西川純のメモ このページをアンテナに追加 RSSフィード

西川純です。新潟県上越市の上越教育大学の教育実践高度化専攻(教職大学院)で『学び合い』を研究しています。諸般の事情で、このブログのコメントは『学び合い』グループのメンバー限定です。メンバー登録は、いつでもOKです。ウエルカムです。なお、メールはメンバー以外にもオープンですので、いつでもメールください。メールのやりとりで高まりましょうね。メールアドレスは、junとiamjun.comを「@」で繋げて下さい(スパムメール対策です)。もし、送れない場合はhttp://bit.ly/sAj4IIを参照下さい。西川研究室はいつでも参観OKです。 詳細は http://www.iamjun.com/をご覧下さい。 もし『学び合い』グループに参加される場合は、 http://manabiai.g.hatena.ne.jp/をご参照ください。
ツイッター http://twitter.com/jun24kawa
『学び合い』メールマガジン参加者募集中!(無料)http://www.mag2.com/m/0000270912.html
『学び合い』マップ募集中!(無料)http://manabiai.g.hatena.ne.jp/kokohagw/
授業公開の仲介のガイドライン http://dl.dropbox.com/u/352241/manabiai-data/koukai.pdf
だめで元々で、とりあえずドロップボックス(http://db.tt/bMZAZwx)とjimdo(http://jp.jimdo.com/)の無料アカウントを登録してみてはいかがでしょうか?実に簡単ですから。

本格的にトライする人も多くいると思います。その際、人とのつながりが大事です。身近にいる人と繋がれるとありがたいですよね。『学び合い』を実践される方は、『学び合い』マップ(https://www.google.com/maps/d/edit?mid=zDInXkSSxyO4.kNDji5uDNm0Y)に、是非、登録下さい。登録は、『学び合い』マップ登録フォーム(http://form1.fc2.com/form/?id=77081b4d4f40dd2f)から出来ます。  「私なんて、人になんか教えられるレベルに行っていない」と思う方へ。だからいいんですよ。一番知っている人が、一番の教え手ではないことは『学び合い』を実践しているならば、子どもを見れば分かるでしょ。それに、教える必要はないのです。共に学び合えばいいのです。いや、愚痴を言ったり、笑ったりする、それでいいのです。  是非、一人でも多くの人がマップに登録下さい。強く、強く、お誘いします。

01/11/30(金)

[]話し合いの東西文化比較 14:15 話し合いの東西文化比較 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 話し合いの東西文化比較 - 西川純のメモ 話し合いの東西文化比較 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 本日は附属小学校研究会がありました。その研究会関西学校先生と話すことが出来ました。その際、うちの研究室での「じゃれ合い」研究に関して話しました。つまり、一見、不真面目そうに見える子どもたちのじゃれ合いは、実は教育的に意味ある行動であると言うことです。それを聞いた、その先生からは、「文化の違いと言うこともあると思うんですが、関西では、そういった話し合いは普通に出来ます」、「関東東北から来られた先生が、うちの授業を見ると、ケンカをしているのか?と聞かれることがある」というようなことを教えてくれました。その先生によれば、テレビに映る関西のおばちゃんは素人でも面白いが、子どもたちも自然ボケとツッコミが出来るとのことです。話し合いの東西比較をすると面白いと思いました。

 グレンという人が国連での議論を分析し、各国の議論の進め方を調べました。その結果、旧共産圏の諸国の場合は、事実より原理原則を重んじ、その原理原則を一貫して、かつ強硬に主張しつつけるという特徴がありました。アメリカでは事実を重視し、そのデータに基づき論理的に主張するという特徴がありました。アラブ諸国の場合は、その目的とは直接関係ない当事者に対する感情に基づき議論するという特徴がありました。ちなみに日本アラブ諸国に近い議論を展開するそうです。

 偏見・単純化を含んでいると感じます。また、共産主義が崩壊した後のロシア東欧諸国での議論はかってとは異なっていると思います。それらを割り引いたとしても、文化の違いがあることは確かです。

01/11/28(水)

[]新しいエチケット 14:15 新しいエチケット - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 新しいエチケット - 西川純のメモ 新しいエチケット - 西川純のメモ のブックマークコメント

 今週の月曜日は、上越市内の学校にお願いし、学部学生13人と一緒に平常の授業を参観させていただきました。そのオリエンテーションの意味もかねて、先週の月曜日学生を集めました。そこで、参観する際に、どのような点を注意すべきかを話し合わせました。服装等の注意など、予想された注意点が学生からあがってきて、フムフムと聞いていました。しかし、「茶髪を黒く染める」などの注意は、なるほどと思う注意点でした。しかし、最も感心したのは、「携帯スイッチを消す」というものです。

 私は携帯電話を持っていません。そのため、全く思いつかない注意点です。そういえば、映画館に行っても、最初に「携帯電話スイッチを消してください」という注意が流れるなと思い出しました。時代に乗り遅れていることを実感しました。

01/11/26(月)

[]ジェンダー 14:17 ジェンダー - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - ジェンダー - 西川純のメモ ジェンダー - 西川純のメモ のブックマークコメント

 最近院生のYさんとこんな会話をしたことがあります。Yさんは、最近男女差別に関わる研究発表を聞いたそうです。その際、「これからは男だから○○、女だから△△という考え方を改めなければならない」という趣旨の発表を聞いたそうです。それを聞いたYさんが、「男だから、とか、女だからという考えをやめろと言っても、男女の性差は歴然とありますよね。工事現場のような仕事の場合力の強い男ということはどうしようもないですよね。」と聞きました。それに対して、以下のように私の考えを述べました。

私:Yさんは、無意識男女差別をしているよ。

Yさん:え!?

私:Yさんの考え方で、一般社会では普通じゃない。それに、ことさら言われなければ、僕も同じように判断して行動すると思うよ。でも、あえて、その発表者の意図を読みとろうとすればという意味で、「男女差別をしているよ」って言ったんだよ。子どもを腹の中で育てられる、育てられないということは男女と"ほぼ"一対一対応しているよね。でも、あくまでも"ほぼ"だよ。でも工事現場で必要な「力が強い」ということは男女では必ずしも対応していないんじゃない。例えば、工事現場作業員の募集の中で「男」という条件を付けるのは男女差別だと思うよ。もし、「男」とつける理由が、力が強いことを求めての条件ならば、例えば「片手で○○kgを持ち上げられる人」という条件をつけたらいいんだよ。女だから力が弱いと勝手にラベル付けすることは男女差別じゃない?

Yさん:そうすると、家内が重いものを持つとき、「持ってやるよ」と言っているんですが、それも男女差別なんですね?

