞭然です。

 同様なことは生徒指導対教科指導という二元論的解釈も同様です。自分に置き換えてください。良好な人間関係常識的な行動が無い状態で、学習できるでしょうか?逆に言えば、生き生きと学習できる時、ことさら人間関係を荒立て、非常識な行動をするでしょうか?ましてや、学び合い学習に良好な手段であるならば、学習目的とする人が人間関係を良好にし、常識的な行動をするのは当然です。両者は不分離です。ただ、教科学習の生徒指導的意味が意識されていないことが大勢であるため、人間関係を強調するにすぎません。 勉強とは「つとめ」、「しいる」と書きます。きっと、学ぶことはつらいことだという前提があるのかもしれません。しかし、本当は学ぶことは楽しいことです。たしかに「たいへん」であることは確かです。しかし、「たいへん」であっても、それをやりたいと思わせるだけの何かが常にあるべきだと思います。

 私自身は二元論的解釈をすることを悲しく思います。なぜ、子どもたち相互に学び合うことが、個々人の学びを損なうと考えるのでしょうか?たしかに、グループ学習のためのグループ学習であるならば、そうかもしれません。また、我々がみている子どもたちの中に、そのような状態に陥っている子どももいることが少数いることは認めます。しかし、子どもたち相互の学びが、個々人の学びと相乗効果を起こしている事例を数多くみています。同様に生徒指導のための生徒指導ならば、教科学習に矛盾する場合もあり得るでしょう。しかし、我々はすばらしい人間関係常識的な行動が、教科学習と相乗効果を起こしている事例を数多くみています。

 百聞は一見しかず。数ヶ月、子どもの姿を丹念に見れば、二元論的解釈は無意味であることは見えるのにな~と感じます。すくなくとも、二元論的解釈の二つの要素が、矛盾無く相乗的である状態があること、そして、それは希なケースではないことに気づくことは保証できます。そして、それらが全員に行き渡るか否かは、その教師の授業観、子ども観であることにも気づくと思います。

 結局、上記のような誤解を生じさせている原因は、我々の研究が単なるグループ学習の指導法(もしくはテクニック)のようにとらえられているために生じるものだと思います。そして、そう思わせている原因の大半は私の「話」や「本」の表現の問題だと反省することしきりです。しかし、我々が目指しているのは、「子どもは有能である」という子ども観、「教師の仕事の第一は、子ども目標を与えること」という授業観の確立です。

 わかってもらえないのかな~・・・

追伸 このメモを書いたら、早速、現場に帰って調査している所属院生の方から以下のメールをいただきました。現職者からのメールで勇気百倍!「敵は幾万ありとても、我に信ずるに足る友あり!」

メモ読みました。例の二元論、やっぱほんと数ヶ月にわたって子ども見ると分かることだと思います。見ないで語るから、理論だけが先行するんじゃないでしょうか?解決する方法は単純です。西川先生のおっしゃるとうり『子どもを長期にわたってみること』これしかないと思います。子どもの姿は正直なものです。生意気なこと言いましてスミマセン。」

02/04/24(水)

[]ビックリしたこと 11:08 ビックリしたこと - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - ビックリしたこと - 西川純のメモ ビックリしたこと - 西川純のメモ のブックマークコメント

 最近、ある方が、我々の研究室での研究は先進的すぎて、研究としては成り立つが、現場で実践することは難しいとお考えになっているということを知りました。腰を抜かすほどビックリしました。

 私が、我々の研究室における研究において拘っているものの一つに、現場で役に立てる、ということです。現院生の方なら分かると思いますが、個人面談の時、私がよく言う言葉は、「○○さん、そんなこと分かって(やって)、現場に戻ってから役に立つの?」、「○○さん、そんな複雑なこと、現場に戻ってから続けること出来る?」、「○○さん、それって、一年間の中で何時間ぐらい役に立つの?」です。

 我々は、年間を通して、毎日の授業において役に立つものを明らかにしたいと思っています。そのため、我々は「教材」を中心にした研究は行っていません。何故なら、その教材が扱えるのは年間のごく僅かです。また、「教え方の技法」を中心にした研究は行っていません。何故なら、「教材」よりは汎用性は高いとはいえ、それでも年間を通して役に立つものではありません。我々が目指しているのは、授業観、子ども観です。ただし、「教育は愛である」的な理論的なものではなく、具体的な子どもの言動に表れるものを通した研究です。

