西川純のメモ このページをアンテナに追加 RSSフィード

西川純です。新潟県上越市の上越教育大学の教育実践高度化専攻(教職大学院)で『学び合い』を研究しています。諸般の事情で、このブログのコメントは『学び合い』グループのメンバー限定です。メンバー登録は、いつでもOKです。ウエルカムです。なお、メールはメンバー以外にもオープンですので、いつでもメールください。メールのやりとりで高まりましょうね。メールアドレスは、junとiamjun.comを「@」で繋げて下さい(スパムメール対策です)。もし、送れない場合はhttp://bit.ly/sAj4IIを参照下さい。西川研究室はいつでも参観OKです。 詳細は http://www.iamjun.com/をご覧下さい。
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17/01/19(木)

[]学修成果発表会 10:34 学修成果発表会 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 学修成果発表会 - 西川純のメモ 学修成果発表会 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 西川ゼミの学修成果発表会をネットにアップしました。http://bit.ly/2k1QRpd

17/01/18(水)

[]バタフライエフェクト 21:10 バタフライエフェクト - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - バタフライエフェクト - 西川純のメモ バタフライエフェクト - 西川純のメモ のブックマークコメント

 バタフライエフェクトという言葉があります。ある日、ある時の蝶の羽が生み出す風が遠い地での嵐になる(かもしれない)ということです。

「平成27年に当時の高等教育局長が早稲田大学に再就職したことに関して、人事課の職員が大学側に局長の情報を提供するなどの行為を行ったことが違反に当たるのではないかという調査を現在受けている」

 高等教育局長が対象となると聞いて、心拍数が上がります。

 どこに波及するか。末端の木の葉に過ぎない私は、怖くてしょうがありません。

[]操る 07:10 操る - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 操る - 西川純のメモ 操る - 西川純のメモ のブックマークコメント

 世の中には子どもを、どうやって操るか、という本があります。いや、その手の本の方が多いでしょう。いわゆる、脅し、おだて方の本です。気持ちは分かります。

 でも、それを教師-子どもの関係を、校長-自分に置き換えてください。そんなことを1ヶ月も続けていれば、校長のテクニックは見え見えではないですか?実は、子どもも同じです。少なくとも子どもたちの2割は大人の腹を見透かすのが得意です。

 分かりやすい判別法があります。その本を子どもに見せられるか?と考えてください。見せられないとしたら、2割の子どもたちにせせら笑われます。そして、それに心から従ったふりをするでしょう。もし、見せられる本だったら、2割の子どもが教師と一緒に動いてくれます。

 私の本は、全て、子どもに見せられるし、見せることを勧めています。当然のことならば、私自身の研究室ではそれをやっています。

[]理解する 06:59 理解する - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 理解する - 西川純のメモ 理解する - 西川純のメモ のブックマークコメント

 昨日の学習成果発表会で他の研究室の院生さんが「いい授業をするには、一人一人の子どもを理解することが必要だ。それによって、その場、その子に対して適切な言葉がけが出来る」と言いました。私は「子どもを理解することは無理だよ」とアドバイスしました。

 結婚して二十年以上もたった家内のことを未だに理解不足です。家内からも「あなたがわからない」とたびたび言われます。我が子だってそうです。そんな私が他人の子どもを1年ぐらいで分かるわけない。そして、三十数人の子どもはなおさら理解できない。

 じゃあ、どうするか?

 集団を理解すればいいのです。コップいっぱいの水分子の挙動は分からなくても、コップいっぱいの水の挙動は分かる。だから、小さい子どもでもコップで水を飲めるのです。コップいっぱいの水が熱力学や流体力学の法則に従っているように、一定数の子どもたちを集団にすれば一定の法則に従います。それが『学び合い』のセオリーです。

 が、教育の世界では安易に「一人一人の子どもを理解する」という言葉を使います。

 私はその言葉の本当の意味を知っていると思います。

 暴走族だらけのクラスで物理学を教えたときにそれを使っていました。クラスの中にはキーパーソンがいます。その子は、その集団の中である役割を演じます。例えば、ある子をいじくれば、必ず面白いことを言って、その子が言うと、クラスが爆笑する、というような構造が出来ています。ある子に語れば納得し、その子が語るとみんなが従う、というような構造が出来ています。最初は涙あり、笑いありのジェットコースターのような授業をしているうちに、その構造を読み取ります。そして、徐々に、その小数のスイッチを押すことによってクラスを動かすのです。

