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(続)nakajimaの「一期一会」

長野県の南部の中学校で社会科の教員をしています。4月より現場に復帰します。授業公開は日程が合えばいつでもOKです。その際は①参観はできるだけ複数名でお越し下さい。②授業後に授業についてお話できる時間を確保して下さい。③可能であれば異学年学習も公開するつもりです。そちらの希望があれば事前にお知らせ下さい。mailはnakachiro0402☆outlook.jp(☆を@に)です。よろしくお願い致します(深々と礼)。

2019-02-08

その通りです

21:00

西川先生が教え子に小学校と中高のどちらを勧めるのかという話をされていました。

中学校の現場にいる者から言わせて頂きますが「まさにその通りです」ってのが正直な気持ちです。私がもし同じ立場であれば、おそらく同じアドバイスをします。だからと言って小学校がラクだとは全く思っていません。しかし、相対的に考えてみるとそういう結論になります。

もちろん、中学校の現場はやりがいがあります。でも、自分の息子に勧めるかと言えば勧めません。もし、息子たちが教師になりたいと言えば応援しますが、実際、中学生の息子たちは教師にだけはなりたくないと言っています。嫁さん曰く「最近のお父さんは変だ。いつも疲れてる。そんなに教師って大変なのか?。そんな仕事ならやりたくないな…」と言ってるみたいです。まあ、私も息子と同じくらいの時は同じ気持ちでした。私の両親も教師で、父親が休みにウチにいた記憶はあんまりありません。

中高のネックが部活動なのは分かりますが、今後これが劇的に変わるなんてことはないと私は思ってます。本県では10年以上前に部活について改革を…と始めましたが、1年もたたずに形骸化しました。正直、行政に期待はできません。つまり今の状況が今後も続くと思っています。ただでさえ仕事量が増えているのに減らすことにつながる動きはほとんどありません。上ではお題目が飛び交っていますが、現場には何も届いて来ません。

つまり、変えたくないのです。変えたら批判されるから。残業時間が過労死レベルを超えている…なんて話は鼻で笑ってしまうくらい、現場は過酷だと私は思っています。今年度、私の残業時間が所謂過労死ラインを下回った月などありません。おそらく、これからの教師は、自分の身は自分で守らないといけない時代になるでしょう。残念ながら、職場は教師一人ひとりを守ってくれる場ではなくなりつつあります。さらに、今までアドバイスをくれたであろう年代の教師が減り、若い年代の教師が増えるのも本県では明らかです。職場が本来あるべき姿ではなくなりつつあることを、ここ数年で強く感じています。

私が定年を迎えるまであと10年ちょっと。都市部では厳しいかもしれませんが、そうでない場所であればギリギリ逃げ切れる年数かもしれません。都市部に比べると周辺部はかなり保守的ですので。

そんな状況の中で自分には何ができるのか…?。なかなか難しいな…って正直思っています。

2019-01-05

今のままでも…

15:00

新しい年になりました。年末年始は久しぶりにゆっくりしましたが、今日から部活が再開し、いよいよ新学期が始まるんだな…なんて思っています。遅くなりましたが本年もよろしくお願いします(深々と礼)。

2学期は文化祭や研究授業など、なんだかんだと慌ただしく過ぎました。生徒たちは1学期同様頑張ってくれたように思います。…しかし、気持ち的にはすっきりしません。というか、消化不良の状態がずっと続いています。授業がやりにくいとか『学び合い』について批判が高まっている訳ではありません。かと言って肯定的に受け取られている訳でもありません。

「自分のクラスや学年が安定してればそれでいいじゃん…」

最近、私の頭の中には常にこの言葉がよぎります。おかげさまでクラスも学年も大きな問題はありません。授業の方も受け持っているクラスでは問題はありません。だからこのままでいいんじゃないの?…という気持ちが起こります。

でも気になるのです。廊下ですれ違う時に見える「何か不安をか抱えているであろうあの生徒の顔」が。

でも気になるのです。空き時間に廊下を歩いていると授業クラスから見える「つまらなそうに座っているあの生徒の顔」が。

でも気になるのです。集団に入れずグループの後ろを付いて歩いている「一緒にいたいのに一緒にいたいって言えないあの生徒の顔」が。

それはその生徒のクラス担任や教科担任の仕事なんだから…と言う人もいますが私はそんな気にはなれません。しかし、私のできることには限界があります。今私ができることは生徒をもっと大人に育てることなんだと改めて感じています。

