西川純のメモ このページをアンテナに追加 RSSフィード

西川純です。新潟県上越市の上越教育大学の教育実践高度化専攻(教職大学院)で『学び合い』を研究しています。諸般の事情で、このブログのコメントは『学び合い』グループのメンバー限定です。メンバー登録は、いつでもOKです。ウエルカムです。なお、メールはメンバー以外にもオープンですので、いつでもメールください。メールのやりとりで高まりましょうね。メールアドレスは、junとiamjun.comを「@」で繋げて下さい(スパムメール対策です)。もし、送れない場合はhttp://bit.ly/sAj4IIを参照下さい。西川研究室はいつでも参観OKです。 詳細は http://www.iamjun.com/をご覧下さい。 もし『学び合い』グループに参加される場合は、 http://manabiai.g.hatena.ne.jp/をご参照ください。
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01/09/26(水)

[]普通が一番 15:01 普通が一番 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 普通が一番 - 西川純のメモ 普通が一番 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 まだ気が早いのですが、息子をどの幼稚園に入れるのか考え始めています。家内幼稚園保育園先生でした。つまり、その道のプロです。家内の友人(元幼稚園先生)と家内が共通して、最も重視している選択基準は「自由保育」だそうです。自由保育というと難しげですが、簡単に言えば「自由に遊ばせる」ということです。逆に、「書道」、「剣道」等の習い事系、または、「年間を通して上半身裸」等の特殊な指導法をする幼稚園は絶対避けるとのことです。それらは素人のお母さん達には好評なのですが、実際に子どもを見ている幼稚園先生から見ると、子どもにとって良い指導ではないそうです。幼稚園の営業成績を上げるため、色々な場面で無理が生じるのを承知で、母親用の発表会の準備をするそうです。先生方も準備に時間をとられ、肝心な子どもに接する時間が奪われるそうです。それを聞いていながら、研究授業に熱心すぎる学校の状況に似ているな~と感じました。

 今、30人学級を目指して、多くの先生方を採用しています。教員養成系としてはありがたいことです。しかし、本(「学び合う教室」)にも書きましたが、私は少人数学級には反対です。少人数より、「教師対子ども」という図式を改める必要があると思います。もし、教員の数を増やすならば、少人数学級ではなく、小学校ならば複数担任制を導入し、教師の空き時間を増やすべきだと思います。中学校高等学校も同様で、空き時間を作るために人員配置を考えるべきと思います。現状では忙しすぎて、教科書・教師用指導書に書いていることを、そのまま喋り、書くだけの教師になってしまいます。

01/09/25(火)

[]赤ちゃん本舗 15:02 赤ちゃん本舗 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 赤ちゃん本舗 - 西川純のメモ 赤ちゃん本舗 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 連休中に長岡の「赤ちゃん本舗」に行きました。家内実家仙台にありますので、仙台帰省したとき仙台店によく行きます。広いし、品揃えが豊富、それに何より質のいいものが安く手に入ります。つまり、バカ安い品をおいてある店はありますが、他店では質が高く、そのため高額な品が、お手ごろな価格になっている店はなかなかありません。上越子育て雑誌によれば、長岡店は全国の支店の中で最も大きい店舗だそうです。

 高速を降りて5分ほどで到着。子育て雑誌にあるとおり、仙台店より広く、食堂と小さな遊園地も併設されていました。入ったとたん息子は興奮状態で玩具さわりまくりです。私は息子のおもりを担当家内は買い物担当で別れました。店内を走り回る息子を、ひたすら追いかけておりました。店内には私と同じようなお父さんがいっぱいです。

 不思議なもので、お互いにちらっとは見るんですが、気づかないふり、見ないふりです。考えてみれば、「あ~ら、お宅のお子さんおいくつ?」なんて男同士で話し合う姿、想像できませんよね。ところが、ピンと緊張するときがあります。それは、それぞれの子ども同士が同じ玩具を遊ぼうとするときです。そうなると、どちらかが「もういっぱい遊んだから、お兄ちゃんに遊んででもらおうね」なんて、わざと大きめな声で話しかけ、子ども玩具から引き離します。本当は、取り合いをさせ、喧嘩をさせた方が学ぶことは多いと思うのですが。親同士、大人同士が面と向かい合っている状態ではやりにくいものです。保育園幼稚園で親から 離した状態で、子ども同士を群れさせることは大事なんだなと感じました。同時に、保育園幼稚園は親の代わりではなく、親とは別な役割があるんだと理解し、「私の○○ちゃんに、何をしたの(しなかったの)!」と怒鳴り込むことはするまいと思いました(でもするかも)。

