西川純のメモ このページをアンテナに追加 RSSフィード

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01/11/16(金)

[]相対的 14:26 相対的 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 相対的 - 西川純のメモ 相対的 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 育児サークルには色々な子どもが来ます。息子は1歳半です。大好きな2歳3ヶ月のお姉ちゃんに合うと、ヒシっと抱きつきます。お姉ちゃんも抱っこします。一方、8ヶ月の男の子どもを見ると一際高い声を上げます。息子は可愛い動物人形を見ると高い声を上げます。きっと8ヶ月の子を一際かわいく思ったのでしょう。近寄ってなぜなぜします。たった1年弱の違いなんですが、彼の年数は1歳半です。私に置き換えたら60歳のおばあちゃんと20歳の青年にあたるんです。ものすごい年齢差です。

[]自己責任 14:26 自己責任 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 自己責任 - 西川純のメモ 自己責任 - 西川純のメモ のブックマークコメント

うちの研究室では「子どもに任せる」ことを基本テーゼとしています。しかし、教師が教えなければという強迫観念は強固です。もし、子どもに任せてめちゃくちゃになったとしたらどうしようと心配になるのが普通です。でも、我々の調査によれば、子どもに任せることによって、教師が主導するよりも勉強面も心情面もよりよくなります。しかし、それらの事例を詳しく説明しても、「でも、もしもダメだったら」と聞かれます。それに対しては、このように答えます。

 「確かに教師主導でやれば、一定のスピード教科書を整然と消化できるよ。でも、確かに教師は教科書に書いたことを「言って」、「書く」ことは出来るだろうけど、それって子どもにとって「分かった」ということを意味していないことは分かっているよね。子どもに任せて、達成するレベルが適正なレベルだと思うよ。教師主導によって、より高いレベルに達したように見えるけど、一人一人の子どもを見たら自分自身の力にはなっていないんじゃないかな~」

 大抵はこの話で納得してくれます。しかし、今まではないですが、重ねて「でも、子どもに任せて失敗したらどうします?」と聞かれたら、こう答えるでしょう。

 「逆に聞くけど、教師主導でやって失敗したら、あなた責任とれるの?基本的には、どんな小さい子どもであっても、一人の人格としてみることが必要だと思うよ。確かに、子どもは幼いし、未熟だけど、だから、大人が強制してもいいという理由は、「野蛮な黒人を白人が導く」とか「愚かな人民を選民が導く」と同じ理屈だと思うよ。民主主義の原則は、愚かとか未熟だから人格として認められないとは考えず、「我思う故に我あり」と考えられる人は等しく見ようとする考えだと思うよ。もっと言えば、それさえも出来ない人であっても人格と認めようという考えだと思うよ。

 簡単に言えば、30歳、40歳の成人と接するように、子どもに接します。もちろん何でもかんでもOKという分けではないよ。市役所の窓口では、大人であっても駄目なものは駄目といわれるよね。しかし、市役所の窓口の人が、かってに解釈・想像して「ダメ」と断ったら、非難・指弾されるよ。同じで、教師が「駄目だろうな」(「駄目」ではありません)、もしくは「悪い方向に進むだろうな」と思った場合は、「駄目だろうな」、「悪い方向に進むだろうな」ということを納得させる情報を提供することにとどめるべきだと思うよ。

 情報提供したが、子どもが「駄目になるだろう」、「悪い方向に進むだろう」道を選択し、結果として「駄目になり」、「悪い方向に進んだ」としても、それは子ども自己責任と思うべきだと思うよ。だって、「駄目になる」と思ったことが、結果的に良い結果になる可能性は否定できないし、逆に、自分自身が良いと思ったことが悪い結果になる可能性があるよ。もし悪い結果になったとき、責任はとれないよね。だから、子どもに任せるしかないんだよ。つまり、子どもに任せるということは、子どもを一人の人格として認めることであり、そのことは自己責任を求めることにもつながるとおもうんだ。だから、ある意味で、子どもたちに厳しいものを求めているだよ。」

 ただし、我々が思うほど子どもは愚かでも未熟でもありません。その子どもは、自分のことを真剣に考えているんですから、その答えを信じてもいいと思います。大人が出来るのは、正しい答えに資すると思われる情報に接すれる(与えるではありません)場をつくることだと思います。選択は彼らがやります。

追伸 子ども未来責任とれる大人がはいます。それ親です。子どもの失敗の責任は親がとるでしょう、小さい子どもの場合は責任をとらなければなりません。したがって、親には情報公開をしなければなりません。

