西川純のメモ このページをアンテナに追加 RSSフィード

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01/03/31(土)

[]私の失敗 22:40 私の失敗 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 私の失敗 - 西川純のメモ 私の失敗 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 大学生物学を学び始めると、化学の知識が必要であることが痛感しました。そこで、化学の本を読み始めると、物理学の知識が必要であることが分かりました。ところが、ある程度学んでいくと、それらを理解するためには数学の知識が必要であることが分かりました。そこで、解析学線形代数学の本を読み始めました。20歳そこそこの学生の自習ですから、たいしたレベルではありませんが、厳密な論理を積み上げていく数学の虜(とりこ)になりました。さらに、解析学線形代数学を理解するために、位相空間論、集合論の本を読み始めました。一層抽象的な内容は、私を別世界に連れて行ってくれます。そんなこんなで、生物学を専攻している学生にも関わらず、読んでいる本の殆どは数学物理学という状態になってしまいました。

 学年があがり、何を研究しようかと考え初めて、気づきました。それは、自分が今知っている数学物理学の知識と、研究しようとする生物との間にギャップが多すぎで、直接利用できないことに気づき始めました。もちろん、数学物理学の手法をそのまま使い、対象として「生物」を研究する分野もあります。当時読んだ本の中には、代数学群論位相幾何学カタストロフィ理論に基づき、発生学を研究しようとするものがありました。しかし、何かが違うなと感じていました。簡単に言えば、「生物研究したい」というより、「数学物理を生かした研究をしたい」という本末転倒なものを感じました。なによりも、「使えるかもしれない可能性」は長々書いているんですが、実際に使えたという実例が無いんです。

 大学3年の最後に、伊豆下田で臨海実習がありました。そこで、数日間徹夜して、ウニの卵がどのように変化するかを観察しました。ウニの発生に関しては、発生学の本で知っていました。ところが、実物の卵の美しさ、神秘は愕然とさせました。それを数日見る内に、私の心の中にあった「数学」、「物理学」に対する「生物学」への劣等感が消えてしまいました。そして、「何故、数学物理学の本を読むのではなく、生物自体を直接観察し、生物学の本を読まなかったのか?」と自分の失敗に、遅ればせながら気づきました。

 基礎を学ぶことは間違いではなかったと思います。しかし、研究したいことは何かということを忘れてはいけないと思います。それを忘れて、基礎を学ぶこと自体を目的とした場合、際限がありません。人間の能力と時間には限りがありますから、基礎を学ぶとしても、立脚点より一段階だけ基礎を学ぶにとどめるのが妥当なのではないでしょうか?それも、「どう使えるか」に着目し、多くの部分ブラックボックスにすればいいと思います。

katunori-skatunori-s2008/01/05 09:51山形の佐藤勝則です。
3つの文章、ともに「!」でした。
「分からない」は識見不足を示すものではなく、ロマン・興味をかき立てる例。
「私の失敗」からは『そのものをしっかり見つめよ』というお教えだと受けとめました。『学び合い』なら子供をですね。「子供から学ぶ」も手垢がついた言葉ですが、これだった先生が本家?ですね。
最後の文章については「説得できなければ駄目」に、参りました。「それでいいんだ」と感じてもらいたいことがあっても、なかなかそれができずにいます。

jun24kawajun24kawa2008/01/05 21:59ありがとう同志