西川純のメモ このページをアンテナに追加 RSSフィード

西川純です。新潟県上越市の上越教育大学の教育実践高度化専攻(教職大学院)で『学び合い』を研究しています。諸般の事情で、このブログのコメントは『学び合い』グループのメンバー限定です。メンバー登録は、いつでもOKです。ウエルカムです。なお、メールはメンバー以外にもオープンですので、いつでもメールください。メールのやりとりで高まりましょうね。メールアドレスは、junとiamjun.comを「@」で繋げて下さい(スパムメール対策です)。もし、送れない場合はhttp://bit.ly/sAj4IIを参照下さい。西川研究室はいつでも参観OKです。 詳細は http://www.iamjun.com/をご覧下さい。 もし『学び合い』グループに参加される場合は、 http://manabiai.g.hatena.ne.jp/をご参照ください。
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01/10/18(木)

[]生きてくれれば、修了してくれれば 14:40 生きてくれれば、修了してくれれば - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 生きてくれれば、修了してくれれば - 西川純のメモ 生きてくれれば、修了してくれれば - 西川純のメモ のブックマークコメント

以前のメモにも書きましたが、私が個人ゼミ院生さんと話す目的の多くの部分は、「それでいいんだよ」、「大丈夫だよ」という安心させる話題です。現職院生さんは皆さん真面目です。また、色々なものを賭けて本学に入学しています。絶対、いい研究をしたいという思いは凄まじいものがあります。

 内の研究は、実験研究ではありません。生のクラスを見る研究です。何が起こるか分かりません。当然、当初の予想と異なった結果が出る可能性があります。また、うまくいった部分より、うまくいかなかった部分に目が行きがちです。そうなると、凄く落ち込まれます。ひどいときには私に当たる(?)場合があります。そんなときです。私が安心させなければならないのは。

 実践研究をやっているときは、十分にビデオ記録、音声記録を見直すことが出来ません。そのため、教卓から見えるもので判断し、うまくなかったと思いがちです。そんな院生さんには、とにかく記録をざっと見ることを勧めます。大抵の場合、教卓から見えなかった素晴らしい面が見えるようになります。

 子どもの生の姿を、じっくりと見る研究法を採れば、教卓では見えなかったものが見えることは「絶対」です。当たり前です。だって、子どもを見るのが教育研究ですし、より多く見れば何か見つかるはずです。でも、その見つかるものが、当初と違う場合はあり得ます。そのため落ち込んだ院生さんには、その予想外に見つかったものが、とても大事なものであることを話し合います。また、修士論文の柱は、その大事なものを柱にすればいいことで、当初の予想と違ったものでも大丈夫だということを話し合います。ちなみに、予想外に見つかったものの方が、当初の予想より数段おもしろいものであることが通例です。

 今までには一人もいないですし、また、今後もいないだろうとは思いますが、本当にだめだったときはどうしようか、と考える場合もあります。夜、息子を抱いて寝かしつけているとき、「ああであって欲しい」、「こうであって欲しい」と考える場合があります。でも最終的には、「生きて欲しい」と願います。院生さんに関しては、「生きて欲しい、修了して欲しい」、出来るならば、「 大学院がいい思い出になって欲しい」と願います。

[]研修研究 14:40 研修と研究 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 研修と研究 - 西川純のメモ 研修と研究 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 上越教育大学大学院の「うり」は2年間フルに研究に費やせるというところです。県庁所在地にある大学の場合、14条特例といって、1年は大学院、1年は現任校にもどって平常の授業・校務をこなさなければなりません。しかし、その上越教育大学の「うり」が、必ずしも「うり」でないことを知り始めました。

 多くの都道府県で、派遣希望先生に2年間派遣と1年間派遣の二つの選択させると、1年間派遣の方が希望者が多い場合があります。最初は、「なんで?」と思って、院生さんに聞いてみました。私と同様に、「なんで?」と思われる院生さんが多いのですが、聞いてみると「家族との関係」が理由にあることが分かりました。でも、それだけではないようです。修了したOBに聞いてみると、「研究志望」ではなく「研修志望」が学校現場では強いようです。「色々な人に推薦しているんですけど、研究だと後込みする人が多いんです。それに、簡単に免許を取れる方法も出来ましたし・・」とOBには言われます。たしかに専修免許を取るだけの目的ならば、研修で十分です。