 つまり、私はクラス全員の理解をしているわけではありません。ごく少数の子どもを理解しているのです。そして、その子を理解しているのではなく、その子のクラスにおける「役割」を理解しているのです。それだけのことをすれば、暴走族だらけのクラスで物理の授業が成立する。ましてや、普通のクラスだったら、もっと簡単です。

 でも、それを「一人一人の子どもを理解する」というふうに言うのは反吐が出ます。何故ならば、圧倒的大多数の子どもを何も理解していない。そして、その技術が上手ければ上手いほど、教師がいないときに集団がどうなるかを私は知ってしまった。

[]アクティブ・ラーニングの評価がわかる! 06:39 アクティブ・ラーニングの評価がわかる! - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - アクティブ・ラーニングの評価がわかる! - 西川純のメモ アクティブ・ラーニングの評価がわかる! - 西川純のメモ のブックマークコメント

 「アクティブ・ラーニングの評価がわかる!」(学陽書房)が発売されます。

 これを読んでいるアンテナの高い人だったら、授業のやりかたとしてのアクティブ・ラーニングはご存じだと思います。では、アクティブ・ラーニング時代の評価はどうしたらいいのでしょうか?

 そこが、すっぽり抜けているように思います。

 当たり前のことですが、教育には「目的」があり、それを実現するために「授業」があり、「目的」が達成されたかを「評価」するのです。従って「目的=授業=評価」なのです。アクティブ・ラーニング時代の評価を理解せず、アクティブ・ラーニングをすれば、とんでもないことが起こります。

 例えば、教えた子どもにプラス20点するのような加点をします。これをすれば、子どもは本気で分からせようとするのではなく、教えた「ふり」をします。そして、教える子どもは偉いという枠組みを与え、「おしえて」といいずらい環境を作ります。

 また、答申では『評価の観点のうち「主体的に学習に取り組む態度」については、学習前の診断的評価のみで判断したり、挙手の回数やノートの取り方などの形式的な活動で評価したりするものではない。』と書いてあります。つまり

 「挙手の回数やノートの取り方」で評価してはアウトです。

 そうなるとお手上げではないですか?

 どうしたらいいのでしょうか?

 授業が「主体的・対話的で深い学び」ならば評価も「主体的・対話的で深い学び」でなければなりません。じゃあ、どうするか?

 「アクティブ・ラーニングの評価がわかる!」をご覧ください。

 なお、毎度のことながら発売当初は混乱するのでネット注文より、お手近な書店に注文するか、大型書店で買うことを勧めます。

[]説明しない 06:17 説明しない - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 説明しない - 西川純のメモ 説明しない - 西川純のメモ のブックマークコメント

 『学び合い』実践者へのアドバイスです。『学び合い』に関して、多様なチャンネルで情報発信してください。ただし、職場では控えてください。いくら説明しても、分かりたくないと思っている人は分かりません。しつこく説明すると、嫌われます。その人の立場が上だと実践しづらくなります。

 分かりたいと思う人は、あなたが隠しても近づいてきます。そして、その人は分かりたいと思うのですから、分かります。

 異性を口説くのと同じです。脈が無い人を口説いても無駄です。やり過ぎればセクハラになります。恋人としてではなく、普通の関係を作ればいいのです。

17/01/17(火)

[]対応 18:10 対応 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 対応 - 西川純のメモ 対応 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 本日は教職大学院の学修成果発表会がありました。ゼミ生の発表のレベルの高さはもとよりですが、質問者への対応は見事です。学会発表の経験があることも原因でしょう。でも、それ以上に、実習高の『学び合い』に疑問を持っている人と、折り合いをつけた会話をし続けることを年間を通してやっているというのが大きいと思います。

17/01/16(月)

[]思いの強さ 21:51 思いの強さ - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 思いの強さ - 西川純のメモ 思いの強さ - 西川純のメモ のブックマークコメント

 継続は力なり。

 自分の実践を本にしたい、という人の相談を受けることがあります。

 その本を出版する出版社はどれだけの投資をするのでしょうか?

 ラフに言って300万円から400万円です。

 赤の他人に、それだけの金を出させるとしたら、損をさせないという責任が生じます。

 が、それを理解するのは大変です。分からないからと言っても、仕方が無い。

 

 私の最初の出版は、ボスの戸北先生の口利きで成り立ちました。ボスの戸北先生が不義理をするのは耐えられません。必死に、ありとあらゆることをしました。儲けたいと思うのではなく、戸北先生に迷惑をかけたくなかったのです。

 その後も、多くの人の好意により、多くの本を出すことが出来ました。ハッキリ言いましょう。お金の面から言えば、本を出すより講演会の方がコストパフォーマンスは遙かに高い。では、本を出すのは何のためか?不特定多数の方に、最初のきっかけをもってもらいたいから。その機会を与えてくれた方々に感謝しています。だから、戸北先生と同じように、迷惑をかけたくありません。

 

 じゃあ、何をしているか?

