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越後屋の『学び合い』帳

東京の高校教員(国語科)です。
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2016年10月14日(金)

短歌の授業

| 12:13

高2現代文B、考査直前の単元は短歌。指導事項は「表現を味わう」。「味わう」とは「良さを感じ取る」という意味らしい(大辞林)ので、短歌とそれを散文に書き換えた(つまり台無しにした)ものとを比較して、短歌の表現にフォーカスすることにした。

栗木京子の

鶏卵を割りて五月の陽のもとへ死をひとつづつ流し出したり

という短歌について、「卵を割った、というだけのことを、こんなふうに表現できるなんてすごい!」と言っていた生徒がいた。

さて、この歌にも対比の技法が用いられているが、読解する側にとっても「対比」は文章の種類を問わず有効なツールだ。今回は「対比(ちがうね)」あるいは「類似(同じだね)」の観点で短歌の理解を深めることにした。

【課題3】次の説明は教科書のどの短歌を説明したものか。

《危篤になった母の「静」と、臨終に間に合うよう急いで帰郷する自分が対比されている。》

→●みちのくの母の命を一目見ん一目みんとぞいそぐなりけれ(斎藤茂吉)

この課題は完全に準備運動で、次の課題の解答の型を示すことが目的になっている。

【課題4】次の短歌を〈対比〉もしくは〈類似〉の観点で説明しなさい。

●こんなにも湯呑茶碗はあたたかくしどろもどろに吾はおるなり

●サバンナの象のうんこよ聞いてくれだるいせつないこわいさみしい

他2首

「説明しなさい」という課題なので、授業の最後に実際に説明してもらった(評価)。画像はその説明。

2014年11月21日(金)

国語科の課題をシンプルに

| 20:15

国語科の課題に悩む声をよく聞きます。私自身も、常に試行錯誤を繰り返しています。

これまで、いわゆる発問形式(なぜか、どういうことか等)の場合、獲得してほしい認識に到達しない生徒もおり、困っていました。また、発問に対しては、解答例を聞いて理解したつもりになるケースもよくあります。陥りやすいところです。

画像は高校三年生の古典の授業です。ようやく、ここまでシンプルにできました。結論を板書してあります(プリントでもいいのですが)。板書を見ると理解しているような気がするのですが、それを自分の言葉で説明しようとすると、読み切れていない部分が明らかになります。

理社や数学の『学び合い』ではよく見られる課題ですが、「国語科は文章の内容が学習事項ではないから…」などと小賢しいことを考えて、課題をシンプルにできずにいました。

実は、教材研究の負担も激減しました。画像のような要約を付箋に書き出せばいいのですから。

これまで、生徒の中には「答が違うかもしれないから教えられない」という子もいましたが、これならそういった危惧から活動が停滞することもありません。

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2013年11月20日(水)

現代文、こころ。

| 00:25

現代文。夏目漱石「こころ」。

最初の課題。

「精神的に向上心のないものは馬鹿だ」という「私」の言葉は、Kにどのようなダメージを与えたか。200字で説明しなさい。

Kの信条や「私」の策略を踏まえないと答えられないので、相当前後を読まなくてはならない。いわゆる「人物相関図的な設定」は、これで押さえられた(回収した答案で確認ずみ)。

板書しようが何をしようが、結局、生徒が必要感・必然性をもって読み込まなくては意味がない。

kota_02kota_022013/11/21 00:00「先生」は遺産としてどのくらいの金をもっていたのか、という問もいいですよ。「先生」の金が引き起こしたことに目を向けさせることができます。

2013年06月23日(日)

必然性

| 22:55

現代文(評論)の課題は、やはり「教材の外」にあるようです。

教材が読めていれば考えられる、解けるという課題の場合に、生徒の活動は活発になります。

課題を解決するために、生徒は必死になって教材を読みます。

答えるためには正確に読まなければならない。わかるまで読まなければならない。

読むことの必然性がそこにあります。

最近の現代文の授業

| 12:29

評論を読んでいます(岩井克人『ホンモノのおカネの作り方』、中村桃子『ことばがつくる女と男』)。

「授業の目的」を「この教材を読む目的」に置き換えています。たとえば、後者の教材では次のように示しました。

◎「女ことば」や「男ことば」を使うことで、「女らしさ」や「男らしさ」が作られているのだということがわかる。

◎アイデンティティは常に一定の揺るぎないものではなく、場面ごとの言語行為によって変わるものだということがわかる。

「このことをわかるために、この教材を読みます」と言い切っています。この目的が達成されたかどうかを判断するために、生徒はいくつかの課題に取り組みます。

課題1 「本質主義」「構築主義」の定義に線を引きなさい。

課題2 課題1の定義を必ず含めて、文章をシーケンスチャートにまとめなさい(矢印の数は7~9)。

課題3 「てめえふざけんなよ」と言った女子生徒に対して、B先生は「女子がそういう言葉を使うものではない」と注意した。このB先生は、本質主義と構築主義のどちらにもとづいているか。理由とともに答えなさい。