私:それは2つの意味で違うと思うよ。第一に、Yさんは奥さんが力持ちかそうでないかを実際に知っているよね。女というラベル"だけで"判断していないから男女差別じゃないと思うよ。第二に、Yさんが重いものを持ってあげたとき、奥さんが喜んでいるなら、それはそれでいいんじゃない。本当は奥さんは重いものを持ちたいにも関わらず、Yさんがそれを邪魔したなら問題だけど。例えば、理科実験女の子が活躍できないことが何故問題かと言えば、それが「女」だからというラベルによって決定されていることだよ。そして、その女の子が、実は心の中で「活躍したい」と願っているのに出来ないからだよ。仮に、ある女の子が活躍したくないと思ったとしても、それが本心とは限らないよね。潜在意識としては「活躍したい」と思っていても現実には活躍できず、結果として、「私は活躍したくないから活躍していないんだ」と合理化した理由を、本気で信じているのかもしれないよね。だって、理科が好きでないとしても、普段見慣れない珍しい道具を使ってみたり、色が変わったり、光ったり、音が出たりすることを面白がるのが普通じゃない。男女の別なく、大抵の人は理科実験に参加したいと思うよ。

追伸 私が上記のようなことを思ったかと言えば、私の妹が原因です。妹は見かけによらず力持ちです。そのため、職場で重い棚を運ぶ際、男の職員から「西川さん、手伝って」と言われていると、彼女独身時代に話してくれたことを思い出しました。

[]プロ・アマチュア 14:17 プロ・アマチュア - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - プロ・アマチュア - 西川純のメモ プロ・アマチュア - 西川純のメモ のブックマークコメント

うちの家族では最近は全く牛肉を食べません。理由は二つです。第一に、元から和風を基本としており、魚はよく食べますが、牛肉をあまり食べない食生活でした。第二に、かかりつけのお医者さんの影響です。そのお医者さんに検診に行ったとき、雑談の一つとして「先生牛肉食べます?」とうかがったとき、言下に「食べませんよ」との回答でした。その理由は、「日本農水省厚生省の対応が、後手後手で、とても信じられない」とのことでした。私が、「それでは私も牛肉をあまり食べないようにしましょう」と言いましたら、先生は、「プリオン狂牛病原因タンパク)の危険性は量の問題ではありません。少し食べても、多く食べても変わりありません。だから、私は全く食べません。」と言われました。帰宅後、家にあった冷凍牛肉は廃棄し、それ以降は食べていません。

 しかし、クリスマス年末正月イベントが近づいています。平均的な日本人として、ご馳走というと、寿司と並んで焼き肉やステーキが思いつきます。「食べたいな」という気持ちになります。しかし、2頭目の狂牛病の牛の発見で、その気持ちが無くなりました。

 全頭検査をするのですから、2頭目の狂牛病の牛が出来ることは予想できます。逆に、2頭目が出たということは、全頭検査が健全に行われている証拠です。従って、「発見」自体は気持ちの変化には影響していません。私が食べるのやめようと思ったのは、2頭目を出した際のある北海道畜産業者のインタビュー原因です。

 当然の事ながら、顔を出さないインタビューです。同じ立場であればと想像すれば、同情すべき点が多いことは確かです。その方は、国がちゃんとやっていないならば、我々(すなわち畜産業者)は分かる分けない、という趣旨の発言をしながら怒っていました。ヨーロッパ狂牛病騒ぎが起こり、そのため畜産業が大打撃を受けたとき、その人は「他国の話」と思ったんでしょうね。また、千葉県発見し、その牛が北海道出身だと知ったときも、おなじ北海道なのに「うちは大丈夫だろう」と思ったのでしょう。結局、国を全面的に信頼し、だから自分自身では国がやっている以上の対策を講じていないのだと思います。そう思うことは、ごくごく自然です。何となれば、私自身がそうでしたから。でも、それは私(即ちアマチュア)と同じレベルであることの証拠です。

 アマチュアが思いもつかないことまで出来るからこそプロです。例えば、前のメモにも書きましたが、私の行きつけのスーパーの食肉担当者はプロです。日本最初の狂牛病騒ぎで、アマチュアの私はおろおろし電話をしました。しかし、既にそのスーパーでは調査を完了し、狂牛病に対応していました。アマチュアの私が「他国のお話」と考えている時に、自分の店の問題として検討していたスーパーはプロだと思います。

 1頭目の狂牛病の牛が肉骨粉を使っていないのにも関わらず発病したとされている点は、アマチュアの私でも知っています。ところが、畜産業の人は「うちは肉骨粉を使っていないから安心だ」と未だに信じていることが、信じられません。もちろん、プロの畜産業の方も多いとは思います。しかし、その方々の声、やられていることは報道にのってきません。

 現在、多くの食肉関係者の方が安全性キャンペーンをしています。しかし、それらの主張は、国が安全だといっている根拠と、全く同じ根拠をもとにしています。でも、多くの国民牛肉を食べるのを控えているのは、畜産業にたずさわるお一人お一人を疑っているわけではありません。行きつけのお医者さんが行ったように、行政が対応するには今しばらく時間がかかりそうだと考えているからだと思います。そうだとすると、国がちゃんとしていなければ、我々は分かる分けないと開き直られる人の肉は食べたくないなと、思わざるを得ません。国がやっている以上の自主的な基準を設け、情報公開をしているプロの方のお肉を探しています。おそくともクリスマス前に。

追伸 私には気になることがあります。肉骨粉を食べていたのは、牛だけではないということです。現在、牛の狂牛病は羊の病気原因だとされています。羊の病気が牛に感染し、その病気人間感染するとされています。もし、豚や鳥に絶対に感染しないと主張する科学者がいたとしても、とても信じる気にはなりません。(少なくとも、今の段階は)

01/11/24(土)

[]新潟 14:19 新潟 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 新潟 - 西川純のメモ 新潟 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 私が上越に来て15年になります。長いものです。今日、ふと、そのことに気づきました。

 テレビを見ていると「新潟」であるイベントがあったことを紹介していました。それを見ていた私は、「ああ、新潟市でイベントがあったんだな」と自然と理解し、見ていました。新潟県の方ですと、当たり前のことですが、東京出身の私にとっては進歩です。15年前、はじめて上越に来た当初、地元の人が「新潟に行く」という表現を使われるのに「え!?」と思いました。何故なら、「新潟県にいるのに、何故、新潟に行く必要があるのか?既に、新潟にいるのに」と思ったからです。しかし、聞いてみると、上越市の人の場合、「新潟=新潟市」なんです。

 「新潟=新潟市」ということに、東京出身の私が違和感を感じた理由は二つあります。第一は、県外出身の人間にとっては、「新潟=新潟県」です。しかし、新潟県内の人にとっては、新潟県にいることは当たり前なんですから、ことさら「新潟」と言えば、新潟市を指すことになります。第二は、県庁所在地という感覚です。おそらく、東京都と大阪府の人はそうだと思うのですが、県庁所在地という感覚がありません。東京都庁は、昔は千代田区有楽町にありました。今では新宿区西新宿にあります。しかし、都民に都庁は千代田区にある、とか、新宿区にあるといってもピンときません。市街地がほぼ東京都内全域を占めているので、境目がないんです。従って、東京都内のはずれにある板橋出身の私は、都庁所在地の一部にあると考えているんです。おそらく、23区外の都下の人たちも、そう思っているんだと思います。そのため、新潟県の中に、新潟市という独立した県庁所在地があるということが分かりませんでした。しかし、今では「県民」としてしっかり理解しています。

[]上越大 14:19 上越大 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 上越大 - 西川純のメモ 上越大 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 私は筑波大学出身です。略してみると「つくだい」なんですが、なんか「つくだに」みたいで据わりが悪い略称です。そのため、「つくだい」という表現はあまり聞きません。筑波大学の工学系では、MIT(マサチューセッツ工科大学)の向こうを張って、TITという略称を使おうと思ったそうです。しかし、それが乳首という意味の3文字言葉(低俗な俗語)であることが後で分かり、急遽、取りやめたそうです。

