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イルカたちの夢

 高知県の小学校教員です。 山間の学校の6年生を担任しています。 よろしくお願いいたします。
ご連絡はkochimana7☆gmail.comの☆を@(アットマーク)に直してお送りください(迷惑メール対策です)。

2016-11-28

やっぱりよかったーーー。福永宅司先生の公演 06:12

会場の皆さんも、涙涙。

三年連続勤務地の町においでいただいた。


子ども達にかける私達大人の言葉の大切さについて、改めて振り返らされた。

私達は、どれだけの子ども達の自尊心を傷つけてきたことか。


しかし、それを癒すのも周囲の人達の暖かい言葉だった。


いい繋がりを築いていける社会にしていかねばと改めて思う。


昨年度は私の方が上越への出張で参加を逃したのですが、その時も大好評だったとのこと。


学び合い』についても、前回以上に時間を使って良さを伝えてくださっていた。

気持ちだけでなく、しっかりと研究し、エビデンスに基づいて実践を築き上げていくことの重要性もおっしゃっていた。

善意だけでは空回りするばかりか、意に反して害悪をもたらしてしまっていることもある。


本校の同僚の先生方も参加されていて、

「やっぱり、1人も見捨てないっていううちの学校のめざしていることに間違いはないね。」

と確認し合えた。




福永先生の公演後、私のところにひとりの女性が話しかけてこられた。

「先生、覚えておられますか?A子の祖母です。」

「覚えてます。今の学校に来て最初に、A子ちゃんたちに、今日の福永先生のお話にあった『学び合い』の授業をしたんですよ。」

「分かっています。A子は先生に出会えてよかったです。A子の母も言っていました。あの授業がよかったって。」


学習に向かいきれていなかったA子が、みんなと学び合うなかで、いろんな面でどんどんよくなっていったことを思い出す。


福永先生の公演のおかげで、うれしい再会もあった。


いい一日になった。


出会いの機会をくださった、福岡のmunehiro先生にも感謝です。

munehiromunehiro2016/12/05 18:32ひさびさこちらに来たらこんなこと書いていただいて感激です。
いつか福岡の学習会に参加していただきたい。
とても、いい会になってます。

daitouirukadaitouiruka2016/12/07 05:21『学び合い』を始めたばかりのころから、高知の活動を応援してくださったおかげです。
また福岡にもおじゃましたいです。

2016-11-27

いい意見が埋もれていたじゃないか 08:52

だから教師が全体に取り上げるべきであったと。


いい意見って「誰」にとって?「いつの時点」での?


「教科の本質」であったり、「高度」であったりするものが、常に全ての子にとって「いい意見」とは限らない。



教師の判断で、全体にその意見を取り上げるとき、ある子にとっては既に解決しており、もっと別の、「その子にとってのもっといい意見」に出会う機会を奪っているのかもしれない。



