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イルカたちの夢

 高知県の小学校教員です。 山間の学校の6年生を担任しています。 よろしくお願いいたします。
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2016-08-18

お伝えした(つもりの)こと⑧ 「1人で学ぶ力がつかないのではないか?」 03:58

これもよく言われることだ。


「1人で学ぶ力」をつけるために、

「毎回、一定の時間を1人で考える時間を設定する」

という活動を取り入れているのが一般的に見られる。

だがこれはあくまでも「手段」の1つだ。

それで1人で考えられるようになる子もいるだろう。


だが、その時間を全員に一律に与えると、個々に見れば長すぎたり、短すぎたり、…もしかすると誰1人ちょうどではない可能性もある。

とっくに分かっていて退屈している子もいれば、取り付く島もなくて考えるふりを強いられている子もいるのではないか?

また、授業に参加するという入り口にさえ立っていない子もいる場合もある。


「目的」が「1人で学ぶ力をつける」であれば、「毎回、一定の時間を1人で考える時間を設定する」以外の「手段」もあっていい。

その選択肢の1つが「みんなが理解するために自由に動く」というもの。


その時、ただ一方的に教えるのではなく、「相手の理解度を確認しながら対話している」姿を可視化したり、既習のページにもどって確認する(このような、ある子にとっては当たり前のことをしていない子もいる)などの「学び方について伝えている」姿を可視化したりしていく。

「次から1人でできることが増えるようにするにはどうしたらいいか考えながら関わり合ってね。」

などと言いながら。


すると、「多様な知識や学び方」が身についていく。


すると、自分の頭の中で多様な知識と考え方とを使って「1人で対話する」ことができるようになる。

これが「1人で考える力」ではないだろうか?


万人にとって、どの「手段」がよいとは言えない。

が、『学び合い』なら、1人でも、複数でも考える時間が主体的に選べる。

少なくとも私の担当したクラスの場合は、この方が1人で学ぶ力が伸びてきたという実感がある。




いずれにせよ、「1人で考える力」がついたからと言って、「他者と考える」ことが不必要になるということはない。