私がやるべきことを見失わないよう、自らを律していきたいです。

2018-10-14

普段の積み上げ

09:23

先週、本校で郡の研究授業が行われました。私は研究主任として参加しました。今まで何度もこのような会に参加していますが、今までと明らかに違う点が2つありました。

まず、参観された先生方の多くが「普段の授業の積み上げ」について評価して下さった点です。以前は、所謂「研究授業のための授業」が当たり前で「特設単元の特設授業」の公開が普通でした。ですので、参観される先生方としては「授業や生徒はいいけど、こんな授業は普通の授業ではムリ・・・」と思うのが普通でした。しかし、本校の授業は「いつも通り」でしたので、普段の生徒の学びを見て頂けたと思います。課題に対して仲間と当たり前のように関わり合う姿は、参観された先生方にとって参考になったと思います。

次に、当日までの準備の時間が極端に短かったことです。これは授業を公開して下さった教科の先生方の意向もありましたが、毎日残って何時間も授業の準備をすることはありませんでした。その理由としては、やはり「いつも通りやったから」だと私は思います。授業は「ショー」ではありません。つまり、教科の先生方は、普段から生徒の学びを考えた授業をして下さっていたからこその「本時の授業」だったのだと思います。生徒たちも「いつも通り」だったから「いつもの姿」を見せてくれました。

「物事の正否はそれが始まるまでにその9割が決まっている」

「その時限定の活動」がいかに無意味か。そして、活動をきちんと評価せず、「その場限りの活動」にしていることがどれだけ無駄なことかを改めて感じた1日でした。

2018-09-20

いろいろあります

20:20

文化祭を来週末に控えバタバタと過ごしています。

また、文化祭が終われば郡の研究授業があり、本校では数字の公開授業が予定されており、そちらの準備も進んでいます。数字科では『学び合い』の考え方を大事にした授業構想をして下さり、指導案にも『学び合い』の記載があります。そんな授業について検討をしている中で「学習課題が生徒の中から出て来ない点について指摘があるのでは?」という話になりました。それについては事前の指導案審議の時にも指摘されました。

その指摘に関して数学科としては「そのような指摘が出て来るのは十分理解しているが、今までと同じようなことをしていても生徒は成長しない」というスタンスで授業に臨むようです。いろいろ言う人はいるでしょう。しかし、生徒の姿から語って欲しいと思います。研究主任として、数学科の方針をしっかりサポートしたいと思います。

そんなことがある一方でガッカリするような話が耳に入ってきます。

「〜の仕事はやりたくない・できない」

「〜と一緒に仕事をしたくない・〜と同じ学年になりたくない」

「〜をウチのクラスにしないで欲しい」

そんなことを思っている人の言葉が生徒に届くのか?よく考えて欲しいものです。ほっとしたりガッカリしたりと慌ただしい一日でした。

2018-08-25

当たり前のこと

21:21

二学期が始まり、本校では大きく分けて「行事」と「研究授業」に向けての準備が進んでいます。行事では文化祭に向け、クラスや学年での準備、研究授業では、10月に郡内で公開を予定している授業に向けての準備です。私は研究主任として授業に向けての準備を授業者の先生と進めています。

当たり前ですが、何かをするためには具体的な目標やイメージが必要で、その目標やイメージを教師自身がしっかり持っていることが必要です。言い換えると、行事や研究授業を通して生徒たちにどうなって欲しいのかを教師がしっかりイメージできているのかが大事だと思います。

目標やイメージが明確にならなかったり教師が本気で願っていなければ、生徒たちに必要な力は付きません。やり方やテクニックも大事ですが、それ以上に大切にしなければならないことがあります。しかし、最近は「何のためにそれをするのですか?」と聞きたくなるような活動が多いような気がします。

また、教師の「覚悟?」みたいなものも希薄になっているような気がします。生徒に活動をさせておいて、その振り返りをしなかったり、活動が十分な結果を出せなかった責任が教師自身にあっても、それを生徒に謝ることもせず、責任を生徒に押し付ける教師も、正直います。

そんな教師を生徒が信頼するでしょうか?。生徒たちは成長したいと思っています。その気持ちに本気で寄り添える教師でありたいと思います。教師はクラスや学年をより良い方向に導く責任があります。しかし、言い訳しながら責任ひとつ取れない教師や管理職が多いな…と寂しくなったりします。厳しい言い方をすれば、『学び合い』を実践している(していた?)人にもそう言う人がいるように思います。

言っていることとやっていることが違っている人がどんなに課題を練ったり「1人も見捨てない」と言っても上手くは行かないでしょう。正直「あなたが『学び合い』について語って大丈夫ですか?。そんなこと言う前に、自らを顧みることがあるんじゃないですか?」と言いたくなるような人もいます。長くやっているからいいのではありません。亜流は所詮、亜流なのです。

学び合い』云々ではなく、まずは当たり前のことが当たり前にできる教師でありたいと思います。