「教科の本質」でもなく、「高度」でもなく、もっとずっとずっと低レベルの知識や意見が、ある子にとっては、その時点において「最も価値のある意見」ということもある。

それなくしては、その子は「教科の本質」や「高度」どころか、全員が最低限身につけておいてほしいその時間の基準にすら行き着けないほど価値のある意見。



では、子ども達に任せると、いつもタイムリーに自分にとってのいい意見に出会えるか、というとそう甘くはない。


が、少なくとも、主体的に、能動的になれる。

そして、毎時間「自分にとっていい意見」にたどりつくためのスキルアップの実地訓練になる。

私はそちらの方を大切にしたい。

個々の教科の本質も大事で、ある人にとっては欠かせないものとなるものもあると思うが、その知識や技能は万人に必要とは言えない。


それよりも、主体的に自分に必要な情報を集めるスキルの方が大事だと思う。

その方が汎用性が高いと思う。

そのスキルがあれば、その仕事に必要な「本質」にたどりつく力にもなると思うから。

2016-11-26

「あとちょっと」が実は大きい 07:24

実践報告を聞く機会があるとき、

「こういう問題を持って来て、子ども達に与えたら、こんないい意見が出た。」

というのを聞く。

「自ら発見できた喜びがあった。」

というのも。

でも、それはクラスの中のどれくらいの子ども達のものなのだろう。

その「いい意見」が空中で飛び交う中、わけがわからなくなって困ったり、諦めて思考停止している子ども達の姿が頭に浮かんでくる。


案の定、「今後の課題」として、

「残念ながら、数名ついて来られない子ども達もいたので、その子達をどうするかです。」

ということで、具体的な代替案は出されないまま協議が終わる。



でも、その「今後の課題」って、今までずーーーっと言われ続けてきたこと。


それに対して、さらに教材の研究を深め、「万人に、よりよく通じる説明のし方」や「よい問題作り」を求め続けることによって解決しようとしてきた。


実際、多くの方達の貴重な努力により、かなりの子ども達が救われる確率は上がってきた。

だから、その残された何%かの子ども達を救うのも、

「さらにその方向の努力を重ね続けていくことだ。」

ということなのだろう(「だろう」と他人事のように言っているが、私自身の場合は、『学び合い』に出会うまではずっとそう思ってきた)。

でも、それは1つの学習内容だけでも極めて困難であり、まして、それを全教科で毎時間、授業の初めから終わりまで続けることは至難の技だ。


その方向の努力は、相当な才能のある一握りの方にはあるいは実現可能なのかもしれないが、一般の教師にはもう限界にきているように思う。


「あとちょっとだから、何とかなるはず」

…とはならないことが世の中にはある。

その「ちょっと」が、それまでの考え方では、実は永遠に埋まらないことが。


そして、その「ちょっと」をいつしか心の底では諦めるようになり、そして気が付けば「ちょっと」どころでなくなってしまっていることも。


えらそうに言えない。

正直、『学び合い』に出会う前は、私自身明確に認めたくはなかったが、そんなあきらめがどこかになかったとは言えないから。


まあ、実際は居残りなどで個別指導をするんだろうな、と思う(残念ながら、そのままあきらめられている場合もあるように思う)。



同じ方向性の努力は、重ねると少しは良くなることもあるが、やがては限界が来る。

ブレイクスルーを起こすには、根っこの部分の発想から変える必要がある。

kanjii4dakanjii4da2016/11/29 06:23そなんですよね、これなんですよね。私も抱いている部分です。見えない人には見えないのだろうかと思うことも。

daitouirukadaitouiruka2016/12/04 13:32ありがとうございます。
子ども達のその姿に価値を置いていないから意識にとどまらない方もおられるでしょうし、むしろその姿を否定的にとらえているから意識的にスルーしている方もおられるでしょう。
あるいは、価値は認めるがもっと良いと思って実践しているものがあったり、自分にはできないと思っていたり…。
様々なのだろうと思います。
まあ、これは私自身もそうなってしまっていることがあると思います。

できるだけ結論ありきにはなりたくないと思っているけれど、気が付けば自分の考えに近い情報の方を多く集めてしまっています。

ネットの場合、関連情報が勝手にくっついてくるのでよけいにそうなってしまいますね。

「なにをよしとするか」というところからすれ違っていると、建設的な議論はできませんね。
それから、すでに「変える気のない結論」がある場合も。
立場上そう言わざるをえないと思って言っている場合も。


相手の方の様々な状態を想定して、折り合いもつけながら、決定的にできなくなってしまう状況だけには陥らないようにしていきたいです。

…あ、すでに「やめない」って結論ありきになっていますね(笑)。
以前から言っているように、『学び合い』よりも子ども達にとって良いと本気で思えるものがあればそちらを選ぶと思います。