追伸 赤ちゃん本舗で1750円で買った息子の靴を上越の靴屋で見かけました。値段は2500円でした。夫婦で同時にガッツポーズです。

[]ピアジェと私 15:02 ピアジェと私 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - ピアジェと私 - 西川純のメモ ピアジェと私 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 教育研究をするものにとって子育ては絶対必要のように感じます。子どもと関わっていると、実に多くのことを学びます。まさに学習臨床的な研究が出来ます。子育てによって偉大な研究を成し遂げた研究者として、まず、ピアジェが挙げられると思います。知の巨人であるピアジェと私を比較するのは非常におこがましいのですが、かってピアジェをかじった一人として、彼が書いたことと私の見ているもののギャップを日々感じています。

 彼と私との違いを理解するためには、時代背景を考えなければなりません。ピアジェが育ち活躍したのは20世紀前半です。その時代は、物理学が多方面に飛躍した物理学の時代です。現象を抽象化し、数式で表すことが大成功を治めました。そのため、彼の理論は発達を抽象化し、代数学群論、体論を参考にした発達理論をうち立てました。

 さらに、ピアジェがもともと発生学者であったことを忘れることは出来ません。ウニの発生を大学生の時見ましたが、感激ものです。たった一つの受精卵が、分割し、変形し、全く違った複雑な構造をもつ姿は大自然の神秘です。それを研究したピアジェが、大人と子どもの違いを見たとき、受精卵の発生に対比したことは想像に難くありません。そのため、子どもは大人とは全く違った、単純なものだと想像したと思われます。しかし、ピアジェ以降の多くの心理学者が証明しているように、実際は子どもは大人並の複雑さを備えています。実際、息子を見ていると、本当に複雑だなと思います。息子はおだてに乗りやすいタイプで、誉めると本当に一生懸命になります。やり終えると、私や家内をひっぱてきて、指さしながら自分の成果を誇ります。誉められると、全身で喜びます。これらの行動を代数学群論で表現できるなんてとても思えません。

 つまり、ピアジェと私の違いは、子どもの能力を大人並に評価するか否か、また、最終的に物理学的な表現にしようとするか否かのように思います。

01/09/21(金)

[]ウイルス 15:03 ウイルス - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - ウイルス - 西川純のメモ ウイルス - 西川純のメモ のブックマークコメント

 現在大学ネットワークは学外と切れた状態のままです。原因ニュースで流れている「ニムダ」というコンピュータウイルスです。はじめにニュースが流れていたときは「対岸の火事」と思っていたのですが、実は本学も犯されていたと知りびっくりです。更に、本日院生さんのコンピュータにも感染していたことを知り、自分も燃えていたことを知り更にビックリです。私自身は1年以上前に、ウイルス感染したことがありました。極めて良性で、いたづら程度のものでしたが、それを機会にウイルスバスター2001というソフトインストールしています。しかし、院生さんが感染されたことで、自宅のコンピュータにも導入しなければならないと、ちょっと焦っているところです。

 対岸の火事とお思いの方へ

 今すぐソフト屋に行って、ウイルス対策ソフトと最新版のブラウザソフトを用意することをお勧めします。前者は実売価格5000円程度ですし、後者雑誌のおまけです。保険としてみれば安いものだと思います。

01/09/20(木)

[]早速役に立ちました 15:05 早速役に立ちました - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 早速役に立ちました - 西川純のメモ 早速役に立ちました - 西川純のメモ のブックマークコメント

 昨日から上越教育大学ネットワークがダウンしました。本日10時現在も動いていません。復旧の見通しは不明だそうです。以前の私でしたらパニックになっていました。なにしろ、電話が不通になっても仕事は出来ますが、メール普通になると支障が大きいです。ところが、私のメールホームページも学外においてあります。さらに、電話回線で学外ネットに接続できるので、基本的には問題はありません。問題になるのは、メールアドレス変更を知らず、私の 旧アドレス上越教育大学アドレス)宛に送られた方のメールはしばらく見えないということです。

 現在担当の方が不眠不休で対応していただいております。、本学のような小さい所帯の場合、このような事態が生じると、ごく少数の方に仕事が集中します。復旧に時間がかかるのも当然です。出来れば、全国立大学で統一したネットワークセンターを設立しネットワーク管理を一元化するか、大学ネットワークを廃止し、商業ネットを利用する方が良いと思うのですが。

