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イルカたちの夢

 高知県の小学校教員です。 山間の学校の6年生を担任しています。 よろしくお願いいたします。
ご連絡はkochimana7☆gmail.comの☆を@(アットマーク)に直してお送りください(迷惑メール対策です)。

2017-03-19

来年も自分達で 21:06

初めてのことに出会ったり、自分で考えて動いたりすることに抵抗を感じやすいA子。

当初、『学び合い』にも少しとまどっていた。

友達に聞くよりも、私のことろに来ることが多かった。

でも、先日、


「来年も、自分達で進める勉強がええな。」


と言っていた。

また、


「クラスのチームワークが良くなったと思う。」


とも言っていた。


学び合い』が苦手、と思う子もいるだろう。


でも、人の中で折り合いをつけていくことを遠ざけたまま生きていくのは、この先かなりしんどくなるだろう。


学び合い』に対するハードルが通常よりはるかに高い場合もあるだろう。だが、その場合であっても、そんなタイプの人の存在を認め、折り合いをつけられる周囲の子の心と力を育てておかなければ、とても生きにくい社会になるだろう。

そのためには、やはり、関われる場を保障しておかなければと思う。

2017-02-11

3学期全校『学び合い』のご案内 17:08

匿名のブログなので学校名はここには書いておりませんが、ご興味のある方は、トップにあるメアドまでご連絡ください。

折り返しこちらからご連絡いたします。

よろしくお願いいたします。


本校が平成25年度末から全校『学び合い』を始め、公開させていただくようになってから、4年目になります。

おかげさまで、県内外から参観に来ていただいています。


高知県内の中学校でも、先日、校内研修の一環として算数の異学年合同『学び合い』の授業が公開されていて、外部からの参観者もおられたということです(学校で研究したことを公開するというのではなく、『学び合い』について知りたいということで、上越教育大学に派遣依頼があったということのようですが)。

興味を持たれている方も次第に増えてきているようです。



さて、標題の授業の日程が決まりましたのでお知らせいたします。

ぜひおいで下さり、子ども達への励ましや活動へのご意見ご感想をいただければ幸いです。


本校も、算数の全校『学び合い』の公開ですが、算数以外での『学び合い』にも、学級での『学び合い』にも通じます。



なお、あくまでも予定ですので、諸事情により変更することもございますので、おいでになる際は、事前にご連絡くださいますようよろしくお願いいたします。


ここでご連絡することがぬかっておりまして、今年度はあと2回のみになってしまいました。

申し訳ございません。


①2/27(月)4校時 11:35~12:20

②3/7(火)5校時 14:00~14:45

となっております。

本校の都合上6校時に設定できなかったため、ご来校がややご不便になるかもしれませんがご了承ください。

また、山間の学校で、この季節、4・5校時ではありますが路面の凍結がないともかぎりません。

おいでの際は、くれぐれもお気をつけください。


子ども達の、1人も見捨てず最後までがんばる姿をごらんいただければと思います。

2017-02-05

日常的に使える機会を 11:20

一度の語りや、コミュニケーションに関する国語の教材を1単元学習したところで、その内容を「知る」ことはできても、「身につける」ところまではいかない。

何度も繰り返し活用する場面が保障されなければ。

何度も試運転をすることで、誤解していた部分をただしたり、自分が運用しやすいようにカスタマイズしたりするなかで、個々が腑に落としていく。


全校『学び合い』を続けてきた。

今、完璧にいつでもみんなが体現できているなどと言うつもりはないが、少なくとも「一人も見捨てない」ことを是とし、それを目指したいという価値観が共有されてきていると言える。


私もいつまで現在の勤務校にいられるかわからないが、願望としては、私が去った後も全校『学び合い』を続けてほしいという思いはある。


全校『学び合い』がなくなっても、「一人も見捨てない」ことがよいことであるという考えを否定する人はおそらくいないだろうし、みなさん、それを目指すことだろうと思う。


ただ、全校『学び合い』のような場を定常的に持つことをやめた場合、思いはあっても、それを何度も活用してみるための、代わりになる何らかの場を意識的につくらなければ、同様の教育効果をあげるのは難しくうなるように思う。


