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イルカたちの夢

 高知県の小学校教員です。 山間の学校の6年生を担任しています。 よろしくお願いいたします。
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2017-08-27

学び合い』を続けながらも、ずっと引っかかっていた思いが 13:52

学び合い』に出会う前のことから。


卒業した後の、何人もの教え子から、

「中学校はいやだ。周りの友達も、先生も自分のこと、小学校のときのように分かってくれない。」

という言葉を聞いていた。

そして、とうとう、学校に通えなくなってしまった子ども達も何人か…。


はじめの方こそ、

「中学校の先生、もっとちゃんとしてよ。」

などと思っていたが、あまりにも続くので、

「いや、違う。これは、誰かが気を利かせて分かってやらなければ思うように生きていけない子を、私自身が育て続けてきただけなのだ」

という考えに至った。


「でも、どうすれば?」

というところで、何も方法が浮かばないまま、ずっと悩んでいた。


それが、『学び合い』に出会い、教師とよりも、子ども達どうしでつながることの大切さに気付かされた。

そして、みるみる人間関係が向上していった。


「これでやっと、自分の手を離れた後も、元気に学校に通えるようになる。」



そう思えてうれしかった。


しかし、それは、良くなったとはいえ、全員ではなかったのだ。





卒業し、中学2年になる頃、とうとう、ある女の子が教室に入らなくなってしまった。

詳しくは書けないが、通常の状態よりも、学校生活の環境が大きく変わってしまった要因は確かにあった。


それでも、何とかなるのではないか、という期待はあった。


しかし、そうではなかった。


担任していた頃、『学び合い』が大好きで、本当に毎日楽しそうに学校に来るようになった。

仲間関係も向上し、学習も目に見えて伸びてきた。


しかし、彼女の中学校に入ってからの様子を見ると、

「あの子にとって『学び合い』は何だったんだろう?」

と思うようになった。


実は、『学び合い』に出会ったことが、彼女にとって望ましくなかったのか?


いや、私が『学び合い』と思って実践していたことは、実はまがい物で、何かとんでもない勘違いがあったのではないか?


中学校の先生方が、『学び合い』をしてくださったら、あるいは…とも思ったのだが(『学び合い』については、一定伝えている)、それだと結局、「周りが自分にとって理想的に思えるときだけ、私はOKでいられる」という、以前と変わらないことになってしまう。


1年間では、足りなかったのか?

それとも…???



堂々巡りのそんな思いが頭にこびりついて離れないようになっていた。


だからと言って、『学び合い』をやめてしまうと、多くのメリットもなくなってしまう。

それをなくしてしまうと、現状より良くなるとはどうしても思えないのだ。

そんな思いを抱えたまま、『学び合い』を続けていた。


彼女には卒業後も何度も会っていた。

小学校の時の友達といっしょに時々学校に来てくれていたのだ。


そのたびに、私が気になっていることを直接彼女に聞きたい思いでいっぱいだった。


でも、せっかく来てくれたのに、もしかするといやな思いをさせてしまう可能性を考えてしまって、いつもなんとなく聞きそびれてしまっていたのだ。


お母さんには、思い切って聞いてみたことはある。

「ひょっとして、小学校の時、楽しそうに見えていたけど、つらい思いをしていたこともあったのでは?」

と。

すると、お母さんは、

「そういえば、周りが楽しそうにしていたとき、実はついていけてない時もあったって言いよったことがあった。」

と教えて下さった。


ショックだった。

「ああ、やっぱり、私が無理をさせていたのかもしれない。人に気をつかう優しい子だから、みんなが喜ぶからと、様々なことを我慢して付き合ってくれていたのかもしれない。その我慢がずっとあって、それが中学校で出てしまったのかもしれない。」