[]褒める 15:05 褒める - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 褒める - 西川純のメモ 褒める - 西川純のメモ のブックマークコメント

 今月号の「授業研究21」(明治図書発行の雑誌)に2頁ほど書かせてもらいました。内容は、「そんな難しいことをしなくても子どもは学び合うようになるよ。でも、そのためには子どもを信じなければならないよ。」という内容です。それを読んで、愛知県のT先生からメールをいただきました。早速、お礼の返信をしたところ、下記のような返返信をいただきました。

 「先生が述べられている「信じることの大切さ・難しさ」という概念によって、現場の教師が自らの子ども観を自戒の念を持って見つめ直すことができるのではないか、と考えています。目から鱗が落ちる思いです。例えば、「子どもを褒めすぎるのはよくない」という人は、実際に子どもを褒めすぎるというほど褒めたことはあるのか、本当に子どものためになる褒め方を自分は極めたのか、と自戒することが必要だと思うのです。子どもを徹底的に信じることの難しさ、そしてそれを乗り越える努力は、まさに教師が自己の指導法にどこまでも謙虚な姿勢を貫くということになるのだと思います。私もそのような教師としての在り方を目指していきたいと思います。」

 過分な評価で、面はゆい思いがします。その中に「誉めすぎる」というエピソードを読んで考えてみました。

 我々の研究室で出している結果は、分かってしまうと至極(しごく)常識的なものです。なんとなれば、自分に置き換えてみれば当然なんです。2001年3月24日のメモ「人の成長」にも書きましたが、考え方は子どもも大人も変わりがないと私は思っています。十歩下がって、経験の差があったとしても、それは量的な違いで質的な違いではないと思います。即ち、「全く想像つかない、理解できない」ということは無いと思います。「全く想像できない」と言う方は、おそらく、意図的か無意識かのいずれにせよ、昔の自分を思い出せない(出さない)、もしくは今の自分に置き換えられない(置き換えない)だけだと思います。だから、教師が子どもに対してどう対応すべきかという答えは、自分がその当時、どうあって欲しかったかを思い出せばいいことです。とても昔で思い出せない場合は、今の自分に置き換えれば答えが出ます。

 自分に対して相対的に低い立場(時には卑屈になって)からの「おだて」という誉めすぎは、しばらくすれば慢心・傲慢に繋がります。でも、自分の成長を願い、そのため小さな成長を見取ってくれる人。また、その成長を「良い/悪い」という評価ではなく、喜んでくれる人。そんな人の一言は、千万回あったとしても「過ぎる」ことは無いと思います。つまり、「誉める」という行為に着目するのではなく、「何のために誉めるのか?」、「誉められる人・誉める人の関係は?」という視点で見ないと分からないと思います。

追伸 お褒めのメールも、それにおごれば慢心・傲慢に繋がります。自戒自戒。でも、色々な障害と戦っている今の自分にとっては勇気づけられるメールです。

01/09/17(月)

[]ご降誕 15:08 ご降誕 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - ご降誕 - 西川純のメモ ご降誕 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 毎年、この時期になると、「9月14日」は何の日か知っている?という質問を授業の最初にします。答えられないと、「ある偉大な方がお生まれになった日だよ」とヒントを出します。このあたりになると、私という人間がよく分かっている学生さんはニヤニヤします。答えは、私が生まれた日です。

 ところが、今年はこの質問を授業にしませんでした。それどころか、当日になって家内から「おめでとう」という一言をもらうまではすっかり忘れてしまいました。ちょうど息子が風邪をひいた関係で、あたふたしていたためです。当日は、家内手料理(息子の風邪のため時間がなかったと、さかんに謝っていましたが、心のこもったものでした)と、以前、院生のMさんとワインの話をしたとき物欲しそうな顔でいたら恵んでくれたワインありがとう!)でお祝いしました。

 小学校のころから、何度も「21世紀ってどんな時代なんだろう」と想像しました。同時に、そのころ自分は42歳になるが、「42歳ってどんな年齢なんだろう」と想像しました。しかし、21世紀は20世紀の延長上にありました(当たり前です)。鉄腕アトムはいません、でも、色々な便利なものが一般化しました。また、42歳の私は41歳の私の延長上にありますし、18歳の私の延長上にあります(当たり前です)。それなりに変わりましたが(特に、腹の贅肉)、私は私に変わりありません。