課題4 アニメ「サザエさん」の磯野波平は、どのような言葉を使って、どのようなアイデンティティを作り上げているか。

範読と課題1・2が第1時、課題3と4が第2時、第3時です。課題3と4は、それぞれ200字作文の形式で答案を作成して提出します。この作文で全員がB以上を取ることを「授業の目標」としています。

言語技術面での指導も含むようにはしていますが、やや内容主義に偏っているかなぁと反省しています。でも、生徒を見ていると、取り組みやすいようです。あるグループの会話を聞いていると、

「だからさあ、俺が俺のことを俺って言う場合、俺が男だから俺って言うんだと考えるのが本質主義じゃん。俺って言うことによって男なんだって考えるのが構築主義だよ」

などと言っています。ついには「性別が先なら本質主義、言葉が先なら構築主義」と結論していました。「言葉が先」とは、まさに言語論的転回。高校2年生ながら、大学生の議論をしています。参りました。

ただし、この情報が全員に行き渡っているわけではありません。その点は厳しく叱咤しなければなりません。「授業の目標」は、あくまでも全員がB以上ですから。

また、進路指導と絡めて、「この教材がおもしろいと思ったら、社会学や社会言語学というキーワードで大学を探してごらん」ということまでプリントに載せるようになりました。夏休みには、各自でオープンキャンパスに参加してくるという課題があります。参考にしてもらいたいところです。

50分の授業は、学習指導でもあり、生活指導でもあり(時間の管理、持ち物の管理、全員達成を求めるのは生活指導だと思っています)、進路指導でもあります。いよいよ、これらが渾然一体となってきました。

kota_02kota_022013/06/24 07:18ありがとうございます。
教室の様子が少しわかりました。

本質主義と構築主義、「である」価値と「する」価値。
『学び合い』は、どちらなのですか?
『学び合い』の課題も、『学び合い』の外にあるのですか?

e_chigoyae_chigoya2013/06/24 16:59kotaさん。先日、演劇部顧問のMさんに「よろしくお伝えください」と言おうとして、そのタイミングすら逃していました。ご無沙汰しています。
いつもながら、揺さぶりをかけるご質問ですね(笑)
学習に関しては、社会構成主義の立場ですね。
子ども観はどうだろう。子ども集団は本質的に有能なのか、「君たちは有能だ」と言い続けることで有能になるのか。前者だとすると、あまり教育の必要性はないような気がします。
西川先生は「人とつながるのは本性」と言う時があります。その点は本質主義なのかもしれません。

kota_02kota_022013/06/25 08:02ありがとうございます。
社会構成主義? 
よくわかりませんが、「する」価値寄りのようですね。

「である」価値、「在り方」をベースにした、
「する」価値寄りの学級経営、授業がいいのかな、
と私も思っています。

↓本質主義、構築主義のねたとして、こんなのがあります。
YUKI「集まろう for tomorrow」(「megaphonic」所収)
http://manabiai.g.hatena.ne.jp/kota_02/20120523

e_chigoyae_chigoya2013/06/25 23:00ありがとうございます。そのアルバム持ってました。明日の授業で紹介してみます。
明日が考査前(この教材の)最後の授業でした。グッドタイミングです。

2013年06月12日(水)

加速態勢

| 22:57

土曜日の現代文の作文課題をようやく点検しました。授業観察のあった回ですね。岩井克人の評論で、僕は内容の説明はせずに、ただ全員だ全員だと言い続けただけでした(管理職のご理解がありがたいです)。

いやぁ、できてます。かなり抽象的な内容ですが、理解してます。よしよし。

抽象的な評論を読んで、自分たちであーだこーだ話し合い、200字の短作文に答案をまとめ、合格のフィードバックをもらう、という流れができました。これで力がつかないのなら、何をやってもダメでしょう。

ただし、全員達成ではありませんでした。明らかに学習を放棄していた答案がありました。語りドコロです。あの体育祭は何だったのか、ムカデ競走の勝利は何だったのか、君たちのTシャツは何だったのか、ということです。あれができて、これができないというのは、おかしな話です。

ようやく現代文も「加速態勢」に入りました。

makiwarisanmakiwarisan2013/06/12 23:08その答案の背景には、きっと何か原因があるのでしょうね。それが解決できれば、きっと大きくあゆみだせるのでしょう。その原因を考えるのは、やっぱり子どもたちなのでしょうね。

makiwarisanmakiwarisan2013/06/12 23:15追伸です。昨年度、運動会を迎えるに当たり、6年生の子どもたちに問いかけました。
「運動会とは何か」話し合いの結果「全員の感動」となりました。
来てくれた人、家族、クラスや学年、全校児童、もちろん先生も、すべての人々の心を動かそうとして練習に励みました。

e_chigoyae_chigoya2013/06/12 23:59コメントありがとうございます。「ダメだよね」という確認は、しなくても彼らはわかっているんですよね。原因からの根治療法でいかないと。明日の授業で、原因を考えるように語りたいと思います。ありがとうございます。