西川純のメモ このページをアンテナに追加 RSSフィード

西川純です。新潟県上越市の上越教育大学の教育実践高度化専攻(教職大学院)で『学び合い』を研究しています。諸般の事情で、このブログのコメントは『学び合い』グループのメンバー限定です。メンバー登録は、いつでもOKです。ウエルカムです。なお、メールはメンバー以外にもオープンですので、いつでもメールください。メールのやりとりで高まりましょうね。メールアドレスは、junとiamjun.comを「@」で繋げて下さい(スパムメール対策です)。もし、送れない場合はhttp://bit.ly/sAj4IIを参照下さい。西川研究室はいつでも参観OKです。 詳細は http://www.iamjun.com/をご覧下さい。 もし『学び合い』グループに参加される場合は、 http://manabiai.g.hatena.ne.jp/をご参照ください。
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01/10/29(月)

[]老化の兆候(何度も見るぞ) 14:35 老化の兆候(何度も見るぞ) - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 老化の兆候(何度も見るぞ) - 西川純のメモ 老化の兆候(何度も見るぞ) - 西川純のメモ のブックマークコメント

 大学院生の時、学会等で色々な先生を見ます。その際、「あ~、あの人は年をとったな~」という兆候を見る機会があります。最近、自分にもその兆候の幾つかが見られるようになりました。人への非難ではなく、自身への戒めとしてメモりました。

1. 話が長い

結婚式のスピーチもそうですが、現役一線でバリバリ働いている人のスピーチは短く的確です。一方、退職された方のスピーチは、長くぼやけています。理由は話す内容を事前に吟味せず、その場の思いつきで話すためです。また、自己モニターが停止しているため、長く話している自分がどのように見られているかが分からないためです。私の経験では、時間を守らない話に内容があったことは皆無です。

2. 短気で我が儘(わがまま)になる

例えば、自分は平気で遅刻するのに、人がちょっとでも遅刻するとイライラします。理由はそれなりの地位になれば周りもミスを指摘することを遠慮します。逆に周りはミスをしないように配慮します。それが長くなると、それが当たり前になってしまいます。昔ならば「カッ」と怒らないことも、怒るようになります。

3. 勉強しなくなる

1度ですが、40年以上前の古色憤然たる理論を、最新理論として学会発表をしている先生の話を聞いて、ビックラコイテシマイマシタ。そこまで行かなくとも、聞いていると、「この先生、あの論文・本を知らないんだな~」と感じる場合がたまにあります。でも、老眼になりはじめたこの頃になると、その理由がよく分かります。だって、老眼になると本の活字を読むのが苦痛になります。今のところは、意志の力で読んでいますが、その気力がどれだけ続くか分かりません。それを補うためには耳学問が有効です。しかし、先に書いた「短気で我が儘になる」と、耳学問で教えてくれる人がいなくなります。その合理化のために、自分が分からないものを「内容がない」、「分けのわからんこと」と否定するようになります。

 以上を書けば書くほど、自分に当たっていることに愕然となります。10年後にこのメモを読み返した際、きっと老化している自分を、屁理屈で合理化しているんだろうな~と考えると落ち込みます。定期的に読み返し、老化のスピードを抑えるため「何度も見るぞ!」という言葉をけることにしました。

[]科学科学者 14:35 科学と科学者 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 科学と科学者 - 西川純のメモ 科学と科学者 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 牛肉病が騒ぎが始まった際、T大名誉教授が自信ありげに、「狂牛病の病原体は脳と脊髄にあるので、日本人は食べないところだから大丈夫だ」と太鼓判を押しました。そのため不安がる家内に、大丈夫だといってスーパーで焼き肉を買って食べました。ところが、その翌日になると、同じT大名誉教授が小腸の一部も危ないことを自信ありげに喋っています。「昨日のてめーの言葉を信じてモツを食ったんだぞ」と呪い言葉を吐きかけました。心配になって翌日、そのスーパーに連絡しました。しかし、その店のモツは、日本農水省と違って肉骨粉を使うことを禁止しているアメリカ産であることを担当者が教えてくれました。なんと、T大学名誉教授脳天気に大丈夫といっているずっと前から、地方のスーパーは調査していました。

 科学は信じるにたるもんです(少なくとも現段階での最善の道を示してくれるものの一つです)。でも、大学にいると実感するんですが、科学者はそうでもありません(あたりまえです、もの食って糞する人間なんですから)。ところが、科学者が「科学」の美名で語ると、科学を学んだものは、コロットだまされてしまいます。教室で、「先生がそういった」、「教科書にそうかいてある」といってクラスメートを黙らせている子どもがいます(我々は「強制ケース」と呼んでいます)が、それは決して「科学的」ではないですね。そんな子が大きくなると私みたいな人間になってしまいます。

[]学会発表今昔物語 14:36 学会発表今昔物語 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 学会発表今昔物語 - 西川純のメモ 学会発表今昔物語 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 私が教育学の世界に足を踏み込んだのは約20年前です。そのころは学会全国大会要旨集の殆どの要旨は「手書き」でした。今からは想像できないでしょうが、私が最初にふれたワープロは「書院」の初期型で、ワープロ専用機でした。大学院で買ったものですが、価格は130万円(今で言えば250万円ぐらいでしょう)。その後、急激に価格は安くなりましたが、それでも今に比べれば目の玉が出るほどの価格です。ちなみに私が大学院を修了して都立高校就職する際、清水の舞台飛び降りるつもりで買ったワープロ専用機は、安くなったといえども60万円でした。そんな状態ですから、手書きが多かったのは当然です。ところが、それから数年後からワープロ文章の学会要旨原稿が増え始め、いつのまにか手書き文章が稀になりました。たまに見つけると、四つ葉のクローバーを見つけたような気になります。筆者を見ると、学会の重鎮レベル先生です。

