西川純のメモ このページをアンテナに追加 RSSフィード

西川純です。新潟県上越市の上越教育大学の教育実践高度化専攻(教職大学院)で『学び合い』を研究しています。諸般の事情で、このブログのコメントは『学び合い』グループのメンバー限定です。メンバー登録は、いつでもOKです。ウエルカムです。なお、メールはメンバー以外にもオープンですので、いつでもメールください。メールのやりとりで高まりましょうね。メールアドレスは、junとiamjun.comを「@」で繋げて下さい(スパムメール対策です)。もし、送れない場合はhttp://bit.ly/sAj4IIを参照下さい。西川研究室はいつでも参観OKです。 詳細は http://www.iamjun.com/をご覧下さい。 もし『学び合い』グループに参加される場合は、 http://manabiai.g.hatena.ne.jp/をご参照ください。
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02/02/28(木)

[]任せることの難しさ 11:21 任せることの難しさ - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 任せることの難しさ - 西川純のメモ 任せることの難しさ - 西川純のメモ のブックマークコメント

 昨日のゼミは、珍しく参加者が少なく、修士1年の5人の方だけでした。私を含めて6人だけですので、大机にあつまりゼミをしました。本日ゼミの内容は、学び合いが成立したクラスの教師の言動と、それが出来なかった教師の言動の比較です。ビデオ記録を分析すると、質的にも量的にも、明らかな違いがあります。簡単にいえば、前者は「目的」を語り、「方法」を任せています。ところが、後者は「目的」を語らず、「方法」を詳細に語ります。また、前者の教師は、「できた?」、「○○までに仕上げて」ということを言いませんが、後者は頻繁に言います。結果として、前者クラス子どもは「方法」を任されています。後者クラス子どもは、何も任されていません。この結果は、我々の研究室の今までの研究からほぼ予想が付きます。しかし、本日ゼミでとっても面白かったのは、教師の自己分析です。

 我々が客観的に見たならば、任せていない教師の方が、意外にも自分は子どもたちに任せていると自己分析してました。なぜ、その教師が本当は任せていないのにも関わらず、任せたと思ったのかに関して議論が沸騰しました。その結果、その教師が「任せた」と自己分析しているのは、その教師の考える「任せた」というイメージが誤ってるためです。具体的には、任せた部分の広がりが極めて小さい、かつ、「任せた」子どもの範囲が限定されるという特徴があることが分かりました。つまり、クラス全員に、大きなまとまりで任せていないことに問題がありました。もちろん、大きなまとまりで任せたところもありますが、漠然とした目標であるため、生徒がどうしていいか分からない状態になってしまっていました(つまり放任)。

 ゼミを通して、「任せる」という言葉意味の難しさと、誤解された場合におこる問題を強く意識することとなりました。Yさんは、「若い頃、ベテラン先生から、子どもに任せてみろって言われるけど、あれ、こまっちゃんだよな」と発言されましたが、自分の新規採用の当時を思い出すと、さもありなんと思いました。そうすると、いままで静かにしていたKuさんが急にニコニコしながら、「先生の本を誤って理解し、間違った任せ方をして大変になったクラスがあるんじゃないですか~」と私に言いました。私は、「そんなことはないよ。我々の本を読んでも、直ぐに納得する人って少ないんじゃない。面白いけど、本当かな~。」と思う人が大多数じゃない。(実際、講演会での反応の殆どは、そうです。)「その中の何人かの先生が、出来る範囲内でちょっと試した見ようかな、と思うんじゃない。本でも書いたけど、5分程度の話し合いの時間を設けることは、あまり無理はないし、失敗も少ないと思うよ。そんなことを少しずつ積み上げていくならば、間違った「任せ方」はしないと思うよ。」と応えました。しかし、Kuさんは一層ニコニコしながら、「本を読もうとする先生は、きっと何かの悩みがある先生ですよ。読んで、そうかということで、いきなり間違った任せ方をさせてしまうことは十分あり得ますよ。どうします?(一層、ニコニコ)」と言われました。そうするとYさんも、「そうだよな~、ぼくも西川先生の「なぜ理科は難しいと言われるのか」を本屋で見つけて読んだのが大学院に来たきっかけだし」とおっしゃり、全員でニタニタ私の方を見ます。私の方は、そんなバカなと思いながら、涙を流しながら、げたげた笑い転げていました。

