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イルカたちの夢

 高知県の小学校教員です。 山間の学校の6年生を担任しています。 よろしくお願いいたします。
ご連絡はkochimana7☆gmail.comの☆を@(アットマーク)に直してお送りください(迷惑メール対策です)。

2017-01-05

若手の先生 18:28

昨年度までは高知にいたが、今年度から高知県を離れた若手の女先生がいる。

学び合い』に興味を持って、実践もしている。


諸般の事情により、がっつりの『学び合い』は(特に研究授業では)なかなかできない。


たまに連絡をくださって、相談を受けたりする。

その先生の子どもの見方や指導したことを聞いていると、「いいなぁ」と思う。


いろいろと制約のある中だが、研究授業の指導案を一緒に考えたこともある。

まあ、それぞれに事情があるので、その先生の思いだけでゴリ押しをしてしまうときつくなる。

仕方のないことだ。


しなければならないこともあり、勉強熱心なので試してみたいこともありで、なんとか授業をしてみたが、まあ、消化不良というか、あまりうまくいったという実感は持てなかったそうだ。


でも、同僚の方々の中には興味を持ってくださった方々もいて、

「でも、これからはこんな授業が必要になってくるんですよね。」

と、好意的な感想もあったそうだ。

実際、学級経営において、なかなか学習に参加できていなかった子ども達が昨年度よりも参加するようになったり、仲間関係も良くなったりするなど、目に見えて改善されてきたという事実もあるので一目置かれているのだ。


行き詰まりを感じているという相談があったとき、

「ひょっとして、続けるのつらい?」

と聞いてみると、

「あ、効果はあるから、やめる気はないんで。」

と、あっさり即答だった。


なんとも頼もしい。

2017-01-03

『ミライの授業』読了 19:42

瀧本哲史さんの本。

14歳くらいの人を対象に、歴史上の人物を具体例として挙げながら書かれた本なので、自分にも読みやすかった。

メモ

①フランシス・ベーコン

 人間の陥る4つの「思い込み」

 種族のイドラ(人間の体や脳のしくみなどからくる人間の思い込み)

 洞窟のイドラ(自分の考えは全て正しいと勘違いしてしまう個人の思い込み)

 市場のイドラ(まわりの評判やうわさ話を鵜呑みにする思い込み)

 劇場のイドラ(偉い人や有名な人の言うことを信じてしまう思い込み)

 いわゆる賢い人や、他で業績をあげている人でもこれらの思い込みにとらわれてしまうもの。


②ナイチンゲール

 どんな権力者でも反論できない、統計学に基づく客観的な事実をつきつけて説得した。


③伊能忠敬

 偉業には、「影の主役」がいる。忠敬にとっては、高橋至時。

 一方、メンデルは、「数学的な正しささえ証明すれば、必ず認められる」と思うだけで、仲間をつくろうとせず、孤独に研究を続けた。「伝える力」が足りなかった。


そういえば、研究そのものがいくら良いものでも、その良さを伝える力も必要で、協力者がいないと研究は進まないというようなことを、山中伸弥教授も言っていた。


➃コペルニクス

 客観的なデータをつきつけても変わらない人達はいる。結局、世代交代を待つしかなかった。

 


みなさんが世界を変えようとするとき、自分の夢をかなえようとするとき、周囲の大人たちが応援してくれると思ったら大間違いです。大人たちが応援するのは、自分の地位を脅かさない若者だけ。つまり、「世界を変えない若者」だけです。


「ミライ」は逆風の向こうにある。




ここで言う「周囲の大人たち」にはなりたくないと思う。

自分もされるといやだから。

でも、私自身、イドラにとらわれていることってたくさんあるんだろうなぁ。





面白く、興味深いと思ったのは、コペルニクスが『天体の回転について』という本を出版するとき、刷り上がる直前に、校正者が勝手に以下のような内容の序文を付け加えていたというエピソード。