 たしかに現在我々が進めている研究は、先進的にすぎるという印象を与えるでしょう。例えば、「教科学習で学年の壁を取り払う」と言っても、「そんなバカなことは出来るわけはない」と思われる方もいるでしょう。また、「教師は教えることを控えるべきだ、子どもたちに任せよう」と言っても、「そんなこと子どもに任せたらめちゃくちゃになる。第一に、よく分からない子どもたちだけで勉強が出来るわけはない」と思われる方もいるでしょう。また、「授業中の私語には、素晴らしい教育的価値がある」と言っても、「そんなこと言っても、私語を許せば、クラスがめちゃくちゃになる。」と思われる方もいるでしょう。そう思われるであろう理由もよく分かります。なんとなれば、私自身もかってはそうだったから。しかし、「出来ない」、「だめだ!」と解釈するは、いつの間にか刷り込まれた授業観、子ども観に基づくものです。その授業観・子ども観が、あまりにも空気のようなものであるため、自分自身がそのような授業観・子ども観を持っていることを意識することが出来ません。

 我々が「異学年」、「子ども主導」、「私語」を研究しているのは、それらをしなければならないということを目的にしているわけではありません。重要なのは、「子どもは凄い力を持っている」と信じられる授業観、子ども観を、より多くの人(もちろん、自分自身も)に共感してもらうことを目的としています。「異学年」、「子ども主導」、「私語」は、その影にすぎません。我々の研究室を修了された方が、現場に戻ってから、直ぐに、「異学年」、「子ども主導」、「私語」を前面に出した実践をしているわけではありません。私自身も、修了される際には、「出来る範囲で実践してすればいいから。徐々に理解者が増えれば、より大きく展開できるよ」と言っています。しかし、「子どもは凄い力を持っている」と信じられる授業観、子ども観を持ったことによって、日々の実践全般に影響を与えていると信じています。例えば、子どもを信じられず、先回り先回りして準備するのではなく、子どもが動き始めるまでの数回の授業を待てるようになります(信じられないと、5分も待てずに答えを言いがちです)。また、子どもがちょっとでも隣の人をしゃべるとふざけていると考えず、「何を話しているんだろう?」と考えるようになります。そして、「しーん」とした授業ではなく、目標に向かって全員が活発に行動するクラスにするために、どのような場を設定したらいいかを考えるようになります。それになによりも、我々の研究室で「学び合い」を研究した方でしたら、「異学年」、「子ども主導」、「私語」に教育的価値があること、また、それらは実に簡単に実現できることを理解されていると思われます。

 しかし、誤解を与えている原因は、私の言動、書籍にあることは確かです。「人を見て法(のり)を説け」と申します。我々の研究室での内部での会話では、前提が一致しているので、話において省略する部分が多いと思います。しかし、外部の人に同じ論法で説明すると、「異学年」、「子ども主導」、「私語」という刺激的な言葉だけが頭に残るのかもしれません。

 反省、反省。

02/04/22(月)

[]怒濤の数日間 11:09 怒濤の数日間 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 怒濤の数日間 - 西川純のメモ 怒濤の数日間 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 18日に旧官舎から近くの別の官舎に引っ越しをしました。その前日、および当日には修士2年の院生さんにお手伝いを願って引っ越しました。まったくもって怒濤の数日間です。引っ越して分かるのは、家の中には使わないのにおいてあるものが多いことです。「使わないだろうな~」と思いつつ梱包し、「使わないだろうな~」と思いつつ開いています。それでいて、「捨てる!」という一歩を越えることが出来ません。

 二番目に分かるのは、コマコマしたものであるけれど、とても大事なものが多いことです。例えば、ステレオテレビビデオの結線、設定は一度やればそれを意識することはありませんが、意外に大変なものです。これを一気にやらねばならないと凄く大変です。また、何気なく毎日使っていたハンガーを架ける金具が使えないと凄く不便です。ところが、家の造りが異なると、今まで使えた金具が使えなくなります。そのため、ホームセンターにその度に買いに行かなければなりません。

 毎年毎年、遠方より院生さんが家族を伴って入学されます。その方たちは、今の我々のような怒濤の日々を過ごしていることに気づきました。

 なお、梱包を解かれない荷物の山は未だにあります。いつになったら終わるのか・・・・

02/04/15(月)

[]近況報告 11:10 近況報告 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 近況報告 - 西川純のメモ 近況報告 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 最近メモ更新の頻度が少なくなっています。本来でしたら、新年度開始時期なのですから、色々と書きたいことはいっぱいあるはずです。しかし、現在、自宅の引っ越しの準備で手一杯です。学校から帰ると、家内が荷造りしてくれたものを車に積み、車で数分の位地にある新官舎に持っていきます。息子を寝かしつけてからは、夫婦で荷造りと部屋掃除をします。その荷物を早朝はこび、朝ごはんを食べて出勤という毎日です。しかし、家内は大変です。平常の家事・育児を手抜きなく行いつつ、かつ、引っ越しの準備をし続けているんですから。よく、「嫁さん殺すなら、引っ越しを3度すればよい」という言葉がありますが、本当だと思います。