 しかし、自宅に帰ってから、考えました。「任せろ」というは絶対に間違いではないと思います。しかし、「任せろ」という意味を正確に伝えなければならないと思います。しかし、世に多くあるノウハウ的な説明はしたくありません。おそらく「任せ方」のノウハウをいくら知っても、本当の「任せ方」は出来ないと思います。「任せ方」とは何かという授業観・子ども観がなければなりません。それでは有能な教師が持つ授業観・子ども観はどのように形成されたのでしょうか?私は決してノウハウ本で形成されたとは思いません(もちろん、きっかけになったことを否定はしませんが)。日々の経験に基づいて形成されたと思います。となると、我々がやらなければならないのは、教師が「そうか!!」と開眼する場面を切り出し、それを分かりやすく整理することだとおもいます。そのことによって、より多くの先生方が、追体験(疑似体験)することができます。最終的には、その先生方が、自分の授業において実体験することが出来ると思います。そのことによって、我々のゼミで当然のことのように認められている「任せる」という意味と、現場(そして数年前の私自身)における「任せる」の意味のギャップを埋めたいと思います。

 だから、あなたのデータはとっても大事なデータなんですよ。上記のデータの詳細な結果は、あと2週間弱で出ると言っていただきましたよね。ねえ○○さん。

02/02/25(月)

[]月極 11:21 月極 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 月極 - 西川純のメモ 月極 - 西川純のメモ のブックマークコメント

自動車関連の雑誌を読んでいたら、車に関する誤解の特集がありました。最も多い誤解が、「軽油」は軽自動車用の燃料だという誤解です。馬鹿な誤解と笑えます。しかし、知らない言葉を既有の知識を基に推論する、我々の高度の推論機能の証拠とも解釈できます。私にも同様の経験があります。

 高校の時のことです。家の近くに「月極駐車場」というのがありました。別なところには「渡辺駐車場」というのがあるため、月極(げつぎょく)という珍しい苗字の人の駐車場と解釈していました。修学旅行京都に行きました。京都市内をバスで移動すると、窓から「月極駐車場」というのがありました。それも次々に見つけました。ビックリした私は横に座ったクラスメートに、「うちの近くにも月極(げつぎょく)駐車場があるんだ。日本全国に駐車場を持っているんなんて、すごい金持ちなんだね。月極(げつぎょく)グループ、月極(げつぎょく)コンツェルンってあるんだね。」と自慢げに話しました。呆れたクラスメートから月極(つきぎめ)であることを知りました。心の中では、「国語でも習っていないし、誰からも聞いたこと無い。おまえ、何で知っているの?」と思っていましたが、ばつが悪いので聞けませんでした。皆さんは知っていましたか?しっている方は、どのように知りました?

02/02/20(水)

[]子を持っての私の変化 11:22 子を持っての私の変化 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 子を持っての私の変化 - 西川純のメモ 子を持っての私の変化 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 私の研究室のそこかしこに息子の写真があります。それを見た学生さん・院生さんからは「息子さん可愛いですね」と言われます。それに対しては、「よく目に入れても痛くないと言うけど、私の場合は、目の奥に入れてグリグリしても気持ちいい、だよ」と答えます。大抵の場合、呆れられます。

 我々の興味・関心は、瞳孔の広がりに現れます。例えば、男性の場合は女性ヌードを見ると瞳孔が広がりますが、男性ヌードでは広がりません。女性の場合は、逆となります。赤ん坊写真を見せると、女性の瞳孔は広がります。一方、男性は広がりません。しかし、その男性も自分の子どもが出来ると変化します。自分の子どもが出来ると、他人の赤ん坊を見ても瞳孔が広がるようになります。

 私も変化がありました。一番大きいのは、児童虐待ニュースに対する反応です。以前の場合は、児童虐待ニュースを聞くと、ムカムカと怒りがわきますし、可哀想になり泣いてしまうことがあります。しかし、自分の息子が生まれてからは、ニュースを聞くことが出来ません。アナウンサーが事件の説明をし始めると、とたんに自分の息子に置き換えてしまい、耐えられなくなります。だいたい10秒程度でチャンネルを変えてしまいます。

 つまり、私の変化とは、どの子であっても自分の息子に置き換えてしまうようになってしまいました。男性が自分の子どもを持つと、赤ん坊写真で瞳孔が広がるのは、その写真赤ん坊を見て瞳孔が広がるのではないように思います。きっと、無意識に自分の子どもの姿を思い出し、瞳孔が広がるように思います。

02/02/14(木)

[]ありがとうございました 11:23 ありがとうございました - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - ありがとうございました - 西川純のメモ ありがとうございました - 西川純のメモ のブックマークコメント

 卒業研究発表会の後(2月8日)、卒研生のMちゃんからメールをもらいました。昨日、そのメールのことを思い出したとき、その内容は私宛のメールでありながら、それ以上に現職の教師でもある院生さんへの礼状であることに、にぶい私でも気づくことが出来ました。そこで、主に現院生の皆様宛に発信します。同時に、来年以降の、院生さん、学生さんへの願いを込めて・・・

 西川先生のおかげで、ここまでこれたのだと思っています。ありがとうございます。また、院生さんにもたくさんたくさん助けていただいて、ここまでこれました。感謝しています。