2016-11-23

教科の専門性を高めるだけでは 08:33

ある教科の専門の方が、

「『学び合い』をやって、子ども同士で教え合ってできるようになるなら、教師の専門性なんかいらないじゃないか。中学なら、専門じゃない教科も教えりゃいいってことになるじゃないか」

というようなことをおっしゃっていた。


いや、まさにそんなことも起こったりしているんですが…実際に…というようなことを言ってもなかなか納得がいかないようだ。


学び合い』でなくても、また、認知心理学によって実証された…なんて言葉を出さなくても、そんな現象は今までも体験なさったことがあると思うのだが。



例えば、中学校で、学校の規模などの都合で、それほど専門ではない教科を教えることはごく普通にあると思う。

その場合、その教科の専門でない先生が受け持ったクラスが、専門の先生が受け持っていたより成績がよくなったという現象は起こったことはないのだろうか?


また、中学校の先生が小学校に降りて来て専門教科の担任になれば、今よりも成績を伸ばせるとは限らないだろう(校種間の交流で実際にそうなっていない実例も知っている)。

※いや、小学校の教科担任制については、詳しく調べたり、じっくり考えたことがないのでメリット・デメリットについて把握しきれているわけではない。実証的な研究もされているのでは?それはそれで興味はある。


子ども達(いや大人も)が物事を理解したり、学ぶことが楽しいと思ったりすることには、もっと別の要素もからまっているとは想像されないのだろうか?


なぜやる気がでないのか、なぜ誤解するのか、なぜ自分が簡単に理解できることがその子には理解できないのか、…そして、肝心の、「で、それらのことをどうすれば乗り越えることができるのか」…そういったことについての、それこそ「教師の専門性」がなければ、いくら「教科の専門性」を高めてもそれは届かない。


くれぐれも強調しておきたいのは、教科の専門性がいらないと言っているわけではない。

専門の方から見れば、私のやっていることの中には、的外れだったり、教材間のつながりを把握しきれていなかったり、正確でなかったり、間違っていたりすることも目立つのだろう。


が、教科の専門性のタンクをいくら大きくして満タンにしても、送るパイプが細かったり、つまっていたり、つながってなかったり、変なところにつながっていたり、そもそも相手が供給を望む状態ではなかったり、…なら、思うような効果は得られない。


教科の専門性を高めることはよいことだ。

だが、それは適切なパイプをつなげる専門性を身につけてこそだろう。

まずは、必要最低限のことだけは「みんな」に届けられるパイプをつなげる努力。

少なくとも「公教育」の中では重視しなければならないと思う。

minifminif2016/11/23 21:34教科の専門性を受け入れられるのは、供給を望む子どもだけだと思います。
そもそも、専門性が高い授業とは、どのようなものをおっしゃっているのでしょうね。
教師が専門的な話をして、それをだまって聞かせる授業なのでしょうか。

ogymogym2016/11/23 23:52スマホ顕微鏡が出た時点で、理科の専門性は…

…なーんて…^^;

daitouirukadaitouiruka2016/11/26 06:03minifさん、ありがとうございます。
専門的で間違いのない話を「聞けばわかる」ならこれほど楽なことはないんですけどね。
そもそも意味が分からない言葉、話者の意図とはズレた意味付けをしている言葉が個々人にあるという現実に目をつぶっているように思います。
どこまでいってもそれは完全には埋まらないけれど、少しでも精度を高めていくのが、個々の対話を重ねることや、個々に自由に調べられる時間の保障だと思うのですが…。
「私の言っていることは正しい」
ということと、
「その正しさを相手が正確に受け取っている」
ということは別のことですよね。

ogymさん、そのアプリ、知りませんでした。
早速インストールしました。
有料バージョン。
月齢や星座のアプリは既にインストールして重宝していましたが。
ありがとうございます!