 発表方法も変わりました。今ではOHPを使う方が多いですが、当時は何も無しで発表する方も少なくありませんでした。どうやるかといえば、資料を配り、それを読み上げるという形式です。まるで詩の朗読会みたいです。また、スライドをお使いの方も、OHPをお使いの方と同じ程度のいらっしゃいました。スライドの場合、会場中を真っ暗にしなければならないので、暗幕のカーテンを引かなければなりません。真夏の学会の際は拷問のようでした。それが今ではOHPが主流となり、その性能も上がり、電気をつけたままでも見える明るさになりました。

 最近は更に進んでいます。コンピュータプレゼンソフトパワーポイント)を使い発表する方が増えました。コンピュータ画像投影機で映し出す機械を使います。最初は数百万円だったのが、今では数十万円の価格になりました。私の研究室でもT先生(私のボス)におねだりして買ってもらったのが今から5年ほど前です。院生さん達が早速使い始めました。文字が回転したり、動いたりします。ゼミなどで見せてもらうと圧倒されます。しかし、投影機が壊れた場合を考えて、学会発表ではOHPシートを用意しなければなりません。ところが、今では2台の投影機を研究室で持つようになりました。また、学会でも会場校で用意してくれるところが多くなっています。そのため院生さんの発表ゼミ発表も)はプレゼンソフトが基本となっています。

 一方、私の場合はプレゼンソフトも使いますが、OHPが基本です。理由は「物」がないということがなんとなく不安なためです。もう一つは、プレゼンソフトの場合、次がどんなシートだということが、プレゼンしている最中は分からないという点です。OHPの場合は、シートを投影し説明しながら、次のシートをチラチラ見ることが出来ます。そのことによって、現在のシートでの話の流れや時間配分を調整することが出来ます。でも、このまま10年もOHP発表したら、きっと「手書き要旨」の先生のように見られるのかもしれません。

01/10/23(火)

[]教員養成学部の明日、明後日 14:38 教員養成学部の明日、明後日 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 教員養成学部の明日、明後日 - 西川純のメモ 教員養成学部の明日、明後日 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 最近ある教育センターに行った際、そこの先生から「上越教育大学はどうなるんですか?」という質問を受けた。相当に真剣・深刻に質問されたので、「大学職員にとっては生き死にの問題ですが、センターには関係ないでしょ?」と逆に質問したところ、高校進路指導先生がその情報を真剣に求めているそうです。受験生にとっては合格した○○大学が、数年後に無くなるとなったら大変です。無くならない大学に進路変更したいと思うのも当然です。そのため、高校側としても真剣なんです。聞いてみて納得しました。そう考えると、うちの卒業生にとっても関係することだな。また、今後入学を考える人にとっても大事だなということに気づきました。そこで、私のような下っ端でも分かる範囲を整理してみました。もちろん、秘密事項はありません。ちゃんと調べれば各種ホームページに書いてある範囲を超えるものではありません。ただ、それらの文章の多くはお役人言葉ですし、表面には書かれていない影響は読みとりにくいので、それなりの意味はあると思います。

 現在、教員養成系大学・学部は3つの大波を受けています。第一は「教育学部統合」、第二は「大学統合」、第三は「独立法人化」です。

 教育学部統合とは、現在ある教員養成系学部を統廃合して効率化することです。現在まで1都道府県に1つの教育学部が原則となっています。しかし、最近少子化の影響で各学部の定員は減少し100名程度になっているところもあります(上越教育大学も200名から160名に削減されました)。ところが、学生定員を削減しても、それにかかる予算はあまり変化がないのが現実です。例えば、理科中学校の教師を1人養成する場合も、100人養成する場合も、最低一人の物理担当教官が必要だと言うことは変わりありません。結果として学生定員を200名を100名にしたとしても、教える教官の数はあまり変化がありません。しかし、この逆もまた「真」なんです。つまり、仮に学生定員100名で教官定員100名の二つの大学を統合し、学生定員を200名にした場合、必要となる教官定員は約100名でいいことになります。つまり、人件費が約半分になります。そのため、現在100~200名の教育学部を統合し、ある程度のスケールにすることによって経費が大幅に削減することが出来るわけです。簡単に言えば、僻地校の統廃合のようなものです。

 大学統合は「教育学部統合」の拡大版です。統合によって足腰の強い大学をつくり、諸外国に互していくだけの研究を推進することを目的としています。先の「教育学部統合」も同じですが、各大学は「とちらが統合する側になるか」また「統合される場合は、どのような条件で統合されるか」でしのぎを削っています。といっても、全ての大学が「統合する側」になりたがっているんですから、クラス全員が「4番バッター」をやりたがっている野球チームと同じでチームになりません。

 独立法人化は国立大学が、収支評価を受ける組織になることを意味します。簡単に言えば電電公社NTTになるようなもんです(そこまで極端ではありませんが)。そうなると、金が稼げなければ潰れるしかなくなります。下々の教官にとって気になるところは、給料はどうなるか?くびはあるのか?というところです。それは「給料仕事により変わり、くびもある」という説と、「結局いまとほぼ同じ」という説がありますが、おそらくはその中間あたりなんでしょう。少なくとも今よりは厳しい競争的状況におかれるのは確かです。

 決定期限の順番は、「教育学部統合」、「大学統合」、「独立法人化」の順序です。一番最後の「独立法人化」は平成16年度ですから、その骨格は平成15年度の半ばまでには出来てなければなりません(実際は諸般の事情でそれ以前になるかもしれません)。つまり、再来年までには、今とは全く異なる大学地図が出来るわけです。

 面倒くさいのは、決定の順番は「教育学部統合」、「大学統合」、「独立法人化」なんですが、決定の優先順序は「独立法人化」、「大学統合」、「教育学部統合」の順序なんです。つまり、「独立法人化という組織になった時に生き残れる大学の姿は何か?」がまずあって、それに基づいて「どのような大学組織をつくり、そのためにはどこと統合するか」があり、それに基づき「教育学部をどうするか、そのためにはどこと統合するか」があります。

