西川純のメモ このページをアンテナに追加 RSSフィード

西川純です。新潟県上越市の上越教育大学の教育実践高度化専攻(教職大学院)で『学び合い』を研究しています。諸般の事情で、このブログのコメントは『学び合い』グループのメンバー限定です。メンバー登録は、いつでもOKです。ウエルカムです。なお、メールはメンバー以外にもオープンですので、いつでもメールください。メールのやりとりで高まりましょうね。メールアドレスは、junとiamjun.comを「@」で繋げて下さい(スパムメール対策です)。もし、送れない場合はhttp://bit.ly/sAj4IIを参照下さい。西川研究室はいつでも参観OKです。 詳細は http://www.iamjun.com/をご覧下さい。 もし『学び合い』グループに参加される場合は、 http://manabiai.g.hatena.ne.jp/をご参照ください。
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01/04/25(水)

[]師恩 22:21 師恩 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 師恩 - 西川純のメモ 師恩 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 昨日、大学に家から急な連絡がありました。内容は、○○さんという方から大きな荷物か届いたとのこと。家内が開いてみると、超りっぱな五月人形。宛名は私の息子の名前とのことでした。○○さんとは、私が高等学校で教えてもらったA先生のことでした。びっくりして、帰宅後に人形を見たら、本当に立派な人形でした。鯉のぼりは妻の実家から送られていたので、息子の初節句の用意は、これで万全となりました。夜電話したところ、「あんな年賀状を送られたからな」とサラリといわれてしまいました。今年の年賀状は、親馬鹿丸出しの子ども写真でした。それから、いろいろと電話で話しました。その先生は、とても大変な学校にお勤めです。しかし、電話での話では微塵もみせず、さらり、さらりと話されます。昔のまんまの声、私の近況の話ばかりでした。そのときはガハハと笑い通しでしたが、受話器を置いた後、私には40を越えても「先生」といえる人がいるんだと思うと涙が止まりませんでした。

[]弟子恩 22:21 弟子恩 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 弟子恩 - 西川純のメモ 弟子恩 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 昨日、学部学生からメールが来ました。内容は、卒業研究の近況報告です。色々書いていましたが、その中で

長野へ調査に行くときは、Kさんのおうちに泊めていただき、埼玉に調査に行くときは、Aさんのおうちに泊めていただけるかもしれません。

私は、たくさんの人に協力してもらい、迷惑をかけ、無理を押し付けながら、それでも、好意的に理解してくださる人達のおかげで、こうして、のほほんと研究ができるのだと

改めて、痛感しました。調査を始めるにあたり、自分の未熟さを実感しています。先生が前に、「人脈が大切」と話されていましたが、本当にそうだなあと最近強く思います。お金では買えないし、でも、生きていく上でとても大切なものだと思います。

 Kさんとは現院生で、Aさんとは2年前に修了されたOBのことです。その学生研究は、課題を与える際に、身近な他者を意識化させる方法の有効性を明らかにする内容です。そのために、一定の授業を現場先生にお願いし、その様子をビデオテープレコーダで記録し、その後にインタビューをします。その学生には、その研究意味と、そこから明らかにされることに関して議論しました。しかし、実施方法の段階になると、「AさんやKさんに相談しな」と言って、おまかせです。しかし、OBのAさん、現院生のKさんは、指導教官の替わりに細かな研究方法の相談、現場学校での調整を一手にやってくれます。また、私は学生に、「うちの研究室では、その授業のその場にいなければならないよ」、「その場にいて、感じるものが大事なんだよ」と無責任に言いました。私としては、調査実施校近くのビジネスホテルに泊まればいいんだ、と高をくくっていたら、メールにあるようにAさん、Kさんの家に泊まらせてもらうことになっているようです。

 でも冷静に考えれば、現場先生学生の考える授業方略で授業展開をお願いし、手間のかかる記録方法をお願いし、さらに、その期間中宿泊をお願いし、なんて他の大学では無理無理なことです。ところが、そんなことをお願いしているのは、この学生だけではありません。あとの二人も同様です。特に一人の学生の場合は、既に3ヶ月間という長期にわたって、一定の授業方略で3人の先生方に授業をお願いし、記録記録をさせてもらいました。

 研究上、必要なことがあれば、OB電話メールでお願いすれば、直ぐ解決します。その他、うちの研究室の、殆ど全てのことは院生さんにお任せします。つまらないことでは、学会に行ったときの宿泊、飲み会の設定は院生さんの中のコンパ係にお願いしています。うちの研究室研究成果の編集及び発送も係りの方にお願いしています。その他、その場、その時におこる様々なことに関して、院生さんに「お願いします」で解決できます。つくづく、院生さんのおかげで成り立っている研究室だなと感じます。

01/04/20(金)