地球が動くという考えに読者はびっくりするべきでなない。

こんなとんでもない考えを述べているからと言って著者を責めるべきではない。

筆者は、この考えが必然的に正しいと主張しているわけではない。

読者は、これを単なる仮説と受け取ってもらっていい。


この序文を書き加えたのは、オジアンダーという人物。

彼は熱心なキリスト教徒で、神学者でもあったそうだ。


コペルニクスの弟子は、オジアンダーの序文に激怒したそうだが、何十年ものあいだキリスト教関係者から批判の声が上がらなかったのは、彼が書き加えたこの序文のおかげだともいわれているそうだ。


オジアンダーの本当の意図がどこにあったかは知らないが、いずれにせよ大切な種の中身を、発芽する条件が整うまで守ってくれる種皮の役割を果たしてくれていたかもしれないと思えて面白かった。


今の世の中であれば、当時のように出版もままならない時代と違って「正しいこと」が完全に埋もれてしまう確率はかなり減ってきたことは確かだろう。

その人個人の人生の長さにこだわらなければ(本人にとってはつらいだろうけど)、完全に埋もれていないものであれば、その「正しさ」もいつかは認められるのかもしれない。

そして、インターネットのない時代にくらべれば、広まる速さは驚異的に速い。


まあ、そうであっても、結局、ローマ教皇庁とカトリック教会が正式に地動説の正しさを認めたのは1992年。

日本で言えば平成に入ってからのこと。

「立場」というものがあれば、これほどまでに変われないということか。


みんながその「立場」を越えて「正しいこと」を認めればいいのかもしれないが、世の中みんながそう強くはない。

政治的、あるいは金銭的などの利害関係までかかわってくる場合もある。

また、単なる保身のつもりではなく、その「正しいこと」を通すことでもっと大きな何か「困ったこと」を招いてしまうことを、心底、善意で心配している場合もあるのかもしれない。


世の中、私が見て判断した範囲の中では不合理であったり、理不尽であったりすることでも、実は大切なものがあるだろうということはわかる。


「『ミライ』は逆風の中にある」と言われても、逆風の中に必ず望む「ミライ」や「正しいこと」があるというものでもないのが厄介なところ。

正しいと思っていても、思いたくても、人によってその確信の度合も違う。

不安になり、ときにゆらぐこともある。


そんないろんなことがまじりあって、世の中が成り立っているので、性急にはいかないこともわかっている。

が、正しいことが広まることが少し遅れることで、救われるはずの人が何人か救われない、あるいは救われることが遅れることも確かだ。




周囲が何といおうと、自分が正しいと思うことをそのままストレートに訴え続けることでついには認められたという話も聞くことがある。


一方で、正しいと思うことを、ストレートではないけれども、まずは受け入れられやすい形にしたことで、一見回り道に思えたが、結果として一番望んでいた形に持っていけたという話も聞くことがある。


どちらが正しい方法というよりも、どちらも可能性はあるということだろう。

同様に、失敗する可能性も。


結局、多様な人が、多様な条件のもとで、多様なことをしていくしかないということだろうか。

ミクロで見れば、その多様なやり方のいくつかが、望む方向に逆行しているものもあるかもしれない。

が、それらも含めて、つなげられ、蓄積されていく中で全体が進んでいく。


強権をもって1つの方法のみに統一すれば一挙に進むこともあるかもしれないが、その方法が間違っていたら全滅することになる。

全員が納得していたのならまだしも、納得しないまま強制されていたとしたらたまったものではない。


メモとして書いたので、いつにも増してごちゃごちゃとまとまりがなくなったが、自分の経て来た過去のこと、現在のこと、そして将来のことに結び付けて考えることができた。

居心地のよい組織と生産性③ 19:42

「おふくろさん弁当」のような小さな会社のことだけでなく、大きな会社はどうなんだろう?と思っていると、ちょっと前のことだけど、あのグーグルが社員の生産性を高める条件について研究していた。

「プロジェクト・アリストテレス」と呼ばれる研究。

どんなチームが生産性が高かったか?

※ネットの記事の孫引きで申し訳ございません。


まず、「チームワーク」に目をつけて分析していったが、どうやら目立った特徴はなかったらしい。

例えば、「仕事の他でも仲良しかどうか」による差もないのだそうだ。


次に、「規範」に目をつけて分析したが、「仕事中にも雑談するようなチーム」か、「私語厳禁のチーム」かもどうやら関係ない。


他にも、…「カリスマリーダーがいる」とか、「優秀な人材がそろっている」とか、…でもなかったらしい。


結局、何が生産性を高める条件だったか?