 一休禅師は正月を、「門松冥土の道の一里塚、めでたくもあり、めでたくもなし」と詠みました。しかし、私にとっては、家内と息子と一緒に過ごせた、目出度い一里塚です。

[]お願い 15:08 お願い - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - お願い - 西川純のメモ お願い - 西川純のメモ のブックマークコメント

9月12日のメモに書きましたように、「iamjun.com」というドメインを取得しました。それに伴って、ホームページは「www.iamjun.com」になりましたし、メールアドレスは 本ホームページの質問コーナーで紹介しているアドレスになりました。

 旧アドレスに送られたメールは新アドレス転送するように設定しています。従って、旧アドレスを使うことが出来ます。しかし、出来るだけ新アドレスにしてください。第一の理由は、旧アドレス上越教育大学サーバーが管理していますが、そのサーバーは壊滅的に安定性に欠けています。従って、送ったが1,2日(時には1週間)届かないということもおこります。

 第二に、上越教育大学が無くなる可能性があります。そんなバカな、と思われるかもしれませんが、その可能性は低くありません。大学に勤めている方でさえ、あまり危機感があまり無い方が多いぐらいです。ましてや一般の方が知らないのは当然ですが、現在国立大学を巡る状況は激変しています。100年に一度の激変です。数年のうちに、国立大学から独立行政法人移行します。さらに、現在国立大学の半数は統廃合される計画です。従って、上越教育大学の校舎が取り壊されたり、教官がクビになることは無いとは思いますが(無いとは言えませんが)、「上越教育大学」という名前が残るかどうかも分かりません。もしかしたら、「北陸教育大学」なんて出来るかもしれません。そうなれば、現在メールアドレスは使えなくなります。

 ちなみに、私からのメールは新アドレスから発信していますので、返信機能を使えば自動的に新アドレスに送られます。

[]自己モニター続報 15:08 自己モニター続報 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 自己モニター続報 - 西川純のメモ 自己モニター続報 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 9月3日のメモので全体ゼミでの「お願いします」という伝統のことを書きました。9月10日には、それが突然になくなったことを書きました。それに対して、9月10日の発表者であるHさんからこんなメールをもらいました。

『おはようございます

 今朝、西川研究室HPメモを拝見し、大変驚いています。沖縄風にいえば、「でぇーじしかんだ!(西川注 たいへんだ~)」というところです。

 今回「お願いします」のやり取りがなくなったのは偶然だったとみています。昨日は、私のほうがあがっていて、気が回らずに横柄な態度になっていたのかもしれません。正直、忘れてました。謙虚さが足らず反省しています。また、ふだんは「教えていただく」という発表レベルなのに、今回はそこまで達していなかったのも質問者から言葉が消えた一因でしょう。質問者はこれまでの「質問します宣言」ではなく、「じゃ、よろしく」的な軽い合図を送ってくれてました。次回発表ではこの暗黙ルールは復活しているはずです。

 しかしながら、ふと口をついて出る質問は、「質問するぞ」という構えがなく、発表者側が見落としていた部分をつくものが多いように思います。ある程度質問を予想し、構えて発表に臨むわけですが、予想外だったり、シンプルな質問には発表者の本音が答えとして出てしまいます。Koさんのつぶやき質問にはどきっとします。じゃれあいをテーマにすることは、現職としては今までの自分や同僚のやり方に異議申し立てをするような感じです。人によっては自分を否定することにもなりかねません。でも、じゃれあいを考えるときこれまでの教え子の姿がよぎります。あの子達が見せてくれたことを解いてみたい、次に活かしたいと思うとじゃれあいは私にとっては必要なテーマでした。

 それでは、雑感メールになってしまいましたが、「次回は復活する」という予想と5年間の慣習が私のところで途絶えてしまったことへの動揺と反省をお伝えしたいと思います。』

 このメールを受け取ってから、Hさんと話をしました。内容は、以下の通りです。

 Hさんは復活すると言うけど、私はそうは思わないよ。だって、5年以上の伝統がHさんという一人のキャラクターで途絶えることはないと思うんだ。それと、9月10日のメモで、その変化を私が肯定したように読まれるメモを書いたから、それを読んだゼミ生の方は「お願いします」を言わないようになるんじゃないかな~。