 一般的な略称であっても、誤解を生じます。例えば、「しんだい」という言葉は新潟では、新潟大学を指しますが、長野では信州大学を指します。「めいだい」は東京のあたりでは明治大学ですが、中京圏では名古屋大学をさします。

追伸  上越教育大学のJUE(Jyoetu University of Education)という言葉も、ある国においては、罰当たりな言葉かもしれません。

追伸2 筑波大学に入学したところ、つくば市の真ん中に「東大」通りというのがありました。東大閥の力は凄いもんだとかってに解釈し、感心しました。しかし、数年たって、「西大」通りというのが少し離れたところにあることを知りました。「西大」ってどんな大学だ?としばらく考えました。よく調べてみると「とうだい」通りではなく、「ひがしおおどおり」と「にしおおどおり」であることがわかりました。受験戦争直後の大学1年、2年の場合、「東大」という文字を見たときに、東京大学と解釈してしまいました。

[]種切れ 14:19 種切れ - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 種切れ - 西川純のメモ 種切れ - 西川純のメモ のブックマークコメント

 このメモを書き始めて、今回で195番目のメモです。書き始めた当初は、すぐに種切れになるだろうと思っていました。そのため、複数のメモを同時に思いついた場合は、ちょっと間隔を置いてホームページにアップしようなんて考えたことがあります。しかし、そんなことをしなくても、いまのところ種切れになっていません。その時々に感じたこと、思いついたことを書いているだけです。

 喜劇王チャップリンの自伝にあったことです。チャップリンは自分の母親を毎日、笑わそうと思ったそうです。そのために、毎日の出来事を真剣に観察し、それをもとにお話をしたそうです。真剣に観察するならば、日々の普通の出来事の中にも、いろいろな驚きはあるもんです。そのトレーニングが、後の喜劇王の基礎を築いたそうです。

 最近思うことですが、人と議論することによって、自分の考えが整理されます。さらに、それを書くことによって、定式化されます。人と議論する前から、書く前から、自分の考えがあるのではなく、議論し、書くことによって自分の考えが出来るように思います。この「メモ」を書くことが、自分の考えを作るトレーニングになっているように思います。

[]全体ゼミはごまかせない 14:19 全体ゼミはごまかせない - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 全体ゼミはごまかせない - 西川純のメモ 全体ゼミはごまかせない - 西川純のメモ のブックマークコメント

 西川研究室を希望する学部学生さんには、最初に以下の約束をしてもらいます。

1.私との話し合いの結果、自分で「やる」と言ったことはやってほしい。

2.もし、出来そうもない場合は、その場で「出来ません」と言って欲しい。その時は、別の目標を立てるだけのことです。

3.もし、やれると思ったが、色々な理由から出来なくなりそうになった場合は、前日までに「出来そうもありません」とi言って欲しい。

 つまり、「やる」といってのにもかかわらず、当日になって「やれませんでした」ということは無しにしてくれ、ということです。

 色々な場合を想定している約束なんですが、それでも守れない学生さんがいます。しかし、私に対する期限は守れない学生さんも、全体ゼミでの自分の発表の期限をすっぽかす学生さんは皆無です。一対一(特に教師)に関しては甘えられたとしても、学習者集団の他の成員に対しては甘えられないことをよく分かっているからだと思います。

 ちなみに、期限を守れない場合も、嫌みやカラカイはしますが、怒ることはしません。なんとなれば、卒業研究は学生さんの問題であって、私の問題ではないのですから。結果として、あるレベルを達し得なければ、ニコッと笑って留年させるだけのことです(幸い、留年生は今のところ皆無ですが)。

 しかし、ガンガンに叱ることがあります。それは、その学生さんの調査のためにOBに調査依頼をしたが、その学生さんの怠慢のためにOBに迷惑をかけたときです。その時は、その院生さんは好意として協力してくれたのにも関わらず、学生さんが誠意がないため迷惑なったことを叱ります。また、そのことによって、そのOBに二度とお願いできなくなった場合、未来の西川研究室所属の学生さんに迷惑がかかることを話し叱ります。いずれの場合も、西川研究室(OBを含んで)という一つの集団に対して迷惑をかけたことを自覚させます。

追伸 最近、色々な理由をつけて全体ゼミの中止が続いています。個々の理由はとても「正当」なんですが、続いているので、すこし心配です。

[]コマーシャル 14:19 コマーシャル - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - コマーシャル - 西川純のメモ コマーシャル - 西川純のメモ のブックマークコメント

 かってみたことのある映画なんですが、主人公は広告代理店に勤めている人なんです。その人は、テレビのコマーシャルをつくることが仕事です。その主人公は、あるとき自分が飼っているペットの猿がテレビのコマーシャルに興味を持って見ていることに気づきます。そして、その猿が、手を打って大受けしているコマーシャルは、その商品が大当たりする事に気づきました。それからは、色々なコマーシャル案を、その猿に見せて、最終的なコマーシャル案を選択することを始めました。そのため、広告代理店としての仕事が成功するという内容です。

 息子を見ていると、その映画を思い出してなりません。息子はコマーシャルに興味がありますが、ドラマやニュースには興味がありません。ドラマやニュースの時は、玩具に集中しています。ところが、画面がコマーシャルになったとたん、どんな離れた場所にいても、とことことテレビの見える場所に移動し、集中して見ます。きっと、音楽が鳴ったためにコマーシャルだということが分かったんだろうなと想像していました。しかし、音楽を流している音楽番組は無視しています。さらに、その音楽番組が中断し、コマーシャルに代わったとたんに気づくところから考えて音楽の有無が原因ではないようです。かって、コマーシャルを飛ばして録画する機能を持ったビデオを使ったことがあります。原理は簡単です。普通の番組の場合、音声はモノラルです。ところが、コマーシャルの場合、ステレオで記録されています。そのため、音声がモノラルかステレオかで判別して、番組かコマーシャルかを判断していました。息子は、どんな方法で判別しているか謎です。

 何故、コマーシャルであるかを判断しているかは謎ですが、どんなコマーシャルを好むかは簡単です。可愛いお姉ちゃん(おおよそ25歳前後)が出ているか、車が出ていればご機嫌です。1歳半ですが、私がかって教えていた定時制高校のアンちゃんと同じです。それらが画面に出ると、ニタラ~(可愛いんですが、すこしスケベっぽい)と笑います。

01/11/22(木)

[]ノウハウ 14:21 ノウハウ - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - ノウハウ - 西川純のメモ ノウハウ - 西川純のメモ のブックマークコメント

 昨日はMさんと個人ゼミを行いました。その議論の中で、大事なことを気づかせてくれました。

 私は「教師が教えることを控えるべきである」という立場です。しかし、いっさい教えるべきではないと言っているのではありません。教える必要のないところまで、教えるべきではないと主張しているのです。となると、教えるべき部分と、教えるべき部分との境目が問題となります。

 西川研究室には、現職の先生方が院生として所属しておられる。その院生の方は、現場において「自由と放任」を取り違えている事例を数多く知っておられます。そのため、我々の研究室の主張が、自由と放任に取り違える方向に誤って捉えられることの危険性を指摘されることは一度ではありません。そのため、多くのノウハウ本のように、「教えるべき場合/教えるべきではない場合」の一覧表を作成することを提案されたことがあります。

