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(続)nakajimaの「一期一会」

長野県の南部の中学校で社会科の教員をしています。4月より現場に復帰します。授業公開は日程が合えばいつでもOKです。その際は①参観はできるだけ複数名でお越し下さい。②授業後に授業についてお話できる時間を確保して下さい。③可能であれば異学年学習も公開するつもりです。そちらの希望があれば事前にお知らせ下さい。mailはnakachiro0402☆outlook.jp(☆を@に)です。よろしくお願い致します(深々と礼)。

2018-10-14

普段の積み上げ

09:23

先週、本校で郡の研究授業が行われました。私は研究主任として参加しました。今まで何度もこのような会に参加していますが、今までと明らかに違う点が2つありました。

まず、参観された先生方の多くが「普段の授業の積み上げ」について評価して下さった点です。以前は、所謂「研究授業のための授業」が当たり前で「特設単元の特設授業」の公開が普通でした。ですので、参観される先生方としては「授業や生徒はいいけど、こんな授業は普通の授業ではムリ・・・」と思うのが普通でした。しかし、本校の授業は「いつも通り」でしたので、普段の生徒の学びを見て頂けたと思います。課題に対して仲間と当たり前のように関わり合う姿は、参観された先生方にとって参考になったと思います。

次に、当日までの準備の時間が極端に短かったことです。これは授業を公開して下さった教科の先生方の意向もありましたが、毎日残って何時間も授業の準備をすることはありませんでした。その理由としては、やはり「いつも通りやったから」だと私は思います。授業は「ショー」ではありません。つまり、教科の先生方は、普段から生徒の学びを考えた授業をして下さっていたからこその「本時の授業」だったのだと思います。生徒たちも「いつも通り」だったから「いつもの姿」を見せてくれました。

「物事の正否はそれが始まるまでにその9割が決まっている」

「その時限定の活動」がいかに無意味か。そして、活動をきちんと評価せず、「その場限りの活動」にしていることがどれだけ無駄なことかを改めて感じた1日でした。

2018-09-20

いろいろあります

20:20

文化祭を来週末に控えバタバタと過ごしています。

また、文化祭が終われば郡の研究授業があり、本校では数字の公開授業が予定されており、そちらの準備も進んでいます。数字科では『学び合い』の考え方を大事にした授業構想をして下さり、指導案にも『学び合い』の記載があります。そんな授業について検討をしている中で「学習課題が生徒の中から出て来ない点について指摘があるのでは?」という話になりました。それについては事前の指導案審議の時にも指摘されました。

その指摘に関して数学科としては「そのような指摘が出て来るのは十分理解しているが、今までと同じようなことをしていても生徒は成長しない」というスタンスで授業に臨むようです。いろいろ言う人はいるでしょう。しかし、生徒の姿から語って欲しいと思います。研究主任として、数学科の方針をしっかりサポートしたいと思います。

そんなことがある一方でガッカリするような話が耳に入ってきます。

「〜の仕事はやりたくない・できない」

「〜と一緒に仕事をしたくない・〜と同じ学年になりたくない」

「〜をウチのクラスにしないで欲しい」

そんなことを思っている人の言葉が生徒に届くのか?よく考えて欲しいものです。ほっとしたりガッカリしたりと慌ただしい一日でした。

2018-08-25

当たり前のこと

21:21

二学期が始まり、本校では大きく分けて「行事」と「研究授業」に向けての準備が進んでいます。行事では文化祭に向け、クラスや学年での準備、研究授業では、10月に郡内で公開を予定している授業に向けての準備です。私は研究主任として授業に向けての準備を授業者の先生と進めています。

当たり前ですが、何かをするためには具体的な目標やイメージが必要で、その目標やイメージを教師自身がしっかり持っていることが必要です。言い換えると、行事や研究授業を通して生徒たちにどうなって欲しいのかを教師がしっかりイメージできているのかが大事だと思います。