それは、「働き方」の問題ではなく、チームの中に「心理的安定性」があるかどうかだったらしい。


分かりやすく言えば、周囲の人からバカにされたり、叱られたりするような不安のないチーム。


「仕事用の自分」を演じる必要のない、「本来の自分」でいられるチーム。


それが、条件だということ。


どんな大きな会社でも、全てのプロジェクトを全員で、なんてことは当然しているわけもなく、チームに分かれて様々なことをしている。

やはり、日々直接顔を合わせているチームの人達の中での「心理的安定性」が大切なんだろう。



ところで、その結果を知って、思いうかんだのがQ-Uアンケート。

「いごこちのよいクラス」

「やる気のあるクラス」

をつくるためのアンケートの項目が、上記の結果と深く関連していると思う。

ずっと活用させてもらっているが、改めて「なるほど」と思わされた。

minifminif2017/01/03 23:20集団の雰囲気が「本当の自分の姿を出しても大丈夫」と感じられるものであるかどうかが、一人一人が自分のもっている力を発揮できるようになるためには重要な気がします。
そして、それは子どもたちの自己肯定感の高さに影響されると思っています。
では、自己肯定感を高めるには・・・その答えがまだ見つかっていません。

daitouirukadaitouiruka2017/01/05 10:40自己肯定感、難しいですよね。
今までにいろんな場面で潰され続けてきている場合もありますよね。
私のクラスでは、週一回は全員のよいところを挙げ合う時間をとっています。
特に勇気をくじかれている人にとっては、教師だけでなく、友達同士で、言葉に出してはっきり伝え続けていくことが大切だな、と思います。
なんか、ちょっぴり照れながら友達から言われる言葉を聞き入っているところがなんともいい雰囲気です。
教師も、一人一人の価値を本気で見て本気で伝え続けることが大事だろうな、と思っています。
ありきたりの、誰もが言えるような価値ではなく、なかなか気づけないけど、でも、言われてみればみんなが納得するような、そんな埋もれた価値観を探す。
そのために、教師自身の感性を磨き続けなくてはならないな、と思います。
その価値観を共有していく。
子ども達からも、私の気づかなかった友達のよいところが出されたりすることもあり、いっしょになって喜ぶことができます。
minifさんも同様なことをされていたと思うので、まあ、目新しいことではありませんね。
でも、それをこつこつ続けています。

2016-12-28

居心地のよい組織と生産性② 10:15

生産性のことを問題にすると、比較的能力の劣る者が足を引っ張っているイメージがあり、その人達が居心地の悪い組織が想像される。

いや、比較的能力の優れた者も、いつ失敗して「無能」の烙印を押されるかびくびくし続けていることも考えられる。


生産性を個人レベルで、観点を限定して数値化して見ると、どうしても格差ができる。

が、先の「おふくろさん弁当」の会社は、そんな格差は給与とは直接連動していないようだ。

その人個人の生産性ではなく、その人の生活の状況から見て必要な分をもらえるらしい。

もちろん全体を見て限度はあるだろうが。


個人の存在価値は、数値化されないものもあるということを考えに入れている。

例えば、

「あの人、ちょっと仕事が遅いけど、いるだけでその場の雰囲気がとてもよくなって、なんか楽しく仕事ができるんだよね。」

という存在はたしかにいる。

そういえば、ある学校のある先生。

あまり仕事がてきぱきできる方ではなく、いわゆる「できる先生」達が集まる集団の中で、周囲の人にいつも「しょうがないなぁ。」という目で見られていた1人の先生が、転勤でいなくなったら、その「できる先生」の集団がぎくしゃくしだして、うまく回らなくなったという話を以前聞いたことがある。


個々の数値化できる生産性のみに厳密に目を注ぐことなく、様々な特性や状況の人にとって居心地がよい環境を創ることに努める方が、結局組織全体の生産性は上がっていくということだろうか。