[]男の更年期障害 22:23 男の更年期障害 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 男の更年期障害 - 西川純のメモ 男の更年期障害 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 私がはじめに老化を感じたのは、二十歳の頃です。それまでは毎年、毎年、身長が伸びていたのに、その伸びが止まってしまいました。その次は三十の頃です。それまで毎日7合~1升の酒を飲んでいましたが、ついにアルコール性肝障害で1ヶ月入院しました。その次は、三十五歳ぐらいの頃です。現在も頭髪に白髪もなく、後退もないのですが、そのころに鼻毛白髪を見つけて愕然としました。だいたい、5年から10年ごとに老化を感じていました。しかし、このところ急に老化を感じることが続いています。第一に、酒量です。このごろ格段に弱くなったようです。第二に目です。息子の離乳食の熱を冷ますため、スプーンに息を吹き吹きするとき気づきました。息を吹きかけるために、口元に近づけたスプーンがぼやけて見えません。老眼です。物の本によれば、30cmぐらいがはっきり見えるならば大丈夫だと書かれていました。今のところ20cmぐらいまではOKですが、確実に進行しています。老眼の「老」という言葉があるので、ショックです。

 私が大学に勤め始めたのは27歳の時でした。そのころ私ぐらいの先生からは、男の厄年(数え年で42)は男の更年期障害だと聞きました。その頃は「ふーん」と聞き流していましたが、本当でした。

 気持ちの中では変わっていないのですが、確実に年はとっています。客観的には中年なのに、自分では「そうではない」と無駄な抵抗をします。きっと神様が「無駄な抵抗をするな」とだめ押しをしているのかもしれません。でも、「神様、もうちょっと待ってくださいね」とお願いしています。

[]こしあぶら 22:23 こしあぶら - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - こしあぶら - 西川純のメモ こしあぶら - 西川純のメモ のブックマークコメント

 昨日の夕食に「こしあぶら」を食べました。こしあぶらはあまり知られていませんが、タラの芽と同じで、新芽の部分を食べます。料理法も同じで、天ぷらが一般的です。あまり一般的ではないですが、タラの芽より美味です。味はタラの芽に似ていますが、春菊のようないい香りがします。タラの芽はよく知られているので、学内のタラの芽は清掃のおばさん達に朝早くに採られてしまいます。しかし、タラの芽はあまり知られていないので、地元の人は誰も採りません。30分も学内散歩しながら採っていると、袋いっぱいとれます。高田公園の桜が葉桜になり始めの時が狙い目です。

[]講義をしながら思い出したこと 22:23 講義をしながら思い出したこと - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 講義をしながら思い出したこと - 西川純のメモ 講義をしながら思い出したこと - 西川純のメモ のブックマークコメント

 今日は2年生に対する講義の日です。この講義では「なぜ、理科は難しいといわれるのか?」という私の本をベースにしています。今回は第2章の「そんなこと知っているよ!」の部分です。その中で、朝顔の成長は、観察記録を取りながら観察しているにもかかわらず、あまり記憶に残らないことを示しながら、「君らならどうやって指導する?」と聞き、班で話し合わせました。「なぜ・・」の内容は、個人の認知に着目する研究ですので、最終的には「自分がいかに知らないかを意識化させる」方法の有効性でまとめるつもりでした。ところが、意外なことに全ての班の最終的な方法は、朝顔の成長を劇にして発表させる(紙芝居にして発表させる)というものでした。

 そこで、急遽「なぜ・・」のレベルを超えて、「学び合う教室」のレベルの話に発展させました。彼らに、「なぜ、劇にしたら有効だと思ったの?」と質問しました。答えは「興味がわくから」でした。そこで、「なぜ、興味がわくの?」と質問しました。答えは、「ただ見るだけではなく作業をするから」でした。そこで、「でも、普通の授業でも絵日記などの観察記録という作業をさせるよ、作業させれば有効だったら今のままでいいはずじゃない?」と質問すると、誰も答えられなくなりました。そこで、「私は他の人と関わっているからだと思うんだけど」、「劇や紙芝居は、他の人に見せることを前提にしているよね」、「それに、劇や紙芝居グループでやるよね」、「そんな他の人との関わり合いの中で、朝顔を観察することが重要なんだという意識、もしくは文化が出来るんだ」、「そのような文化の中では朝顔の成長を忘れることはないと思うよ」、「従来は、個々人の頭の中を知ることによって、個々人の学びをよくしようと思っていたんだ、でも、私の研究室では、子ども達の集団を知ることを知ることによって、個々人の学びをよくしようと思っているんだよ」と説明しました。

 実際は15分程度、いろいろな身近な例を挙げながら説明したものでしたが、要約すると上記の通りです。この話をしながら、「なぜ・・・」に書いてある研究をした当時の私自身が、今日、私が学生さんにした質問されたら何て答えるんだろうな、と考えていました。すごく遠い過去のような気がしますが、せいぜい5年前にすぎません。

01/04/19(木)

[]院生さんの贅沢な悩み 22:25 院生さんの贅沢な悩み - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 院生さんの贅沢な悩み - 西川純のメモ 院生さんの贅沢な悩み - 西川純のメモ のブックマークコメント

