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クラスのみんなが伸びる(成長する)ために日頃から悩まれている先生方!?
みんなが伸びる(成長する)授業を目指したい方
すべての子ども達のために一緒に学びましょう!
上越教育大学の西川先生が提唱する『学び合い』の考え方を中心に
みんなが伸びる(成長する)学習の場づくりを共に考えています!


長野市で不定期に学習会や情報交換会を行っています。
この会には、教員(大学、短大、高校、中学校、小学校)
一般社会人、保護者、学生(大学院、大学、短大)、塾の先生
などなど実に多様なメンバーが集まって互いに高めあっています。


2010-07-25

なぜ広がらないのか?

21:32 | なぜ広がらないのか? - 1Kawaの日記 北信濃で『学び合い』を! を含むブックマーク はてなブックマーク - なぜ広がらないのか? - 1Kawaの日記 北信濃で『学び合い』を!

メールが来て、翌日、返信しました。

まずは知らないのではないでしょうか?学習会やセミナーではきっとまったく分かりません。模擬授業も正直、伝わりません。逆に、みんなで『学び合い』を演じてたりしたら嫌悪感を抱かれるかもしれません。先生も極端に何もしないからきっと反発されます。だって形ではないのですよ!『学び合い』は!考え方よりも現象を語るから、方法論だと思われるのではないでしょうか?

これが一番かな?と思います。

それから大きな理由として

N先生も何度もおっしゃっています。必要性を感じないからだと思います。

現状への不満≦満足度の状態ではエネルギーを要する行為はなかなかできないと思います。

学び合い』を始めなければならない外圧や大義名分もあまりありません。

急激に増殖している『学び合い』に対する警戒心もあると思います。

一過性の流行に過ぎないのか?本質的なものなのか?

どんな人が加わっているのかを見極めている人もいると思います。

地域のリーダー的な存在の方なのか?それとも八方塞でとにかく飛びついたのか?

それとも楽ができるという言葉に飛びついた人の集まりなのか?(昨日のお茶研での後半の議論でも、楽をしたくて『学び合い』をやってると思われるのはすごくいやだとの思いは全員一致でした)私の仲間に「『学び合い』を熱心にやっているひと教材研究ができない人が飛びついているやつでしょ」といわれました。職場にいる困った教師が駆け込むところという認識があるようです。

とにかくそれは、自分のスタイルを変える必要性を感じないのに勧められるから、何かと理由をつけている部分もあると思います。

とにかく、あまり急がないで、じっくりと根を張りながら成長したいと思っています。



以下は、質問メールに返信した内容のコピーです。

> ①どうして『学び合い』は広まりにくいと思いますか?

西川先生のメモに書かれている通りです。現状に不満を持っていない人には必要ないのです。比較論ではないようです。今よりも『学び合い』の方がよい!では動きません。圧倒的に良くてもです。現状に問題点を感じていることが条件です。

でも、現状は少人数の児童に対して先生がきめ細かい指導を行なうことがよいとされています。個に対して内容に対する到達度だけに目をむけています。その方向性で頑張って成果を挙げていると評価されている先生方は不満や問題点を感じることはできないと思います。

教育の目標を真剣に捕らえていないのも原因だと思います。学校って何をするところですか?という問いを投げかけると面白いですよ。きっとわれわれと違う答えが返ってきます。

余談ですが、

軽自動車で十分だと思っている人に安全性、性能などなど多くの面で優れている高級車をセールスしても買ってもらえません。私はレガシィに乗っています。先日、車検のとき、新しいレガシィを勧められました。めちゃくちゃ欲しいし、性能も相当よいことがわかりました。自分にとって最も必要な条件を満たしている車だと思っています。しかし、今の車には合格点をつけるだけの満足度があります。したがって、買い換えません。お金をかける(新しいことを学ぶための労力)だけの価値を見いだせないのです。


> ②どうすれば少しでも『学び合い』は広まると思いますか?