02/04/10(水)

[]読後感想 11:11 読後感想 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 読後感想 - 西川純のメモ 読後感想 - 西川純のメモ のブックマークコメント

昨日、ある方から「学び合う教室」、「学び合いの仕組みと不思議」の下記の読後感想メールでいただきました。読みながら、うちの研究室無意識で前提としていることに気づき、とても嬉しくなりました。

 『両ご著書ともに、私の感覚(現場教師の立場)からすると、どうして教師と子どもたちのかかわりやそのプロトコルがないのかずっと気になっていました。何を学んでいるのか、どういう課題設定や、問題設定がなされ、どのような発問によって提示されたり、指示がなされているのか。または、教室の学びの土壌をどのような言葉子どもたちに育んでいるのかなど・・・多くは触れていないことに疑問を抱いていました。

 後者の冒頭「『我々がよいと思っているクラスの姿』の最終的な姿」について、私の想像ですが、場と環境を整えた学校の中で、自らの学びを子どもたちが子どもたちの中でその学び合いの諸活動によってなしていくクラスなのだろうと・・・。そこには教師の教授的な指導はもう必要とはされないのだろうと・・・。

 そう考えてくると、先の疑問は氷解します。子どもたちを見ていること、それが中心であって、教師とのやり取りは学習者主体の学びからするとそれほど重要なことではなくなるのだと解しました。』

 私自身は本を書く際、教師とのやりとりを省略しようとか、少なくしようとか、とはちょっとも思いませんでした。むしろ、丁寧に書いていると、かってに思っていました。しかし、上記のメールを読んで、「なるほど」と気づきました。たしかに、多くの教育書の場合は、子どもの反応に関してはあまり書いていません(あっても教卓から見える子どもの姿です)。しかし、教師がどんな発言をして、どんな資料を用意してという部分に対しては、「これでもか、これでもか」と書いている本が多いように思います。しかし、私の無意識の前提で、他の本で「これでもか、これでもか」と書かれている部分は、どうでもいいことと判断していたんですね。それで、他の本を読み慣れている方には、「何でだろう~」と思わせていたことに気づきました。

追伸 我々の研究室現在所属されている方はご存じですが、現在、教師と子どもたちの会話も分析の対象となっています。しかし、分析の視点がだいぶ違います。つまり、普通の分析の視点であれば、「教師がこれこれ言ったから、こんな素晴らしい学びが出来た」という分析をします。しかし、我々が現在分析している結果によれば、「教師が、これこれ言ったから、こんなに学びが阻害されてしまった」、もっと平たい言葉で言えば、「教師がしゃしゃり出すぎたため、子どもたちがドッチラケになってしまった」ということが明らかになっています。

02/04/02(火)

[]生き残るもの 11:12 生き残るもの - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 生き残るもの - 西川純のメモ 生き残るもの - 西川純のメモ のブックマークコメント

 今、大学では生き残りでてんやわんやです。しかし、大学を取り巻く環境が、日替わりで激変している状態では、大学首脳陣でも分からないのではないでしょうか?ましてや私のような下々に、大学の生き残りがどうなるかなんて分かりません。そうなると、少なくとも自分及び我々の研究室の生き残りを考えなければなりません。そんなとき、今日の朝のテレビを見ていたとき、全日空入社式における訓辞が紹介されていました。その中で、ダーウィンの「種の起源」の中の「最も強い者が生き残るのではなく、最も賢い者が生き延びるのでもない。唯一生き残るのは変化できる者である」という一節が引用されていました。 実際には、ダーウィン言葉ではないようですが、実に的確な言葉です

 生き残りに追い立てられると、その時点で最善・最強の策をとりがちです。しかし、生物進化の中でも、歴史においても、ある時点の強者が、次の段階では跡形もなく消え去りました。今求められているのは、最善・最強の策ではなく、変化しうる策だと思います。変化しうるならば、自ずとその時点での最善・最強の策が出てきます。同時に、次の時代において最善・最強となる可能性のある数多くの策の芽が出るはずです。

[]育児できにならなくなったこと 11:12 育児できにならなくなったこと - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 育児できにならなくなったこと - 西川純のメモ 育児できにならなくなったこと - 西川純のメモ のブックマークコメント

 実は私は強度の心配性です。例えば、研究室を退出する際は、火の用心・鍵用心が心配で心配でなりません。指さし確認を何度も繰り返し、退出するまでに10分以上かかる場合もあります(こうなると一種の病気です)。頼まれた原稿は、大抵の場合、数日でこなします。なぜなら、もし原稿が間に合わなかったら・・と思い始めると、不安で不安でならなくなります。それから脱する方法は、原稿を書き上げるしかありません。