 西川研究室の学部の私達が、こうやってすばらしい研究環境で過ごせることはとても幸せなことです。これは、学部生の私達を、院生さんが同じ人として認めてくださって、一緒に活動してくださるからだと思います。昨日も、私の4月からの臨採が決まったことを報告したら、一緒にコーヒーを飲みながらいろいろと話しを聞いてくださり、現場のはなしも聞かせてくださいました。私達は、院生さんにとっても甘えているし、頼りきっています。でも、それができるからだと思いました。何を言いたいのかといいますと、西川研だけだと思ったからです。学び合いというか、私達を認めてくださる院生さんがいるところは。そのことに気が付き、とっても嬉しくなりました。これから、私も社会に出て、ちょっと大人になるかもしれませんが、自分よりも年下の人や、経験の少ない人に対して、傲慢な態度を取ることがないようにしたいと思いました。

 無事に終わることが出来ました。

 本当にありがとうございました

02/02/09(土)

[]子どもが悪い 11:24 子どもが悪い - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 子どもが悪い - 西川純のメモ 子どもが悪い - 西川純のメモ のブックマークコメント

 修士1年のHさんが全体ゼミ発表しました。発表では、総合学習クラスの中で、良いクラスと悪いクラスが生じた理由を分析しています。分析の結果、教師の目標設定のあり方(その背景としては授業観)に原因があることが明らかになりました。 その際、それらのクラスを構成する子どもたちの違いに由来するのでは?という質問が生じました。それに対して、私は以下のように思います。

 仮に、日本中の子どもの中で、悪い子どもが半分、良い子どもが半分だと単純化します。そうすると、クラス全員が悪い子どもで占められる可能性は、二分の一の30乗~40乗となります。明らかに、そんな可能性はありません。全員というのは極端ですが、クラスの多くが悪い子で占められるという可能性もかなり低くなります。結局、どのクラスも約半数は悪い子で、約半数は良い子となります。何が言いたいかと言えば、確かに一人から数人の集団であれば、その構成する子どもたちの特徴が如実に出ます。しかし、30人以上となれば、よほど意図的な選択をしない限り、ほぼ等質な集団となります。

 従って、子どもの特徴で解釈することには妥当性はないと思います。それに、「子どもが悪い」という解釈は、安易な方法で、そこから授業改善は「全く」生まれないと思います。

追伸 教師をやっていると、本当に悪い子というのはいないというのが私の感覚です。従って、上記の二分の一という仮説も、最悪の状況の場合です。実際は、殆どのクラスの場合、良い子ばかりのクラスが多いと思います。ただし、とても手のかかる子どもはいて、その子がリーダー格であった場合は、とても大変になることは理解できます。しかし、その手のかかる子をクラスリーダー格にしているのは、他ならない教師であることを忘れてはいけないと思います(おそらく、無意識だと思いますが)。

02/02/04(月)

[]自慢(その2) 11:25 自慢(その2) - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 自慢(その2) - 西川純のメモ 自慢(その2) - 西川純のメモ のブックマークコメント

 金曜日の夕方、自宅に帰る直前に院生さんの部屋に行きました。9日にある会の簡単な打ち合わせをして帰ろうと思ったとき、院生さんのHさんから「今から個人ゼミお願いします」と言われました。愛しい家内や、可愛い息子の顔がちらつく中、大事な院生さん(Hさん!この部分、読んでいる?)からの申し出だけに「ハイ」と答えました。

 Hさんは極めて真面目な方で、全体ゼミの時も、背筋をピンとして座られ、熱心にメモを取られる方です。また、研究も計画的で地道に積み上げている方です。そのため、今まで飛び込みで個人ゼミの申し込みは殆どありませんでした。それだけに、「どうしたんだろう?」という気もしました。

 私の研究室に来られて、開口一番、「この前言われたように、教師が何をやっているかという視点でビデオを見直しました。その結果わかりました。」と言われ、その後は立て板に水のように報告がありました。実に感動的でした。前にも書きましたが、一流の教育研究の成果は、言われてみれば至極当然なことなんです。そして、その知見で現象を見直すと、実に多様な場面で生かせるものです。思わず、感激でウルウルしてきました。しかし、見るとHさんの目頭も赤くなっています(気のせいかもしれませんが)。こりゃ、私が泣いたら大変だと思いました。だって、教官研究室で、泣いている教官と、泣いている女性院生が二人でいる場面を想像してください、とっても変な図です。落ち着け落ち着け、と自分に言い聞かせました。そのあたりで、何故、Hさんが飛び込みで個人ゼミを申し込んだのか、やっと気がつきました。悩みに悩んだHさん、やっと自信のもてる段階に達して、私のところに自慢しに来たんだなと。

 「便りのないのは、良い便り」と言います。しかし、「便りのあるのは、とっても良い便り」なのだと思います。