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イルカたちの夢

 高知県の小学校教員です。 山間の学校の6年生を担任しています。 よろしくお願いいたします。
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2017-08-08

第13回 教室『学び合い』フォーラムin関西に参加③「個にとらわれない」ということについて 13:47

パネルディスカッションの時、会場から出た質問。

確か

「課題ができない子に、別の子が関わろうとしたときに拒絶する場面に出会ったが、どうしたらよいか?」

というような主旨の質問だったと思う。


私ならどうするかなー?

と考えてみた。


私の中で、「個にとらわれない」ことと、「個別の案件は扱わない」こととは違う。


「個にとらわれない」という言葉を「一切触れない」みたいに解釈すると窮屈になる。


トラブルが起きた時、一切介入しないのではなく、子ども達が道筋が見えなくて行き詰っている時や、私が伝えたいことを伝えるためにちょうどよい例になると思えた時、

「こんなアプローチの仕方もあるけど、どう?」

と、選択肢として示すことはある。


これは、個別の案件に対症療法で当たるためではなく、今後生きていくうえで、みんなに役立つと思えるものを根治療法として提案するためだ。


だから、個別の案件を話しつつ、みんなが今後の生き方について学び合えるように持って行きたい。



まず、大きな方針として私がいつも持ちたいと思っていることは2つ。


この課題を解決することを通して、どうすれば

「自分(達)には能力がある」

「人々は仲間である(これは、1人も見捨てないことにもつながる)」

と思ってもらえるようになるかな?

という観点から対応を考えること。


持って行きたい雰囲気は、

「ああ、自分もみんなも、今この問題に出会えてラッキーだったな。みんなで考えることができて、自分もみんなもハッピーになれたな。」

「これから、もしこんな状況になった時(相手が同じでも、違っても)、今回学んだことが使えるな。なんかむしろ楽しみだな。」

みたいな感じに。


裁判のように、

「どちらがどれだけ悪かったか」

などという「量刑の場」にはせず、どちらも、

「ここから何を学ぶことができるか」

「次からどう行動してみたいか」

という「学び合える場」の視点で。

相手が悪いかどうかはともかく、あなたにとって「都合が悪い相手」にはこれから先も必ず何度も出会う。

そんな人を避け続けたり、無くしたりすることは現実に会わない。

だから、そんな相手とどう折り合いをつけるかを学ぶいいチャンスにして練習しよう、と。


例えば、

「お前になんか習いたくない。」

みたいな言葉が聞こえた時、上記のような考え方を子ども達の実態に合わせて伝えつつ、その言葉の中にある「善意(良い側面)」を探してみる。


「そうかー。それは何とかその問題をきちんと分かりたいという気持ちの表れとも言えるよねー。」

とか。


こういったアプローチの仕方も、きちんと種明かしして子ども達に伝える。

そして、もしうまくいって気に入ったら、今後、私がいなくても、そういうアプローチが自分達で出来るようになるといいね、と。


表面に現れたマイナスの言動に惑わされず、相手の本当の願いをキャッチしようとする姿勢と技術を身につけてほしい。


「□□ちゃんより、〇〇ちゃんがいい。」

などと言ったとしたら、

初っ端から

「そんなこと言うもんじゃない!」

と言うよりも、

「へー。○○ちゃんのどんなところがええの?次にあなたと学び合うとき参考になると思うから知りたいんやけど。」

などと、相手のニーズをうまく聞き出すということにも目を向けてもらう。

「これは、いろんな面で絶対役に立つから。例えば、普段の人付き合いとか、将来働き出した時とか。」

などと、「自分の得」になることも入れつつ。


ただ、その時の本人の要求が、自己中心的であったり、理不尽であったりする場合は、それを受け取った相手の考えや気持ちも聞いてもらう。

相手にも、自分と同様、立場も感情もあることを知ってもらう。

また、互いの認知にはズレがあること、同じ物を見聞きしてもそれに対して沸き起こる考えや感情は多様であることも知ってもらう。

逆の立場だったら自分ならどうかなどということを確認することもあるだろう。


具体的には、

・一方の行動と、その時の気持ちや意図を確認する。

・それを受け取ったもう一方のとらえ方と、その時の気持ちを確認する。

これを、事実確認と併せて、交互に、丁寧にしていく。

できれば、冷静に、ホワイトボードなどに言葉にして書き、みんなに見えるようにする。

そして、書き出されたものを見ながら、どちらが悪いかの判定ではなく、

「自分が、どの時点でどのような言動をとれば、次からこのようなトラブルに発展しないか」

ということを、他のみんなの意見も聞きながら、それぞれが確認する。

そこで確認されたことは、今後、他のみんなも使えるようにする。

今後は、自分達だけで解決できるようにね、と伝えながら。



あくまでも、「両者」が前向きな気持ちで、今後とりたい行動を考える。

不適切な行動を取った子だけを反省させることもありがちだが、不適切な行動を取られた子だけをいつも折れさせる(折り合いではなく)ようにすることもありがちなのではないか。