 学習臨床コースには「教育方法臨床分野」、「学習過程臨床分野」、「総合学習」、「情報教育」の4つの分野があります。受験の際は、4分野ばらばらの試験があるのではなく、学習臨床コースの試験があります。現在、所属する研究室、分野を決めるため、院生さんは悩んでいる最中です。

 上越教育大学の多くは、入学以前に面接試験の際の内容を元に、教官会議の中で指導教官が決定される場合があります。また、完全に決定ではなくても、有る程度決定するコースもあります。たしかに、入学試験以前に、十分に調査し、大学教官メール面談等を行っている方は、面接の際も方向性がはっきりしています。そのような方の場合は問題がありません。ところが、多くの受験生の方の場合は、あれよあれよという間に大学院派遣が決まり、あれよあれよという間に試験と言うことになります。そんなときの面談結果によって、入学後2年間所属する研究室が決められたらたまったもんではありません。そのため、学習臨床では、入学後、1ヶ月をかけて所属する研究室・分野を決めます。どんな分野の教官であっても、その教官が承諾すれば、その研究室に所属し、その教官の所属する分野に所属することになります。事前に、面談メール等のやりとりのある院生さんは、入学後、直ちに所属する研究室を決めます。しかし、それ以外の院生さんは、各教官面談をしながら悩んでいる最中です。

 私の所にも、「先生につきたいのですが、別な研究室もおもしろそうで困ってしまいます」と相談に来る院生さんがいます。その人に対しては、次のように話します。

 今、決められなくて悩んでいるけど、決める権利も無いコースもあるんですよ。入学すれば、表の情報ばかりではなく、裏の情報も先輩院生から聞くことが出来ます。そのような様々な情報にもとづいて決められるのは、まさに「権利」なんです。指導教官を決めるということは、「恋人」を決めることと同じです。失敗したら、ブルーな2年間になります。2年間、信じて一緒にやれる人を捜してください。だから、悩むのは当然です、「もっと、もっと悩んでください。」。それも、つきたい先生がいないという悩みではなく、つきたい先生が多いという悩みです。贅沢な悩みだと思いますよ。嘘だと思ったら、知り合いの院生の方に聞いてみてください。

[]花見 22:25 花見 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 花見 - 西川純のメモ 花見 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 今年の花見は17日に行いました。ちりはじめでしたが、なんとか間に合いました。といっても、花見の間中、酒とつまみ(各人一品持ちより)を飲み食いしながらワイワイしただけで、私は桜を見上げることはしませんでした。お一方が、散った花びらをお酒のグラスに入れて飲んでいるのを見て、あわてて花見であることを思い出しました。

 妻や息子も最初だけ参加させていただきました。院生さんから、「かわいいお子さんですね」なんていわれると親ばか丸出しになってしまいます。例年は6時開始です。しかし、日没すると直ちに冷え始めるので、今年は4時開始にしました。しかし、沖縄出身の新院生さんにはかなり寒かったようです。私は7時に帰宅しましたが、院生さんたちは2次会、3次会に行き、最後の方は12時半頃の帰宅だそうです。あさ院生さんの部屋に行きましたら、幹事をやっていただいた院生さんが気持ち悪そうに寝ていました。曰く、「先生がいないので、身を挺して盛り上げてたんです」。それに対して、「他の人と関係なく、自分一人で盛り上がったんじゃない」という失敬なことをいいましたが、すみません、「ご苦労様でした」。今年も、つつがなく花見が終了しました。

 花見が終わると、本年度の研究の本格的な開始です。

01/04/16(月)

[]ピアジェの功罪(S先生コメントに応えて) 22:26 ピアジェの功罪(S先生のコメントに応えて) - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - ピアジェの功罪(S先生のコメントに応えて) - 西川純のメモ ピアジェの功罪(S先生のコメントに応えて) - 西川純のメモ のブックマークコメント

 宮城県のS先生から西川研究室ホームページの「メモ」の「我が子は天才児?」を読んだ感想として、「ピアジェのいっていたことが誤りであろうと,書いてあるのを見て,自分もかねてからそう思っていたので,ああそうなんだと思いました。しかし,それを実証するには,きちんとしたデータを取っているわけではないので,難しいなあと思っていました。」というコメントをいただきました。このあたりのことを補足のためメモを書きました。

 最初に強調したいのは、ピアジェ理論は全て否定されているわけではないことです。人間が主体的に知識・能力を高めていくという彼の基本理論は未だに健在です。彼が活躍した時代は、物理学の方法論を人間研究に単純に適用しようとした心理学研究(例えば条件反射理論など)が真っ盛りの中でした。その時代の中で、人間主体性や複雑性を前提にした研究を進めた点は、心理学研究史の中で特筆すべきものです。現在認識論の多くは、そのルーツをたぐればピアジェにつながるといって過言ではないと思います。