 しかし、現場の状況は千差万別である。教えるべき場合は多種多様です。もし、教えるべき場合を枚挙していたならば、何ページを費やしても一覧表を完成することは出来ないでしょう。さらに完成させることが出来たとしても、その一覧表を表面だけなぞるならば、結局、今と同様に、全ての場合で教師が教えなければならないということになります。先に述べたようにノウハウ的に書くことも可能ですが、書けば誤解が生じます。重要なのは、授業や子どもに対する考え方であって、個々の事例に対する判断はそれの影にすぎません。影を追っても、そのおおもとの「考え」を誤って捉えてしまいます。

 それでは、筆者らが考える授業や子どもに対する考え方とはどんなものであるのか?それは、第一に、子どもは有能である、子どもを信じるという考え方です。第二に、その有能性を生かすためには、子ども相互の学び合いが有効であるという考え方です。第三に、その学び合いを成立させるためには、教師は目標の設定と評価、それと外部との調整を行わなければならない、特に、目標の設定が重要であるという考え方です。第四に、その目標の設定を成立させるためには、個々人の目標とするのではなく、子ども集団の目標とすべきであるという考えです。4に関しては少々補足する必要があるでしょう。例えば、「これが分かると、おまえに有利だ」という目標の場合、その子が「俺が不利になっても、俺はいいや」と開き直れば終わりです。しかし、「これが分かると、おまえを含めたみんなのためになる」という目標の与え方の場合、「俺」という個人の問題ではないので、なかなか開き直れません。なんとなれば、子どもにとって教師に嫌われることは屁とも思わなくても、同級生集団に阻害されることは相当きついものです。

 それでは、上記の4つを標語的に覚えればいいかといえば、そう簡単なことではありません。例えば「子どもを信じる」という言葉でも、一般的な状況で、この言葉を発したとしても、それを否定する教師は少ないでしょう。「子どもを信じる」という言葉をどのような意味で捉え、行動するかは多種多様です。従って、上記4つを標語的にまとめても意味がありません。

 「日本人倫理観とは何か?」をテーマにした日本人論は本屋でよく見かけます。ある人は「恥」と言い、ある人は「甘え」と言います。しかし、それらの単語を与えられても、何を言っているのかは分かりません。それらの単語が意味することを理解するには、具体的な事例を学ぶ必要があります。例えば外国人日本人を理解するためには、日本人の多くが知っている「桃太郎」、「忠臣蔵」等の童話古典を読むことが必要だと思います。我々日本人は、それらの影響を多く受けて倫理観を形成しました。おそらく、我々が考える4つの基本も、具体的な事例を通して、我々が経験したことを追体験することによって正しく理解されると考えています。

 現在、新しい本の原稿を書いています。本年度中には出版を予定しています。それらの本では、なるべく生々しい事例を出しつつ、コンパクトにまとめるよう努力しました。それは「桃太郎」、「忠臣蔵」のようなお話であってほしいと願っています。それを通して我々と同じ経験を追体験し、4つの基本を理解してほしいと願っています。ノウハウ的に記述することの方がウケがいいことを十分に承知しつつ、そうかくのはあきらめました。

追伸 新しい本の中に、さっそく上記を書かせてもらいました。どこに書いたかは、読んで探してくださいね。(と宣伝を締めくくる)

01/11/20(火)

[]臭い仲 14:22 臭い仲 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 臭い仲 - 西川純のメモ 臭い仲 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 息子を抱いているときは、犬の親子と一緒で、キスをしたり、クンクン臭いをかいでいます。 息子は基本的には無臭ですが、ほのかな臭いがあります。大部分は「おしっこの臭いです」。分かって入るんですが、愛らしい臭いです。

 おそらく尻の贅肉の関係だとおもうのですが、息子のおならの音は大人顔負けです。息子がすると、家内が私の方を見るので、思わず弁解します。その臭いは強烈です。うんこをすると、もっと強烈な臭いがします。しかし、「臭い」とは殆ど思わず、「おむつを代えてやろう」ということが頭にのぼります。

追伸 尾籠(びろう)な話で恐縮ですが、トイレにはいると、息子とは血が繋がって入るんだな~と実感します。だって、同じものを食べて、遺伝的に似た体の構造をもっているんですから・・・・・(それ以上は書きません)。

[]学び合う院生控え室 14:22 学び合う院生控え室 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 学び合う院生控え室 - 西川純のメモ 学び合う院生控え室 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 階段のちょうど前に、我々の研究室院生控え室があります。たまたま階段をのぼっていったら、中学校で実践調査をしている途中のKoさんの姿が、たまたま空いていたドアの向こうにチラリと見えました。「久しぶりに帰ってきたんだな~」と思いつつも、そのまま階段を上って自分自身の研究室に戻りました。後で聞くと、現場での実践研究においてうまくいかないことが起こり、その相談に戻ったそうです。ドアの向こうにチラリと見えたKoさんは、”指導教官を素通りして”、院生控え室にいる長野県中学校教師であるKiさん(修士2年)に相談している様子でした。

 ”その後で”私の研究室に顔を出してきました。でも、安心しました。だって、10年選手の中学校先生(Koさん)に、中学校の授業のことを教えて欲しいなんて相談されたらお手上げです。明らかにKoさんのほうがプロなんですから。私が出来るのは、せいぜい、抽象的な目標論と、「頑張ってね」という言葉ぐらいです。なお、私の部屋から戻った後には、沖縄中学校先生であるHさん(修士1年)と相談していました。

 相談する相手の選択に関して、適切な判断をしています。「教師は頼りにならない」は我が研究室テーマです。

01/11/16(金)

[]相対的 14:26 相対的 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 相対的 - 西川純のメモ 相対的 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 育児サークルには色々な子どもが来ます。息子は1歳半です。大好きな2歳3ヶ月のお姉ちゃんに合うと、ヒシっと抱きつきます。お姉ちゃんも抱っこします。一方、8ヶ月の男の子どもを見ると一際高い声を上げます。息子は可愛い動物人形を見ると高い声を上げます。きっと8ヶ月の子を一際かわいく思ったのでしょう。近寄ってなぜなぜします。たった1年弱の違いなんですが、彼の年数は1歳半です。私に置き換えたら60歳のおばあちゃんと20歳の青年にあたるんです。ものすごい年齢差です。

[]自己責任 14:26 自己責任 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 自己責任 - 西川純のメモ 自己責任 - 西川純のメモ のブックマークコメント

うちの研究室では「子どもに任せる」ことを基本テーゼとしています。しかし、教師が教えなければという強迫観念は強固です。もし、子どもに任せてめちゃくちゃになったとしたらどうしようと心配になるのが普通です。でも、我々の調査によれば、子どもに任せることによって、教師が主導するよりも勉強面も心情面もよりよくなります。しかし、それらの事例を詳しく説明しても、「でも、もしもダメだったら」と聞かれます。それに対しては、このように答えます。

 「確かに教師主導でやれば、一定のスピード教科書を整然と消化できるよ。でも、確かに教師は教科書に書いたことを「言って」、「書く」ことは出来るだろうけど、それって子どもにとって「分かった」ということを意味していないことは分かっているよね。子どもに任せて、達成するレベルが適正なレベルだと思うよ。教師主導によって、より高いレベルに達したように見えるけど、一人一人の子どもを見たら自分自身の力にはなっていないんじゃないかな~」