 毎日、ブログやFBで書き続けています。

 最初は大変です。でも、続けています。

 

 私は多くの仲間が本を出して欲しい。そうすれば私は本を書かなくていい。でも、そのためには、恩を受けたら、恩を返す。それが出来なくても、迷惑をかけない行動をする。その当たり前の行動を、ずっとし続けることです。熱狂で2ヶ月やることは誰でも出来ます。でも、十年続けることは意思が必要です。

 内田樹さんレベルだったら毎日でなくてもいい。でも、凡夫である私は量で補います。

 

 同志。意をくんでください。私は本を書きたくない。

[]セグメント化 21:34 セグメント化 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - セグメント化 - 西川純のメモ セグメント化 - 西川純のメモ のブックマークコメント

私が相手をすべきは変えようとしている2割の教諭と校長。ま、不必要な軋轢は避けるべきなのですが・・・・

私の敵は『学び合い』に反対する人ではありません。特に、下品で大人げない表現をする人ではありません。それらの人たちは自然に自家中毒になります。

私の敵は、今のままでいいと思っている人。今のままであれば、「自分」はいい。つまり、大部分の人です。でも、今のままで、地獄の苦しみをしている1割がどうなるかを間近で観ました。そして、今は、今のままの授業で満足している子どもが就職後にどうなるかを知っています。

ナチスドイツが政権を握ったのは、ナチスドイツを賛成した人ではありません。どんな時代でも、民族的な偏見を持ち、他国に対して敵対心を持ち、武力で解決した方がいい、という人は一定の割合でいます。でも、たいていの人は、それがダメだと言うことを知っています。その人たちが、黙るからナチスドイツが政権を握り、暴走した。

私は悪気の無い中間層に、現状の危険性を伝えるために必死になっています。

それで手一杯なので、『学び合い』が大嫌いな人とつきあう時間は無いのです。

学び合い』のセオリー通りの行動をしています。

私が用意したカリキュラム・マネジメントの意味を分かる校長に分かってもらえれば十分なのです。ちなみに、これから数ヶ月に、それを学ぶために上越にくる管理職がかなりいます。

追伸 イタズラ好きの私は下品で大人げない表現をする人を、いじくりたくなります。定期的に。ガキですね。

[]中学社会、中学数学 17:05 中学社会、中学数学 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 中学社会、中学数学 - 西川純のメモ 中学社会、中学数学 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 「すぐ実践できる!アクティブ・ラーニング」(学陽書房)の中学社会と中学数学が、本日、同時に増刷が決まりました。ご愛顧感謝いたします。

[]カリキュラム・マネジメント 17:39 カリキュラム・マネジメント - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - カリキュラム・マネジメント - 西川純のメモ カリキュラム・マネジメント - 西川純のメモ のブックマークコメント

 今から書くことは、気を逆なですることかもしれません。ご容赦下さい。ま、戯言と聞き流して下さい。

 中央教育審議会関係のパイプからアクティブ・ラーニングという言葉が流れてきたとき、「ま、言語活動の充実程度のことでしょ」と思っていました。しかし、調べてみると、もの凄い背景があることが分かりました。そして、『学び合い』が目指しているものと一致することが分かり、「お、風が吹いてきたな」と思いました。いつかはそうなるかは分かっていましたが、まさか、この時期に、文科省から吹いてくるとは思いませんでした。

 そして、最終段階になってカリキュラム・マネジメントが脚光を浴びました。最初は?でしたが、調べてみると「やった!」と思いました。色々な理由がありますが、分かりやすい理由を一つ。カリキュラム・マネジメントの三つの側面の第一は「各教科等の教育内容を相互の関係で捉え、学校の教育目標を踏まえた教科横断的な視点で、その目標の達成に必要な教育の内容を組織的に配列していくこと。」とあります。カリキュラム・マネジメントとアクティブ・ラーニングは「一体として捉えてこそ学校全体の機能を強化することが出来る。」と答申で書いてあります。

 さて、色々な教科ごとに様々なアクティブ・ラーニングが提案されています。しかし、様々な教科で一貫したアクティブ・ラーニングの理論と実践があるのはあるでしょうか?それも実践例、指導方法レベルで教科横断的なものはあるでしょうか?