 もう少し分かりやすく説明しましょう。大学の学部の中でも「医学部」、「工学部」などは独立法人化してもやっていけます。ところが、「教育学部」などはあまり金を稼ぐことは出来ません。となると、大学全体としては「教育学部なんぞはいらない。廃止するか、他大学に統合してもらって、うちから切り離したい」というのが本音だと思います(少なくとも、そう思っている他学部の教官は少なくないと思います)。一方、教育学部はもちろん、「統合する側」になりたがっています。つまり、大学全体としての希望と、教育学部希望が必ずしも一致していません。そのため、多くの教育学は、「こうしたい」と思っても、それがとうるか分からない状態ですので、行き詰まり状態です。最近は、教育学部先生が集まると、「お宅はどうなります?」とかか「うちは○○大学と一緒になろうとしている」といううわさ話が持ちきりです。しかし、確度の高い情報だと言われた話が、数日後には全くのチャラになっている状態です。全くの憶測ですが、大学トップレベルの人もどうなるか訳が分からない状態でもがいているのではないでしょうか?となると下々の教官が分かるわけはありません。だから、「どうなるか?」と大学教官に質問しても無駄なことです。仮に、自信ありげに話される情報を聞いたとしても、9割がた割り引かなければならないと思います。

 だけど確かなものもあります。それは、今以上に大学、そして教官個人が競争環境におかれるということです。一人一人の教官は、その中で生き残れる競争力を獲得する必要があるということです。この状況は「災難」ともみられるし、「機会」ともみられます。はたから見ていると暢気そうな大学教官も、実は、大変な時代に遭遇しています。(だから助けて!)

[]オッカムの剃刀 14:38 オッカムの剃刀 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - オッカムの剃刀 - 西川純のメモ オッカムの剃刀 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 「オッカムの剃刀」という言葉をご存じですか?「必然性がなければ、もっとも簡単な仮説ほど真実だと判断すべきだ」という基準です。別ないい方で言えば、「 単純な(エレガントな)説明は、複雑で込み入った説明よりは正しい」ということです。14世紀のイギリス哲学者、オッカムのウィリアムWilliam of Occam が最初に提唱したものです。無駄な仮説をじょりじょりそり落とすという意味で「剃刀」という表現が用いられているようです。

 最近の私の「オッカムの剃刀」は、「生物学的に正しいか」と言うことと、「自分に置き換えてみて正しいか」ということです。我々は教室における学びを観察します。その際、猿の群として妥当性があるかという基準で正しいか、正しくないかを判断します。また、教室における様々な人間関係を、自分の今いる人間関係に置き換えて判断します。これが非常に有効です。問題は、「ヒトは動物とは違う!」、「子どもと大人は違う!」という囚われからどうやって脱却するかです。「ヒトは動物とは違う!」、「子どもと大人は違う!」が全面的に間違いと言うつもりはありません。しかし、「ヒトは動物とは違う!」、「子どもと大人は違う!」と考えてもいいことは何もおこらないんです。強いて挙げれば、「違うから分からない」というように、考えることを先延ばしにすることは出来ます。

01/10/18(木)

[]生きてくれれば、修了してくれれば 14:40 生きてくれれば、修了してくれれば - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 生きてくれれば、修了してくれれば - 西川純のメモ 生きてくれれば、修了してくれれば - 西川純のメモ のブックマークコメント

以前のメモにも書きましたが、私が個人ゼミ院生さんと話す目的の多くの部分は、「それでいいんだよ」、「大丈夫だよ」という安心させる話題です。現職院生さんは皆さん真面目です。また、色々なものを賭けて本学に入学しています。絶対、いい研究をしたいという思いは凄まじいものがあります。

 内の研究は、実験研究ではありません。生のクラスを見る研究です。何が起こるか分かりません。当然、当初の予想と異なった結果が出る可能性があります。また、うまくいった部分より、うまくいかなかった部分に目が行きがちです。そうなると、凄く落ち込まれます。ひどいときには私に当たる(?)場合があります。そんなときです。私が安心させなければならないのは。

 実践研究をやっているときは、十分にビデオ記録、音声記録を見直すことが出来ません。そのため、教卓から見えるもので判断し、うまくなかったと思いがちです。そんな院生さんには、とにかく記録をざっと見ることを勧めます。大抵の場合、教卓から見えなかった素晴らしい面が見えるようになります。

 子どもの生の姿を、じっくりと見る研究法を採れば、教卓では見えなかったものが見えることは「絶対」です。当たり前です。だって、子どもを見るのが教育研究ですし、より多く見れば何か見つかるはずです。でも、その見つかるものが、当初と違う場合はあり得ます。そのため落ち込んだ院生さんには、その予想外に見つかったものが、とても大事なものであることを話し合います。また、修士論文の柱は、その大事なものを柱にすればいいことで、当初の予想と違ったものでも大丈夫だということを話し合います。ちなみに、予想外に見つかったものの方が、当初の予想より数段おもしろいものであることが通例です。

 今までには一人もいないですし、また、今後もいないだろうとは思いますが、本当にだめだったときはどうしようか、と考える場合もあります。夜、息子を抱いて寝かしつけているとき、「ああであって欲しい」、「こうであって欲しい」と考える場合があります。でも最終的には、「生きて欲しい」と願います。院生さんに関しては、「生きて欲しい、修了して欲しい」、出来るならば、「 大学院がいい思い出になって欲しい」と願います。

[]研修研究 14:40 研修と研究 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 研修と研究 - 西川純のメモ 研修と研究 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 上越教育大学大学院の「うり」は2年間フルに研究に費やせるというところです。県庁所在地にある大学の場合、14条特例といって、1年は大学院、1年は現任校にもどって平常の授業・校務をこなさなければなりません。しかし、その上越教育大学の「うり」が、必ずしも「うり」でないことを知り始めました。