2016-11-21

正しく見定める力 06:17

自信と過信は違う。

自分には何ができて何ができないのか、正しく見定める力が必要。

その上に立った有能感・有用感が自信につながる。

万能感はただの妄想。


自分は今回、80点の成果しかあげられないな、と思って80点の子は相手の手強さと自分の力が見えている。

何も努力してないのにできると思い込んで、自分の予想よりはるかに低い成果しか上げられない子がいる。

やればすぐできてしまうことが多いのに、いつも、見てもいない、試してもいないのに、「こんなのできん」と暗い顔をしてしまう子がいる。

(これらは、他のメッセージを含んでいることもあるので要注意だが、額面通りの意味を込めての言葉だとする。)


全てとは言えないが、

自分の力より高く見積もる子は努力をしなくなり、失敗も多くなりがち。

かと言って、自分の力より低く見積もる子もいいとは言えない。

努力はするが、何かに追い立てられるような不安にかられながら、不必要な力の使い方をしがち。

あるいは、心が折れ、やればできるのに努力をあきらめてしまうか。



子ども達にはどちらかに偏ることなく、相手も自分も正しく見定める力をつけてほしい。

自戒もこめながら子ども達にも語っている。

2016-11-20

全員の達成を信じ続け、あきらめない子 06:26

先日の全校算数。

数名課題達成できない子達がいた。


最後に全体の振り返りをするとき、6年生の1人が言った。

「今日、まだ達成できていない人に、一生懸命教えている人がいるのに、あ、もう無理、どうせ達成できん、というあきらめの言葉を口に出している人がいた。今日、全員が課題達成できんかったのは、そんなことも原因の1つやと思う。」


その子は、本来そんなに算数が得意な方ではない。

私が受け持っていた時もかなり初歩の段階のつまずきが目立っていた。

が、仲間と学び合っていくなかで、1つ1つ自分のものにしていっている。

そんな彼の言う言葉だから、私にはなおさら重く感じ、涙がでそうになった(今もキーボードを打ちながら、かなりきている)。


全校『学び合い』を続けてくる中で、「1人も見捨てないこと」をあきらめない校風が根付いてきていることを感じる。

完璧ではなくても、学校全体で、子ども達も職員集団もそれに価値をおき、それを目指すことを是とする集団。



全校『学び合い』を始めた後においでになった新校長は、

「1人も見捨てず、最後まで」

というスローガンを掲げてくださった。

各教室にも掲示している。

それが、ただのお題目ではなく、みんなに共有されていることを感じる。



算数の教科内容だけじゃない。

人として学ぶことの課題の達成にも目を向けたい。

何度も書いているように、それがないために、むしろその力が害悪を生み出す原因にすらなっている例が世の中にたくさんありすぎるから。

strongmind222strongmind2222016/11/21 15:13最後の二行、重たいですが、おっしゃる通りかと思います。
本来、「人としてどう生きるか」を教えるのが教師の仕事と思います。

daitouirukadaitouiruka2016/11/26 21:05そうですよね。
教科と生き方と、両方は大変だと思っていましたが、両方をつなげるからこそ、相乗効果があり、かえって達成できるということがわかってきました。

