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(続)nakajimaの「一期一会」

長野県の南部の中学校で社会科の教員をしています。4月より現場に復帰します。授業公開は日程が合えばいつでもOKです。その際は①参観はできるだけ複数名でお越し下さい。②授業後に授業についてお話できる時間を確保して下さい。③可能であれば異学年学習も公開するつもりです。そちらの希望があれば事前にお知らせ下さい。mailはnakachiro0402☆outlook.jp(☆を@に)です。よろしくお願い致します(深々と礼)。

2018-08-25

当たり前のこと

21:21

二学期が始まり、本校では大きく分けて「行事」と「研究授業」に向けての準備が進んでいます。行事では文化祭に向け、クラスや学年での準備、研究授業では、10月に郡内で公開を予定している授業に向けての準備です。私は研究主任として授業に向けての準備を授業者の先生と進めています。

当たり前ですが、何かをするためには具体的な目標やイメージが必要で、その目標やイメージを教師自身がしっかり持っていることが必要です。言い換えると、行事や研究授業を通して生徒たちにどうなって欲しいのかを教師がしっかりイメージできているのかが大事だと思います。

目標やイメージが明確にならなかったり教師が本気で願っていなければ、生徒たちに必要な力は付きません。やり方やテクニックも大事ですが、それ以上に大切にしなければならないことがあります。しかし、最近は「何のためにそれをするのですか?」と聞きたくなるような活動が多いような気がします。

また、教師の「覚悟?」みたいなものも希薄になっているような気がします。生徒に活動をさせておいて、その振り返りをしなかったり、活動が十分な結果を出せなかった責任が教師自身にあっても、それを生徒に謝ることもせず、責任を生徒に押し付ける教師も、正直います。

そんな教師を生徒が信頼するでしょうか?。生徒たちは成長したいと思っています。その気持ちに本気で寄り添える教師でありたいと思います。教師はクラスや学年をより良い方向に導く責任があります。しかし、言い訳しながら責任ひとつ取れない教師や管理職が多いな…と寂しくなったりします。厳しい言い方をすれば、『学び合い』を実践している(していた?)人にもそう言う人がいるように思います。

言っていることとやっていることが違っている人がどんなに課題を練ったり「1人も見捨てない」と言っても上手くは行かないでしょう。正直「あなたが『学び合い』について語って大丈夫ですか?。そんなこと言う前に、自らを顧みることがあるんじゃないですか?」と言いたくなるような人もいます。長くやっているからいいのではありません。亜流は所詮、亜流なのです。

学び合い』云々ではなく、まずは当たり前のことが当たり前にできる教師でありたいと思います。

2018-08-22

子どもよりも…

21:10

本校では火曜日から二学期が始まり、慌ただしい毎日が始まりました。クラスや学年の生徒たちは大きな事故もケガもなく、楽しい夏休みを過ごしたようです。

始業式当日、私が生徒に話をしたことは、二学期は行事を通して仲間との繋がりをさらに深めて欲しいということでした。これからいろいろな仕事を任されることがある。その中には1人ではできないこともある。そんな時に「お願い、手伝って」と言え、助けてもらったら「ありがとう」と言える人になろう。また、困っている人がいれば「どうしたの?」と聞ける人になろう。そういう「つながり」がクラスの力を高めることになる…なんて話をしました。生徒たちはしっかり聞いてくれたと思います。

そんな話をしながら、こういうことができないのって、ホントは大人の方が多いんじゃないかなんて思ったりしました。頼む時は頼むけど、その後の対応が不誠実な大人が結構いるんじゃないかって思います。そんな大人が「1人も見捨てない」なんて言っても「結局口だけでしょ…」と思われるでしょう。偉そうなことを言うヒマがあるのなら、まずは自分の姿を見返し、生徒、または同僚から信じてもらえる言動を心がけなければと思います。相手に失礼な対応をしないような大人にならなければ…なんて思いました。

2018-07-15

あっという間に学期末…

17:50

あっという間に学期末になってしまいました…。

クラスも学年も学校の研究も全てが中途半端で終わって行きそうで、とても不安です。自分なりにはやってきたつもりですが、わたし1人ができることには限界がある…なんて至極当然のことを痛感しています。

つくづく教師は現実維持、言い換えれば変わることができない人の集まりなんだなって思います。いつまで不毛な検討を続けるのか?。疑問符が付くことが多い毎日です。

そんなことを言っても何も変わりませんので、私は私なりに生徒の幸せを求めなければ…と思う、今日この頃です。

こんなことを書くと『学び合い』ができなくなったのか…?と思われる方がいるかもしれませんが、そうではありません。ただ、去年までの風向きとは間違いなく変わって来ています。そんな中で自分の立ち位置を明確にしながら仕事をする息苦しさはあります。そんな経験は山ほどしてきましたのでどうと言うことはありませんが、もう少し広い視野、例えば社会の変化に敏感にならないと教師はいずれ淘汰されるんじゃないかと本気で思います。

若い先生たちが困らないために、私たちのような経験の長い者から変わる努力をしなければと思います。

2018-06-15

人は人でしか育てられない…

19:17

今日、ある方の話を聞いて愕然としました。

ちなみに、その方は教員を長くされていた方で、非常に力のある先生だったと評判の方だそうです(私は一緒に仕事をしたことはありません)。

「これからは情報機器を学校にどんどん導入しないとダメだ。Ipadなんかをどんどん入れて、子どもの興味を引くような教具を導入しなくてはダメだ」

「人件費がかかるのは分かるが、それよりも情報機器にもっと予算をかけた方がいいんじゃないのか?」

「これからの子どもは、情報機器がちゃんと使えるようでなけれればダメだ」

正直言って意味不明です。情報機器が必要ないとは言っていませんが、教師の数を増やすより、情報機器の数を増やすことが大切という発想が理解できません。

人は人との関わりでしか育たない…個人的には当たり前だと思うのですが。何だか変な時代になってきたような気がします。正直心配です。

2018-05-29

結果を求める

21:22

本日はS大のM先生が近くの学校で授業をするということで参観をさせて頂きました。授業自体はいつもの『学び合い』でした。おそらく初めて『学び合い』の授業をした生徒たちだったと思いますが、友だちと関わり合いながら授業をしていました。そして、全員が課題クリアとなりました。

初めての『学び合い』の授業としては上出来なのかもしれませんが、確認テストをしたら、クラスの半分が合格できませんでした。『学び合い』は仲間と関わることがクローズアップされがちですが、全員が課題をクリアすることが最大の目的であり、課題をクリアする手立てとして仲間との関わり合いがあるのだと私は思っています。その点に関して、M先生は授業の最後にきちんと生徒たちに語っていました。今回の授業は、私の授業を振り返る良い機会となりました。キチンと結果が出るような授業にすべく精進しなければ…と思いました。