 多くの都道府県で、派遣希望先生に2年間派遣と1年間派遣の二つの選択させると、1年間派遣の方が希望者が多い場合があります。最初は、「なんで?」と思って、院生さんに聞いてみました。私と同様に、「なんで?」と思われる院生さんが多いのですが、聞いてみると「家族との関係」が理由にあることが分かりました。でも、それだけではないようです。修了したOBに聞いてみると、「研究志望」ではなく「研修志望」が学校現場では強いようです。「色々な人に推薦しているんですけど、研究だと後込みする人が多いんです。それに、簡単に免許を取れる方法も出来ましたし・・」とOBには言われます。たしかに専修免許を取るだけの目的ならば、研修で十分です。

 そういえば、「研修志望」に対応した指導方針をしている研究室もあります。つまり、一定のプログラム講義を積み上げ、指導教官の計画による研究を行い、主に指導教官の話が中心となるゼミを行う研究室もあります。簡単に言えば県センターでの半年研修の拡大版みたいなものです。うちの場合は、修士論文を中心として、院生さんが具体的な研究計画を立て、指導教官があまり発言しない全体ゼミを行っています。

 どちらがいい、どちらが悪いというものではないと思います。現場の多様なニーズにあった、多様な大学院、多様な研究室があればいいことです。

[]子どもにやれるのは金ではなく時間 14:40 子どもにやれるのは金ではなく時間 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 子どもにやれるのは金ではなく時間 - 西川純のメモ 子どもにやれるのは金ではなく時間 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 大学は激変期です。色々な会議や書類を書かなければなりません。また、今は来年予算獲得のために申請書を書かなければならない時期です。一分、一秒も惜しい時期です。家に帰って息子と遊んでいるときも、「あの書類のあの部分は○○と書けばいいんじゃないかな」なんて考えてしまいます。ぼーっとしていると、息子がきょとんとした顔で私の顔を見つめていることに気づき、はっとすることが最近多いように感じます。

 今の私にとって、「時間」がとても貴重です。だからこそ、大事な息子様に捧げるべきだと納得して絵本を読むこのごろです。

[]自分の年齢は人に聞け 14:40 自分の年齢は人に聞け - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 自分の年齢は人に聞け - 西川純のメモ 自分の年齢は人に聞け - 西川純のメモ のブックマークコメント

 自分が独身だった頃、また、子どもが出来なかった頃、分からなかったことがあります。生徒時代、学生時代、若々しく、ハンサムだった同級生が、子どもが出来ると急激にオッサン化するんです。髪は薄くなり、腹は出てきます。その変化には愕然とするものがあります。

 以前のメモ(01,3,24付 人間進歩)に書いたように、我々の頭の中は年をとっても変化がありません。しかし、身体の変化は現れます。独身の頃、子どもがいない頃は、身体の変化があらわれても、それを認めない頭がありますので、それなりの努力をします。しかし、結婚し、子どもが出来ると、身体の変化に「頭」が白旗を揚げます。簡単に言えば、「もう、おれは○○の年なんだ」と納得します。そうすると、無駄な抵抗(それなりの効果はありましたが)をやめます。その結果、急激な変化が起こるようです。

 これは人間関係にも当てはまるようです。例えば、私のボスのT先生とは15年前のおつきあいです。そのころは助教授ですし、当時の年齢は、今の私の年齢とほぼ同じです。それ以来、遊んでいます。独身時代は、時間があると、ちょっと山に入ってフキノトウやムカゴ(自然薯の不定芽:とってもおいしいです)を取りに行ったり、テニスを教えてもらったりしています。毎年、同じ年だけ老けるので、相対的年齢差は変わりません(あたりまえです)。私の中では、いつまでも15年前のT先生です。ところが、学会等で私から見てもそれなりの人が、極端に敬意を払った物言いでT先生と話しているのを聞いて、「ああT先生って偉いんだ」と再確認します(といって、その後もT先生との関係は変わりませんが)。

 自分の年、自分の親しい人の年は、人に聞かなければ分からないのかもしれません。私も自分がオッサンの年齢だとは理解ていて、人にも「自分はオッサンだ」と言っているのですが、今ひとつ自覚がありません。しいていえば、メモ(01.10.17付 学生さんのパワー)にあるような学生さんにふれることによって、自覚します。

 追伸 でも自覚しすぎると、髪は薄くなり、しわが多くなり、老眼は進行し、腹の贅肉は増大します。抵抗するぞ

01/10/10(水)

[]乾燥食品 14:53 乾燥食品 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 乾燥食品 - 西川純のメモ 乾燥食品 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 高校時代の古文の時代、「防人の歌」というのを習いました。その中で「干飯(ほしいい)」というものがありました。炊いたご飯を乾燥した保存食です。何故か今でも覚えています。最近、その干飯をよく見ます。

 息子も離乳食後期に入り、食べるものは我々と殆ど同じです(味付けは薄味です)。このごろはスプーンを上手に使いますが、主体は手づかみです。前よりも少なくなりましたが、ばらばらと落とします。食べ終わってから拭くのですが、拭き残しがあります。代表的なのがご飯で、数日たったご飯はからからに乾燥しています。それを見るたびに、こんなものを持って九州に旅立ったんだな~と、「防人の歌」を思い出します。拭き残しの食べ物はご飯以外にも様々です。乾燥納豆乾燥こんにゃく乾燥エノキダケ、乾燥タマネギ・・・。これらは子育てしないと一生見なかったものです。それをみると、何でも乾燥食品になるんだな~と、妙に感心してしまいます。