折れてくれる子は、全体の状況が見えて、ある程度我慢できる子が多いからだ。

しかし、それが続くと「本人は悪くないのか」「なんで周りの者がいつも気を使って折れなければならないんだ」という不満もつのってくる。

それは双方にとって、現在も未来もとても不幸なことだ。


だから、発言した本人にも次からの「より適切な行動」について学んでもらう。

「相手の声掛けを断るのは悪いから我慢してとにかく聞け。」

なんてことは言わない。

でも、

「断るにしても、上手な断り方はどんなのだろう?」

とみんなに問うてみる。


たとえ、今の自分には合っていないサポートでも、少なくとも「自分のために声を掛けてくれたこと」に対して、感謝することの大切さに気付いてもらいたい。

そのうえで、相手を傷つけない断り方とか、自分の本当に欲しいサポートをきちんと伝える方法とかを探っていく。


これは、抽象的な言葉だけでなく、実際に具体的な言葉に出して練習するようにしている。

できればロールプレイで楽しくやるのもよい。


まず、

「声、掛けてくれてありがとうね。」

と。

そのうえで、「でもね。…(断る理由や、もう少しこうしてくれたら助かるなどの要望)」

と上手につなげる。

これをしておくとしておかないでは、実際の場面にまた出会ったときに活用できる率が格段に違うと思う。



それが、みんなに学んでもらいたいことだ。

状況が変わった場合は立場が逆転することもあるから、どっちもできるといいね、と付け加えて。


次に、また同様の場面になったとき、少しでもそれが活用できて、よいコミュニケーションになったなら、話し合ったみんなで喜び合える。

もし、それがうまく活用できなくても、1度は話し合っているから、次のチャンスを励まし合いながら楽しみにする。

うまくいかないことが続くようだったら、その案が自分達にはぴったりこないという実験結果が出たんだから、別の改善案をみんなで考える。


こんな感じになると思う。


まあ、いつもうまくはいかないかもしれないけれど、先生の考えた解決策を押し付けたからといってうまくいくとは限らない。

たとえ、先生が押し付けて現象が見られなくなっても、子ども達は大切なものを学ぶチャンスを失ってしまう。

まあ、「いいことを学んだ。次からは自分(達)も自主的に使ってみよう。自分(達)で考えてみよう。」と思う子も、中にはいるかもしれない。

しかし、

「誰かに考えてもらい、押し付けられないと、私(達)には問題を解決する能力がないんだ」

あるいは、

「自分が正しいと判断したことは、分かっていないと自分が判断した人達には、押し付けてでもやらせた方がいいんだ」

という、望んでいることとは真逆のことを学んでしまう危険性の方が大きいように思う。


上下関係が生まれ、固定化してしまうことを危惧する質問もあったように思う。

トラブルがあった時「どちらが悪か」を決めたり、教師が心のどこかで「教える方が教えられる方より偉い」と思っていたり(言葉に出さなくても)すると、そういうことが起こるだろう。

みんなが学び合い、成長できるチャンスであることをしっかりと伝えることができれば、「競争原理」ではなく「協力原理」で思考や行動ができるようになり、上下関係は生まれなくなると思う。


学び合い』をしていると、このような話し合いで考えた案を活用してみる機会が格段に多くなるので、身につくのも格段に速く、確実になる。


上下関係が生まれたり、固定化したりするのは、その芽が出た時にスルーするか、先生が解決策を考えて押し付けるかした時ではないか。


可視化して、自分達で協力して試行錯誤しながら解決するよう励まし、見守っていくことが大切だと思う。


上記のようなことも、できれば、初めから教師が介入するのではなく、見ていて、そのような部分が見えたときに、その良さを伝えられればいいと思う。

「自分(達)で考えて、自分(達)でとった言動が成功した」

という意識は、例え全く同じものでも、教師に伝えられたものよりずっと強力で、使えるようになるだろうから。


…まあ、長々と書いてしまったが、要は、

自分達で、事実確認を相互にしながら、相手の立場や特性や気持ちも確認し合いながら、気持ちよく折り合いをつけ、成長し合えるようになってほしいということ。