 お叱りを覚悟で言えば、『学び合い』だけだと思います。

 もし、教科を異にする教員同士で同じ土俵で理論的・実践的に話し合えて、やろうと思ったとき、直ぐに事例が提供できるのは『学び合い』だけだと思います。

 私の頭の中のチェスでは「チェックメイト」です。

 ま、戯言です。

17/01/15(日)

[]手を抜く 20:07 手を抜く - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 手を抜く - 西川純のメモ 手を抜く - 西川純のメモ のブックマークコメント

 杵さんの文章を紹介します。

 http://manabiai.g.hatena.ne.jp/makine45/20170115/1484443172

 膨大な書類は以下の4つに分類できます。

●頭を使わなければならず、間違いがあっては大変な書類

●頭を使わなければならないが、多少間違いがあっても問題ない書類

●頭を使わなくても良いが、間違いがあると大変な書類

●頭を使わなくても良いし、多少間違いがあっても問題ない書類

それぞれに合った手の抜き方があります。実は、「頭を使わなくても良いし、多少間違いがあっても問題ない書類」が多くを占めています。そんなの適当に書けばいいんです。大学教員も膨大な書類を求められますが、大抵は「頭を使わなくても良いし、多少間違いがあっても問題ない書類」です。ですので、超適当(いや適切)に書きます。簡単です。昨年の書類の日付を変えればいいのです。そして、直ぐ事務に出します。とうことで事務に喜ばれています。事務にとっても「あればいい」書類なのですから。「頭を使わなくても良いが、間違いがあると大変な書類」は間違っては困るところはごく一部だけです。それは底だけチェックして、直ぐに事務に出します。等々

 詳しくは「なぜか仕事の出来る教師の7つのルール」(学陽書房)をご覧ください。

 

 ま、つまりね。忙しい、忙しいと言っていますが、それは忙しさを分析して、見極める知恵と覚悟がないだけのことです。それに『学び合い』の私の場合は、子どもが出来ること、すべきことは、全て子どもに任せています。だから、本学教員の平均の5倍の学生をゼミ生として指導し、膨大な本を執筆し、全国に講演できています。そして、私は「忙しい」と言ったことはないと思います。言っているのは「面倒くさい」だけです。つまり、意味を見いだせないが、しなければならない仕事があると、そう思います。

[]権限 11:09 権限 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 権限 - 西川純のメモ 権限 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 私が定時制高校の教師になり立ての時です。

 私の授業を誰も聞いてくれません。そこで、「この科目は必修だぞ。つまり、落としたら留年だぞ」と言いました。私としては核兵器並みの最終兵器だと思っていました。

 ところが子ども達は一瞬静かになり、そして全員で「落とせ、落とせ」と手拍子で連呼するのです。その瞬間に分かりました。一人ぐらいならば客観的な事実を積み上げて落とすことも出来ますが、全員を落とすことは出来ません。そんなことは出来ないし、そうしたら私の指導力不足を非難されます。

 そして、分かりました。教師には何の権限もないことを。

 それからは、子ども達に命令するのではなく、納得するように対話することを学びました。それを教師人生のごく初期で学べたことを良かったと思います。

 でも、これは校長も教育委員会も同じです。絶大な権限があると思っている人が少なくないと思いますが、法規を読めば限定的です。法を守っている限り、何も手出しは出来ない。もちろん人事等で脅すかもしれません。でも、一定以上の人が反旗を翻せばそれも不可能になります。

[]法規 10:26 法規 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 法規 - 西川純のメモ 法規 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 「なぜか仕事がうまくいく教師の7つのルール」に書きましたが、平教諭も教育関係の法規は読むべきです。それを勉強すると面白いですよ。

 とりあえずは、「教育基本法」、「学校教育法(施行令・施行規則を含む)」、「地方公務員法(施行令・施行規則を含む)」、「教育公務員特例法(施行令を含む)」、「地方高行く行政の組織及び運営に関する法律」、「公立義務教育諸学校の学級編制及び教職員定数の標準に関する法律」、「国家賠償法」あたりは読むべきですね。