 大抵はこの話で納得してくれます。しかし、今まではないですが、重ねて「でも、子どもに任せて失敗したらどうします?」と聞かれたら、こう答えるでしょう。

 「逆に聞くけど、教師主導でやって失敗したら、あなた責任とれるの?基本的には、どんな小さい子どもであっても、一人の人格としてみることが必要だと思うよ。確かに、子どもは幼いし、未熟だけど、だから、大人が強制してもいいという理由は、「野蛮な黒人を白人が導く」とか「愚かな人民を選民が導く」と同じ理屈だと思うよ。民主主義の原則は、愚かとか未熟だから人格として認められないとは考えず、「我思う故に我あり」と考えられる人は等しく見ようとする考えだと思うよ。もっと言えば、それさえも出来ない人であっても人格と認めようという考えだと思うよ。

 簡単に言えば、30歳、40歳の成人と接するように、子どもに接します。もちろん何でもかんでもOKという分けではないよ。市役所の窓口では、大人であっても駄目なものは駄目といわれるよね。しかし、市役所の窓口の人が、かってに解釈・想像して「ダメ」と断ったら、非難・指弾されるよ。同じで、教師が「駄目だろうな」(「駄目」ではありません)、もしくは「悪い方向に進むだろうな」と思った場合は、「駄目だろうな」、「悪い方向に進むだろうな」ということを納得させる情報を提供することにとどめるべきだと思うよ。

 情報提供したが、子どもが「駄目になるだろう」、「悪い方向に進むだろう」道を選択し、結果として「駄目になり」、「悪い方向に進んだ」としても、それは子ども自己責任と思うべきだと思うよ。だって、「駄目になる」と思ったことが、結果的に良い結果になる可能性は否定できないし、逆に、自分自身が良いと思ったことが悪い結果になる可能性があるよ。もし悪い結果になったとき、責任はとれないよね。だから、子どもに任せるしかないんだよ。つまり、子どもに任せるということは、子どもを一人の人格として認めることであり、そのことは自己責任を求めることにもつながるとおもうんだ。だから、ある意味で、子どもたちに厳しいものを求めているだよ。」

 ただし、我々が思うほど子どもは愚かでも未熟でもありません。その子どもは、自分のことを真剣に考えているんですから、その答えを信じてもいいと思います。大人が出来るのは、正しい答えに資すると思われる情報に接すれる(与えるではありません)場をつくることだと思います。選択は彼らがやります。

追伸 子ども未来責任とれる大人がはいます。それ親です。子どもの失敗の責任は親がとるでしょう、小さい子どもの場合は責任をとらなければなりません。したがって、親には情報公開をしなければなりません。

追伸2 いつもの事ながら、慌てて言い訳をしますが、言っていることと、私がやっていることにはギャップが大きいなと自覚しつつ書いています。

[]学習指導要領の新たな読み方 14:26 学習指導要領の新たな読み方 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 学習指導要領の新たな読み方 - 西川純のメモ 学習指導要領の新たな読み方 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 私は高校教師出身ですが、上越教育大学に赴任してから義務教育先生方とお話しすることになりました。カルチャーショックを受けたのは、学習指導要領に対する考え方のギャップです。高校教師の場合、学習指導要領を尊重はしますが、それ以上に、その背景となる学問物理学化学生物学地学)や、受験のことを考慮して授業を組み立てます。しかし、義務教育先生方の中には、学習指導要領聖典のように心底から思っておられる方がいらっしゃいます。また、そこまでいかなくても、「学習指導要領がないと、心のよりどころが無く、どう教えていいのか不安になる」という方は少なくありません。

 私は大学院院生時代、指導要領の作成に直接関わった方々と話す機会がありました。その方々の講義雑談、酒席でのお話では、学習指導要領は縛りではなく、自由度が高いことを強調されていました。その背景として、我が国の教師の能力を高く評価していて、だからこそ一人一人の教師の裁量の余地を残していることを強調していました。

 例えば、学習指導要領で「してはだめ」と書かれていますが、逆に言えば「してはだめ」と書かれていなければ「してもいいこと」なんです(もちろん常識の範囲ですが)。なぜ、「してはだめ」と書くかと言えば、そう書かないと際限なく難しくなり、結果として、入試問題に難問・奇問のオンパレードになってしまいます。そのことを避けるための縛りで、教師を縛ることを意図していないとのことでした。また、「しなさい」と書かれていても、それを10やるか100やるかは一人一人の教師の判断に任されています。そう考えると、実に自由度が高いことが分かります。

 そうわいっても、私が定時制高等学校に勤めたとき、そこにいたのはオール1の生徒達でした。分数が分からないなんて当たり前です。知的障害とまではいきませんが、境界児もいました。「そんな生徒に、どうやって力学電気を教えればいいんだ!?」と呆れたこともあります。学習指導要領に沿った教科書では絶対に無理です。

 学習指導要領の扱いに関しては、学校教育施行規則にあります。例えば高校の場合、学校教育施行規則57条の2「高等学校教育課程については、この章に定めるほか、教育課程の基準として文部大臣が別に公示する高等学校学習指導要領によるものとする。」と規定されています。また、指導要領の最初には、「各学校においては、法令及びこの章以下に示すところに従い、生徒の人間としての調和のとれた育成を目指し、地域や学校の実態、課程や学科の特色、生徒の心身の発達段階及び特性等を十分に考慮して、適切な教育課程を編成するものとする。」と書かれています。

 ここで注目したいのは、二つのことです。第一に、学習指導要領が規定しているのは、「やるべきこと」であって「学習者が学び・理解しなければならないこと」ではないことです。そのため、教師は「分かる/分からない」をお構いなく、教科書を進めます。しかし、学習指導要領では「従い」と書いてはいますが、同時に「十分に考慮し編成するもの」と書かれてあります。先に述べたように、やるべきものの軽重をつけることは教師の裁量です。

[]夢にまで見る指導教官(その2) 14:26 夢にまで見る指導教官(その2) - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 夢にまで見る指導教官(その2) - 西川純のメモ 夢にまで見る指導教官(その2) - 西川純のメモ のブックマークコメント

 2ヶ月間、沖縄の現任校で実践調査してきて、最近帰ったHさんと久しぶりの個人ゼミをしました。実践調査に出発する前に、「途中経過電子メールで教えてね」と頼みました。しかし、同時に「でも、きっとHさんは一度沖縄に行ったら連絡しないだろうな~」と予言しました。結果は思った通り、連絡はありませんでした。

 連絡がないと、心配です。「もしかしたら、調査に失敗して落ち込んでいるのではないだろうか」なんてことまで考えました。しかし、「便りのないのは、良い便り」と腹をくくり、連絡の督促はしませんでした。

 本日、久しぶりに個人ゼミで報告を受けましたが、面白い報告でした。一安心。個人ゼミの最後に、「やっぱりメールしなかったね」と言いましたら、Hさんは「さすがに帰る1週間前ぐらいに先生が夢に出ました」と話してくれました。どんな風に出たのと聞きました。数日前のメモに書いた「夢にまで見る指導教官」に書いたように、学部学生のMちゃんの場合は、一生懸命言い訳をしているのに、私は、「そう」と冷たく一言だけ言って、さっさと通りすぎたそうです。焦って、Mちゃんは私を追いかけたそうですが、私の走る速度が速すぎて、追いつけなかったそうです。それがあったので、Hさんの夢にはどんな風に出たのが興味がありました。「夢にまで見る指導教官」を読んだHさんは、「Mちゃんと違って、ニッと笑っている先生でした」とのことです。さらに、「もし、先生が逃げても、絶対追いつきます!」とのことです。さすが現職教員、パワーがあるなと思い、大笑いしました。