そんな思いが頭をもたげてきた。


そして、そのころから、「同調圧力」という言葉がずっと気になるようになっていた。


そこで、書籍やネットを調べたり、西川先生や、心理学の先生にもそのことについて直接お聞きしてみたりもした。

以前もそのことについてまとめて書いたことがあるが、人が集まれば「同調圧力」は生まれるものであり、そしてそれはいつも悪いわけではなく、プラスに働くことも、マイナスに働くこともある。

助言もいただいて、納得できそうではあった…が、結局のところ、彼女本人の思いは聞けていないので、それは私の憶測でしかなく、どうしても「すっきり」とまではいけないままだった。


登校はしていたが、教室には入れないままだった彼女は、勉強にも身が入らず、どんどんついていけない状態になっていた。


しかし、中学卒業前になって、高校には行きたいという思いが湧いてきた。

そして、家からは通えないが、私学の、ある高校に入れることになった。


その学校の教育方針で、進学校でもあるのだが、それまで学校に通うのがつらかった子ども達も、もちろん無試験というわけではないが、通う気にさえなれば、受け入れてくれる学校があったのだ。


そして、高校の1学期が終わった夏休み。

彼女はまた、私をたずねて来てくれた。


今回も小学校時代の友達と来てくれる予定だったが、どうしても、私の予定とは合わず、1人だけになったが、来てくれたのだ。


家と小学校が少し離れているので、お母さんが車に乗せて一緒に来てくれた。


その時、数分お母さんとも話ができた。

学び合い』の話になったとき、お母さんは、

「別の学校の人やけど、私が夜行きよるスポーツクラブで一緒になる人が、〇〇小は、全校で算数とかしよるがやろ?ええ取り組みみたいやねって言いよったで。」

と、うれしい情報をくれた。

3人で少し話した後、お母さんは仕事があったので一旦いなくなった。



そこで、2人きりになった(日直の私以外、たまたま誰もいない状態だった)。


だから、思い切って今、彼女とじっくり『学び合い』について話し合ってみようと思った。

それは、今回出会ってすぐ、

「あー。また『学び合い』やりたい!」

と言ってくれたことも後押ししてくれたからだ。

少なくとも彼女は、『学び合い』を負の体験にはしていないのだ。

「今でも全校『学び合い』の日に帰って来て一緒にしたい。」

とまで言っていたぐらいだ。

彼女達が、全校『学び合い』導入の時の初代の最上級生なのだ。

「まあ、もう、高学年の勉強は忘れちょるかもしれんけん、下級生と一緒に学び合うことになるやろけどね。」

と笑っていた。


話は本音できちんと話し、聞いていった。

担任していた当時から、「手の内をさらす」ようにしていたので、なぜ『学び合い』をするのかなどは話していたが、それから数年の彼女なりの体験を経て、高校1年生になった今、もう一度さらに突っ込んで話してみたかった。


私がなぜ『学び合い』を選んだのか、その中で何に喜びを感じ、彼女のことを含めて何に悩んできたかも正直に話していった。


彼女はずっと、真剣に、または、楽しそうに、笑いながら話を聞いてくれたり、話してくれたりした。


話し合う中で彼女は、

「小学校で『学び合い』をした1年間は自分にとって大切な経験だった。」

と言ってくれた。


そして、お母さんから聞いていて気になっていた、

「周りが楽しそうにしていたとき、実はついていけてない時もあった」ということについても聞いてみた。

すると、

「ああ、あれは、ちょっとはそんな時もあったけど、そんなことも含めてあの1年はうんと大事な1年やったと思う。みんなが、ぐっと近くなれた1年やったし、いろんなこと深く考えれるようになったと思う。」

ということだった。


彼女が教室に入らなくなったとき、「誰かに何かをされたとかいうことは全くない」ということで、私から見ても、「入れない」というより「入らないことを選んでいる」という印象だった。