 しかし、少なくとも我々が学んだピアジェ理論は、現在はありません。ピアジェ理論問題点は、文脈依存性(もしくは領域固有性)を考慮していなかった点です。簡単に言いますと、ピアジェ理論では、どんな状況でも使える能力が一般的であると考えていました。しかし、現在では、我々の能力は、おかれた状況に強く関係することが知られています。

 計算能力を例に、具体的に説明しましょう。小学校以来、我々は計算を勉強します。1桁の足し算、二桁の足し算、引き算、かけ算、わり算を算数で勉強します。ある子どもが20+32を52と計算できたならば、それはお金の計算(20円+32円)でも、長さの計算(20cm+32cm)でも、計算の内容に関わらず計算できると考えがちです。それは、計算能力という一般的な能力があると考えているからです。ところが、実際はそうではありません。

 私がやった実験ですが、同じ計算問題を、数学理科社会の問題に置き換えて同じ子どもに解かせてみました。その結果数学では計算できるのにも関わらず、理科社会では計算できない子どもが少なからずいました。また、ブラジルの市場でものを売っている子どもに関して、おもしろい報告があります。その報告によれば、それらの子ども学校に行っていないので、数学の計算は出来ません。ところが、その子どもは、自分自身が普段売っている物の代金の計算は、極めて速く・正確に出来るそうです。つまり、世の中には「数学の時間の計算能力」、「理科の時間の計算能力」、「社会の時間の計算能力」、「市場での計算能力」・・・という別々な能力があるわけです。このような現象を、文脈依存性(もしくは領域固有性)と呼びます。認知心理学では、多くの知識・能力の文脈依存性を調査しました。その結果現在では知識・能力は一般的に文脈依存性をもつことが明らかになっています。

 ピアジェはこの文脈依存性を考慮していませんでした。そのため、ピアジェ実験した状況で子どもが課題を解けない場合、それに関する能力は無いと判断しました。ところが、1960年代以降、ピアジェ理論では出来ないはずの子どもが、楽々と課題を達成することが明らかになりました。方法は簡単です。ピアジェ学派の人たちがやっていた実験(統制された実験室的実験)を、子ども達が普段やっている状況に近い状態で課題を解かせたんです。今では、ピアジェの発達段階で指標となる様々な能力(例えば保存性や脱自己中心性)などは、極めて早い段階から持っていると考えられています。

 ピアジェ理論問題点はもう一つあるように感じています。それは、ピアジェ責任ではなく、教育関係者責任です。ピアジェ自身は、自分の理論教育に簡単に適用できないと考え、注意深く教育と自身の発達理論を分けていました。ところが、カリキュラム改革(私の小・中・高校時代の指導要領にも影響を与えています)の際、その指導理論としてピアジェ理論が採用されました。ただし、採用されたこと自体が問題なのではなく、教育関係者ピアジェ理論の使い方に問題があったように感じます。教育関係者ピアジェの発達段階説を利用する際、多くは「これこれだから、この段階の子どもには分からない」という使い方でした(かくいう私自身もその一人です)。つまり、「教えられない、分からせられない」ことに対する免罪符として、ピアジェ理論を使っていたように感じます。

 教育に必要な理論は、出来ない理由を明らかにする理論ではなく、出来る方策を示す理論であるべきだと思います。少なくとも、「出来るかもしれない」と教師に夢を与える理論でなければならないと思います。

01/04/10(火)

[]学習臨床コースの通信簿 22:28 学習臨床コースの通信簿 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 学習臨床コースの通信簿 - 西川純のメモ 学習臨床コースの通信簿 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 4月10日に入学式がありました。今年入学する院生さんは、学習臨床コースとして最初から募集した、初めての試験合格された方々です。人数は60人で、全学入学者239人の25%を占めます。さらに、現職者は45人で、全学での現職者127人の35%を占めます。たった一つの学習臨床コースに、これだけ多くの方々が入学しました。

 これは学習臨床コースのコンセプトに対する、現場ニーズを示すものです。しかし、あくまでもコンセプトに対する評価です。これからは、そのコンセプトに対して、我々学習臨床コースの教官一人一人が対応しているか、いないかという厳しい評価が始まります。(怖い!)

01/04/09(月)

[]担任拝命 22:29 担任拝命 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 担任拝命 - 西川純のメモ 担任拝命 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 4月9日は学部における学習臨床コースの発足の日です。

 従来は、入学した当初よりコースが決められていました。ところが平成12年度からは、1年生ではコースは分けられません。2年生に進級する段階で、希望と成績をもとに振り分けられます。学習臨床コースは平成12年度より発足した新コースですので、本年度になって、新2年生22名を初めて受け入れることになりました。