01/11/13(火)

[]夢にまで見る指導教官 14:27 夢にまで見る指導教官 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 夢にまで見る指導教官 - 西川純のメモ 夢にまで見る指導教官 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 今さっき、学部学生のMちゃんが私のところに来て、卒業研究の相談に来ました。例によって、何を聞かれても「Mちゃんはどう思うの」、「なんでそう思うの」とニコニコ質問するだけです。でも、しばらくすると、「あっ分かりました」と一人で答えを出して納得しました。最後に、「僕のことに質問する必要はなかったんじゃない?自分で考えればいいでしょ」と私が言って、Mちゃんがニコッと笑って、相談は終わりました。

 その帰りがけに、研究室のドアの前で振り返って、面白い話をしてくれました。「先生、夢で先生が出てきました」とニコニコしながら言いました。昨日にある課題をMちゃんに出して、それをメールで昨日中に私の送るように指示しました。ところが、昨日は大学ネットワークが不調のため、メールが送れなかったそうです。そのことが気になって、気になって眠ったそうです。そのため、夢に私が出たそうです。面白かったのは、その出方です。Mちゃんによれば、夢の中で私に出会ったので、一生懸命言い訳を私にしたそうです。ところが私は、「そう」と冷たく一言だけ言って、さっさと通りすぎたそうです。焦って、Mちゃんは私を追いかけたそうですが、私の走る速度が速すぎて、追いつけなかったそうです。「見捨てられると思って、凄く怖かった」とのことです。

 「指導教官ガンガンに叱られ怖かった」というのが普通だと思います。ところが、Mちゃんは、ガンガンに怒る私の姿を想像するのではなく、冷たく突き放す私の姿を想像したようです。きっと、何を聞かれても「Mちゃんはどう思うの」、「なんでそう思うの」とニコニコ質問するだけという私の接し方が影響があるんだろうな~と思い、Mちゃんの前で大笑いしてしまいました。(もちろん、少し反省しました)

01/11/12(月)

[]日本は広い 14:29 日本は広い - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 日本は広い - 西川純のメモ 日本は広い - 西川純のメモ のブックマークコメント

 現在西川研究室所属の修士1年の5人の方々は、現任校に戻って数ヶ月にわたる調査をしています。沖縄では温度は29度でクーラーを使っているそうです。一方、長野県の内陸部で調査されている方からは、マイナス2度まで下がったというメールをいただきました。上越市はちょうど紅葉の真っ盛りです。日本というのは広いな~と感じます。

[]何で今があるか 14:29 何で今があるか - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 何で今があるか - 西川純のメモ 何で今があるか - 西川純のメモ のブックマークコメント

 先日、ある方から、「理科教育をやっている人なら、普通なら教科内容に注目するのに、なんで先生人間関係に注目するようになったのですか」と質問を受けた。突然の質問だったので、未整理な状態でだらだら説明してしまった。説明した後で、「遠くにきたもんだ」と思いました。

 理科教育の世界に入ったのは大学院に入学してからです。それまでは生物物理学で、読んだ本の殆どが物理学数学の世界から、人門系に移ったのですからカルチャーショックが大変でした。

 理科教育学での研究方法論としては、大きく3つに分かれます。第一に文献を調べながら研究する方法です。第二は、教材開発で「簡易実験」、「おもしろ実験」などを開発する研究です。第三は、子ども研究で、学習者を研究対象とする方法です。理科系のしっぽが残っていた大学院入学直後の私にとっては、文献研究論理の建て方には、今ひとつのれませんでした。教材開発は、やっていることは殆ど理学研究と変わりがありません。したがって、理学のしっぽが残っている私にとってはのりやす部分が多いのも確かです。しかし、理学の博士課程に残った同級生もいるのですから、それの亜流の研究をすることは嫌だなと感じました。結局残ったのが子ども研究対象とする研究です。生物学にも動物行動を研究する行動学があります。京都大学の猿学が世界的にも有数で、そこの今西先生全集高校生の時代読んだこともあります。今考えれば当然の結論のようです。

結果として大学院での修士論文では、子ども学力に関する調査を行いました。そこで私が拘ったのは、数的な処理の元に判断をしようとするものです。なぜ、そのように拘ったかと言えば、当時の理科教育学研究の現状がそうさせました。当時の理科教育学の学術雑誌を読むと、今では考えられない研究がいっぱいありました。例えば、たまたま調査した1クラス(30人~40人)に実施したペーパーテストの点数の、10点にも満たない差によって日本教育課程を論じている論文が散見している状態です。そのような極端な例を別にしても、数値データで議論する論文が少ないし、あっても調査対象が100人程度でした。また、統計的な処理をしている研究は殆どないという、理学部から移った私にとっては驚くべき現状がありました。そのため、調査対象を数千人、調査校を数十校確保し、統計処理した結果に基づき記述することを修士論文における私の基本方針としました。幸い、その基本方針は学術的には正しかったようで、私の修士論文は2つの学会学会誌と、一つの紀要に掲載されました(結果的には、それが大学人として採用された大きな原因です)。

 高校教師としては東京都定時制高等学校に勤めていました。その頃の私は、「教師としての私」と「研究者としての私」に分離していました。「教師としての私」にとっては実に実りの多い2年間でした。とにかくもの凄い子ども達でした。その子達を教えることによって、「分からない子」の存在を、徹底的に刻みつけてくれました。そのおかげで、今でも教えるときには「分からないのが当たり前」と思いますし、見た目で「分かったような様子」を見ても、「実際は分かったような振りしているのでは」と感じてしまいます。また、できのいい子より、できの悪い子の方が気になるというのも、あの2年間の影響です。

 一方「研究者としての私」には進歩は殆どありませんでした。研究大学院のときと同じ基本方針の元、論文を稼ぎまくっていました。しかし、その研究の成果が、日々の実践に役に立つか否かは考えていません。というより、積極的に分離させようと思いました。子どもにどうやって説明しようかという悩みはつきないですし、失敗の連続です。また、子ども達のことを、よく知ろうとすれば、その子の家庭が見えてきます。救いのない家庭も少なくありません。解決できない問題から逃避する術として研究がありました。そのため、毎日、一定時間を研究に当てていましたが、その時間は子どものことは考えませんでした。

 大学へや技官・助手として移ったため、基本的に研究が主になります。研究の手法は大学院での延長上にいましたが、そろそろ不満が出てきました。それまでの私の研究は、典型的な理科の問題を子ども達に解かせ、その正答率を調査してきました。結果として、どのような問題が難しく、どのような問題が分かりやすいことは明らかにすることが出来ます。しかし、何故、その問題が難しい(または、簡単である)かは直接明らかには出来ません。そんなときに認知心理学出会いました。認知心理学は頭なの中の構造を、コンピュータに置き換えたモデルによって表現し、実験計画をします。認知心理学の先行研究の手法を理科教育に置き換える研究を始めてみました。驚くべき事に、調査をする前に先行研究から、だいたい○○%の正答率になるだろうと予想すると、結果もほぼ一致するんです。人間を調査する場合は大きな誤差がともなうものです。それに対して数パーセントの精度が実現できる、認知心理学はすごいな~と感激しました。それからは、人間の頭の中がどうなっていて、それが理科学習にどのように関係するかという研究を進めました。このあたりの研究が、「なぜ、理科は難しいと言われるのか?」に書かれているものです。