目標やイメージが明確にならなかったり教師が本気で願っていなければ、生徒たちに必要な力は付きません。やり方やテクニックも大事ですが、それ以上に大切にしなければならないことがあります。しかし、最近は「何のためにそれをするのですか?」と聞きたくなるような活動が多いような気がします。

また、教師の「覚悟?」みたいなものも希薄になっているような気がします。生徒に活動をさせておいて、その振り返りをしなかったり、活動が十分な結果を出せなかった責任が教師自身にあっても、それを生徒に謝ることもせず、責任を生徒に押し付ける教師も、正直います。

そんな教師を生徒が信頼するでしょうか?。生徒たちは成長したいと思っています。その気持ちに本気で寄り添える教師でありたいと思います。教師はクラスや学年をより良い方向に導く責任があります。しかし、言い訳しながら責任ひとつ取れない教師や管理職が多いな…と寂しくなったりします。厳しい言い方をすれば、『学び合い』を実践している(していた?)人にもそう言う人がいるように思います。

言っていることとやっていることが違っている人がどんなに課題を練ったり「1人も見捨てない」と言っても上手くは行かないでしょう。正直「あなたが『学び合い』について語って大丈夫ですか?。そんなこと言う前に、自らを顧みることがあるんじゃないですか?」と言いたくなるような人もいます。長くやっているからいいのではありません。亜流は所詮、亜流なのです。

学び合い』云々ではなく、まずは当たり前のことが当たり前にできる教師でありたいと思います。

2018-08-22

子どもよりも…

21:10

本校では火曜日から二学期が始まり、慌ただしい毎日が始まりました。クラスや学年の生徒たちは大きな事故もケガもなく、楽しい夏休みを過ごしたようです。

始業式当日、私が生徒に話をしたことは、二学期は行事を通して仲間との繋がりをさらに深めて欲しいということでした。これからいろいろな仕事を任されることがある。その中には1人ではできないこともある。そんな時に「お願い、手伝って」と言え、助けてもらったら「ありがとう」と言える人になろう。また、困っている人がいれば「どうしたの?」と聞ける人になろう。そういう「つながり」がクラスの力を高めることになる…なんて話をしました。生徒たちはしっかり聞いてくれたと思います。

そんな話をしながら、こういうことができないのって、ホントは大人の方が多いんじゃないかなんて思ったりしました。頼む時は頼むけど、その後の対応が不誠実な大人が結構いるんじゃないかって思います。そんな大人が「1人も見捨てない」なんて言っても「結局口だけでしょ…」と思われるでしょう。偉そうなことを言うヒマがあるのなら、まずは自分の姿を見返し、生徒、または同僚から信じてもらえる言動を心がけなければと思います。相手に失礼な対応をしないような大人にならなければ…なんて思いました。

2018-07-15

あっという間に学期末…

17:50

あっという間に学期末になってしまいました…。

クラスも学年も学校の研究も全てが中途半端で終わって行きそうで、とても不安です。自分なりにはやってきたつもりですが、わたし1人ができることには限界がある…なんて至極当然のことを痛感しています。

つくづく教師は現実維持、言い換えれば変わることができない人の集まりなんだなって思います。いつまで不毛な検討を続けるのか?。疑問符が付くことが多い毎日です。

そんなことを言っても何も変わりませんので、私は私なりに生徒の幸せを求めなければ…と思う、今日この頃です。

こんなことを書くと『学び合い』ができなくなったのか…?と思われる方がいるかもしれませんが、そうではありません。ただ、去年までの風向きとは間違いなく変わって来ています。そんな中で自分の立ち位置を明確にしながら仕事をする息苦しさはあります。そんな経験は山ほどしてきましたのでどうと言うことはありませんが、もう少し広い視野、例えば社会の変化に敏感にならないと教師はいずれ淘汰されるんじゃないかと本気で思います。

若い先生たちが困らないために、私たちのような経験の長い者から変わる努力をしなければと思います。