自分の授業をじっくりと振り返る機会(自己モニターする場)があればずいぶん変わると思います。記録を丹念に見直す機会は現場にはありません。自分の授業の録画を見るだけでも違います。

人の授業を見て、感動してもなかなか広がりません。


> ちなみに広まりにくい理由として私が思いつく限りでは、

> ・『学び合い』は難しそう

・これは私の周りではあまり聞きませんが、そう思う人がいたら興味深いです。

でも私は、最近、難しいと思い始めています。

> ・今のまま(いわゆる一斉授業)でもやっていくことはできる

・できるではなく、その方がよいと思っている人が『学び合い』をよいと思っている人より圧倒的に多いと思います。どうしてでしょう?

> ・新しいことを始める余裕が今の現場にはない(忙しすぎて)

・それは言えます。

> ・教えたいという気持ちを抑えられない

・『学び合い』でも満たされますよ。そのうち気づきます。だって西川先生は教えまくります。状況によって使い分けられることも分かってきます。考え方です。目に見えることにとらわれるとつまずきます。

> ・今まで気付きあげてきたものを変えるのがこわい

・う~ん。ここまで意識している人はきっと変われます。あべたかさん、ジーンさんなどがいい例です。何かを築き上げた人は本質が分かっています。(勝手にジーンさんを例に挙げてしまいました。ごめんなさい)

N研の皆さんに「期待してるよ~」

09:20 | N研の皆さんに「期待してるよ~」 - 1Kawaの日記 北信濃で『学び合い』を! を含むブックマーク はてなブックマーク - N研の皆さんに「期待してるよ~」 - 1Kawaの日記 北信濃で『学び合い』を!

是非是非、最新の『学び合い』の学術研究の様子をブログ、メルマガなどで発信してください!今、どんな研究が旬なのか?これからの課題はどんなことなのか?話題になっていることをどんどん発信してほしい!現場ではできないことをやれる場所ですから!

現場にいると分かりません。

それからお茶研では、どんなことが話題になっているのか?われわれ全国の仲間の動向がよく分かっていると思います。それに対してどんな感想を持っているのか?みんなに可視化してほしいのです。

ある程度、動向が分かっていると、いろいろな会に行ったときに、スムーズに話題に参加できます。上越に研修に行けば一番いいと思います。でも研修にいける方はそんなに多くないと思います。そういう方には夏のフォーラムもいい場になるでしょう。それでも期待しています。『学び合い』の学術の発信源、全国の状況を是非是非可視化してください!

地方で細々と『学び合い』をやっているものとしてのリクエストです。

なんて私だけが勝手に思っているのでしょうか?

7月31日はセミナーの打ち合わせ!

08:18 | 7月31日はセミナーの打ち合わせ! - 1Kawaの日記 北信濃で『学び合い』を! を含むブックマーク はてなブックマーク - 7月31日はセミナーの打ち合わせ! - 1Kawaの日記 北信濃で『学び合い』を!

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15:00~山梨英和中学校にてセミナーの打ち合わせです。何人来るかは分かりません。山梨県下で『学び合い』について興味を持っている方に来てほしい!と思っています。ですから、『学び合い』の考え方、最初の一歩を踏み出すという点を大切にしたいと思っています。『学び合い』を理解して実践している方もご自信の初期の段階を語ることで得るものが多いと思います。山梨はまだ、では自由に語ってください!と言われて語れるほど成熟していません。山梨に応じた課題を31日にしっかりと確認したいと思います。実行委員会のメンバーもそれぞれ仕事が忙しかったりしますが、みんな一生懸命考えて行動しています。多くの方の参加を心よりお待ちしています。是非、参加をお願いします!