 無味乾燥な文章ですが分かって読むと面白いですよ。

 例えば、学校教育法第三十七条の11項には「教諭は、児童の教育をつかさどる。」とあります。それに対して、「校長は、校務をつかさどり、所属職員を監督する。」とあります。さて、校務とは何か、これが明確ではありません。狭義には事務仕事ですが、教育課程編成も含まれるとしています。しかし、教育の主体は教諭であると11項は定めているのです。従って、関係法規、学習指導要領に逸脱する教育は監督の対象ですが、それらに逸脱しないものまで指導するとして、職務命令を出せるかと言えば大いに疑問です。絶対にやってはいけませんが、校長が「『学び合い』をやめなさい」と言ったとき、「それは職務命令ですが?そうだったら文章にして下さい」と求めたら、校長は引き下がりますよ。だって、法規に反しない教育をやめされる権限はないのですから。だから、法を知らない校長は軽く言うかもしれませんが、少しでも法を理解している校長だったら、もの凄く言葉を選んで求めるはずです。

 また、国家賠償法も面白い。たった6条からなる法律です。しかし、これがあるから公立学校の先生方は身を守れるのです。理科や体育の授業ではどんなに配慮しても事故は起こります。残念ながら。その場合は、この法律があるから、民事の賠償責任は国や公共団体が保証し、個人として責任は問われません。怖いのは私立です。この法律の対象は公務員に対して適用されます。つまり、民事責任を学校が負う責任はないのです。これを知らない私立の先生は少なくないと思います。怖いことです。

[]モデル 10:01 モデル - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - モデル - 西川純のメモ モデル - 西川純のメモ のブックマークコメント

 教え子がブラック企業に勤めてサービス残業を求められ、労務記録を改ざんすることを求められていたとしたら、どのようにアドバイスしますか?

 教師は子どもにとって働く人のモデルです。働いている場面を見ているという点では、保護者よりもモデルになっています。勤務時間、休日無しで働いていることが正しいというモデルを教え子に与えていたとしたら・・・・

[]理系 09:26 理系 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 理系 - 西川純のメモ 理系 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 人工知能が発達する時代で、理系で生き残るのは無理です。生き残れるのは、極々僅かです。その人達がイノベーションを生み出し、多くの日本人の飯の種を生み出してくれるでしょう。だから、高等教育局、その後ろにある産業界がそこに重点を置くのは当然です。しかし、その人達はごく少数です。

 理系の仕事をしている人のやっていること、それはルーティーン化しやすい。やっていることが非常に単純化できるからです。そして、そのことはビックデータを集めやすいのです。つまり、人工知能に置き換わりやすいのです。

 未来の時代でごく普通の人が就ける人工知能に置き換わらない職業は、個人的な対人関係が勝負の仕事です。「その人たち」のビックデータはあっても、「その人」のビックデータを集めるコストパフォーマンスはないし、集めにくい。その人とつきあうためにどんな知識が必要でしょうか?位相空間論の話しで盛り上がれる人は少ないと思います。

 圧倒的大多数の人は人文や芸術こそ学ぶべきだと思います。その中で一頭ぬきんでるとしたら理系の能力が必要でしょう。でも、理系の能力の高い人と繋がれれば、それも必要ありません。

追伸 文系の人は理系に対して過剰な拒否感を持つか、過剰な期待を持ちがちです。逆に言えば、理系の私は文系に対して過剰な拒否感を持つか、過剰な期待を持っているのかもしれません。

 ま、自分は自分になるしかありません。それを乗り越えるとしたら、自分と違う人とつながり、自分の能力を拡大することです。

[]キッパリと 09:13 キッパリと - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - キッパリと - 西川純のメモ キッパリと - 西川純のメモ のブックマークコメント

 勤務時間を意識して「定時に帰ってください」という校長がいます。でも、あれもこれもの仕事があり、帰るに帰れないのが現状でしょう。文部科学省は「時間外勤務はいけない」と口で言いますが、それを保証する仕組みや予算は保証しない。従って、都道府県教育委員会も脱法行為であることは十分に分かっているけど、口は出すけど何も出来ない。

 問題を起こしましょう。そうしないと変わらない。

 世の中には、一生涯平教師と思っている方がいますよね。だったら、授業関係以外はダメだったらダメでいいのではないでしょうか?

