西川純のメモ このページをアンテナに追加 RSSフィード

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01/10/29(月)

[]老化の兆候(何度も見るぞ) 14:35 老化の兆候(何度も見るぞ) - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 老化の兆候(何度も見るぞ) - 西川純のメモ 老化の兆候(何度も見るぞ) - 西川純のメモ のブックマークコメント

 大学院生の時、学会等で色々な先生を見ます。その際、「あ~、あの人は年をとったな~」という兆候を見る機会があります。最近、自分にもその兆候の幾つかが見られるようになりました。人への非難ではなく、自身への戒めとしてメモりました。

1. 話が長い

結婚式のスピーチもそうですが、現役一線でバリバリ働いている人のスピーチは短く的確です。一方、退職された方のスピーチは、長くぼやけています。理由は話す内容を事前に吟味せず、その場の思いつきで話すためです。また、自己モニターが停止しているため、長く話している自分がどのように見られているかが分からないためです。私の経験では、時間を守らない話に内容があったことは皆無です。

2. 短気で我が儘(わがまま)になる

例えば、自分は平気で遅刻するのに、人がちょっとでも遅刻するとイライラします。理由はそれなりの地位になれば周りもミスを指摘することを遠慮します。逆に周りはミスをしないように配慮します。それが長くなると、それが当たり前になってしまいます。昔ならば「カッ」と怒らないことも、怒るようになります。

3. 勉強しなくなる

1度ですが、40年以上前の古色憤然たる理論を、最新理論として学会発表をしている先生の話を聞いて、ビックラコイテシマイマシタ。そこまで行かなくとも、聞いていると、「この先生、あの論文・本を知らないんだな~」と感じる場合がたまにあります。でも、老眼になりはじめたこの頃になると、その理由がよく分かります。だって、老眼になると本の活字を読むのが苦痛になります。今のところは、意志の力で読んでいますが、その気力がどれだけ続くか分かりません。それを補うためには耳学問が有効です。しかし、先に書いた「短気で我が儘になる」と、耳学問で教えてくれる人がいなくなります。その合理化のために、自分が分からないものを「内容がない」、「分けのわからんこと」と否定するようになります。

 以上を書けば書くほど、自分に当たっていることに愕然となります。10年後にこのメモを読み返した際、きっと老化している自分を、屁理屈で合理化しているんだろうな~と考えると落ち込みます。定期的に読み返し、老化のスピードを抑えるため「何度も見るぞ!」という言葉をけることにしました。