Hatena::Groupmanabiai

(続)nakajimaの「一期一会」

長野県の南部の中学校で社会科の教員をしています。4月より現場に復帰します。授業公開は日程が合えばいつでもOKです。その際は①参観はできるだけ複数名でお越し下さい。②授業後に授業についてお話できる時間を確保して下さい。③可能であれば異学年学習も公開するつもりです。そちらの希望があれば事前にお知らせ下さい。mailはnakachiro0402☆outlook.jp(☆を@に)です。よろしくお願い致します(深々と礼)。

2017-11-25

もし、そうだったとしたら・・・

17:28

先日のブログの中で、M先生からコメントを戴きました。

私も、まさにその通りだと思います。しかし、もし「1人も見捨てない」の主体が「生徒」であることを理解していて、それでも「1人も見捨てないなんて言う必要なんてない」と主張する先生がいたら・・・と、ここ数日考えていました。私の憶測ですが、これから書く事が現実にあるとすれば、とても怖いと思っています。そうでないことを信じたいです。

「私のクラスは生徒同士がきちんと関わっている。だから『1人も見捨てない』なんてことを授業で言わなくても大丈夫」

「私のクラスは道徳や特別活動を通して仲間との関わりを育てて来ているから、人間関係で困っている者はいない。だから『1人も見捨てない』なんてことを授業で言う必要はない」

「人間関係を育てるのは、普段の授業ではなく、学級活動や道徳、特別活動である。だから、『1人も見捨てない』なんてことを授業で言う必要はない」

例えば、上に載せたような発言をする教師がいたとしましょう。上の発言は、一見すると「生徒(生徒同士の関わり合い)」が「主語」になっているように見えます。多分、多くの教師が、上に載せた発言を聞けば「その通りだ」と思うでしょう。ここで、上のコメントのような状況を判断しているのは誰でしょうか?。それは、もちろん「教師」です。教師が自分のクラスの状況を評価し、生徒同士の関わりが十分であるから、敢えて「1人も見捨てない」という言葉を使う必要がないと思うのでしょう。

非常に危険です(・・・よね?)。教師の判断基準で「1人も見捨てられてない」と評価されている集団の全てが「健全」なのでしょうか?。もっと言えば、教師の見えない所で問題や悩みを抱えている生徒はいないのでしょうか?。私の経験上、クラスや学年の問題やトラブルは、担任の見えない部分で起こることが多いです。言い換えれば、担任の見えない部分にこそ、生徒たちの「本当の姿」があると言えます。

そう考えた場合「自分が見ていて大丈夫だから問題ない」という、教師目線の判断はとても危険です。一方『学び合い』の考え方が浸透していれば、教師の見えない所で生徒自身が問題を解決できるようになります。だって、生徒たち同士に「1人も見捨てない」という意識が浸透していれば、困っている仲間を生徒同士の関わりの中で救うのですから。

もちろん、全ての生徒のことをきちんと看取れる教師がいるのかもしれませんが、そんな教師は希です。さらに、私たちは日々の仕事の中で必ずいろいろなことを「見落とす」のです。その自覚があれば、生徒にできることは生徒に任せ、生徒たちに助けてもらうのです。力のない私は『学び合い』を通して生徒たちに助けてもらっています。もちろん、今でもそうです。

自分の判断を信じることは大事ですが、それが全てではない。また、生徒にできることは生徒に任せる・・・これこそまさに「生きる力」だと思うのです。結局のところ、まだまだ「教師主導」という意識が強いのです。そういう点についても早く気づいて欲しいと心から思います。

OB1989OB19892017/11/26 06:50問題は,子どもたちに考え判断し,行動を起こさせる場を保障していないことです。
たとえ,教師が勝手に判断していたとしても,そのことについて子どもたちに考え判断する場と機会を設けていなければ,教師を主語にしていることと何ら状況は変わっていない点を教えてあげることが必要です。

iku-nakaiku-naka2017/11/27 07:43M先生
コメントありがとうございます。全てを教師がコントロールできるという意識がなくならない限り、というか、生徒に任せ試行錯誤させることが教師の仕事であると自覚しない限りこの手の問題はなくならないと思います。
まだまだ先は長いな・・・と思う、今日この頃です。