Hatena::Groupmanabiai

越後屋の『学び合い』帳

東京の高校教員(国語科)です。
ご連絡はimakiy☆yahoo.co.jp(☆→@に変えてください)にメールしてください。

20130625200505

2016年03月16日(水)

年度末

| 23:23

成績処理はいつも淡々と進んでいく。他動詞の「進める」ではなく、自動詞の「進む」の方が実感に近い。数値化しなければならない以上、淡々とExcelに入力していくより他にない。そこには入力と集計と算出しかない。

感情が動くのは、採点や添削の時だ。その段階はすでに終えている。考査答案を採点しながら、レポートを点検しながら、手帳が真っ黒になるほど反省や発見、アイディアを書き出した。がんばろう、来年度。

明日の答案返却で素点の修正が生じれば、修正する。そして科会を経て教務に提出。この段階で右往左往することはない。

毎年少しずつマシになっているはずなのに、考えなければならないことはどんどん増えていく。手応えは心許ないが、確かに核心に近づいているのを感じている。

2015年09月19日(土)

OJT

| 00:01

今日は同じ国語科の若君が参観に来てくれた。若君は6歳下で、弟のような存在だ。でも身長は圧倒的に高い。憎たらしい弟だ。

若君とはこれまでも「マインド」の部分で共感するところが多く、建設的な同僚関係を築いてきた。今日の参観は、セオリー通り、生徒も教員も学び合う時間となった。

もちろん、目の前の現実には課題がある。教室の後ろに並んで、具体的に何がどのように課題かを話し合った。ロングスパンで臨む授業者と、初見の参観者が、それぞれの視点で課題を検討した。

「この状況を最後にどう締めるか見ててね。で、後でフィードバックをちょうだい」と言って、〆の語りを見てもらった。ただし、教壇に上がったら、用意したことと全く別のことが口から出ていた。

夜、生徒の書いたレポートなどに目を通しながら、あれこれと懇談。若君のモチベーションは抑えきれなくなっており、3学期からアクティブ・ラーニングに移行する決意だそうだ。むやみに「明日から」と言わないところが、若君の賢いところだ。若君の修学旅行がひと段落ついた頃に、一緒に3学期の課題を作ろうね、という話で今日は終わった。

2015年09月07日(月)

ヒマ

| 23:51

今日は三つのクラスで授業があったが、一度も生徒に話しかけられることがなかった。

一学期は、なんだかんだで「せんせ~」という呼びかけがあり、それに応じざるを得なかった。いや、「応じざるを得なかった」といいつつ、僕自身がそういう集団の状態を作り出していたのだと思う。生徒も甘えていたし、僕も甘えていたのだ。

二学期に入り、初回の授業で重たい話をした。その語りが届いたのだと思う。状況は激変した。

いよいよ授業中にヒマになってきた。いいぞ。

2015年06月22日(月)

越後屋、表舞台に立つ。

| 23:09

島根県立隠岐島前高校の校長先生と、海士町教育委員会のO氏が授業を参観しにいらっしゃった。遠方からの視察ということで、本校の管理職の先生方も丁寧に対応してくださった。

実は、スーパーグローバルがスーパーサイエンスに視察に来た格好になる。どちらの学校にとっても、国語という普通教科の中で、「毎時間ふつーに」アクティブ・ラーニングを行い、「毎時間ふつーに」単元ぶんのルーブリックを全員に配布して自己評価(振り返り)している授業は、実は貴重な存在なのだ。

というわけで、来校者のお二人と本校の管理職お二人、SSH事業を所管する研究部主任の先生が教室にいらっしゃった。生徒たちは、セオリー通り、張り切っていた。普段は見られない光景もあった。やはり参観者はありがたい。

授業後の懇談では、過分な絶賛をいただいた。本当に過分だったのだが、あまりに絶賛するものだから、当方の管理職お二人も気をよくしていた。この効果は大きい。研究部を交えて「SGHとSSHの懇談」という格好になったことも大きい。隠岐に出前授業に来てくれとまで言われ(先方の校長先生)、「じゃあ研究部主任も一緒に行ってこい」(当方の校長先生)という話になり、なんだか訳がわからない。

さしあたり、明後日のSSH委員会で『学び合い』の紹介を依頼された。副校長からは「そのうち、本校の教員相手に体験授業をやろうね」と言われた。流れが急すぎて手に負えない。越後屋は暗躍を旨としていたはずなのだが、いよいよ表舞台に立ってしまった。

2014年11月21日(金)

国語科の課題をシンプルに

| 20:15

国語科の課題に悩む声をよく聞きます。私自身も、常に試行錯誤を繰り返しています。

これまで、いわゆる発問形式(なぜか、どういうことか等)の場合、獲得してほしい認識に到達しない生徒もおり、困っていました。また、発問に対しては、解答例を聞いて理解したつもりになるケースもよくあります。陥りやすいところです。

画像は高校三年生の古典の授業です。ようやく、ここまでシンプルにできました。結論を板書してあります(プリントでもいいのですが)。板書を見ると理解しているような気がするのですが、それを自分の言葉で説明しようとすると、読み切れていない部分が明らかになります。

理社や数学の『学び合い』ではよく見られる課題ですが、「国語科は文章の内容が学習事項ではないから…」などと小賢しいことを考えて、課題をシンプルにできずにいました。

実は、教材研究の負担も激減しました。画像のような要約を付箋に書き出せばいいのですから。

これまで、生徒の中には「答が違うかもしれないから教えられない」という子もいましたが、これならそういった危惧から活動が停滞することもありません。

f:id:e_chigoya:20141121201430j:image