 その話をした翌日、実践研究実施のためHさんは沖縄に出発しました。

 昨日の全体ゼミは私は会議のため出席しませんでした(つまり、私もHさんも不在です)。発表者から後から聞いた話ですと、「お願いします」を言う人と、言わない人に分かれたそうです。結果は、Hさんの予想と、私の予想の中間あたりですね(Hさん、沖縄で読んでる~)。私としては「お願いします」という伝統も良いものだと思います。また、さりげなく質問し合うというのも良いものだと思います。結局、どうなるべきかはゼミの中で作り上げるものです。時間が過ぎれば、今回の一連の「メモ」の呪縛(あるかもしれませんし、無いかもしれません)から逃れることが出来ます。その際に成立したものが、その時点で最善なんだと信じています。

[]理想の授業 15:08 理想の授業 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 理想の授業 - 西川純のメモ 理想の授業 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 今、新しい本の原稿を書いているところです。その出だしは、私の考える理想の授業の姿を描きました。簡単に言えば、教師の「出」は殆どない。表面上、いるかいないか分からないが、成績は上がるし、イジメ不登校はないクラスが成立している、という内容です。この原稿を、色々な院生さんに読んでもらっているところです。色々な指摘を受けます。いつも率直にものを言うKiさんから、「先生の理想の授業は、俺の理想ではないですね」と言われました。「それじゃあ、どんな授業が理想なの?」と聞きました。Kiさん曰く、教師と子どもが積極的に関わり合い、高めあっていくクラスを理想としていとのことです。なるほどと直感的に理解できます。しかし、あえて「でも、私の理想の授業も、Kiさんの理想の授業も、子ども立場に立ったら同じように楽しい授業だと思うよ」、「それに、子どもが積極的に関われる場面の多さで考えたら、教師対子どもという状態よりも、子ども同士という関係が主な状態の方が多いと思わない?」と申しました。Kiさんは、「それはそうですが、う~ん~」といって、でも、納得はされていません。

 昨日の全体ゼミは私は会議のため出席していません。現場学校に帰って実践研究を開始されている院生さんもおられ出席されなかった方も多かったようです。その関係西川研究室の世話係(もしくは大元帥閣下)Kiさんから、私及びゼミ生一同に下記のようなメールが来ました。

 「西川先生ゼミの皆様こんばんは。Kiです。本日の全体ゼミは、Mさんが行いました。参加者が少なくKoさん、Kuさん、Sさん、私となりました。西川先生はおられなかったが、Mさんが現場へ出向かれ調査開始されている内容をしっかりと発表され、さらにビデオまで模様が撮られていたのか知らないけど、多くの方が1度ならずも2度・3度もと発言され充実した1時間がおくれました。ありがとうございました。」

 読み終わって「う~ん~」と唸ってしまいました。私がいなくても充実したゼミが成立し、それもいつもより活発だったとのことでした。教師の「出」が少ない理想の授業です(なにしろ教師がいないんですから)。でも、一抹(いや、とっても多くの)寂しさがあります。Kiさんに偉そうなことを言ったけど、やっぱり寂しいな~、と反省することしきりです。よく、「楽しくなければ授業じゃない」という言葉があります。この「楽しく」感じるのは、子どもばかりではなく、教師もです。だって、教師自身が「つまらないな~」、「寂しいな~」と思っていたら、理想の授業は出来ません。だって、「つまらないな~」と思っている教師に、子どもたちに「学ぼう!」という目標を与えるという、教師のもっとも大事な仕事を果たすことが出来ませんから。でも、教師がそのまま「出」てしまったら、結局、元の木阿弥(もくあみ)です。 Kiさんから重要宿題を与えられたようです。今、我々は子どもに着目する研究をやっています。でも、子どもと同じ労力で、教えている教師を分析する必要があるんですね。

01/09/12(水)

[]ドメイン取得 15:10 ドメイン取得 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - ドメイン取得 - 西川純のメモ ドメイン取得 - 西川純のメモ のブックマークコメント

この度、iamjun.comというドメイン名を私個人で取得しました。それに伴い、西川研究室ホームページアドレスhttp://www.iamjun.com/に変わります。また、メールアドレスも、本ホームページの質問コーナーで紹介しているアドレスに変わります。コンピュータ上の設定を上記のように変更することをお願いします。

 私は上越教育大学に勤務していますので、juen.ac.jpという上越教育大学コンピュータ上に、無料ホームページをおくことが出来ます。また、メールアドレスをもらうことが出来ます。しかし、わざわざ料金を払って、私独自のドメインを取得したのには理由があります。