2016-12-26

居心地のよい組織と生産性① 08:25

『本当にあった!こんな会社 規則も命令も上司も責任もない! 幸せを運ぶ会社 おふくろさん弁当』という本を読んだ。

面白い会社だ。

「責任もない」とあるが、責任はみんなで取るという感じ。

誰かの失敗を責める雰囲気なく、仲間として快く補い合う。

ちょうどけがをしたら、その部位を修復するために、体の他の部分が反応していって切り抜けるというイメージを持った。


他にも通常の会社ではあまり見られない、「それで、ホントに大丈夫なの?」と言われるような興味深い運営方法がいくつもあるが、実績もかなり高いのは、それが「大丈夫」だということを証明している。


私の中では、『学び合い』が根付いた教室や学校に近い感覚。

仲は良いが、お互いに気にかけ合うという感じで、ガチガチの一体感で縛られた感じではない。

居心地が良いのだ。


スタートは、

「何をやるかよりも、まずは何のためにやるのか、目的をはっきり知ろう」

と、時間をかけてとことん話し合ったそうだ。

その時、どんな業種にするかという話は一切出なかったらしい。

なるほど、本当に目的を重視していることが分かる。

だから、初めから弁当屋だったわけではないのだ。

自分達が目的を失わず、社員全員の幸せを大切にしつつ、人々の役に立てることは何かということで現在たどりついているのが弁当屋ということ。


興味深かったのは、運営につまずいたときのこと。

「何でも話し合って決めるのがいい」

と思っていつも話し合いの時間をしっかりとっていたのだが、どうやら、話し合いの時間を持てば持つほど「仲が悪くなる」という現象が起きてきたというのだ。

そして、だんだんとその話し合いの時間が憂鬱になり、半年くらいで毎日集まるのはやめにしたということ。

この部分は、

「えっ、そうなの?」

と思いつつ、

「なるほど、そうだろうな。」

とも思ったところ。


そこで、その会社はどうしたかというと、「人とはどういうものか」ということを、特に精神面において科学的に研究しているという「サイエンズ研究所」というところに相談に行き、事例提供もしながら意見交換や共同研究をしだしたということ。

特に「話し合えなくなる原因」については、創業当時から研究を重ねているらしい。

そこで研修をしていくわけだが、研修をする時間や費用も会社として保障するが、強制ではないというところもいい。


私は、この本を私自身が『学び合い』の実践をすることを想定しながら読んでいたので、自身が反省すべき点も含め、大変参考になることが多かった。



この会社は、強力なリーダーシップを発揮する人はおらず、社長や店長も、「社長係」「店長係」程度のものらしい。

確かに、そういった上下関係はない。


「ということは、『学び合い』をする時も、教師の存在はいらないということ?」

とも思ったが、やはりそうではないと思う。

会社を立ち上げるときに話し合った「目的」にあくまでもこだわり続け、それをあきらめず主張し続け、全員のものにしようとする存在はいつも必ずいるのだ。

それが、教室における教師の役割に当たるように思う。

そして、だんだん教師がいなくてもそれができるような集団になったとしたら、本当に、いわゆる役職としての教師はいらなくなると思う。


そういった社風によって、辞めずにずっと続けていられる人達がたくさんいる。

ただ、一方で、その社風と自分が求めているものが合わずに辞めていった人がいるというのも事実らしい。


教室でそれが起こってしまうのはつらい。

そのことは頭にとどめつつ、大いに参考にしたい本であった。


…ところで、やめていった人達は、その後、願っていたものや、自身の幸せは得られたのかなぁとも想像してしまう。

幸せで、選んだその道を進み続けるのかもしれない。

あるいは、また、この会社のようなところにもどってくるのかもしれない。

2016-12-20

どんどん 00:07

いままでの学習のまとめのプリントを渡すと、どんどん学び合いながらやっていく子たち。

冬休みに出す予定だった課題も、早めに渡すともうかなりやってしまっている。

休み時間になっても続きをやったり、やらなかったり。

私も、「教えないよ」とつっぱねたり、久しぶりにガンガン教えてみたり。

4年生が算数プリントをしている横で、3年生が嬉しそうに自作の物語の表紙の絵を描いて見せ合ったり。


ゆるい感じだけどハイペースというか、そんな学期末になっている。