『学び合い』の文化を教室に このページをアンテナに追加 RSSフィード

私立の中高一貫校で国語を教えています。

2008-04-06

あー楽しい。 22:39 あー楽しい。 - 『学び合い』の文化を教室に を含むブックマーク はてなブックマーク - あー楽しい。 - 『学び合い』の文化を教室に あー楽しい。 - 『学び合い』の文化を教室に のブックマークコメント

三男が「国語の勉強を見てくれ」というので、公文のドリルを2枚添削しました。

傍線部のことばを主語にして、受け身の文に書き換えるという問題を採点していたときです。

「大人が、子どもを助ける。」

という文を「子ども」を主語にして書き換えるのに、

「子どもを、大人が助ける。」

と語順を入れ替えただけだったので、そのことを指摘しました。すると、

「あ、『子どもは』か。」

と言うので、

「『子どもは』じゃなくて『子どもが』だよ。」

と指摘しました。すると、それを横で見ていた連れ合いが「『子どもは』でも『子どもが』でも、主語は主語でしょ。同じじゃないの?」

という質問をしてきました。格助詞と係助詞では働きが違う、と言ってもわからないので、さて、どう説明しようとはたと困りました。

そこまで深く考えずに三男に話しかけていたので、面白い質問だなと思い、考えてみました。

A 子どもが、大人に助けられる。

B 子どもは、大人に助けられる。

Bだと一般論になってしまいますね。でも、連れ合いの質問は、「『助けられる』という述語から見たら、『子どもは』は主語でしょう。それを『子どもが』じゃないから、と言って×にする根拠は何?」

というもので、納得してくれませんでした。

自動化、でしょうかねえ。皆さんでしたら、どう説明しますか?

この後、通りかかった高2の長男も交えて、文法について、あーでもない、こーでもないと話が盛り上がりました。

連れ合いは「学校時代に文法で、こういうことをおもしろがって教えてもらうことはなかった。だから、国語は暗記科目で、学問とは別のものだと思っていた。でも、こうやってあれこれ考える事ができる所を見ると、学問だったのね」と言います(彼女は大学は化学専攻でした)。

象は鼻が長い。

だとか、

私が、筑田周一です。

私は、筑田周一です。

の違いなども話題に載せながらあれこれ語り合えて、楽しいひとときでした。

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