 そういえば、「研修志望」に対応した指導方針をしている研究室もあります。つまり、一定のプログラム講義を積み上げ、指導教官の計画による研究を行い、主に指導教官の話が中心となるゼミを行う研究室もあります。簡単に言えば県センターでの半年研修の拡大版みたいなものです。うちの場合は、修士論文を中心として、院生さんが具体的な研究計画を立て、指導教官があまり発言しない全体ゼミを行っています。

 どちらがいい、どちらが悪いというものではないと思います。現場の多様なニーズにあった、多様な大学院、多様な研究室があればいいことです。

[]子どもにやれるのは金ではなく時間 14:40 子どもにやれるのは金ではなく時間 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 子どもにやれるのは金ではなく時間 - 西川純のメモ 子どもにやれるのは金ではなく時間 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 大学は激変期です。色々な会議や書類を書かなければなりません。また、今は来年予算獲得のために申請書を書かなければならない時期です。一分、一秒も惜しい時期です。家に帰って息子と遊んでいるときも、「あの書類のあの部分は○○と書けばいいんじゃないかな」なんて考えてしまいます。ぼーっとしていると、息子がきょとんとした顔で私の顔を見つめていることに気づき、はっとすることが最近多いように感じます。

 今の私にとって、「時間」がとても貴重です。だからこそ、大事な息子様に捧げるべきだと納得して絵本を読むこのごろです。

[]自分の年齢は人に聞け 14:40 自分の年齢は人に聞け - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 自分の年齢は人に聞け - 西川純のメモ 自分の年齢は人に聞け - 西川純のメモ のブックマークコメント

 自分が独身だった頃、また、子どもが出来なかった頃、分からなかったことがあります。生徒時代、学生時代、若々しく、ハンサムだった同級生が、子どもが出来ると急激にオッサン化するんです。髪は薄くなり、腹は出てきます。その変化には愕然とするものがあります。

 以前のメモ(01,3,24付 人間進歩)に書いたように、我々の頭の中は年をとっても変化がありません。しかし、身体の変化は現れます。独身の頃、子どもがいない頃は、身体の変化があらわれても、それを認めない頭がありますので、それなりの努力をします。しかし、結婚し、子どもが出来ると、身体の変化に「頭」が白旗を揚げます。簡単に言えば、「もう、おれは○○の年なんだ」と納得します。そうすると、無駄な抵抗(それなりの効果はありましたが)をやめます。その結果、急激な変化が起こるようです。

 これは人間関係にも当てはまるようです。例えば、私のボスのT先生とは15年前のおつきあいです。そのころは助教授ですし、当時の年齢は、今の私の年齢とほぼ同じです。それ以来、遊んでいます。独身時代は、時間があると、ちょっと山に入ってフキノトウやムカゴ(自然薯の不定芽:とってもおいしいです)を取りに行ったり、テニスを教えてもらったりしています。毎年、同じ年だけ老けるので、相対的年齢差は変わりません(あたりまえです)。私の中では、いつまでも15年前のT先生です。ところが、学会等で私から見てもそれなりの人が、極端に敬意を払った物言いでT先生と話しているのを聞いて、「ああT先生って偉いんだ」と再確認します(といって、その後もT先生との関係は変わりませんが)。

 自分の年、自分の親しい人の年は、人に聞かなければ分からないのかもしれません。私も自分がオッサンの年齢だとは理解ていて、人にも「自分はオッサンだ」と言っているのですが、今ひとつ自覚がありません。しいていえば、メモ(01.10.17付 学生さんのパワー)にあるような学生さんにふれることによって、自覚します。

 追伸 でも自覚しすぎると、髪は薄くなり、しわが多くなり、老眼は進行し、腹の贅肉は増大します。抵抗するぞ