理由1 上越教育大学ネットワークが壊滅的に安定性を欠いています(このことは2001年3月29日のメモに書きました)。さらに、大学当局はこのことを大したことだと考えていない点です。簡単に言えば、「たしかに繋がらないときもあるけど、1、2日待てば繋がるよ」と考えているんです(恐ろしい)。つまり、この状態は当分続くことを意味します。

理由2 大学現在おかれている状況は、100年に1度の激動期です。上越教育大学が5年後に存在しているかも分からない状態です。ましてや、私が5年後に上越教育大学にいるかも分かりません。従って、juen.ac.jpというドメインを今後使えるかどうかは流動的です。今の内に、どのようになっても対応できる体制を整えるべきと感じました。

理由3 自分自身のドメイン名を持っているなんて格好いいでしょ!

理由4 私はあるプロバイダーと契約しています。そのプロバイダーでは、ホームページエリアメールアドレスの提供を基本サービスとしています。このような私の場合、月額680円で、私独自のドメイン名でホームページメールアドレスを維持できます。以前は、その種のサービスの値段は目の玉が飛び出るような金額でした。しかし、最近になって急激に料金が下がりました。さらに、ど素人・入門者用のサービス・値段設定をするようになっています。ホームページ上から必要情報を業者に送り、約1週間で手続き完了です。難しい知識は必要ありませんでした。まさか、ドメイン名取得が、こんなに安価で手軽に出来るとは思いませんでした。

追伸 ある院生さんから「具体的にはどうするの?」という質問を受けました。私が利用している業者はアイルという業者です。私は知りませんでしたが、専門家に聞いたところでは、この種のサービスでは老舗の業者だそうです。ホームページhttp://home.isle.ne.jp/です。

[]ドメイン名あれこれ 15:10 ドメイン名あれこれ - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - ドメイン名あれこれ - 西川純のメモ ドメイン名あれこれ - 西川純のメモ のブックマークコメント

 ドメイン名を決めるには頭をひねりました。まず、「.com」にすることは簡単に決まりました。理由は、「.com」は、初期設定の値段は幾分高いのですが、維持料金が相対的に低く設定されています。長くお世話になる場合は「.com」の方がお得です。さらに、何と言っても「ドットコム」はドメイン名の代名詞ですから。

 名前に関しては、最初はnishikawa.comにしようと思いました。しかし、日本中にいる数十万人いる「西川」さんの中に、私よりそれを早く気づく方は当然おられます。すでに、他の方が登録していました。ただ、負け惜しみですが、nishikawaはあまり言い名前ではありません。理由は「し」のローマ字表記は「shi」と「si」の二通りあるため、間違えやすいという欠点があります。今まで使っていたメールアドレス の名前はnisikawaですが、これを電話で言うとき、かならず「しはshiではなくsiです」という一言を言わなければなりませんでした。

 ミサワホームコマーシャルを見ると330というドメイン名を使っていました。そこで、24kawa.comにしようかなと思いました。こうすれば「し」の問題をクリアーできます。しかし、その程度のアイディアは別の方が気づいていました。どこかのだれかが登録済みです。

 次ぎに名前の「jun」にしようと思いましたが、これも登録済みです。息子の名前にしようかと思いましたが、これも登録済み。どんな会社なんだろう調べてみたら、なんと、風俗系の会社であることにビックリしました。そこで、junに良い意味言葉を付け加えようと思いました(例えばlucky-jun)。しかし、やめました。ラッキー○○という芸名の方が、あまりラッキーではなかったようですし、昔の歌に「幸子」は幸福ではなかったという内容もあります。

 また、アルファベットのLの小文字は数字の1に間違いやすいですし、アルファベットのOは数字の0に間違いやすいです。したがって、アルファベットのOとL、数字の1と0のつく単語は利用できません。そんなことを考えているとき「I am Jun」という言葉が、何故か思い浮かびました。結局、iamjun.comにしました。

 このように書くと1時間程度のことのように思われるかもしれませんが、3ヶ月以上考えた結果です。これだけの労力をかけて名前を考えたのは息子の名前を考えるのに準じるものです。そこで思いついたのですが、ネット時代がもっと進むと、「幸運になるためのドメイン名」という本が出来て、アルファベットの字画で占う本が出版されるかもしれません(いや、もう出版されているかも)。

01/09/10(月)

[]スプーン 15:11 スプーン - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - スプーン - 西川純のメモ スプーン - 西川純のメモ のブックマークコメント