 私は、その第一期生の担任になることになりました。高校で担任をして以来、15年ぶりです。これから彼らとは3年間のつきあいになります。彼らには、学部・学習臨床コースのアイデンティティと文化を創り出すという大きな役割があります。具体的には、今年の新入生に、「学習臨床コースって、どんなコースですか?」という質問に答えなければなりません。また、学習臨床コースの教官との野球大会等のレクリエーション企画してもらいたいと思っています。来年の4月には、それらの新入生を後輩として受け入れることとなります。そうなれば、新歓コンパ企画しなければなりません。そして、卒業の段階では、どのような進路に進むかという方向性を示してほしいと希望しています。それらは、全て、学習臨床コースのコンセプトに沿ったものであればと希望しています。

 彼らには、とてもとても大事な任務があります。担任として、彼らの邪魔にならないようにしなければなりません。できれば、彼らがやらねばならない任務を、彼らが義務と感じるのではなく、天与の権利と感じるよう、3年間の長いつきあいをしたいな~。

01/04/07(土)

[]観桜会 22:31 観桜会 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 観桜会 - 西川純のメモ 観桜会 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 今年も例年通り、観桜会が高田公園で開かれます。期間は4月7日~22日です。つまり、本日からです。

 私の住んでいる公務員宿舎は高田公園の中にあります。そのため、ベランダからは高田公園の桜が一望できます。3、4日前にお堀沿いにボンボリが飾られ、一昨日あたりから屋台の人が来始めました。このころになると、「桜が咲き始めましたか?」という書き出しの、OBからのメールが届くようになります。しかし、桜のサのけはいも観じられません。本当に、数日中に花が咲くのか?と思いました。

 今日高田公園を見ると、薄赤色がかっていました。これは、つぼみが赤みを帯びた証拠です。高田公園中の桜のつぼみが色づくので、公園全体が薄赤みを帯びます。桜の木にはちらほら花が見られます。気象台は今日開花宣言を出しました。15日が満開だそうです。

 西川研究室お花見は、開花の週から次の週の間の、天気で(出来れば夜から曇天で放射冷却のない日)に予定しています。幹事の人は、毎日、週間天気予報ゼミ生(そして私)の予定とを調整しなければなりません。宜しくお願いします。

[]日本三大夜桜 22:31 日本三大夜桜 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 日本三大夜桜 - 西川純のメモ 日本三大夜桜 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 高田城の夜桜は「日本三大夜桜」だと地元で言っています。しかし、この「日本三大○○」というのは曲者(くせもの)です。大抵の場合、三つの内二つは誰しもが納得できるもので、あと一つは「お国自慢」(ひいき目)というのが多いように思います。確かに、高田城の夜桜は賑わいますし、とても綺麗です。しかし、ひいき目かなと感じていました。ところが、本年(平成13年)の4月10日に「上越高田城址の夜桜」という80円切手が発売されます。西川研のお花見をいつもやる場所からの櫓が図柄です。まんざら、日本三大夜桜というのは嘘ではないと感じました(これもひいき目ですが)。

01/04/04(水)

[]お客様は怖い 22:33 お客様は怖い - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - お客様は怖い - 西川純のメモ お客様は怖い - 西川純のメモ のブックマークコメント

 定時制高校に勤務したときに、色々なことを学びました。その中でも、最も重要なことは、学習者はお客様で、お客様はとても怖いということです。

 自分自身が、児童・生徒だったときは、先生に対する愛着がある一方、恐ろしい存在でもありました。もし逆らったりしたら、「○○される」(自由に想像してください)とビクビクものでした。その経験から、自分が先生になったとき、「○○すること」は教師の天与の権利と思っていました。ところが教師になってみると、自分が児童・生徒の時に恐れていた教師の権利は、実は何もないということに気づきました。仮に、そのような権力を振るった場合、正当なプロセスで法的に訴えられれば、かなり不利です。さらに、訴訟が起こった場合、仮に最終的に司法上は勝ったとしても、訴訟が起こったという段階で、実質的には「負け」となります。私は中学校3年間の出席日数の総計が10日以下の生徒(内申書にはそう書いてありました)を教えたことがあります。そうなると、中学校では、「出席しない生徒を進級させない」ことも出来ないんですね。

 平均的な学校だったら、教師が権威を振りかざせば、児童・生徒の時の私と同様におとなしくなるだとおもいます。ところが、定時制高校の場合、私が権威を振りかざしても、「へ」とも思ってくれません。そうなると、権威を振りかざした手の下ろし所を見つけだせず、極めて滑稽な状態になります(本人にとっては地獄ですが)。高校に勤めた最初の年の1学期の私がそうでした。

 私を含めて、それ以降の経過は以下のようになります。まず、初期症状は職員会や職員室でのお茶飲み場、また、飲み会で、生徒に対する悪口が多くなります。また、自分の正当性を過剰に主張します。本人は、必死なんでしょうけど、有能な教師から見れば「私は無能で~す!私のクラスでは授業が成立してませ~ん!」と大声で宣言しているようなものです。第三者には滑稽の極みです。次の段階では、結局、いくら主張しても無駄で、自分の負けが動かしがたいことが明らかになります。そうなると、「自分は負けていない」と思いこむ自分という殻に閉じこもってしまうタイプ、異常に生徒に卑屈になってしまうタイプがあるようです。