[]酒をまずく飲む方法 14:53 酒をまずく飲む方法 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 酒をまずく飲む方法 - 西川純のメモ 酒をまずく飲む方法 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 私は酒が大好きですが、人様ざまです。実にまずそうに飲む方がいます。たしかに、私は本醸造吟醸酒が嫌いです。理由は本醸造の場合、発酵後に加えた醸造アルコールの臭いがします。簡単に言えばエチルアルコールそのものの臭いが鼻をつきます。吟醸酒の場合は、フルーティーな香りが強く、好きではありません。一方、本当に美味しい純米酒は無味・無臭に近く、水みたいです。そのため純米酒をまずく飲む人の気持ちが分かりません。だって、水みたいなんですから。しかし、昨日、やっと分かりました。昨日は、ちょっと飲み過ぎたので、ごくっと一気に飲まずに、口にちょっとためてしまいました。そうすると、アルコールの臭いが強く感じることに気づきました。また、舌もアルコールで刺激されます。実に不味い。改めて思い出すと、普段は酒はさらりと飲んでいます。そのため、口に残る香りを楽しむぐらいです。だからいいんだろうなと感じました。そういえば、納豆だって、鼻を近づけて深呼吸すれば、あれは腐ったにおい以外の何ものでもありません。純米酒でこれならば、本醸造吟醸酒での臭いのきつさは想像できます。

 酒の嫌いな方は、「まずい→飲むのをためらう→口に長く留める→もっとまずい」というサイクルを形成するんだと思います。飲み助は、「美味しい→ごっくっと飲む→いい香り・味→もっと美味しい」というサイクルを形成するんだと思いました。

[]アドラー心理学との違い 14:53 アドラー心理学との違い - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - アドラー心理学との違い - 西川純のメモ アドラー心理学との違い - 西川純のメモ のブックマークコメント

 私はアドラー心理学が大好きです。しかし、専門家ではありません。というよりファンに近いように思います。しかし、それだからこそ、あそこの部分が気になるな~というものがあります。

 第一に、いろいろなことを学ばなければならないと考えているように感じます。だって、そのための内容豊富な講習会を運営しているようです。私は、そんな難しいことはいらないんじゃないかと思っています。だって、人間の本性なんですから。

 第二に、アドラー心理学教育に導入する際、教師が学ぶことが中心になっています。でも私は、もし学ばなければならないものがあったとしたら、子どもたちこそが学ぶことが大事だと思います。つまり、教師によって教育が成り立つのではなくて、子どもたちが主体的になるべきだと思っています。

 第三に、役割分担が平等となることを強調しているように感じる場合があります。しかし、人間は多様です。無理に平等にすることは不可能です。むしろ役割を人間の序列に置き換えないようにすることを注意すべき何じゃないかなと思います。平等であることを強調するのは、逆に言えば、平等じゃないと人間に序列があると思わせるのでは・・。

 こんなこと書くと、アドラー心理学専門家の方から袋叩きにされそうで怖いのですが、繰り返しますが私はファンです。何でファンかという理由の中に、アドラー自身は自分の考えは実際は平易なものだと考えており、それを誇っていた点があります。また、アドラー心理学では人間の本性は群れたがっている生物だと考えてた点です。そう考えると、以上3点が気になるところです。誰か教えてくれません?

01/10/09(火)

[]ゴミ増加の理由 14:55 ゴミ増加の理由 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - ゴミ増加の理由 - 西川純のメモ ゴミ増加の理由 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 以前、ポリバケツを作っている会社コマーシャルで、昭和30年代のゴミ収集の様子がテレビで流れていました。ビックリしたのは、主婦がゴミ収集車に持ってくるゴミの量は、スーパーでもらうポリ袋、それも小さめのポリ袋一つ分もないんです。なんで当時はゴミが少なかったのだろうか、一つの謎でした。しかし、最近になってその謎が解けました。

 最近上越市のゴミ分別の方法が変わりました。従来は「燃えるゴミ」、「燃えないゴミ」、「資源ゴミ」、「乾電池」に大別されます。しかし、「燃えるゴミ」は製品(主に食品)包装のための紙とそれ以外に分別することになりました。また、「燃えないゴミ」も製品包装のためのプラスチックとそれ以外に分別することになりました。その結果分かったのですが、燃えないゴミも燃えるゴミも、圧倒的に製品包装に関わるものでした。

 考えてみれば当たり前かもしれません。だって、新聞紙・雑誌以外の資源ゴミ、及び、製品包装以外の紙を探した場合、生ゴミか手紙メモ用紙以外に見あたりません。大学では大量の印刷をするため紙を消費しますが、家で大量の印刷なんてしません。また、木の場合も日曜大工趣味としなければ購入することもありません。耐久製品に木が使われていますが、「耐久」なんですから、そんなに捨てることはありません。同様に家の中のプラスチック製品を探してみると、包装に使われているもの以外は耐久製品に使われているものばかりです。あらためて自分の小さかった時を思い出せば、タッパーなんぞはありませんでした。豆腐は入れ物を持参して買いに行ったものです。

 タッパーによる包装によって金額を記入済みの食品が並ぶようになりました。おかげで、ど素人アルバイトレジ担当することが出来るようになりました。結果としてスーパーのような多売薄利の営業が成り立ちました。結果として、比較的安価で、品揃えの良い店が出現することになりました。こう考えると、ゴミ増加も痛し痒しです。そう考えても困るのは、分別方法が地域によって異なり、また分別基準が曖昧な点です。家内はものを一つ捨てるごとに、市からのハンドブックを片手に悩んでいます。できれば、地域の商店で協力して、商品の値札に番号を付け、それを廃棄する場合の分類を分かりやすくしたらいいのにな~と思います。(案外、いいアイディアだと思いません?)

