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(続)nakajimaの「一期一会」

長野県南部の中学校で社会科の教員をしています。授業公開は日程が合えばいつでもOKです。その際は①参観はできるだけ複数名でお越し下さい。②授業後に授業(『学び合い』)についてお話をする時間を確保して頂けるとありがたいです。③必要であれば異学年学習の公開も可能ですので、希望があれば事前にお知らせ下さい。連絡をする際のmailはnakachiro0402☆outlook.jp(☆を@に)です。よろしくお願い致します(深々と礼)。

2017-02-14

リア充

17:37

「〇〇と××ってリア充なんだって」

「ふ~ん。じゃあ、△△と□□ってどうなの?」

息子たちがそんな話をしていたので「リア充って何だよ?。ギザ十(の方が分からないか・・・)の親戚か?」と今頃になって聞いた私(汗)。

「え~!。お父さん知らないの?。リア充ってリアルに充実ってことだよ」

「リアルに充実?。何が充実してんだ?」

「だから、両思いで付き合ってるんだよ」

「ふ~ん。じゃあ、両思いならリア充ってことか?」

「うん」

「でも、充実ってことは何も恋愛だけじゃないよな。勉強だって運動だって充実してるって事があるんだから、そういう時も『リア充』って言うのか?」

「ううん。リア充って言えば多分、恋愛の時だけだよ」

「何で恋愛の時だけなんだよ。恋愛だけが充実の対象なのか?。それっておかしいじゃん」

「そんなこと言われても・・・」

こんな会話をして息子たちを困らせた私(大汗)。でも、その時は素直にそんなことを思いました。そしてその時「あ~、こういうことなんだな・・・」って思ったことがあります。

アクティブラーニングでもカリキュラムマネジメントでもいいのですが、そういう話が出てくると「それは基礎・基本ができてからの話で、それがないのに自分たちで考えて学習するなんて無理だ」という反応が必ずあります。

ここで言う基礎・基本とは何でしょうか?。所謂「読み・書き・計算」だとすれば、その「読み・書き・計算」がどこまでできていれば基礎・基本ができていると言えるのでしょうか?。例えば、テストで80点以上取れれば身についたという基準があったとすれば、クラスのどのくらいの子どもが基礎・基本を身につけたことになるのでしょうか?。また、いつになったら自ら考えて学ぶ経験をさせるのでしょうか?。

自分は精一杯指導した。でも、子どもたちには身につかなかった。だから自分で考えて学習する経験をさせられなかった。

これで許されている現状はないでしょうか?。テストや試験のために学ぶ授業には意味はありません。使えるものであればインターネットでも計算機でもスマホでも仲間でも使えばいいのです。大事なことは、困難な状況を乗り切る手立てを身につけることです。テストでは何も見られないじゃないかという意見の方もいるでしょう。しかし、テストを受けさせることが生徒が学ぶ目的でしょうか?。学ぶ本筋を間違えると、先ほど例に挙げたリア充のような状況が生み出されるのだと私は思います。

「何のために学ぶのか?」「全ての生徒のために何が必要なのか?」にとことんこだわれば、今までの授業についての考え方に違和感を持つ先生方が増えるような気がします。

strongmind222strongmind2222017/02/14 17:48共感します。
「何のために学ぶのか」や、「その人にとって本当に必要なことはなんなのか」ということを考えることを抜きにして教壇に立つことはできませんでした。
それを子どもたちに考えてもらえるようにするには、キャリア教育が必要だなぁと感じています。

iku-nakaiku-naka2017/02/15 14:48strongmind222さん
コメントありがとうございます。実は、嫁さんが学校でキャリア教育の係主任をやっているのですが、『学び合い』の話になると会話が全然噛み合いません(汗)。子どもたちに求めていることは同じだと思うのですが・・・。なかなか大変です(大汗)。