追伸2 いつもの事ながら、慌てて言い訳をしますが、言っていることと、私がやっていることにはギャップが大きいなと自覚しつつ書いています。

[]学習指導要領の新たな読み方 14:26 学習指導要領の新たな読み方 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 学習指導要領の新たな読み方 - 西川純のメモ 学習指導要領の新たな読み方 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 私は高校教師出身ですが、上越教育大学に赴任してから義務教育先生方とお話しすることになりました。カルチャーショックを受けたのは、学習指導要領に対する考え方のギャップです。高校教師の場合、学習指導要領を尊重はしますが、それ以上に、その背景となる学問物理学化学生物学地学)や、受験のことを考慮して授業を組み立てます。しかし、義務教育先生方の中には、学習指導要領聖典のように心底から思っておられる方がいらっしゃいます。また、そこまでいかなくても、「学習指導要領がないと、心のよりどころが無く、どう教えていいのか不安になる」という方は少なくありません。

 私は大学院院生時代、指導要領の作成に直接関わった方々と話す機会がありました。その方々の講義雑談、酒席でのお話では、学習指導要領は縛りではなく、自由度が高いことを強調されていました。その背景として、我が国の教師の能力を高く評価していて、だからこそ一人一人の教師の裁量の余地を残していることを強調していました。

 例えば、学習指導要領で「してはだめ」と書かれていますが、逆に言えば「してはだめ」と書かれていなければ「してもいいこと」なんです(もちろん常識の範囲ですが)。なぜ、「してはだめ」と書くかと言えば、そう書かないと際限なく難しくなり、結果として、入試問題に難問・奇問のオンパレードになってしまいます。そのことを避けるための縛りで、教師を縛ることを意図していないとのことでした。また、「しなさい」と書かれていても、それを10やるか100やるかは一人一人の教師の判断に任されています。そう考えると、実に自由度が高いことが分かります。

 そうわいっても、私が定時制高等学校に勤めたとき、そこにいたのはオール1の生徒達でした。分数が分からないなんて当たり前です。知的障害とまではいきませんが、境界児もいました。「そんな生徒に、どうやって力学電気を教えればいいんだ!?」と呆れたこともあります。学習指導要領に沿った教科書では絶対に無理です。

 学習指導要領の扱いに関しては、学校教育施行規則にあります。例えば高校の場合、学校教育施行規則57条の2「高等学校教育課程については、この章に定めるほか、教育課程の基準として文部大臣が別に公示する高等学校学習指導要領によるものとする。」と規定されています。また、指導要領の最初には、「各学校においては、法令及びこの章以下に示すところに従い、生徒の人間としての調和のとれた育成を目指し、地域や学校の実態、課程や学科の特色、生徒の心身の発達段階及び特性等を十分に考慮して、適切な教育課程を編成するものとする。」と書かれています。

 ここで注目したいのは、二つのことです。第一に、学習指導要領が規定しているのは、「やるべきこと」であって「学習者が学び・理解しなければならないこと」ではないことです。そのため、教師は「分かる/分からない」をお構いなく、教科書を進めます。しかし、学習指導要領では「従い」と書いてはいますが、同時に「十分に考慮し編成するもの」と書かれてあります。先に述べたように、やるべきものの軽重をつけることは教師の裁量です。

[]夢にまで見る指導教官(その2) 14:26 夢にまで見る指導教官(その2) - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 夢にまで見る指導教官(その2) - 西川純のメモ 夢にまで見る指導教官(その2) - 西川純のメモ のブックマークコメント

 2ヶ月間、沖縄の現任校で実践調査してきて、最近帰ったHさんと久しぶりの個人ゼミをしました。実践調査に出発する前に、「途中経過電子メールで教えてね」と頼みました。しかし、同時に「でも、きっとHさんは一度沖縄に行ったら連絡しないだろうな~」と予言しました。結果は思った通り、連絡はありませんでした。

 連絡がないと、心配です。「もしかしたら、調査に失敗して落ち込んでいるのではないだろうか」なんてことまで考えました。しかし、「便りのないのは、良い便り」と腹をくくり、連絡の督促はしませんでした。

 本日、久しぶりに個人ゼミで報告を受けましたが、面白い報告でした。一安心。個人ゼミの最後に、「やっぱりメールしなかったね」と言いましたら、Hさんは「さすがに帰る1週間前ぐらいに先生が夢に出ました」と話してくれました。どんな風に出たのと聞きました。数日前のメモに書いた「夢にまで見る指導教官」に書いたように、学部学生のMちゃんの場合は、一生懸命言い訳をしているのに、私は、「そう」と冷たく一言だけ言って、さっさと通りすぎたそうです。焦って、Mちゃんは私を追いかけたそうですが、私の走る速度が速すぎて、追いつけなかったそうです。それがあったので、Hさんの夢にはどんな風に出たのが興味がありました。「夢にまで見る指導教官」を読んだHさんは、「Mちゃんと違って、ニッと笑っている先生でした」とのことです。さらに、「もし、先生が逃げても、絶対追いつきます!」とのことです。さすが現職教員、パワーがあるなと思い、大笑いしました。