2016-11-19

専門 09:09

教科の専門性ということでは中学・高校の先生にはかなわない。

私の場合、特に算数・数学が苦手だった。

でも、算数・数学が理解できなくて、頭も胸もモヤモヤモヤモヤしてしまう子どもの心理については専門家(笑)だ。

当事者だから。

世の中に無くてはならないものであることは十分わかっているつもりだが、物理学は触れるのもいやなくらい敬遠したい。


私自身は相対的に国語が得意だった。

中学国語の免許も持っている。

が、受け持った子ども達は国語よりも算数の方がよく伸びる。

始めるかもしれない方と続けている方 08:47

昨日、2名の方が、本校の全校『学び合い』を参観された。


興味はあるが始めるには疑問点がいくつかあるとされる方。

いくつか出してくださった。

これは本当にありがたい。

前向きな疑問はこちらも元気がもらえる。

「現時点での私なりの答え」がすでにあるものについては、無自覚になっているので再認識させてもらえる。

その中には、無自覚なくらいに当たり前にできていることもあれば、

無自覚になってしまって、いつの間にか丁寧さに欠けてしまっているものもあって反省させられる。


1つ1つについて、私の考えをお伝えした。

もうお1人の実践者の方は、私とはまた違った説明をされていた。

これもありがたかった。


質問された方は、

「疑問点だったことが理解できた。今日、伺ってよかった。学校に帰って報告する。」

とおっしゃってくださった。


まだ100%というわけではないものもあるだろうし、もし、実際に試された場合にはまた違った思いも出てくるだろう。

とにかく、第一歩。

その方に「来てよかった」と思っていただけて安心した。


ちなみに、疑問点のうちのいくつかを挙げてみると…。

「以前、他の人が実践をしているところを見て、姿勢が悪い子がいるのが気になった」

「授業は教師が魅力的な教材を用意して子ども達をひきつけていくことが大事ではないか」

「最後に全体でまとめをしないのがどうしても違和感を覚える」

等。


多くの方が疑問に思われることだ。

私なりの考えはすでにここで書いたこともあったと思うが、みなさんなら、この疑問を持っている方に対して、どういう受け応えをされるだろうか。



もうお1人は、県外の方。

今のところその方の県内の周囲にだれも実践者がいない(どこかにはいらっしゃるのかもしれないが、少なくともつながれている方はいない)。

今までに実践を続けることが厳しい状態になったこともある。

その中にあって、ずっと『学び合い』の良さを強く感じながら道をさぐり続けて来ておられた。

今はいい感じでできているとのこと。

本当に良かった。

こういった方の存在は、私にとって、とても心強い。

その方にも「来てよかった」と言ってもらえた。


お二人ともありがとうございました。

minifminif2016/11/21 03:16参観させていただいた県外参加者の者です。
本当にありがとうございました。
私のブログに、簡単ですが思ったことをまとめましたので、よかったら見てください。
(ブログを立ち上げたことをお話ししていませんでした・・・)
またお会いできるのを楽しみにしています。

daitouirukadaitouiruka2016/11/21 05:33ありがとうございました。
minifさんだったんですね。
頭の中でつながっていませんでした。
質問された方にとっても、私一人の言葉ではなく、minifさんの言葉もあったのがよかったと思います。
助かりました。
これからもつながっていかせてください。

2016-11-17

セオリーに逆らう 21:10

思うところあり、1時間だけやってみた。

みごとに達成度ががた落ちになった。

次の時間、いつも通りに戻した。

全員達成できた。

子ども達は生き生きと動き、関わり、喜びあっていた。

1時間、子ども達には申し訳ないことをしてしまったが、私自身にとっては貴重な体験になり、得るものが大きかった。

それを生かして、申し訳なかった分の埋め合わせをせねば。


さらに、同僚が皆、私以上に私のことを理解してくださっていることにも気づけて嬉しかった。

どちらの様子も見てくださって、やはり、私はいつもの私でいるべきだと強くおっしゃってくださった。

消耗 20:27

目指す子ども像が異なっている。

実証的なデータが示されない。

具体的な代替案を教えてもらえない。


こういったお話はとても精神を消耗する。


が、そういう考え方をする人がいるという現実を知る機会になる。

2016-11-15

A君連続満点は珍プレー? 06:13

細かな所に注意をはらうのがやや苦手なA君。

それは、テストの時も表れていて、理解はしているけれど、いつも何か所かケアレスミスで満点を逃していた。

一応その時は悔しがるが、まあ、それが次からの実際の行動にはつながってこない。

その彼が連続満点。


大喜びで私の所へ来て、

「これって、先生のおかげでー。先生がこの前、珍プレーの話、してくれたやろ。あれで、テストの時もちゃんと見直ししようって思うてよー。」

とのこと。


「はぁ?そんな話、したっけ?第一、珍プレーと、テストの見直しがどう関係しているの?」

と、私の頭の中が?????というような状態になっているところに、


「ほらー。自分が一生懸命やりよっても、チームの他の誰かがいい加減にやってミスしたら、試合に勝てんて言いよったやん。珍プレーが大事やって。そのつもりでやろうって。」