 幸い、私は最終段階に至る前に踏みとどまることが出来ました。これは先輩教師のおかげです。生徒の悪口や、自分の正当性の主張をするようになった段階で、先輩教師が私の状態を察し、やんわりと救ってくれました(つまり、私のプライドを傷つけないように)。

 冷静になって考えれば明らかです。教師の権威は、子ども達が権威があると認めるから存在します。その権威の源泉は、その先生に教えてもらうと面白いし、分かるということだと思います。従って、面白くないし、分からなければ、どうしようもありません。結局、最終段階前にやったことは、権威を振りかざした手をとにかく下ろすことです。方法は、「勝った・負けた」の次元で考えることをやめました。そして、それまでのことは忘れて再出発しました。それからは、一人でも多くの生徒に面白く、分かる授業をするように心がけました。また、生徒に対しては、卑屈にならず、かといって権威を振りかざしません。教えるという役割を、出来るだけ誠実に果たすだけです。そうこうするうちに、クラスの大多数が支持してくれるようになりました。そうなると、クラスの支持というものが教師の権威となりました。そうなると、ことさら権威を振りかざす必要は全然ありません。繰り返しますが、本当に先輩教師の方々には感謝しています。

 今は大学の教師です。が、定時制時代の「あの状態」の恐ろしさを忘れることは出来ません。

[]大学院入院の利点 22:33 大学院入院の利点 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 大学院入院の利点 - 西川純のメモ 大学院入院の利点 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 大学院にはいると色々なものが学べます。「大学教官」という世にも奇妙な生き物を学ぶこと出来るというのも一つです。

 大学の学部時代は、大学先生は「なにか凄い」人のように私には見えました。ところが、大学院に入学すると別な面が見えてきます。学部時代は、大学先生は「先生」として学生に接します。また、接触時間も限られたものです。ところが、大学院にはいると、「研究仲間」、もしくは「研究の後輩」として学生に接してくれます。また、接触時間も長くなります。その結果として、大学先生普通のオッサン・オバハンであることが分かります。それも、極めて単純で、ある意味子ども的なオッサン・オバハンです。

 また、学部時代は全ての大学先生が、その道の権威のように私には見えました。ところが、自分自身で色々な文献を読んだり、学会に参加したりすると見え始めます。大学の中では、胸をはって歩いている先生が、学会ではそうでもなかったりします。逆に、貧相なオッサンと見えた先生が、実は学会では一目置かれる先生だったりします。また、普段は馬鹿話しかしない先生が、論文では格調高い内容を書かれていることに驚くことがあります。言っていることと、やっていること。学生に見せている姿と、社会における評価のギャップに気づきます。

 しかし、それらの先生方の長所欠点、得意・不得意を知った上で、大学先生とは「かわいい」存在であることに気づきます。

追伸 以上は、私の場合です。今の学生さんは、学部時代に見切っているのかもしれません。(怖い)

[]綿1kgと鉄1kg 22:33 綿1kgと鉄1kg - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 綿1kgと鉄1kg - 西川純のメモ 綿1kgと鉄1kg - 西川純のメモ のブックマークコメント

 「綿1kgと鉄1kgのどちらが重いか?」という問題を聞いたことがあると思います。持ち上げられるレベルの重さの場合、我々が体感する重さは、質量よりも密度が影響します。そのため、鉄1kgのほうが重く感じます。しかし、「両方とも1kgだから重さは同じ」というのが、この問題の落ちです。しかし、本当でしょうか?そもそも「重い?」と聞いたときに聞いた重さとは、慣性質量でしょうか、重力質量でしょうか?我々が「重い」と日常で用いる重さとは、重量質量です。水の中にものがあるときには、浮力が生じます。その浮力は、体積が大きくなると大きくなる性質があります。実は、空気中にあっても、空気からの浮力が生じます。その場合、密度の小さい(すなわち体積の大きい)1kgの綿の方が大きな浮力を受けます。従って、綿が軽いというのが正確な答えとなります。しかし、鉄は酸化するということを考えるならば、鉄の方が重いというのが答えとなります。

 それでは「綿1kgと鉄1kgのどちらが重いか?」の本当の答えは何なのでしょうか?実は、「綿1kgと鉄1kgのどちらが重いか?」という問題には曖昧部分(例えば「体感的な重さ」、「慣性質量」、「重力質量」のいづれか等)があります。従って、本当の答えなどはないんです。ところが、「重さの重い振り子と軽い振り子の周期はどちらが早いか?」と質問し、「周期は同じである」という物理法則を自信を持って教えてしまいます。しかし、周期が同じになるためには、空気抵抗を無視し、振幅の幅が無限小であることを仮定しなければなりません。実際の状態では「周期は同じではない」が正しい答えだと思います。このような無理な仮定を求めているのは理科のみではありません。例えば、「5つの飴を3人で分けたとき、一人当たりは?」で、5/3という答えを出します。しかし、今までの生涯で、こんな分け方をした方がいます?おそらくは、二人が2個で一人が1個と分けた方が多いのでしょう。