[]長寿 14:55 長寿 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 長寿 - 西川純のメモ 長寿 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 私にとって60歳は「おジーさん」、90歳はすごい「おジーさん」です。いずれにしても「おジーさん」であることには違いなく、大雑把に言って一つにくくられます。

 日曜日番組で「ご長寿早押しクイズ」というのがあります。見てみると、90歳以上のおじいさんが参加していました。その時、ふと、もし90歳まで生きたら、息子は何歳なんだろうと想像してしまいました。我ながら驚いたのですが、息子は40歳に授かった子どもですので、90-40=50歳ということに気づきました。ということは、今の私より年上です。結婚し、子どもを授かっていてもおかしくない年です。いや、早くに結婚すれば孫がいるかもしれません。つまり、私にとって孫、曾孫がいる可能性があるわけです。この一点だけでも長生きする価値はあります。そう考えてみると、あほな答えを連発している「ぼけ?」おジーさんが神々しく思えました。

[]酒量 14:55 酒量 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 酒量 - 西川純のメモ 酒量 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 一番飲んでいたのは大学院の2年の時だと思います。それ以来、下降線をたどっていましたが、それでも結婚前は毎日1升ぐらいは飲んでいました(365日)、それも殆ど何も食べずに。その当時の学部ゼミ生さんなら覚えていると思いますが、飲み会の席で「先生飲んでください」なんて言おうもんなら、「よし、私と同じだけ君が飲むなら、いくらでも飲むよ」とふっかけ、何人もトイレで吐かせたもんです(若気のいたり、恐ろしいことをしていました)。

 結婚を機に、酒量を減らし、食事を一緒にとるようにしました。私にとっては大決心でした。それでも毎日5合ぐらいは飲んでいました。家内から、「何でそんなに飲むの?」と聞かれたことがあります。間髪入れず、「酔うため」と答えました。「酔わなきゃだめなの?」と聞かれましたが、これまた間髪入れず「酔わなかったら酒なんて飲む人いないよ」と答えました。

 年齢の関係で、最近は2合も飲めば十分になってしまいました。また、ある量を超えると美味しくなくなるようになってしまいました(昔は、飲めば飲むほど美味しく感じていたのに)。数年前までは、愚問のように感じていた家内の質問も、共感的に理解できます。むしろ、よくまあ飲んだな~、よく死ななかったな~と感じます(最高潮の時は、一晩かけてですが、2升以上は飲んでいました)。それと、安上がりになったな~と感じます。

[]SFと法華経 14:55 SFと法華経 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - SFと法華経 - 西川純のメモ SFと法華経 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 遊んでいる息子をボーっと見ていると、昔読んだ「幼年期の終わり」というSFと、法華経の現代語訳のことを思い出しました。前者は、人類進化がある段階に達したとき、宇宙人地球に飛来し、さまざまな指導を行います。しかし、人類にとっては、それらの指導の意味が謎でした。しかし、その指導を数世代を受けたある時、人類現在生物の段階を越え、より高い存在になるという話です。思い出したのは、人類宇宙人に指導の意味を問いかけたとき、宇宙人が申し訳なさそうに「説明できない」と言うところです。

 お経は何か分からない呪文のように聞こえます。そのことが気になっていたので、学部学生時代に法華経の現代語訳を読んでみました。読んでみてビックリしました。各章で書いてあるのは法華経がどんなに素晴らしく有り難いものであるかと書いてあります。ところが、その法華経の本体(つまり考え方・実態)は何も書いていないんです。章末のあたりになると、必ず「さあ、これから法華経が語られます」と書いてありますが、それで終わり。次の章も同じ展開です。つまり、小説を例にすれば、小説の殆どが、「この小説は面白いぞ、楽しいぞ」と書かれているが、小説自体は書いていず、最後の方に「それでは本編を始めましょう」と書いてあるが、そこで終わり。正直言って、あまりの馬鹿馬鹿しさに呆れてしまいました。あれは意味が分からない呪文みたいだからありがたがる人も多いと思いますが、現代語訳で読んでみれば呆れる人も多いと思います。しかし、しょうがないんですね。つまり、仏様のお考えが高度すぎて我々人間には分からないんです。そのため、本当は違うことを承知で、嘘の説明(仏教用語では方便)で説明せざるを得ないんです。

 息子に私の意図を説明しようとしてもなかなか伝わりません。そのため、伝わりやすい説明をします。それが、人類宇宙人・仏様の関係に似ているなと思いました。しかし、同時に逆もあり得ることにも気づきました。息子は息子なりに考えて行動しています。しかし、私には「これこれ何だろうな~」とは想像できるのですが、はっきりとは分かりません。全く的はずれだったために、大泣きされることもあります。認知心理学では、認知達成度にギャップがありすぎるとコミュニケーションが出来ないことを明らかにしています。コミュニケーションは相互的なものです。人類宇宙人・仏様のお考えを理解できないと同時に、宇宙人・仏様も人類の考えが理解できないんではないかな・・と思いつきました。今の私が「息子は何を考えているんだろう、うーん」と考えているように、宇宙人・仏様が「人類は何考えているんだろう、うーん」とお考えになっているように思えてなりません。

01/10/02(火)

[]欠席通知後日談 14:58 欠席通知後日談 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 欠席通知後日談 - 西川純のメモ 欠席通知後日談 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 昨日の「欠席通知」、及び、9月17日の「理想の授業」に関連して、温かいメールゼミ生(現職)の方からいただきました。感動ものだったので、公開しちゃいます。

メール1」

 どんな授業であっても「教師がわくわくして授業に向かっていき打ちのめされても、わくわくして帰ってきた授業」はきっとすばらしい授業だと思います。(中略)今深く考えているのは、理想の授業をする理想の教師像です。(中略)理想の授業をする教師は、そこにいる生徒(児童)のわからないことに思いをめぐらし授業を組み立てられる人であるか。速攻で、その場で生徒の様子を把握し考えられるベテラン先生はいますが、そうでないペイペイの教師は、授業をする前に、生徒の考えをあらゆる面から考え、だからこれをぶつけることで生徒と共に考えてみようと思いながら授業に立ち向かう教師であり、その教師の授業こそ、理想の授業となるように思います。その授業が、西川研でめざしている授業と全く逆であっても生徒の姿から考えようとしている教師は、きっと気づき西川研でめざしている方向へ動いていくと思います。