 つまり、教育委員会からのアンケートや書類は間に合わなかったら「出来ません」と言いましょう。

 部活動の指導は延々やらず、1時間程度で終わりましょう。

 お金の徴収は「忘れ」ましょう。

 勤務時間が終わったら帰りましょう。

 そんなことを徹底する年長者がある程度生まれれば、周りもまねます。そうなれば、行政が重い腰を上げます。

 まずは年長者が「授業の準備に手を抜けないので、書類を書く時間はありません」と校長に言ってはいかがでしょうか?授業が成立し、保護者からの支持を受けているならば、どんな校長や教育委員会も何も出来ません。

追伸 かつて私が大学の仕事では、色々な仕事を教科教育担当者が請け負っていました。私は年長者の先生に「我々は出来ないと言いましょう」と言いました。年長者の先生は「でも、それを我々がしないと学生さんに迷惑がかかる」と言いました。私は「我々は今の学生さんに責任を負っているだけではなく、未来の学生さんにも責任を負っています。いまシステムを変えなければ、未来の学生さんに迷惑がかかる。これ以上は無理です。だから、システムを変えるために、出来ないと言いましょう」と申しました。そして、「我々は出来ない」と言いました。それが正論であることは周りの先生も知っていました。結果として、比較的短期間にシステムが変わりました。とりあえずやるということは、実は無責任とも思えます。

[]地方 09:13 地方 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 地方 - 西川純のメモ 地方 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 「地方には仕事がない、だから大都市へ」というモデルも崩れています。

 一極集中は工業化社会の構造です。脱工業化社会は多極化します。つまり、大都市だけに仕事があるわけではありません。もちろん限界集落には無いでしょう。でも、各地に点在する十万人規模の都市には仕事があります。もちろんふんだんにあるとはもうしません。しかし、それは大都市だって同じです。大都市には大企業があります。しかし、その社員の多くは非正規雇用なのです。

 給与水準は大都市と地方では差があります。でも、大都市では地方では考えられないほどの住宅費を払っています。それに付随する様々なものにかなりを費やしています。結果として見た目の給与の差は殆ど無くなります。

 インターネットの発達によって地方にあっても優れた製品であれば売れます。また情報であれば地方と大都市の差はありません。この傾向はもっともっと広がります。

 日本のGDPの殆どはサービス業で。サービスは工業製品、農業製品と違って移動することは出来ません。例えば、ある散髪屋が安いからといって、それをネットで注文することが出来ないのです。価格では無く、場所が勝負ポイントになります。さて、サービスを受ける高齢者が多く、サービスを与える若者が相対的に多いのはどちらでしょう。

 多くの県教育委員会は東京大学を含めた大都市の大学への進学率でしのぎを削っています。大都市指向のままの子どもが大都市に進学し、地元に戻ってくるでしょうか?それは優秀な人材を自らの血税を使って大都市のために育てていることではないでしょうか?

 「地方には仕事がない、だから大都市へ」というモデルを崩さなければなりません。子どもはもちろんのこと、保護者に対してもです。保護者が胸を張って地元で暮らしなさいと子どもに言えるためにです。

 そのためには教師は教材研究ばかりではなく、それ以上に上記のような社会の変化に対しての知識を持たねばならないと思います。自分の中学校区から通勤できる圏内にどのような企業があるかを知らねばなりません。脱工業化社会における農業、漁業、林業の姿、つまり量や価格で勝負するのではなく、イメージやロマンで勝負する第一次産業の姿を持っていなければなりません。それを義務教育の段階で子どもと保護者に十分に伝えなければなりません。

 そして、親兄弟と一緒に子育てを出来るために安心して共稼ぎが出来る。子ども時代を一緒に過ごしたもの同士が仕事を紹介し合う。そんなコミュニティが出来れば、大多数が豊かになれる。

 ということが県教育委員会が気づかないのかな?と思います。ま、しばらくかかるでしょう。だから、まずは分かった教師からはじめましょう。それによってだんだん増えていく。

追伸 大都市に進学し、大都市で生活すべき人材もいます。しかし、その数は数パーセント以下だと思います。

[]進学率 06:44 進学率 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 進学率 - 西川純のメモ 進学率 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 大学進学率は東京と地方では2倍の開きがあります。これは、大学に行く機会が制限されているという見方も出来ますが、行かなくてもいい大学に行かないという見方も出来ます。「学歴の経済学」に書いたように、今や大学進学はリスクの高い投資です。4年間という時間と500万円というお金をかけて、非正規雇用になるのです。東京の大学進学した子どものかなりの部分は、大学に進学せず高卒で働いた方が良かったかもしれません。進学したために500万円の借金を抱えて途方に暮れている子どももかなりいます。と考えると、地方は正しい判断をしているかもしれません。

 「中卒より高卒、高卒より大卒、同じ高校・大学だったら偏差値の高い方がいい」という今は崩壊しているモデルを捨てなければなりません。

http://president.jp/articles/-/19970?page=2