 育児雑誌によれば、息子の月齢子どもの中には、早い子どもはしゃべっているようですが、息子は「うっぶー」(車)の1語です。しかし、焦りはありません。また、早期教育のような特別なことをしようとも思いません。それは、言葉自体は学習ですが、言葉をしゃべることはのヒトの本能だからです。特別なことをしなくても出来るはずです。実際、息子が歩き出したのは平均より遅めですが、特別なことをしなくても、その時が来れば歩き始めました。

 ところが、「スプーン」を使うことに関しては別です。世界中には「手づかみ」で食事を食べる習慣のヒトは何億人もいます。スプーンを使う能力は、明らかに本能ではありません。なんらかの指導しなければと思うのですが、どう教えたらいいのか見当もつきません。考えてみれば、私が「教える」というイメージの殆どは、言葉で説明することです。そのため、言葉が不完全な息子に、どう教えたらいいのか見当もつきません。先輩パパママに聞くと、「いつのまにか出来た」とか、「ほめているうちにやるようになった」とか言われます。でも、「本当なの?」とうのが本心でした。ところが、本当に、いつの間にかやり始めましたし、ほめているうちに巧くなっています。

 ヒトの学び取る能力というのは、本当に恐ろしいぐらいすごいな~と感じています。この分だと、解析学の本を「何気なく」息子の脇に置いて、その本にふれるたんびにほめまくったら、2歳前に微分方程式を解けるのではないでしょうか?もちろん、そんなわけはありませんが。しかし、それぐらいのことを考えたくなるほどヒトはすごいと思います。

[]自己モニター 15:11 自己モニター - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 自己モニター - 西川純のメモ 自己モニター - 西川純のメモ のブックマークコメント

 我々の研究室の全体ゼミにおける自発的ルールがあります。そのルールとは、質問する場合は「お願いします」と手を挙げ、受ける側も「お願いします」と受けるというルールです。別に誰が決めたというルールではないのですが、いつのまにかみんながそのようにしていました。ところが、本日の全体ゼミでは、そのルールが変わっていることに驚いてしまいました。本日の全体ゼミでは、質問者がちょこっと手を挙げ、発表者が指すと、質問者が質問をし始めます。従来あった、「お願いします」。「お願いします」の言葉が消えてしまっています。それも、ごく自然にです。過去5年間以上(もしかしたら10年以上)の我々の研究室暗黙のルールが、消滅しました。それも、ごく自然に。

 考えられる原因は先週の9月3日のメモです。しかし、改めて読んでみましたが、良い/悪いとは書いていません。強いて挙げれば、面白い現象だという程度です。でも、改めて指摘されることによって、ゼミ生の皆さんは、「変だ」と判断されたのではないでしょうか?もちろん、全ての方がメモを読んで、かつ、「変だ」と思ったわけではないと思います。しかし、ゼミ生の集団の中の何人かの方がそう思い、その結果として集団のルールが変更されました。これも一つの「自己モニター」の一種だなと思いました。つまり、教師が良い/悪いと指示をしなくても、ましてや、どうすればいいかという具体的な指示をしなくても、自分自身の姿を見直すだけで変化が起こるんだなと再確認し、人知れず感動してしまいました。

01/09/07(金)

[]気になること 15:12 気になること - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 気になること - 西川純のメモ 気になること - 西川純のメモ のブックマークコメント

 息子は人見知りが激しいようです。知らない大人が近づくと、私の胸に顔を押しつけます。更に近づくと、火がついたように泣き出します。ところが、対こどもとなるとまったく別人です。児童館や土日のジャスコなどに行くと、「きゃっきゃ」言いながら子どもに近づきます。近づいていって何をするかといえば、キスです。(私がしょっちゅう息子にキスをするからと思われます)

 私が気になるのは、1歳4ヶ月の息子が2歳~6歳ぐらいの子どもに近づくと、その子ども恐怖で固まる点です。(それ故に、息子はキスのやり放題になります)その子どもの顔を見ると恐怖がありありと見えます(もちろん、キスをする前で、1mぐらいに近づいた段階です)。息子は可愛い顔をしています(いや神々しいほど、なんちゃって)。その息子がニコニコしながら近づきます。ところが、息子より一回りも、ふた回りも、三回りも大きい子ども恐怖で固まります。いったいなんでなんでしょうか?