 しかし、何年かたつと不満が生じてきます。不満の一つは、認知心理学研究によって60%ぐらいの子ども達に対応する方法を一つ作り出すことが出来ます。ところが、子ども達の頭は多様です。70%の子どもを教えるとすれば、増えた10%の子どもたちの誤解に対応する教え方を作り出し、それを併用しなければなりません。従って、一つの授業の中で、二つの教え方を併用しなければなりません。80%の子どもを教えるとすれば、10の教え方を併用しなければなりません。90%なれば100の教え方を併用しなければなりません。全ての子どもを教えようとすると、幾何級数的に複雑になります。さらに、仮にそのような複雑な方法を見いだしたとしても、単元ごとに変わるそれらの方法を、一人の教師が覚えきるのは不可能です。仮に覚えきったとしても、一人の教師が限られた時間の中で教えることが出来ません。繰り返しますが、60%の子どもを教える程度で満足できれば、それはそれでいいのですが、定時制高校で教えた私にとっては、分かりたいのに分かることが出来ない子どもが気になってしょうがありません。

 もう一つ不満が生じます。認知心理学研究の大きな成果の一つに、分かっている・出来るということと教えられるということは別だという事です。むしろ、分かっている・出来る人は、それ故に教えられないということです。例えば、天に唾する事ですが、大学教師の授業が分かりにくいのは、大学教師が分かりすぎているためです。私のそれまでの研究は、理科教育研究によって、教師の教え方を改善する方法を明らかにすることを目的としていました。しかし、分かっている・出来る人である教師は、出来ない子どもに教えられないとしたら、私の研究無意味になります。

 結果として現在のような「学び合い研究に進みました。教師が教えられないとしたならば、ちょっと分かる子どもが、分からない子どもに教えればいいはずです。また、クラスには40人の子どもがいます。それらが相互に教え合うならば、一人一人の多様性に対応する教師が一挙に増えます。少人数学級やTT(ティームティーチング)をいくらやっても、一人の教師対20人の学習者の程度しか実現できません。ところが、子ども達の学び合いが成立したならば、一人の教師対一人の学習者が実現できます。さらに、40人の教師対一人の学習者という関係も出来ます。

 この「教師が教える」という基本的な囚われから脱したとき、私たちの「学び合い研究が出発できました。それ以来、現在までその基本方針で進んでいますが、毎年、毎年、私にとって驚天動地のことが明らかになります。最初の驚きは、学び合いは特殊な指導法によって成立するのではなく、何もしなくても成立するということです。多くの書籍では、ちゃんとした指導をしていないから学び合いが成立しないということを暗黙の前提としていました。そのため、色々な指導法を紹介しています。ところが、うちの研究室研究によれば、学び合いが整理していないのは、「教師が教えなければ」という教師の囚われが阻害していることを明らかにしています。だから、子どもを信じて・子どもに任せれば(それも本心から)、実に簡単に学び合うことが分かってきました。このあたりに関しては「学び合う教室」に書きました。さらに、子ども達の発達、教科比較、実験指導を中心にした本を、近々出そうと思っています。

 でも現在、今でも驚天動地のことが分かってきました(現在修士2年のKIさんの研究が出発点)。第一は、「授業中にふざけるのは悪いことではない」という事です。第二は、「異学年の教科学習は比較的簡単に成立する」ということです。第三は、「異学年の学び合いが成立すれば、お兄さん・お姉さん/弟・妹関係が崩れる」ということです。この3つは相互に絡み合った関係で、質の高い学びを成立させます。このことを本にして出せるのは2年ぐらい先になると思います。

 振り返ってみると、20年前に理科教育に入った頃には考えもつかないことを今は研究し、明らかにしています。いや、数年前には思いもつかないと言った方が正確です。目を未来に転ずると、さらに一層です。今、修士1年の院生さんが出される、最低限の結果に関しては予想がつきます。しかし、毎年の院生さんは、私の予想を超える、驚天動地のことを教えてくれます。今、現場に戻って研究されている方々も、素晴らしい結果を携えて上越に戻ってくれるでしょう。そして、来年は、それらの結果を発展した研究によって、さらに新たな結果を明らかにするでしょう。何が出るか分かりません。ましてや、来年入学される院生の方々が、どんなことを研究し、どんなことを明らかにしてくれるのかは予想もつきません。強いて言えば、今の修士1年の方々が明らかにすることが、その出発点を与えるだろうことしか分かりません。

 私が大学に勤めてから15年がたちます。その間に接していただいた多くの院生さん、また、その院生さんが明らかにされたことが今に繋がっていることを書きながら再確認しました。初期の実態調査研究の蓄積があるからこそ、認知研究を認めてもらうことが出来ました。当時の学会は文献研究中心でした。したがって、数量的なデータによる研究は、「哲学無い」と非難されることも多かったです。しかし、めげずに論文を出し続けているうちに、渋々ながらある程度は認めてくれるようになりました。また、新しい研究なんだから、なんだか分からないが頑張らせてみよう、という温かい支援を、当時の多くの中堅・重鎮のかたからもらえました。それもこれも、当時の院生さんが、数量的データによる研究を蓄積してくれたおかげだと思います。

 その蓄積の上に、認知研究が出来るようになりました。数量的データによる研究に対するアレルギー除去がなされなければ、「頭の中」という直接見ることの出来ない現象を研究することに対する拒否感は相当だと思います。その認知研究があるからこそ、教師主導の限界を実証的に示すことが出来ました。これは他ならない私自身の囚われを打破してくれました。そのことが現在学び合い研究を基礎づけています。今でも「学び合い研究の有効性と成立根拠を説明する場合は、当時の研究の成果を話します。とすると、現在学び合い研究は、どんな研究に繋がるのでしょうか?現在の速度で進展を続けられたとしたら、10年後は畏るべし。ゾクゾクします。

[]院生さんの力 14:29 院生さんの力 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 院生さんの力 - 西川純のメモ 院生さんの力 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 最近、ある雑誌の1年間の連載(来年の4月から)を頼まれました。原稿用紙で100ページほどの原稿です。頼まれてから数日で脱稿しました。なんで、数日で出来るかといえば、秘訣があります。うちの研究室と戸北研究室では、毎日、昼飯を一緒に食べます。その際、実に多彩なエピソードが食事のおかずになります。また、昼食以外でも、色々と馬鹿話をいっぱいします。その際、「え!?」と思うような面白いエピソードをいっぱい教えてもらえます。面白いエピソードだと、「お願い。さっきの話メールにして送って」とおねだりします。私のコンピュータの中には、そのようなエピソードがいっぱい詰まっています。

