西川純のメモ このページをアンテナに追加 RSSフィード

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01/10/09(火)

[]SFと法華経 14:55 SFと法華経 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - SFと法華経 - 西川純のメモ SFと法華経 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 遊んでいる息子をボーっと見ていると、昔読んだ「幼年期の終わり」というSFと、法華経の現代語訳のことを思い出しました。前者は、人類進化がある段階に達したとき、宇宙人地球に飛来し、さまざまな指導を行います。しかし、人類にとっては、それらの指導の意味が謎でした。しかし、その指導を数世代を受けたある時、人類現在生物の段階を越え、より高い存在になるという話です。思い出したのは、人類宇宙人に指導の意味を問いかけたとき、宇宙人が申し訳なさそうに「説明できない」と言うところです。

 お経は何か分からない呪文のように聞こえます。そのことが気になっていたので、学部学生時代に法華経の現代語訳を読んでみました。読んでみてビックリしました。各章で書いてあるのは法華経がどんなに素晴らしく有り難いものであるかと書いてあります。ところが、その法華経の本体(つまり考え方・実態)は何も書いていないんです。章末のあたりになると、必ず「さあ、これから法華経が語られます」と書いてありますが、それで終わり。次の章も同じ展開です。つまり、小説を例にすれば、小説の殆どが、「この小説は面白いぞ、楽しいぞ」と書かれているが、小説自体は書いていず、最後の方に「それでは本編を始めましょう」と書いてあるが、そこで終わり。正直言って、あまりの馬鹿馬鹿しさに呆れてしまいました。あれは意味が分からない呪文みたいだからありがたがる人も多いと思いますが、現代語訳で読んでみれば呆れる人も多いと思います。しかし、しょうがないんですね。つまり、仏様のお考えが高度すぎて我々人間には分からないんです。そのため、本当は違うことを承知で、嘘の説明(仏教用語では方便)で説明せざるを得ないんです。

 息子に私の意図を説明しようとしてもなかなか伝わりません。そのため、伝わりやすい説明をします。それが、人類宇宙人・仏様の関係に似ているなと思いました。しかし、同時に逆もあり得ることにも気づきました。息子は息子なりに考えて行動しています。しかし、私には「これこれ何だろうな~」とは想像できるのですが、はっきりとは分かりません。全く的はずれだったために、大泣きされることもあります。認知心理学では、認知達成度にギャップがありすぎるとコミュニケーションが出来ないことを明らかにしています。コミュニケーションは相互的なものです。人類宇宙人・仏様のお考えを理解できないと同時に、宇宙人・仏様も人類の考えが理解できないんではないかな・・と思いつきました。今の私が「息子は何を考えているんだろう、うーん」と考えているように、宇宙人・仏様が「人類は何考えているんだろう、うーん」とお考えになっているように思えてなりません。