メール2」

 お昼休みに職員室でメモ(注1)を読み、ボーっと学校の中を歩いてみました。こんなふうに客観的に(落ち着いて)自分の働く場所を見たことはなかったとびっくりしました。その時思いました。私は今まで「子供が主役」と言いながらも「授業」というステージを演出し、常にその中心に自分を置いてきたと。コンピュータを授業で説明するのも、「どうだ!すごいだろ!」というようにカッコつけた状態だったとかなり恥ずかしくなりました。先日もお伝えしましたが(注2)、私がカッコつけて説明しなくても子供インターネットを使っています。(まどろっこしさはありますが・・・)うろうろと教室を歩き回っていると便利屋のように扱われているようで情けない気持ちになる時もあります。やはり教師をめざすときは青春ドラマような場面をイメージしたことがあり、子供のやりやすいようにと目立たないところで働いている姿はイメージしたものとはかけ離れているような気分になるのだと思います。(今日は、ある程度自信を持てる日だったせいか)それで良いじゃないか、と思えました。忙しさに押しつぶされて自分で自分にスポットライトをあてたくなることのないように過ごしていきたいものだと思いました。本当のプライドを手にするために。

注1:このメール現在、実践研究のため現場学校に戻っている院生の方が、9月17日の「理想の授業」をよんだ感想メールです。

注2:子どもに任せてみたらうまくいったことを報告し、いままで必死になって教え込んでいた自分がバカみたいに見えたという趣旨のメールを、前回いただきました。

 うちの研究室(もちろん私個人も)は院生さんのおかげで成り立っているんだなと実感します。今在学している院生さんに偉そうに言っていることは、実は修了された院生さんから教えてもらったことです。また、今在学している院生さんから教えてもらったことを、数年後に在学している院生さんに、偉そうに話していることでしょう。

[]今までやっていること、現在やっていること 14:58 今までやっていること、現在やっていること - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 今までやっていること、現在やっていること - 西川純のメモ 今までやっていること、現在やっていること - 西川純のメモ のブックマークコメント

 最近ポカが多くなっています。先日は全体ゼミを忘れるなど、ゼミ生の方には迷惑をかけています。また、色々な仕事院生各位にお願いすることも多く、心苦しく思っております。そこで、言い訳のため、現在おかれている状態を簡単に説明したいと思います。外部の方にとっては、これによって「学習臨床コース」がよく分かるのではと思います。

 私は、色々なところで、「教師の仕事目標の設定、評価、外部との調整」であることを強調しています。大学に在職していると、この「外部との調整」に多くの時間を費やさねばなりません。西川研究室、及び、戸北研究室が、外部の方々に理解してもらうよう一生懸命努力していることは3つです。第一は「教科を学ぶ子どもに着目する研究認知」、第二は「大学教育における学生院生の選択権の確立」、第三は「予算の確保」です。

 教科を学ぶ子どもに着目した場合、一つの教科の枠からはみ出すことがあり得ます。何となれば、子どもは小学校教育、中学校教育高校教育を受けていて、その一つの部分を教科が担当しているに過ぎません。子どもの中では複数の教科で学んだことは渾然一体になっているはずです(また、なるべきです)。ところが、教科学習は国語数学理科社会等々という教科ごとの単位研究されていたため、なかなか認知されずらい状態でした。教育・心理系の方からは「教科を学ぶ子どもに着目する研究」は「教科」を対象とするのだから、教科領域のように思われます。逆に教科領域の方からは「教科を学ぶ子どもに着目する研究」は、子どもに着目するのだから教育・心理のように思われます。そのため、「教科を学ぶ子どもに着目する研究」は常に宙ぶらりんの状態でした。このような状態を打開するため、「学習臨床コース」が立ち上がりました。学習臨床コースの院生として入学された修士1年の方々にとっては当然と思われていることは、教科領域で入学している修士2年の方々にとってはうらやましく思っていると思います。

 私は「科目に必修をかけることは良いけれど、人に必修をかけることは望ましくない」と思っています。例えば、卒業には「○○」という単位を絶対取らなければならないというカリキュラムは当然だと思います。例えば、注射の仕方を教えてもらっていない医者に、私は絶対に注射されたいとは思いません。しかし、その「○○」という単位担当する人が特定の人であることは避けるべきだと思います。具体的には、「○○」という単位は、複数設けられ、別々な人が担当します。学生は、それらの中から選択する方法が望ましいと思います。もちろん、それぞれの講義を受けた後の評価、また、卒業後の追跡評価も必要でしょう。

 また、指導教官の選択も同様です。学生指導教官を選択できるべきだと思っております。また、一度選択したとしても、その後に異動できる権利を持つべきです。付け加えますと、同様に、指導教官自身もある条件を満たすならば、指導することを拒否できる権利を持つべきだと思います。この選択権の行使が、感情的にもつれることなく、事務的に進められるシステム確立する必要があります。学校における人権問題セクハラ問題も)の根元は、特定の教官学生生殺与奪権を持っていることに由来します。質は違っても、同等の人権であることを保障される関係が必要であると思っています。これは学生のためだけのことではありません。教官の側にも意味あることだと思います。少なくとも、私につきたくないな~、私の授業を聞きたくないな~という人を指導したり、講義したりすることは、私は願い下げです。これに関しては、すくなくとも学習臨床コースにおいてはかなり改善されています。

 以上二つに関しては、学習臨床コースではかなり改善されています。しかし、この二つに関して我々とは逆なお考えの方も少なくありません。それらの方のご意見も説得力があることも確かです。したがって、以上二つを成立させるためには、常に説得し続ける必要があるわけです。