 いろいろなテーマで依頼原稿があると、「ああ、あれが有ったな」と、コンピュータの中にある面白いエピソードを思い出します。最近ソフトには検索機能があるので、曖昧キーワードで探せば、関連するエピソード群を見つけだすことが出来ます。そのエピソード群を読み直しながら、与えられたテーマを考えます。「エピソードを教えてくれた先生方(つまり院生さん)の思いが生かせる道は何かな?」と考えます。自分でも驚くんですが、バラバラだったエピソードが、あたかも前々からそのために用意されたように繋がり始めます。あとは、それを繋げ、それぞれの意味を解説し、一つの流れを作るだけです。

01/11/08(木)

[]戦後長寿記録更新秘密 14:31 戦後長寿記録更新の秘密 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 戦後長寿記録更新の秘密 - 西川純のメモ 戦後長寿記録更新の秘密 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 戦後日本の平均寿命はのび、現在では世界で最長となっています。その理由として、色々書かれていますが、いままで書かれていない理由があると思います。その理由は「核家族」だと思います。

 大家族だと、年寄り子どもが同居します。子ども免疫はないし、弱いし、それでいて外の世界と接します。結果として風邪などの病気をひきます。外でもらった病原菌を、可愛い体の中でめいっぱい培養します。その病原菌を可愛い口を通して家族中にばらまきます。可愛い子ども病原菌も、ひねた大人の病原菌も全く同じです。結果として、一番弱い年寄りうつることになります。

 子どもの鼻水を拭きながら、そんなことに気づきました。それでも、鼻水は拭くし、頬ずりをしてしまいます。

[]バケラッタ 14:31 バケラッタ - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - バケラッタ - 西川純のメモ バケラッタ - 西川純のメモ のブックマークコメント

 お化けのQ太郎というアニメをご存じですか?そのなかにO次郎というキャラクターがいます。主人公のQ太郎の弟なんですが、喋る言葉は全て「バケラッタ」なんです。でも、Q太郎はその「バケラッタ」の意味を理解します。私には確信があるのですが、O次郎は,原作者が自分自身の子どもを見て作ったキャラクターだと思います。

 私の息子の会話は殆どが「うっぶー」です。基本的には車のことを指しているのですが、色々な意味があります。例えば、「車が家の前を通った」、「車の玩具をとって」、「車に言って」(解説が必要ですが、自分が良いこと(お手伝いをした、いつも食べないものを食べたなど)をしたということを、大好きな車に伝えてほしいという意味)、「車に乗ってドライブしたい」等々があります。私は半分しか分かりませんが、家内はほぼ分かるようです。家内と息子との会話を見ているとO次郎を思い出します。

追伸 最近、色々な音節を喋るようになってきました。おそらく喋る練習のようです。前から「バーバー」が言えましたが、2,3日前から「ジージー」、「ジッシャン」が喋れるようになりました。本日は「カーシャン」が喋れました。しかし、「トーシャン」は言えません。一人いじけています。

01/11/04(日)

[]老眼記念日 14:32 老眼鏡記念日 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 老眼鏡記念日 - 西川純のメモ 老眼鏡記念日 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 小さい子どもがいるので、ゆっくりテレビを見られるのは10時以降です。子どもを起こさないようにテレビを見るため、イアホーンジャックに繋いだ小さなスピーカーを使っています。そのスピーカーが壊れました。分解しましたが、単に断線しただけで、ハンダ付けしたらば直ぐに直りそうです。しかし、細かい作業なので、老眼入り始めた私の目にはちょっときつい作業です。翌日、買い物に行ったついでに100円ショップ入りました。そこで、100円の老眼鏡を発見しました。付けてみると、よく見えます。かえってから修理をしましたが、実に快調です。100円ショップは偉大だなと感心しました。しかし、同時に、老眼をはずした直後は、周りはボヤッと見えます。必要最小限度にとどめないといけないなと思いました。今日(11月3日)は老眼鏡初購入記念日です。

01/11/02(金)

[]測定器 14:33 測定器 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 測定器 - 西川純のメモ 測定器 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 大学卒業研究では、生物に関して様々な測定をしました。その際に、数百万から数億の測定機器で計ります。精度を一桁上げるためには、測定機器の値段は二桁上がることを知りました。科学研究には金がかかるのは当たり前です。しかし同時に、私たち人間が素晴らしい測定機器であることを知りました。私の卒業研究酵母菌を使いました。培養しては、それに紫外線を当てて生存率を計る実験です。酵母菌といえば、顕微鏡で見なければならないほどの小さな生き物です。しかし、それを培養した液を机にたらして指で触るとざらざらしているのを感じます。指導教官によれば、数μの大きさのものも指で触ればザラザラと感じられるとのことです。温度の関してもそうです。38度のお風呂は寒くてしようがないのに、42度だと暑くてとても入れません。風呂の適温に関しては、人間の体はプラスマイナス0.5度ぐらいの精度はあると思います。

 息子を入れる風呂の温度を調整しながら、思い出したことです

[]最初の一歩 14:33 最初の一歩 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 最初の一歩 - 西川純のメモ 最初の一歩 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 家内は元幼稚園保育園先生です。つまり、小さい子どもを育てるプロでした。でも、その家内もてんてこ舞いで息子を育てています。「保育園先生だったんだろ?」と聞いてみましたが、「人の子どもと自分の子どもは違う」とのことでした。それもそうです、私も息子に理科をうまく教えられるか自信がありません。

 しかし、家内尊敬することが度々あります。昨日の夕食の時、ヨーグルトを食べさせました。最近スプーンをうまく使えるようになったので、自分ですくいます。しかし、ヨーグルトの容器を回せないので、一方向からしかすくいません。そのため、すくう方向と逆な壁面にあるヨーグルトをすくえません。ヨーグルトを全部食べてもらえるように、わたしが容器を持って、適当に回して食べさせていました。昨日も、そのように食べさせようとしました。ところが家内が、「持たせてやったら」と言いました。「無理だよ」と心の中では思いましたが、とにかく任せてみました。そうすると、なんとうまく容器を回しながら、まんべんなくすくえました。驚きです。こんな経験は一度や二度ではありません。食事に関しても、最初に手づかみをさせたときも、最初にスプーンを使わせたときも、家内の「やらせてみたら」の一言でした。

 我々の研究は、子どもの有能性を前提としています。院生さんには、「子どもを信じてください」なんて偉そうなことを言ってます。いろいろな雑誌にも「子どもを信じてください」と書いてます。でも、そんな私は息子の有能さに気づくことなく、私がやってしまっています。そんなとき、「やらせてみたら」と言える家内は、やっぱりプロだと感じます。

[]超おバカな話 14:33 超おバカな話 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 超おバカな話 - 西川純のメモ 超おバカな話 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 最近、色々な人から「息子さんはお父さんに似てきましたね」(特に鼻から下が似ている)と言われます。しかし、私としてはしっくりとしません。たまに鏡を見ます。

 親ばかですが、息子は超かわいい、いや、美しい!特に唇がチャーミングです。見つめていると、我慢できなくなってチューします。日に何遍となくチューします。息子が育児サークルに行くと、気に入った子どもがいると、近づいていきなりチューするとのことです(家内よりの情報)。原因は、私です。でも、どうしてもしたくなるようなチャーミングな唇なんです。その息子は私に似ている、特に鼻から下が似ていると言うことは、私の唇は息子の唇に似ていると言うことです。鏡を見ながら、「俺の唇って、そんなにチャーミングかな~」と思うときがあります。(言うまでもありませんが、そんなことはわけないですが・・・)