 つまり、学校では「なぞなぞ」を教えているのかもしれません。

01/04/03(火)

[]事務官の人は凄い 22:35 事務官の人は凄い - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 事務官の人は凄い - 西川純のメモ 事務官の人は凄い - 西川純のメモ のブックマークコメント

 高校教師だったときの話です。職員室のお茶飲み場では、子どもたちに関するうわさ話でいっぱいです。私が「○○は授業中にこんなことをしたんだ」と話しますと、先輩教師から、「○○は昔はこうだったんだ」という話が出ます。また、以前の担任からは「○○の親と話したとき、こんなことを言われた」という話が出ます。さらに、その地元にすんでいる先生は、「実は、○○の親は、昔は△△で、これこれなんだよ」なんていう話もでます。そんなこんなで、○○のうわさ話で盛り上がります。

 ところが、大学教官になって、このてのうわさ話で盛り上がることは殆どありません。なによりも、学生の個人名を知らない先生が多いんです。なかには、2年間つきあった卒業研究の指導学生に、卒業時の謝恩会で「君の名前はなんだったけ?」と質問する猛者(もさ)もいるんです。

 教育実習の際に、各学校学生が配属されます。その「学生-配属校」の対応関係や、だれが配属校での実習長になるかなどを見ると、「学生のことを知っているな」と思います。でも、この配属は、事務の方が、「事務的」に処理されていると聞いています。

 私は全学必修の授業を担当している関係で、自コース外の学生さんとつきあうことが多いです。学生さんの中には、欠席が多く、単位を出せない学生さんもいます。その学生さんのことを聞く場合は、教官ではなく事務の方に聞きます。質問すると、たちどころに何県出身で、どんな学生さんであることを教えてくれます。私が、その学生さんはこうだったというエピソードを話しますと、その事務官からは、興味深いエピソードを教えてもらえます。そんな瞬間、高校の職員室でのお茶飲み場を思い出します。事務の人は偉いナーと感じる一方、何か変だナーと感じます。

[]お世話になっています 22:35 お世話になっています - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - お世話になっています - 西川純のメモ お世話になっています - 西川純のメモ のブックマークコメント

 高校教師だったとき、事務の方と給食の方には、本当にお世話になりました。事務の方には備品管理、通勤手当など、こまごまとした諸届けの方法を、根気よく教えてもらえました。定時制高校は夕食があります。夜の11時頃に帰宅するとき、事務室によると、給食の方がお弁当を預けてくれています。脂っこいものが好きな私は、カツが給食にでるとウキウキです。その顔をみた給食の方が、余ったカツや、その他の食材をタッパーに入れてくれます。その他、カレーシチューのような液体もの以外の時は、大抵の場合、タッパーに詰めてくれます。帰宅後は、それが私のつまみになります。

 新採用・若手教諭は5人ほどいましたが、お弁当をもらっていたのは私一人です。「給食室のアイドルだ!」と、教頭には自慢していました。実際は、食いしん坊に見えたのかもしれませんが。

 大学には給食はないので、高校のようなお土産はありません。しかし、いまでも事務の方にはお世話になります。会議で分からない法の規定など、直ぐに事務の方に質問します。とても面倒くさい内容だと思うのですが、懇切丁寧に説明してくれます。同じような質問を何度しても、いやがらず、その度に根気よく説明してくれます。そのような説明を聞くと、会議金科玉条のように語られ法の規定の、本当の意味がよく分かります。

 私としては、何で事務の方は、あれだけ懇切丁寧に、かつ根気よく教官に対応できるのか不思議でした。でも、このごろ分かりだしました。教官の方は、事務職員を利用しているように思っているのですが、本当は、事務職員の方は、わかりの悪い駄々っ子教官を、何とか調教しているのかもしれません。

01/04/02(月)

[]コンパの会費を払うとき 22:37 コンパの会費を払うとき - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - コンパの会費を払うとき - 西川純のメモ コンパの会費を払うとき - 西川純のメモ のブックマークコメント

 コンパ会費の相場にはだいぶ開きがあるようです。学生さんのコンパ相場大学教官達のコンパ相場院生さん達のコンパ相場(ちなみに、この順番で高いようです)はまちまちです。ゼミコンパには、学生さん、院生さん、そして私が参加します。院生さんが幹事の時は、学生さん達のコンパとは場所も違いますし、結果として会費も違います。そのため、ごくごく稀ですが、「え~、そんなに高いの」と言う学生さんがいます。そんな場合、その学生さんを隅に呼んで、こんなことを話します。