一児の父親一児の父親2010/07/25 23:14少し生意気な事を書きますがお許しください。
>必要性を感じないことが、学び合いが広がらない要因のひとつ
これは教師にとって必要を感じないという意味でしょうか?
それとも学ぶ側(児童・保護者)にとって必要を感じないという意味でしょうか?
恐らく1kawa-nakajima先生の仰せのように新しい『考え方』の急速な広がりに対する警戒心のような物が先生方の世界で存在することは教師ではない私にも、何となくですが想像出来ます。築き上げた経験の上に自信を持たれておられる先生であるなら、必要性を感じないのがむしろ当然かも知れません。
しかし対する保護者、子どもは教育者ではありません。学び合いに賛同するしない以前に、保護者は日々の学びの現場に参加は出来ないのです。
上手く表現できませんが、保護者(こども)は先生を信じるしかないのです。少なくとも私は『学び合い』の『考え方』が自分の子どもの未来に有益だと思っています。学校での学び合いの実践に参加出来ない保護者ですが『学び合い』を必要と感じているんです。
先生方から見れば身勝手な保護者の意見かも知れませんが、お子さんのおられる先生も家庭に帰れば、保護者であろうと思います。難しい理論は分かりませんが、教員だけの世界で『学び合い』を広げるよりも保護者に限らず大勢の方々に知ってもらう事が一番のような気がします。ただし焦らずにです。
生意気な事を言ってしまいましたが、すみません。。

bunbun-hbunbun-h2010/07/25 23:22「教員だけの世界で『学び合い』を広げるよりも保護者に限らず大勢の方々に知ってもらう事が一番のような気がします。ただし焦らずにです。」
まったくそのとおりだと思います。
教師でない私だからかもしれませんが、常々そう感じています。(その難しさとあわせて、だから焦らずに)

i-Kawa-nakajimai-Kawa-nakajima2010/07/26 06:27一児の父親さん bunbun-hさん
コメントありがとうございます。
必要性を感じていないのは教師という立場で書きました。
学び手のことを一番大切に考えているのが『学び合い』の考え方なんですよね。うちの学校ではLess Teaching,More Learningと読んでいますが、名前をつけるときに「学習者第一主義」なんて言葉も出ました。
私が、現職派遣としてN研で学んだときに所属していた学校の当時の校長が、学校での全ての教育活動は「子どもの立場に立って考え、子どもの立場に立って行え」おっしゃっていました。
教師が主語の教育観から学習者が主語の教育観への転換ができるかどうか?大きな問題です。
そのためにも、お二人のような思いは、大変心強いです。社会全体でそういった雰囲気ができるときっと自然に変わります。正統派『学び合い』にはうそっぽさがありません。本当に自然体です。きっと当たり前に受け入れられます。
とってもいい気持ちで一日が始まりました!

maru3110maru31102010/07/26 16:57「必要性を感じていない」こと
わたしも全く同じことを感じていました。
自分の日記にも書きましたが
多くの先生は
「一人も見捨てないこと」を決意し実現する
必要性、とか環境にないのではないかと思っています。

o4dao4da2010/07/26 22:05現象を語るからというのも一理ある気がしました。みんな置かれている立場が違うので講演のN先生モードになるだけではいけませんんね。

i-Kawa-nakajimai-Kawa-nakajima2010/07/27 00:48maruさん 一人も見捨てないことを決意しなければ『学び合い』の考え方での授業は無理でしょう。子どもに嘘っぽさがばれます。そして、学び合うことを演じる子どもと、付き合いきれない子どもが出てくるでしょう。すごく不幸です。必要性を感じて、考え方をしっかりと自分のものとしないとなかなか『学びあい』の考え方に立った授業実践はできないと思います。

o4daさん 『学び合い』は考え方だとみんな知っているのに、ああすればいい、こうすればいい、これは『学び合い』なのか?と… これでいいのだろうか?といつも思ってしまいます。これは○でこれは×ということはないと思います。その行為がどういった考え方から生まれたのか?が問題だと思います。同じ現象でも考え方が違うとまったく意味が異なると考えます!みんなで語り合いたい!と思いました。

o4dao4da2010/07/27 19:43その行動をどう評価されるかがドキドキする小心者です。考えがあると平気なのでしょうね。

hideki55hideki552010/08/01 05:09よいものなのに、『学び合い』が広まらないのはなぜか。
ということに関連して、よいものなのに広まらないものは教育界には、他にも探せば、あると思われます。

例えば、聞きかじりですが、板倉聖宣さんの仮説実験授業、遠山啓さんの水道方式の算数、教科研の日本語文法、大西忠治の科学的読みの授業研究会方式の授業などなど探せばいろいろあるでしょう。