 そんな私ですから、育児では心配だらけです。私が心配がると、家内に不安を与えますので、努めて平静を保っていますが、内心はビクビクものです。大抵の場合は、育児雑誌をそっと覗いて、安心します。ところが、育児雑誌にも書いていないことがあります。多くは、育児を終わった方や専門家は、書くほどもないと判断されるたぐいのものです。おそらく、そうだろうな~とは想像できるのですが、心配性の私は心配で心配でなりません。

 今朝、息子のおむつを変えようとしたところ、全くおしっこをしていません。そのとき、生まれて数ヶ月の時のことを思い出しました。その頃も、今朝と同じようにおしっこしなかったときがあります。その時は、「もしかしたら腎臓の機能が不全なのでは」、「人工透析しなければならないのでは」と考え込んでしまいました。育児書を見ても、夜おしっこをしない場合のことまでは書いていません。次のおしめ替えの時、おしっこで濡れていることを知り、ものすごく安心しました。そんなことを繰り返すうちに、朝おしっこで濡れていなくても平静を保てるようになりました。

[]ジャンダーフリー 11:12 ジャンダーフリー - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - ジャンダーフリー - 西川純のメモ ジャンダーフリー - 西川純のメモ のブックマークコメント

 今日、ある院生さんと話した際、ジェンダーフリーのことに関して話題が行きました。我々の研究室では、社会的につくられる性別(ジェンダー)によって、教科学習における男女の行動がどのように影響しているかを研究しています。そのことを説明した際、「そうやって男女別にデータを取ろうとすること自体、ジェンダーフリーではないですよね」と言われました。もっともな話です。

 その種の話題は、研究室内での話し合いでもよくあります。色々議論して、だれかが「でも、この議論自体も男女に囚われているよね」と言うと、一同、「そうだな~」と納得します。しかし、何かを測定するという場合、客観的な測定というのは幻想にすぎません。客観性を重視する自然科学研究においても、何らかの仮説がなければ、実験計画を立てることは出来ません。例えば、これこれの結果が出るだろうと予想(ある意味では偏見)を持っていなければ、実験計画は立てられません。従って、「ジェンダー存在するであろう」という仮説のもとに研究を進めること自体を否定することは、理屈としては成り立ちますが、あまり実り多いものにはならないように思います。

 しかし、我々の研究室でのジェンダー研究において見失わないようにしていることがあります。それは、「男女は同じであるべき」、また逆に、「男女は違うべき」という理想像を設けないようにしています。我々の研究室では、「かくあるべし」という姿は、子どもが示してくれるだろうと思っています。そのために、出来るだけ(あくまでも出来るだけですが)ジェンダーフリー環境子ども与えたとき、子どもたちがどのように行動するかを見ます。その時、男女の行動に差があるならば、その行動が子どもたちにとって妥当な姿であると信じます。逆に、男女の行動に差が見られなければ、その行動が子どもたちにとって妥当な姿であると信じます。基本は、子どもを信じるということです。

02/04/01(月)

[]桜が咲きました 11:13 桜が咲きました - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 桜が咲きました - 西川純のメモ 桜が咲きました - 西川純のメモ のブックマークコメント

 な、なんと。3月30日に高田サクラが開花しました。観測史上、最早記録だそうです。この桜前線の異常な早さはテレビニュースでも報道されています。喜んでいるのは、東京にある会社の経理担当者です。年度末、年度開始は決算期のため忙しく、桜見が出来ないそうです。ところが、今年は忙しくなる前に咲いたため、花見が出来たそうです。でも、困った人たちも多いようです。予定が全く狂ってしまいますから。

 私も困っています。第一は、講義関係です。私が担当している初等理科教育法では、最初はオリエンテーションで、二回目は「花の観察」の講義です。その際、タンポポ菜の花が必須です。ことしは、4月26日の予定ですが、そのころに菜の花が残っているか、とっても不安です。第二は花見です。例年、入学式(10日前後)の後、一段落したときに研究室花見を行います。その頃には、うちの研究室に入いる予定の方もほぼ確定していますので、新歓の会もこめて行います。ところが、今年の場合は入学式のころにはサクラの盛りを越えています。下手すると葉桜です。そうなると、11、12日あたりがデットラインとなります。

追伸 と、いうことで、西川研の今年のコンパ係の方へ、計画およびメンバーへの周知徹底をお願いします。

追伸2 開始時間は4時半か5時頃にしません。遅くなると、野外は寒くなりますので。