今、共有されている価値観を、自然に備わっているものであり、自然に維持されていくものだと錯覚してしまうと、いつの間にか消失していってしまうのではないか。

別のことで、今までにそんな例もいくつか見てきた。


だれでもできるような仕組みはみんなでつくってきた。

思いも伝え合い、共有してきた。


でも、まあ、それはその後のメンバーが考え、決めること。

私が口出しすることではない。

私がいることで妨げていた何かがなくなって、新しい人の持ってきた何か加わり、改良されていくこともたくさんあるだろう。



私はまた、新たな場所で新たに取り組みを始めるだけ。


それに、口出しはできないけど、築いてきた関係は切れるわけではない。

その繋がりを持ちつつ、さらに広げていこう。


…いや、まあ、出ていくかどうかはまだ全くわからないけど、勤務年数が長くなってきたので、そんなことを考えるようになってきている。

2017-01-13

某ドラマとアドラー心理学 06:49

「ドラマを見ながらアドラー心理学を学べる」

という謳い文句があったので、興味を持って、ある刑事ドラマを見た。

かなりがっかりした。

こういうふうに理解されて広まっていくのかな、と。

そして、私が「アドラー心理学っていいと思うよ」と言ったとき、あの主人公のような人物になりたいと思っていると思われるととてもいやだな、と。


まだ1話しか見ていないので、これから何らかの変化があるのかもしれないとも思ったが、主人公をさして、

「まさに、生まれながらにしてアドラー心理学を体現している」

と断言していたので、

「あ、そのまま変わらないんだ。」

と思った。


人それぞれに解釈はあっていいと思う。

私自身も全くアドラー心理学の権威ではないので、「私こそ正しい解釈をしている」なんていう気はさらさらないということは、まず書いておく。


だから触れないでおこうかとも思ったが、このブログにもアドラー心理学について何度も書いてきたことがあるので、

「少なくとも私がとらえているアドラー心理学とは違う…というよりむしろ真逆」

ということだけは明記しておこうと思ったので。


1つ1つあげるときりがないほどあるから、まとめていうと、主人公に「他者との協力」が全く念頭にないということ。


他者の思いへの関心がなく、目標の一致もはかろうとせず、ほぼ説明もないままどんどん自分がやりたいようにする。


確かに自分の考えを主張することは大切であるが、

「きっぱりと、だが、親密に」

という態度の大切さを学んできた。

主人公は確かに「きっぱりと」していると言えばしているが、全く「親密さ」は感じられない。

もちろん、親密さは、なれ合いなどではないが、相手を突き放すというか、切り捨てるという感じなのだ。


「課題の分離」という言葉についても、

「独自の解釈をしてしまって、こんなふうな誤用がよくあるので、くれぐれも注意してください」

と私が学んだ通りの「誤用」(これも「少なくとも私が学んだ」ということだが)をしている。


随所にアドラーの言葉を引用しているのだが、描かれていることは違和感でいっぱいだ(あくまでも個人の感想)。


そして、もう一人の登場人物がいて「さまざまな他の心理学も学んできた」という注釈は確かにあるのだが、どこからどこまでがアドラー心理学の考え方なのかということは見ている人にはいちいち説明されるわけではないので、知らない人の頭の中では混在してしまうと思う。


タイトルにしても、確かにある文脈においては納得できる言葉なのだが、「言葉だけだと、こんなふうにもとる人がいるだろうなぁ」と思っていた通りになっていた。


あるものごとが爆発的に広がるということは、こういうことなんだなということを、今まで何度か見てきたことはあるが、改めてそう思わされるドラマだった。


まあ、私を指導して下さった方々から見ると、「あなた自身も相当あやしい」と思われている可能性は当然否定しないということも最後に付け加えておく。


今後見るかどうかはよくわからない。

「こういうふうにとらえる人もいる」ということを知ったり、自分の解釈を改めて見直したりする材料になるかもしれないので、見ようか?

でも、つらい。

2017-01-05

若手の先生 18:28

昨年度までは高知にいたが、今年度から高知県を離れた若手の女先生がいる。

学び合い』に興味を持って、実践もしている。


諸般の事情により、がっつりの『学び合い』は(特に研究授業では)なかなかできない。


たまに連絡をくださって、相談を受けたりする。

その先生の子どもの見方や指導したことを聞いていると、「いいなぁ」と思う。


いろいろと制約のある中だが、研究授業の指導案を一緒に考えたこともある。

まあ、それぞれに事情があるので、その先生の思いだけでゴリ押しをしてしまうときつくなる。

仕方のないことだ。


しなければならないこともあり、勉強熱心なので試してみたいこともありで、なんとか授業をしてみたが、まあ、消化不良というか、あまりうまくいったという実感は持てなかったそうだ。


でも、同僚の方々の中には興味を持ってくださった方々もいて、

「でも、これからはこんな授業が必要になってくるんですよね。」

と、好意的な感想もあったそうだ。

実際、学級経営において、なかなか学習に参加できていなかった子ども達が昨年度よりも参加するようになったり、仲間関係も良くなったりするなど、目に見えて改善されてきたという事実もあるので一目置かれているのだ。


行き詰まりを感じているという相談があったとき、

「ひょっとして、続けるのつらい?」

と聞いてみると、

「あ、効果はあるから、やめる気はないんで。」

と、あっさり即答だった。


なんとも頼もしい。