私が、ここに書き挙げた例を、『学び合い』の関係者でもご存じない方もいらっしゃるでょうし、知ってはいるが私は取り入れていないという方もいれば、時に実際の授業に取り入れている方もいれば、私の授業ではそれをいつでも取り入れている方もいるでしょう。

それと、『学び合い』がなぜ広まらないのかと、同じレベルの問題でしょう。
もし、文科省が、その方式を取り入れなさいと、学習指導要領で言い出せば、反対に、その方式は、日本全国に広がるのではないかと、個人的には考えます。

私は、国語の教員なので、教科研の日本語文法を子どもたちに教えなければ、子どもたちが日本語を自覚的に使いこなせるようにはならないと思っています。
たとえば、学習指導要領では、動詞の活用形などを教えようとするわけですが、動詞の活用形を識別できることは現代日本語にあっては何の意味もないと個人的には思います。ただし、高校入試には、出題されますので、現実問題としては、知らないと困るわけです。
動詞の活用形の識別は、小学生にできるかといえば、時間をかければできるようにはなると思いますが、かなり難しいことです。それは、その識別ができるためには、抽象的思考が必要だからでもありますし、分けにくいものを分けるというからでもあり、活用形の意味とその言葉が不一致だからでもあります。

そんなことより、ほかに教えるべき日本語のルールはないのかというと、あるのです。それが、例えば、教科研の日本語文法の内容なのです。

例えば、動詞の終止形は、教科研では、非過去形・肯定・普通体として位置づけます。
行く…行った とを比較します。
「行く」も「行った」も実際の文では、文末で多くは言い終わる形ですので、教科研では、終止形なのです。
「行く」と「行った」の違いは、非過去か過去の違いでもあります。
行くと行かない とを比較します。
「行く」も「行かない」も実際の文では、文末で多くはいい終わる形なので、教科研では終止形なのです。
「行く」と「行かない」の違いは、肯定か否定かの違いでもあります。
行くと行きます とを比較します。
どちらも、終止形。
その違いは、普通体か丁寧体かの違いです。

つまり、動詞に助動詞をつけたままの形で、その意味などをとらえようとするのが、教科研の日本語文法なのです。ですので、未然形で「行か ない」と「行こ う」とひとくくりしないのです。
「行かない」と「行く」との違いを考えるように、「行く」と「行こう」との違いをあきらかにしようとしているのが、教科研の日本語文法なのです。
小学生にも中学生にも「行か ない」の「行か」と「行こ う」の「行こ」は、同じ未然形だよと教えても形も意味も違うのになぜ?・また、「行か と ない」「行こ と う」とに分割することは大変難しいことなのです。

では、また。

hideki55hideki552010/08/01 06:58追加します。

例えば、学校文法では、動詞の終止形は、動詞のあとに何も付かない形と、条件をあらわす「と」、推量をあらわす「らしい」に付く形が、終止形扱いなのです。
例えば、 彼は怒ると、怖い。 の「怒る」は、終止形。
例えば、 明日は雨が降るらしい。 の「降る」は、終止形。

怒ると…普通の感覚では文末で使われていない、つまり、続く部分があるのに、「怒る」は終止形。これは、約束事として覚えるしかないのです。
そういう意味もないことを覚えなければならないのが、学校文法の内容になっている。

i-Kawa-nakajimai-Kawa-nakajima2010/08/04 21:39hideki55さん コメントありがとうございます。その後、東京に信州にとばたばた移動していました。モバイル環境の整備を急がないと動きに対応できていません・・・とほほ
よいものなのに広がらないことについて、納得しつつ読みました。でも、そうか、あの先生は『学び合い』でやっているんだ!と認知され、そしてその学級が圧倒的に巣晴らしとなれば勝手に広がりますよね。卒業生があのときに私の基盤ができた!なんてテレビで語りまくるようになれば、きっと相当注目されます。
教えなければならない内容について、いろいろと考えさせられます。改めて示されると う~ん・・・と・・・
また、ゆっくりと語りましょう!

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