 我々ほ乳類には、子どもの「かわいい」特徴に反応し、かわいいと感じる本能があります。例えば、頭が相対的に大きく、丸顔で、目が黒目で大きいなどの特徴です。簡単に言えば、アンパンマンぬいぐるみのクマさんの特徴です。この「かわいく」感じる本能は大人ばかりではなく、子どもにもあります。それゆえに、アンパンマンぬいぐるみのクマさんを子どもが好きになります。1歳4ヶ月の息子は、まさに、この特徴が顕著に現れています。それにもかかわらず、何故?

追伸 本当は、そのまんまほっぽらかせば、しばらくすれば年長の子どもも慣れてくると思います。しかし、恐怖で固まった子どもの親が、我が子の恐怖を見てパニックになっているので、私は息子を他の子どもから引き離さなければなりません。子どもって、本来、ものすごい生命力と適応力をもっているんですが・・・・

01/09/03(月)

[]研究テーマ 15:14 研究テーマ - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 研究テーマ - 西川純のメモ 研究テーマ - 西川純のメモ のブックマークコメント

 我々の研究室では、学びにおける人間関係研究しています。そのため、人間関係に関わる面白い現象はないか探しています。でも、ごくごく身近にもテーマが転がっています。

 昨日は全体ゼミです。発表者のMちゃんが発表し終わった後、修士2年のKさんが質問しました。その後、修士1年のHさん、Mさん、Kさん、Mさんが質問しました。そうすると、修士1年のKさんにみんなの視線があつまりました。その視線に気づき、Kさんは「おれか?」といって質問しました。それが終わると学部学生の質問です。別に学年順に質問するというルールはないのですが、いつの間にかそうなっています。自然発生的なルールは他にもあります。例えば、質問する場合は「お願いします」と手を挙げ、受ける側も「お願いします」と受けます。この受け答えは、おそらく5年以上続いています。これらの中にも、我々の研究室の中の人間関係を探る手がかりがあると思います。

 授業をしても気づくことがあります。20人程度のクラスで授業をすると、殆ど座る席が変わらないんです。社会心理学では、座る席と授業に対する取り組みとの関係を示す研究があります。しかし、そのレベルではなく、本当に殆ど座る席が変わりません。もっと凄いのは、内の研究室に所属するゼミ生の、私の研究室内のイスに座る席です。2年生の最後に、所属希望の2年生が私の部屋に来て、「3年生、4年生の卒研でお世話になります」と私の研究室挨拶に来ます。その時に座る席が、その後の2年間で全く変わりません。

そこらじゅうに研究テーマがあります。

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 昨日のMちゃん(学部4年生)は、ゼミ発表で面白いことを教えてくれました。彼女テーマは、スケッチ場面における学び合いの実態分析です。子どもたちがスケッチをしているときに、教室内でどんな会話をしているかを彼女は記録し、分析しています。それによると、子どもたち同士が話し合っている場合、「これどう書けばいいの?」、「こんなの見えなかったんだけど?」のような書き方、見方を聞く内容だそうです。ところが、先生には、「これでいいですか?」と「いい/悪い」を聞くばかりで、子ども同士のような、どうしたらいいかに関する質問が無いそうです。

 これを聞いて思い出したことがあります。うちの研究室に所属される院生さん、学生さんが最初に研究計画レポートを持ってくるとき、大抵、「これでいいですか?」と私に聞きます。それに対する私の答えは、「君はいいと思うの?」と聞き、そうだというと、「だったら、それでいいんじゃない」とレポートを全く読まずに答えます。そうすると、不安なった院生さん、学生さんは、「先生、いいんですか?」と再度聞きます。それに対しては、「君がいいと思うんだったら、それでいいじゃない?」、「もし、これこれのところが分からないから聞きたい、とかなら相談にのるよ」と言います。

 私としては、あなた任せの研究ではなく、主体的な研究であって欲しいと願っています。だって、「1+1」はいくつかに関しては、自信を持って答えられるけど、「この方法でうまくできるか」なんて私も分かりません。お勉強研究の違いは、前者が既に分かっていることを学ぶのに、後者は誰も分からないことを見出す点です。だれも分からないことを、神様でもない私に分かるわけはありません。せいぜい、相談にのる程度のことです。

 1年もたつと、院生さん、学生さんも慣れたもんです。思わず、「目を通してください」なんて私に言えば、レポート用紙を目の中に押し込むような振りをして、「目を通したよ」といってレポートを突っ返すことにもなれてきます。うちの研究室とは、「いかに指導教官に頼れないか」を学ぶ研究室とも言えるでしょう。