よく考えると、『学び合い』に出会う以前に私が悩んでいた時とは違うことが確かにあった。

それは、彼女が教室に入らなくなった時でも、小学校時代の友達とはずっときちんとつながっていたということだ。


彼女は、

「小学校の時の『学び合い』をしたあの1年がなかったら、教室に入らんなってから、誰とも連絡もとろうとは思わんかったと思う。Aちゃんとも、Bちゃんとも、…」

と言った。


そうだった。

私は、

「教室に入らなくなった」

という現象だけを大きく見て、

「教室に入らなくなった状態でも、ずっと彼女を気にし続けてくれて、彼女自身もきちんとつながっていたいと思える友達を作っていた」

という事実をしっかりと見ていなかった。


いや、実は、ありがたいことに、そのことは、友達も、保護者達もずっと私に伝え続けてくれていたのだ。

でも今回、本人にきちんと言葉で聞けたことで、やっと「彼女自身もそのことを支えにできていたんだ」と心底思えた。


今、冷静に考えれば、彼女は『学び合い』をしたかどうかは関係なく、教室に入らなくなっていた可能性はあったのだ。

でも、それは、いくら考えても推測の域を出ない。


しかし、いずれの場合であっても確かだと思えたのは、

「一緒にいるから気にかけてくれる友達」

ではなく、

「どんな状態であっても気にかけてくれる友達」

を得られることが、どんなに貴重なことか、ということである。

彼女はそれを、あの『学び合い』をした1年で得られたと思ってくれていたのだ。


先に、教室に入らないことを「彼女が選んだ」と表現してみたものの、その間、彼女自身はもちろん、周囲の人達もずっと心をくだいてきたことは確かで、手放しで「よかった」などと言うつもりはない。

が、もう体験してしまって変えることのできないこのことを、しっかりと「よかったこと」と意味付けられるようにするのは、彼女自身だ。

そんなことも話した。



ところで、中学校時代ほとんど勉強をしてこなかった彼女が、1学期の成績がわりとよかったということだった。

クラスでの順位も言ってくれたが、なんとわりと上位。

「え?なんで?」

と、私も驚いた。

「うーん。とにかく、国語が特によかった。漢字はやっぱりあんまり書けんけどね。本読む時間があったけん、読みよったし。何か、考えを書くのがわりと書けるがよね。」

「まー、いろんなこと考える時間はあったけんねー(笑)。で、どんな本、読みよったが?」

「推理小説やけどね(笑)。」

「ん。そりゃ、頭使わんかったら読めんね。」

「それから、数学も、中学校の勉強、さっぱり頭に入ってないがやけど、思ったより…。」

「どうしてやろ?」

「んー。分からんとき、分からんって聞くのに抵抗が全然なくなったからかも。」

「ふーん。あ、それって、誰にいつ聞くが?」

「先生に。授業中。」

(まあ、先生が『学び合い』をしていないから、分からない時に自由に友達には聞けない。)

「おー。すごい。」

ずっと教室にも入っていなかった彼女が、である。

「ねー。絶対、小学校の時『学び合い』してなかったら、そんなこと私には無理やったで。」



彼女は今回来てくれたとき、初めにも言っていたが、話の途中でも何度か、

「先生。また『学び合い』したい。」

と言っていた。


でも、彼女は高校で、特に先生が『学び合い』をしなくても、きちんと『学び合い』の経験で目覚めた力を生かしていたのだ。



「分数のたし算・ひき算ができる」というような、教科の個別の知識だけではなく、最も伝えたかった「学び方(課題への向き合い方)」をしっかりと身につけ、活用しているのだ。

そのことを彼女にも伝えた。


「高校でも、ちゃんと、『学び合い』しよるいうことやん。」

「まあ…、まだ、人に教えれるほどじゃないけどね(笑)。」


確かに、授業中の動きに制約があることもあって、小学校のときのようには動けないにしても、「ほんとうに分かる」ということを大切にして、今ある条件の中でできることを考えて、自分から動いているのだ。

