2017-11-23
子どもを見捨てているのは教師ですよね?。
昨日の研究授業の後に行われた研究会で、ある先生が言われた言葉です。
『学び合い』を方法論であると考えられている先生方にとって、昨日の授業にはたくさんの「?」が付くのでしょう。そして『学び合い』の根幹とでも言うべき「1人も見捨てない」という言葉についても「そんなことを教師が言う必要なんてない!」という雰囲気を、話し合いの中で感じました。
もし、私がタイトルのような質問をされたら、間違いなく「今まで何度もそうしてきました」と答えます。というか、そう言うしかありません。実際、そうだったのですから。だからこそ、私は話し合いの場でそんな発言はしません。自分ができなかったことを偉そうに言える立場ではないのですから。
「少なくとも、私は子どもを見捨てるような教師ではない。だから、子どもたちに『1人も見捨てない』なんて言わない。そんな必要なんてない」
私の勝手な想像ですが、そんな気持ちが先ほどの発言から感じられました。もちろん、子どもを見捨てようなんて思っている教師は1人もいないでしょう。しかし、教師がどんなに努力しても見捨てられていく子どもがいる現実を、私たち教師は直視すべきなのです。もしかすると、自分のクラスにいる間だけなら誤魔化せるかもしれません。楽しい思い出を作れるかも知れません。でも、それは本当に「クラス全員」なのでしょうか?。「学年全員」なのでしょうか?。「学校全員」なのでしょうか?。子ども1人1人に聞かない限り、子どもの気持ちなんて分かりません。そして、そんなことをしている時間は教師にはないのです。そんな事を考えながら、生徒の姿は素晴らしかったのに、やっぱりモヤモヤした自分がいました。
私は、これからも「仲間を大事にできる集団」であり、また「困った時に支え合える集団」を育てるために「1人も見捨てるな!」と言い続けます。続ければ、きっと大きな変化が起こることを信じて。
「一人も見捨てない」の主語は教師ではなく,子どもたちです。
「子どもたちが,誰一人として,所属する集団の中の他の子どもたちを一人も見捨てない」となるわけです。
したがって,教師が子どもたちを一人も見捨てないのではなく,子どもたちが集団内の仲間を一人も見捨てない教育なのです。
子どもたちが教師に見捨てられていたとしても,集団内で子どもたちが互いに一人も見捨てられていないのであれば,まだ救いがあるのです。
子どもたちが居場所を感じるのは、教師に依ってではなく集団によってです。
集団内での絆に依るのです。
教師が責任を持って行うべき「居場所づくり」(教師が育てる発想)と,子どもが主体となるべき「絆づくり」(子どもが育つ発想)を区別しなければならないと文科省も言っています。
我々の一人も見捨てない教育は、後者に直結するものです。
機会があったら,それを小・中学校の先生方に伝えてください。
コメントありがとうございます。本校でも『学び合い』に関して一枚岩ではありませんので、他の学校の先生であればさもありなんだと思います。
追伸、1月の件、調整させて頂きます。今しばらくお待ち下さい。