 学習臨床研究にはお金がかかります。何しろ一人の院生さんが研究するためには2台以上のビデオカメラ、7~40台のカセットテープレコーダーが必要となります。その院生さん人数分が必要となります。さらに、一度研究に入れば、それこそ100時間以上の記録を取ることになり、結果として毎年かなりの数の機器が故障し使えなくなります。現在学習臨床コース教官の基本研究費は四十数万にすぎません。その研究費の中で電話代金、講義にかかる消耗品等々をやりくりしなければなりません。従って、どう考えても先に書いた機器の確保は無理です。そのため、外部予算を獲得しなければなりません。そのためには、それなりの申請をしなければなりません。さらに、その申請が通るためには、それなりの実績を上げなければなりません。そして、予算を獲得した後は、その予算に見合った実績を報告しなければなりません。

 以上、長々書きましたが、こんなことをしているのに頭を使っているためポカが多くなっています。お許しください。同時にご協力を是非是非賜りたく存じます。上記に書いたように、今ゼミ生のみなさんが得ている様々な諸条件は、先輩諸氏の実績の上に成立しているものです。同時に、常に努力し続けないと維持できない条件です。それでは、その努力とは、第一は「この研究室に所属して良かった」と感じてもらい、それを積極的に宣伝してもらうことです。第二は、学術的な貢献です。具体的には修士論文卒業論文の成果が学会誌等に掲載されたり、学会発表することです。第二は、実践的な貢献です。具体的には修士論文卒業論文の成果が教師用雑誌に掲載されたり、教師用講演会発表することです。我々自身も、皆さんの成果が適切に知られるように、学術論文、実践論文書籍講演会、そして本ホームページ等の場で努力しているところです。そのためには、ゼミ生の方、OB各位、また、我々の研究を面白いと感じていただける先生方のご協力が是非是非必要です。お願いします。

01/10/01(月)

[]人見知り 15:00 人見知り - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 人見知り - 西川純のメモ 人見知り - 西川純のメモ のブックマークコメント

 人の顔を特徴づけるものはどこだと思いますか?「目鼻立ち」や「口元がそっくり」という言葉があるように目、鼻、口が重要だと思いがちです。しかし、心理学によれば、顔の輪郭、髪型のほうが重要だそうです。つい最近まで、「本当?」と疑っていました。

 一昨日の土曜日床屋に行きました。夏休み前に行ったきりだったので、髪はぼさぼさでした。私の頭は短髪ですので、30分ほどで完了し、帰宅しました。帰宅すると息子はビデオに夢中です。私も横に座ってビデオを見ました。しばらくすると、息子がテレビではなく私を見つめているのに気づきました。じっと見つめながら、ものすごく考えている様子です。「髪型が変わったことに気づいたんだろうな~」なんて思っていると、約1分後に火がついたように泣き出しました。なんと、私に「人見知り」しているんです。私も家内も大笑いです。「お父ちゃんですよ」、「お父ちゃんですよ」を連発したり、高い高いをしたり、頬ずりしたり、キスしたり、さまざまにあやしました。でも、ダメです。はじめは笑いながらやっていたんですが、次第に事の重大さが分かってきました。このまま泣き続けられたら、風呂にも入れられないし、食事もさせられない。「どうしよう」と本当に悩みました。幸い、家内が「お父さんだから」と何度も、何度も説得して、やっと納得してくれたようです。

 本当に、輪郭や髪型は顔の特徴なんだなということを実感しました。同時に、こまめに床屋に行かねばと思いました。

[]相互作用 15:00 相互作用 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 相互作用 - 西川純のメモ 相互作用 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 言葉は大人から子どもに伝えるものだと思っていました。しかし、子育てをしていると、そればかりではないことに気づきます。例えば、息子は車が大好きです。ハイハイする前からベランダでだっこし、前を走る車を見せます。その際、「ぶーぶー」だよと教えていました。息子が最初にしゃべった言葉(そして、現在のところただ一つのしゃべれる言葉)は、その車です。ただし、「ぶーぶー」ではなく、「うっぶー」という発音です。最初は私は「ぶーぶー」と話していたのですが、いつの間にか私も「うっぶー」と言うようになってしまいました。

 息子はうまくいったときに独特の仕草をします。右手の親指と人差し指を立て、中指・薬指・小指を折り曲げ(つまり、「会場はあちら」のマーク)、それを手首のところでちょこちょこ回します。そんな仕草、私たちもしていませんし、ましてや教えたこともありません。おそらく息子自身が開発した仕草です。現在、我々はその仕草を使っています。例えば、お片づけが良くできたとき、いつもは食べないものを食べたとき、その仕草をします。それを見ると息子は大喜びです。

 言葉というのは相互の意志疎通の道具です。相互作用の中で作り上げるもんだナーと思いました。とすると、若い世代独特の言葉をしゃべること(もしくは理解すること)は重要なんだな~と考え始めました。さらに、教科学習の際は、その相互作用をどのようにしたらいいのかな~と考え始めました。つまり、教師の方が、子どもの誤解(科学的に見たときに)の言葉で、どれだけしゃべれるかな~と考えました。

[]欠席通知 15:00 欠席通知 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 欠席通知 - 西川純のメモ 欠席通知 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 先ほどKoさんが、私の部屋にやってきました。「先生、よい学び合いが出来ました」と言って、ゼミ資料を手渡してくれました。最初は何をおっしゃっているのか分からなかったんですが、しばらくして全体ゼミのことだと分かりました。会議関係で全体ゼミに出られないこともあります。しかし、本日は単にポカです。言い訳ですが、本日は開学記念で全学お休みです。食堂も閑散としていました。いつも一緒に食事をしている院生さんもお休みです。そんなこんなで、いつの間にか本日の全体ゼミはお休みだと勝手に解釈してしまいました。

 ゼミ生の皆さんへ。欠席をお詫びします。遅ればせながら、「欠席通知」いたします。

追伸 Koさんによれば、前回と同様、つづがなくゼミは進行し、有益な意見を沢山いただけたそうです。嬉しいような、寂しいような。