学び合い』で培った心は生きている。


付け加えて、彼女からの情報。

友達のA子も、中学校では英語に興味を持ち、驚くほどいい成績をとっているそうだ。

※A子は『学び合い』をする前は学習への苦手意識が強かったが、『学び合い』を始めてから、分からないことを素直に「分からん。教えて。」とバンバン聞けるようになって伸びてきた。生活拠点の関係で1人で別の中学校へ行った。高校も別。

A子は以前、本ブログでも書いたが、私が担任して『学び合い』を初めて体験した日、泣いてしまった子。内心焦ってしまったが、実は「うれしかった」らしい。



今回、彼女と会話しながら、私は何度も、

「正直に言ってもらった方がうれしいから、先生が傷つくと思って、先生に合わせてくれんでもええけんね。」

と確認しながら聞いた。

そのたびに、彼女は、

「それはないよ。正直に言うけん。」

と笑って言ってくれた。


気がつくと、何時間も話しこんでいた。


帰った後も、

「楽しかったでーす!また会って話してください!」

と、わざわざメールをくれたぐらいだから、お付き合いじゃなく、まあ、彼女にとっても、とりあえずいい時間になったのかな、と安心した。


私としては、今日のこの時間は、ずっと引っかかっていたもやもやとした思いが晴れたような気がして泣けるほどうれしかった。




しかし、これは、あくまでも「彼女の場合はそうだった」ということでとらえておこうと思う。


「そうでない場合もあるかもしれない」ということは、これからも頭に置いておきたい。


だからと言って、本人に代わって直接何かをしてあげるというわけではない。

が、やはり、頭に置いておかなければ、「みんな」の意味をはき違えた「同調圧力」が、負の暴走を始めてしまう危険性があると思う。

bunbun-hbunbun-h2017/08/27 21:39自分のクラブずっと続けててよかったなあと、このブログ読んでいてしみじみと思いました。(このブログの内容と直接につながることはないのですけど、それでもやはり・・・)

munehiromunehiro2017/08/28 21:35深い
四国の同志は、スーパー『学び合い』人になっている。
文章読んでるだけで、四国弁がふと聞こえました。

janglejapjanglejap2017/08/30 22:02どきどきしながら読みました。・・・よかった・・!!

daitouirukadaitouiruka2017/09/17 11:38bunbunさん。ありがとうございます。
続けること。
思えば小さいころからずっと自分のことを「三日坊主」とか「熱しやすく冷めやすい」子だったと思います。
いえ、今でもやっぱりそうなんだと思います。
でも、そのおかげで、いろんな情報を得ることができました。
…でも、やはり、自分には、ちゃんとした、確実なものが身についていってない、自分の中で熟成されていないという「中途半端」感がいつもあります。
bunbunさんの「続ける」力にはいつも頭が下がります。

munehiroさん、ありがとうございます。
大阪で久しぶりにお会いできて本当にうれしかったです。
あの日は無事帰ることができましたか?

ところで、全く「スーパー」になんかなれていない自覚があり(これは、人様と比べてなんておこがましいことではなく、自分自身の中で、今までの自分を「超えて」いるかどうかです)、悩み続ける日々です。
根が怠け者の私は、こうして他者とつながらせていただくことで何とか動けています。
また、動く燃料をいただけました。
感謝です。

janglejapさん。ありがとうございます。
わたしも、どきどきでした。
でも、きちんと対話することで、また新しいことが見えてきました。
勝手に想像して悶々としたって確かなものは生み出せない。
自分の中でも、相手の中でも。
対話は大事ですね。
私の中だけでなく、彼女の中でも、私と対話する前と違った何か、ちょっとでもいいものが生まれてくれていたらうれしいのですが。

ところで、大阪の会の大会場で隣の席になった女性とホワイトボード・ミーティングをさせていただいたのですが、その方は、janglejapさんに『学び合い』のことを教えていただいて、実践をしているとおっしゃっていましたよ。
何かうれしかったです。