 交渉して値段が変わる可能性があるなら、それを主張することは意味があるよ。でも交渉しても変わらないのなら、にこっと笑って「ご苦労様でした」と言って会費を払った方がいいよ。文句を言っても、払う金額は変わらないのに、文句を言うことによって君がケチだ思う人が出てしまうよ。少なくとも幹事の人は、君のことをよく思わないと思うよ。第一、君が一度でも幹事をしてみたら、そんな文句を言うことはないと思うよ。一度やってみたら。

[]アルバイト 22:37 アルバイト - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - アルバイト - 西川純のメモ アルバイト - 西川純のメモ のブックマークコメント

 学生時代には色々な先生の手伝いをしました。終わった後の感じ方は、実に様々です。大学院指導教官だった小林先生の手伝いは、最も、気持いいアルバイトでした。アルバイトにはそれなりの相場があります。小林先生アルバイトは、いつも、その相場以上でした。そして、終わった後には、心から感謝され、そのアルバイトによって、どんな仕事が、どのようにうまくいったかを説明してくれます。

 しかし、アルバイトが全てそういうわけではありません。最悪の場合は、相場以下のアルバイトの金額で、しかも、「金を出すんだから感謝せよ」と感謝を強要されます。もちろん、学生立場教官に文句を言うことは出来ません。学生仲間で、悪口を言い合う程度です。嫌だったのは、アルバイトの金額の低さではありません。感謝されなかったことです。それぐらいなら、無給のボランティアで働き、本心から感謝されたならば納得できました。実際、小林先生のお手伝いも、予算がないため無給という場合もありました。でも、その場合でも先生から本心から感謝されれば気持ちはいいものです。

 そのため、アルバイトをお願いする場合は、小林先生のようにありたいと思います。だって、今は教官立場にいますが、学生さんから陰口を言われているのではないかとビクビクものですから。その当時の我々が言っていた陰口の口汚さを思い出せば・・・

01/04/01(日)

[]理系人間の単純バカ 22:38 理系人間の単純バカ - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 理系人間の単純バカ - 西川純のメモ 理系人間の単純バカ - 西川純のメモ のブックマークコメント

 私の卒研を指導した先生は、生物現象の複雑さに惑わされず、その本質的で、単純なポイントを見いだせることを最も重要であると考えていました。そして、その本質的で単純なポイントを信じ、それをもとに論理を構築することを重要だと考えていました。そのため、「君は単純バカなんだからな~」は、その先生からいただける最大限の賛辞なんです。

 大学卒業後も、理系人間は単純バカが多いと感じる場面が多々あります。例えば、「摩擦や空気抵抗がない状態で」とか、「重さがあるが大きさがない物体が」などという表現が、物理の問題ではよく使われます。もとより、ありえないお話です。しかし、物理の得意な子は、そのようなお話でも、素直にその前提で問題を解きます。ところが、世の多くの人々にとっては、「そんな馬鹿な!」と感じ、その段階で止まってしまいます。従って、問題が解けません。だから、物理嫌いになってしまいます。

 また、理系の人たちの会議も似たような面があります。色々な議論が沸き起こっても、法律等の規定に基づいていることを示したとたんに、「なるほど、それならしょうがない」と収束します。ところが、理系以外の人たちの場合、「これこれの法律に基づいています」といったとしても、結果がおかしいならば、その法律自体が誤っているのではないかと疑います。

 理系人間は、一定の公理、定義等を所与として議論するようにトレーニングされています。そして、認めた公理を基にして、一定の論理結果導き出される結論に対しては、一見常識と一致しなくても、正しいものだと考えます。だから、「時間は連続ではなく、不連続である」とか「光速で運動すると、時間が止まってみえる(ウラシマ効果)」などの荒唐無稽(こうとうむけい)に見える結論も、すんなり受け入れます。これは理系学問の性格に由来する部分も多いので、良い悪いと決めることは出来ません。しかし、この単純バカ性(というよりは素直さと言うべきかもしれません)は理系人間を、一般の人たちに変人と感じさせる原因のように感じます。

 物理の授業で、「摩擦がない状態なんてあるわけないじゃん」という生徒の意見に、「それはそうと考えるんだ」と教師が言うことが出来ます。それと同じように、「その規定自体が間違っているんだ」という一般の人の意見に、「親規定に反することを公の場で話すなんてバカだ」と言うことが出来ます。しかし、二つの状況には大きな違いがあります。物理の授業では、教師は絶対的な評価者です。ところが、会議の場面で、理系は絶対的な評価者でもないですし、それどころか少数者なんです。

追伸 ここでは理系=単純バカと書きましたが、必ずしも正確ではありません。複雑な自然現象を観察することを重視する分野の先生は、必ずしも上記に当てはまりません。また、比較的単純な現象を研究する分野でも、最先端で曖昧模糊とした部分研究する人は、必ずしも上記に当てはまりません。ただし、この違いは理系の中では分かりやすいのですが、外からは「理系人間」とひとくくりにされるようです。しかし、いずれにしても理系の人たちは、変人ではなく、極めて単純で素直な人たちなんです!分かって!