「?????…ああ!チームプレーのことか(笑)!」


確かに、「みんな」で、本当にわかろう、できるようになろうっていうのは授業の時も、テストの時も同じですと言った。

A君がとても熱心にやっている放課後のクラブにつなげて、確かに上のようなことを言った。

それが彼の中でヒットしたようだ。

やはり、人によってどの説明がはまるかはそれぞれなんだなぁ、と納得。

言葉は正しく伝わっていなかったが、とにかく行動の変容は起こったので思いは伝わっていたようだ(笑)。


彼らに話しているのは、テストの点そのものが大事なのではないということ。

もちろん、その学習内容を理解したり、興味を持って探求できるようになったりできればそれはいいこと。

でも、それ以上に、テストも、どうせ受けるなら自分のよりよい生き方に結び付けてほしいという願いがある。

同じ活動をするにしても、同じ目標を掲げるにしても、その目的、意味付けが大事だと思う。


A君の日常生活を見ていると、自分のしたことが、他の人にどのように影響するのかということについての意識がまだまだうすいようだ。

そして、自分に任された役割についての責任感についても。

しばしば、いくつかの事が抜けていて、他の人にしりぬぐいをしてもらっていることがある。


だからこそ、テストも、彼の中でそんな意味付けができたら彼に生かされるのではないかと思っている。

その意識が、日常の多方面のことに生かされるようになれば、と。


A君のその後のテストやプリントに、私が指示したわけでもないのに、蛍光ペンで「見直した」のチェックが入っている。

さらにうれしいことに、他のことにも気を配っている場面が見られるように。


いやいや、これは数日で無くなることかもしれない。

良くも悪くも、そういうところも含めて愛すべきA君。


でも、一度でもうまくできた経験があれば、それは、彼にとって本当に必要な場面になればその力が使えるという証と、彼の自信になると思う。


繰り返していく中で本当に自分のものにしていってほしい。

2016-11-08

避難所の運営シュミレーション 06:41

この土日に受講したある講習会で、被災した場合どのように避難所を運営していくか、人や場所、物などの様々な条件を考慮しながらグループで考えていくシュミレーションゲームの時間があった。


被災した場合、行政に頼れない場合が想定される。

その場に集まった人々が主体的に、我がこととして、折り合いをつけながら運営していかなければならない。


被災前に決められたグループや役割分担は、不必要というわけではないが、その人がその場に来られるかどうかわからず、全くあてにならない可能性が高い。

本当に、その場の状況に応じて、みんなが、みんなのことを考慮しながら運営していかないと、生き死にに直結する。


防災に関する知識は身に付けていかなければならない。

もちろんこれも生存に直結するから。


しかし、知識だけではいけない、それをつなげて全体に役立てようとする心と技術が大切だと改めて考えさせられた。


その場の状況を見て主体的に、協調的に行動していく人々の集まりでないと、せっかく災害から逃れても、「関連死」につながっていく。


これらの学習は大切なことだが、全ての時間を防災や被災後の動きそのものの学習にあてることはできない。


定常的に、防災や被災後の動きにつながっていく学習で、今、自分が思い当たるのは『学び合い』ということになる。

特に全校の『学び合い』なら、異質なニーズの者同士が集まり、全員が、全員の存在と折り合いをつけながら、自分が判断した行動をとっていく訓練が常にできる。


今回の私の気づきなど、もちろん、実際に被災した方々からすれば、比べものにならないほど薄っぺらいものだ。

しかし、今まで以上に、防災について、そして、人と人とがつながれる訓練の大切さについて、真剣に考えるきっかけになった。